第60話 姉妹と、親子
「これか? 悪い、驚かせちまったな。この辺は治安が良くないから身につけてるんだ」
徐に少女が純白の鞘から剣を抜く。その剣は、柄から切先まで真っ白だった。歩とエルが驚く中、少女はナターリエが物凄い顔をしているのを察知すると、慌てて剣を鞘に戻す。
その少女は、凛と同じくらいの女の子であった。少し厳し目な目つき、端正な顔立ちの中には、幼さがまだ同居している。勝気そうなグレーの瞳が一瞬申し訳なさそうにこちらを見たが、あまり気にしていないのか、あっけらかんとしていた。初対面の者に対する発言や態度を見ても、さっぱりとした性格をしているのだろう。肩まで伸ばした茶色の髪を見ると、手入れは雑なことが伺えた。Tシャツにデニムのホットパンツという恰好は非常に動きやすそうであるが、太ももが露になっており、健康美を演出している。
「マルテ、お客さんの前よ」
ナターリエの声は冷え切っていた。顔は笑っていたが、その声にマルテと呼ばれた少女が背筋を伸ばす。
「う、分かってるよ、姉ちゃん。.……えーと、マルテです。よろし……よろしくお願いします」
姉妹のやり取りと、ぎこちない挨拶をするマルテに対しエルは唖然としていたが、歩は思わずクスッと笑ってしまう。
「笑うなよ……」
マルテが気まずそうに頬を掻く。その仕草にナターリアとエルも思わず微笑むのであった。な汰―理恵は少し困ったような仕草をしていたが。
「ナターリエさん、何の病気なんでしょう? それと、白かったですね、マルテさんの剣。初め闘技場の人と重なっちゃいましたけど」
ナターリエの具合が良くなさそうだったので、歩とエルは帰路に着いていた。
歩の横に並んだエルが自分の感想を次々と取り留めなく述べる。今日色々あり過ぎたのが原因だろうと思いつつ、その話を歩は半分ほどしか聞いていなかった。
(どうするか考えないとな……今日姉ちゃんは夜用事があるみたいだから、明日向こうで相談するか)
月が綺麗な夜である。こんな夜は酒でも一杯飲みたいと思った歩であったが、どうにもそんな気分になれないのであった。
――元の世界
麵屋saltは南町商店街にあるラーメン店の1つである。名前の通り、塩ラーメンを売りにしていて、さっぱりとした味の中にある塩の旨味が美味しいと特に女性に人気の店であった。ラーメン以外にも自慢の塩をベースにしたおつまみや酒を提供している。店構えも白を基調とした洒落たデザインで、店内には会話を阻害されない程度にJ-WAVEが流れていた。
その店内で、歩と真春は昼ご飯のラーメンを食べながら、昨日の魔法世界での出来事をかいつまんで話している。
歩の体面に座り、ラーメンをすする音を全く立てずに食べ終えた真春が、口をハンカチで拭って言った。
「そう、その姉妹は少し気になるわね。孤児院は最近私も行けてないから、近いうちに行くわ」
すると、少し前にラーメンを食べ終えていた歩がふと呟く。
「姉ちゃんって、やっぱり綺麗だね」
歩の言葉を聞いて、水を飲んでいた真春が吹き出しそうになる。
「……いきなり何言うのよ」
歩から視線を逸らした真春の顔は少し赤くなっていた。
「いや、ふと思ったから。それより、姉ちゃんの方はどうだった?」
歩がテーブルに肘を付けて、身を少し乗り出した。真春が心の中でため息をつく。その後、
「私の方は、最近起きている暗殺と闘技場を調べてみたわ」
店には他の客もいたが、歩たちの会話に聞き耳を立てている人はいなかった。それを再度確認した真春が、
「暗殺については、半年前から高官が相次いで殺されてるわ。手口は同じ、オーナーの所で見せて貰った模様が全員に送られていた。殺され方も全て刃物によるもの。分からないのが動機。どうにも共通項が見えないのよね……」
腕を組んで考えを巡らせながら、真春が話を続けた。
「闘技場を作ったのはオーナーね。元々高利貸しで相当儲けたみたい。一応、魔法使の家系だけど、ほぼ無名。無名だからこそ、高利貸しを始めたのかもね。昨日見て貰った通り、かなりの魔法使や貴族が会場にいたから、政財界に太いパイプがあるのは間違いないわ。闘技場の賭博の胴元だし、稼ぎも凄まじいみたい。グレッグ爺さんとの関係性は良く分かってないわ」
真春の説明に歩が質問する。
「オーナーが狙われている理由は分からない?」
「狙われる理由が多すぎて絞り込めない。せめて、暗殺された人たちの共通点が分かれば良いんだけど」
ふと会話が途切れる。すると、程なくして店の店主が歩たちに声をかけてきた。
「やあ、真春ちゃんと歩くん! 来てくれてありがとう!」
ニコニコと笑顔で話し掛けてくるのは店主で、細身で穏やかな男だった。白いコックコートを身につけ、帽子も被っている。帽子の中には、茶色の長髪が隠されていることを歩は知っていた。
「あら、真春ちゃんに歩くん、こんにちは」
「お、真春姉に歩兄!」
落ち着いた声と元気な声が店から聞こえる。声のする方を見ると、2階の住居から真緒とその母親の舞が降りてきた所だった。休日だというのに、真緒は高校の制服を着ている。
相変わらず元気一杯の真緒に対し、母親の舞は物静かそうな大和撫子を連想させた。いつものように和服を着ており、長く艶やかな黒髪に目がいく。実は、この格好で接客をしていて、この店の名物女将として有名だったりする。
「2人とも、これから時間ない?」
真緒がこちらに駆け寄ってくる。その元気な姿に歩は犬を思い出した。
「ごめん、今日は予定があって」
「そっか~、大丈夫! また今度ね!」
そう言うや否や、来た勢いのまま表へ出て行こうとする。ところが、すぐに慌てたように店の中へ戻ってきた。何だろうかと思い見ていると、あろうことか、父親と母親の頬にキスをしていた。俗に言うフレンチキスというやつだ。両親もお返しとばかりに娘の頬に同じ行為をしている。
「それじゃあ、行ってきまーす!」
歩が目を見開いている間に、真緒が風のように去っていく。
(あんなスキンシップしてたっけ?)
疑問に思う歩であったが、真春が話の続きを促してきたので、思考が中断する。歩も真春に言わなければならない重要なことがあったからだ。歩の話を聞いた真春は、
「……本当に? 私の方でも調べてみるわ」
真春は存外冷静だった。だが、間違いなく思う所はあったようで、親しい者にしか分からない感情の振れ幅が歩には感じられる。
もう少し突っ込んで話そうとした時だった。
「このクソ親父!」
「んだと! 外に出ろ!」
店の外から大声がする。何かと思い、歩たちが店を出ると、向かいの店から2人の人物が口喧嘩をして外に出てきていた。空を見上げると、雲1つない空が広がっている。
「クソ親父! またレイアウトいじったでしょ!」
「あんなもん、この店に要るか!」
怒鳴り声を上げているのは、凛と筋肉隆々の頭に鉢巻をした凛の父親だった。商店街の人が見ているにもかかわらず、そのボルテージはヒートアップするばかりだ。
「あそこに置いた方が機能美でしょうが!」
「ラーメン屋にあんな洒落た置物がいるかぁ!」
親子が出てきた店は、どこからどう見てもラーメン屋であった。紺色の暖簾に達筆な文字で『ラーメン豚骨屋』と書かれている。入口の引き戸の上半分は窓枠になっており、中を覗くと、カウンター席がほとんどを占めており、テーブルは少ない。
何と、店内には客が沢山いた。ほとんど体格の良い男たちだ。親子喧嘩は日常風景なのか、皆騒ぎを気にせず、呑気にラーメンを食べていた。通りには、親子が出てきた際に漏れ出たお腹を刺激する豚骨の香りが漂っている。
「ぐぬぬぬぬ!」
「ぐぬぬぬぬ!」
火花を散らしながら、睨み合う親子の姿を見ても誰も何も言わない。それどころか、周囲にいた人から、
「よっ! 今日も親子仲いいねえ!」
と野次を飛ばされる始末であった。要はいつもの光景である。
「い、いつ見てもびっくりしますね。今日は大丈夫なんでしょうか?」
そんな中、電信柱の陰からイリーナが出てくる。慣れないのか、いまだに心配そうな表情だ。歩の近くまで来るが、親子喧嘩の様子を眺めているだけで、それ以上話をして来なない。イリーナを見て歩が、
(最近ずっと見られてるな。何か言いたいことがあると思うんだけど、もう少し待つか……)
歩がイリーナを一瞥した後、イリーナが出てきた電信柱の先を見る。そこには違う電信柱があり、姉のソフィアが柱の陰から頭を半分出してこちらの様子を窺っていた。その視線はイリーナに対しては、慈愛に溢れている。しかし、歩に対する視線は真逆だった。
(何故あんな殺意を向けて来るのか。聞いても答えてくれないどころか、問答無用で壁に埋まったからな……)
歩が心の中で頭を抱えるが、今の所どうしようもない。真春に助言を以前求めたが、
「それは、歩が解決する問題よ」
と言われるだけだった。歩が心の中で唸っていると、喧騒に負けないくらい一際通る声が聞こえる。
「2人とも、そろそろ皆さんのご迷惑デスよ!」
親子の前に現れたのは、綺麗なラテン系の女だった。地毛であることが見て取れる金髪、顔だちや言葉尻から明らかに日本人ではない。顔は怒っていたが、その中にも愛嬌が垣間見える。背は高くないが、不思議とパワフルな力を体に秘めていると感じられた。買い物から帰ってきた所なのか、手にはエコバックを抱えている。
「か、母ちゃん!」
「ママ!」
女の姿を見て、親子が同時に声を上げる。
「ママ聞いてよ、お父さんがまた!」
「母さんを頼るとは汚いぞ!」
再び争いが始まろうとしたが、母親が2人の肩を抱くようにして間に入る。そして、3人の顔を近づけて満面の笑みで言った。
「もう、ケンカはやめて。大事な家族ですから。ほら、笑顔デス!」
口角をあげて、100点の笑顔を200点に上げる。すると、どうしたことかそれだけで親子喧嘩は静かになった。周りで見ていた人たちも、これでお終いとばかりに方々へ散っていく。
人がいなくなり、歩たちの存在に気付いた凛と父親は、少しばつの悪い顔をしていた。
「いつ見てもアンさんは美しいな」
いつの間にか歩の隣に現れたヒアックが、凛の母親であるアンを見て言う。ヒアックは、金髪碧眼の高身長なイケメンでもあり、三枚目でもあった。金髪はウェーブがかかり、肩まで伸びている。歩と真春の腐れ縁であった。
「あんた、どこにでも現れるわね。店はどうしたのよ?」
ヒアックの出現に驚いているイリーナを余所に、真春が言った。休みの歩と真春と違い、ヒアックは出勤日だった。
「ふ、足りない材料があって買い出しに出たら偶然な。やはり、この街は素晴らしい! そう思うだろう、歩!」
「そだねー」
ヒアックの質問に歩が適当に答えていると、アンがこちらに寄ってくる。
「みんな、元気デスか? あら、あなたは確か……」
イリーナの顔を見て、アンが嬉しそうな顔をする。
「は、はい。イリーナです、よろしくお願いします」
アンの元気さに面食らいながら、イリーナが自己紹介をする。
「私はアンです! ふふ、この街に住んでいる娘はみんな家族デスからね!」
アンがいきなりイリーナをハグする。頭がこんがらがるイリーナだったが、アンの温かさに触れた気がしたのか、パワフルさに驚いたのか、アンの腕の中で大人しくなっていた。その光景を見て、ヒアックが興奮気味に歩に話す。
「見ろよ、歩。美女同士が抱き合うこの光景を! 最高だな!」
「そだねー」
「生まれてきて良かった!」
「そだねー」
「俺たち、おっぱい大好き!」
「そだねー。え……?」
もう遅い。歩が訂正しようとした時には、ソフィアが目の前に来ていた――鬼の形相で。
数秒後に、壁に埋もれた歩とヒアックを見ながら、アンがしきりに頷く。
「2人とも、本当に仲がいいデスね!」
ふと、壁の中から携帯の着信音が聞こえる。ピクリとも動かなかった歩が震える手を操作し、ボタンを押して耳元に当てる。
「はい、もしもし」
「一条はんですか? 麗羽です。お電話貰いました?」
歩がラーメンを食べる前に電話をしたが、留守だったのだ。歩は声を絞り出し、
「麗羽さん、明日こっちで時間ありませんか?」
「明日……良いですよ。もしかして、闘技場関係のお話ですか?」
「なぜそれを?」
歩の声が自然と固くなった。それを携帯越しに感じたのか、麗羽が楽しそうに笑う。
「そう警戒しないでください。前も言ったと思いますが、私の家は結構大きくて情報は入って来るんですよ」
歩は一段と不安を覚えたが、今欲しい物を彼女が持っていると思われたので、こう答えるしかなかった。
「分かりました。明日よろしくお願いします」




