第57話 暗殺者と、裏闘技場
――魔法世界
いつも通り朝食を食べ終えたシアを送り届けた後、店に戻ると、そこにはグレッグだけでなく真春と亜紗、エルがいた。
「揃ったから始めるぞ」
小柄で痩せ型な老人にもかかわらず、その渋く低い声には力強さと張りがあった。
「お主らに頼みがある」
皺のある彫りの深い顔で皆を見渡す。普段からぶっきら棒な性格のため、人によっては冷たく映ることもある目つきはより険しい光を帯びていた。
皆が何事かと思案している中、グレッグが神妙な顔をして切り出す。
「今朝の新聞で知っている者もいると思うが、魔法使が連続で殺されている。しかも、政府の高官ばかりだ」
グレッグが手に持った新聞を見せた。そこには、一面に大きく『政府高官連続殺人! 犯人はプロの殺し屋か!?』という文字が踊っている。一面だけ見るとゴシップ記事のようにも感じるが、半年前から起きていることや犯行場所、国が隠蔽している可能性などが淡々と書いてあり、見出しとは裏腹に至って冷静な書き方だった。
ふと疑問を感じた歩がグレッグに聞いた。
「あれ? こんな新聞取ってましたか?」
「ああ、こいつはいわゆるスクープ紙でな。定期発行されてないんじゃ」
よく見ると、ページ数が少ない。グレッグの説明を捕捉したのは真春だった。
「今の政財界や社会の在り方を主に斬る新聞よ。これが人気でね、議会が廃止しようと動いたけど、あまりの反対に取り消しになったほどだから」
歩が新聞を眺めていると、エルが歩の隣に来て一緒に覗き込む。
「確かライターの方が素性不明と聞いたことがあります」
エルは肩まで伸びた鮮やかな赤毛が特徴的な少女だった。いつもの森林保護官の証である緑色の服を着ている。元の世界なら凛と同じくらいの年齢であり、笑顔の似合う可憐な女の子であった。
脇道に話が逸れようとしていた折、グレッグがやんわりと修正した。
「まぁ、新聞の件はそれくらいにして本題に移ろう。古い知り合いから連絡があってな。件の暗殺者に命を狙われているから助けてくれと」
「ここが?」
時刻はまだ昼間だった。歩たちが馬車で連れてこられたのは、一見お金持ちの少し大きめの一軒家にしか見えない。王都の中心部、市場のもっと先にある魔法使でも地位のある者しか入れない区画にその店はひっそりとあった。特徴があるとすれば、2階建ての煉瓦造りであることくらいだろうか。ここが裏闘技場の入口だとは誰も思わないだろう。
「一見さんお断りの高級店よ。この時点で色々と察することが出来るでしょ」
歩の後から降りてきた真春が少し嫌な顔をしていた。その顔には、何故かいつも身につけていない伊達眼鏡がある。銀縁の細いタイプであり、いつものスーツと堂々とした振る舞いからはどこぞの秘書にしか見えなかった。黒髪も短く束ねており、真面目でビシッとした印象を受ける。
一方の歩もいつもと違い、スーツ姿であった。
「あの、今更ですけど、私の格好変じゃないですかね?」
真春とは反対におずおずと自信なさげに馬車から降りたのは、黒い外套に身を包み目元だけ仮面をつけたエルだった。
赤い髪はフードで隠されている。ちょっと不審者かもしれない。
その自信のなさを打ち砕くようなウインクをしたのは真春だ。
「大丈夫よ! こういう時こそ女は度胸って言うじゃない」
グレッグ曰く、知り合いは裏闘技場のオーナーであり、とても疑り深い性格なので初見の人はまず会えないらしい。グレッグの親書があってもだ。だが、彼の興味を引くものがあれば、面会できるかもしれない。そこで、白羽の矢が立ったのがエルだった。
「かなりの歴史マニアかぁ。グレッグさんが来れれば一番良いのにね」
歩が真春とエルを交互に見て言うと、エルが代表して答えた。
「グレッグさん、交友関係が広いんですよ。ただ少し前にいろいろあったみたいで、今はなかなか外に出られないみたいです」
真春が黙っているところを見ると、事実なのだろう。その話とは別に、歩がエルに確認したいことがあった。
「エルは今回のこと、本当に大丈夫?」
その口調は、確認というよりも腹が決まっているのかという問いかけに聞こえた。
「はい! 私の髪がお役に立てるなら!」
エルが握り拳を作り、小さくガッツポーズをする。
親書だけでなく、相手の興味を引く何かを考えた時に、グレッグから提案されたのがエルだった。退魔師の末裔というだけで十分お眼鏡に叶うらしい。しかし、この提案を受けた時に歩は初め難色を示した。最終的に本人が自分から了承したものの、歩なりに再度意思を確認したかったのである。
エルの答えに満足いったのか、歩は小さく頷いた後、彼女の耳元に近づいて、
「大丈夫。誰がなんと言おうと、エルの髪は綺麗だから」
急速に顔を赤くしていくエルに対し、歩が慌てる。
「あ、決してやましい意味で言ったんじゃ……」
「だ、大丈夫です! 分かってますから……」
歩の訂正により赤みを帯びていくエルは傍から見て普通に可愛かった。
「準備できた? 行くわよ」
真春の言葉で2人が我に返る。気合いを入れ直して、3人は共に玄関の扉に向かった。入口は木材と見間違う模様をした鉄製の分厚い扉で出来ている。
「いらっしゃいませ、朧月へようこそ。ご予約はされてますか?」
玄関で一行の前に現れたのは、男性のウエイターであった。声や態度の落ち着いた様子は訪れた者に安心感を与える。
建物の中は一面が大理石でデザインされていた。左手に小さな受付があり、右手には大きな絵画が壁一面に飾ってある。照明の明るさも眩しすぎず、暗すぎずで柔らかい温かみを大理石に与えていた。
「こちらに伺いたく参りました」
真春が取り出したのは、光沢輝く黒いカードであった。表も裏も何も書いていない。ウエイターはカードを受け取り数秒観察した後、
「拝見致しました。どうぞ、廊下を進み右手にお曲がり下さい。突き当たりにある部屋でございます」
それだけ言うと、ウエイターは押し黙る。
言われた通り、大理石の廊下を進んでいく。左右の壁には小さな絵が沢山飾ってあり、淡い照明に照らされていた。物珍しさに絵を見ていると、廊下が分かれているポイントに着く。真っ直ぐ進んだ先には、厨房があるらしく、お腹を刺激する匂いが漂ってきた。左を見ると、2階へ上がる階段が少し先にある。右を覗くと、ウエイターの言葉通り扉があるのが分かった。
指示された部屋に入る扉は、玄関と同じ木製と見間違える鉄の材質で出来ている。
少し重い扉を開くと、そこは5畳ほどの部屋だった。中央に高さ1メートル程の黒い機械があるだけの簡素な部屋だ。歩とエルが四方に視線を向けている間に、真春がその機械に近づいていく。そして、先程の黒いカードを機械の表面にある窪みに置いた。すると、
「おおっ!」
歩が興奮気味に声を上げる。左の壁が静かな音を立てて下にスライドしたのだ。そこから姿を現したのは、地下へと続く階段であった。
階段は長く、地下2階分くらいはある体感がある。ようやく着いた先にある重々しい金属製の扉を開いた。
開けた途端、人々の騒がしい声と歓声が聞こえる。出たのは薄暗い観客席であった。アリーナ形式の構造で、歩たちは客席の一番最上段にいる。上から見える範囲だけでも、かなりの人が入っているのが分かる。人々が熱狂しているのは、客席から見下ろせる、ライトで照らされた闘技場であった。
四角い10メートルほどの闘技場には、2人の人物が見える。1人は仮面を付け、茶色い外套で全身を覆っていた。もう1人は、筋肉隆々で頬に傷のあるスキンヘッドが特徴的な大柄の男である。
「男の方は、裏社会で有名な殺し屋ね。撃砕のガンだったかしら」
隣に来た真春が歩とエルに教える。
局面が終盤に差し掛かっているのか、2人の間に流れる空気は緊張を帯びていた。一定の距離を取り、互いに動かない。
(始まる!)
歩が思った直後に、2人が同時に動いた。
魔法を使用した大柄な男ガンがかなりのスピードで仮面の人物に接近し、顔面に丸太程の太さがある腕を躊躇いなく振り下ろす。強化された拳は鉄をも粉砕する威力と速さを兼ね備えていた。
だが――ガンの拳は空を切る。仮面の人物が一手先を読んでいたのだ。いつのまにか、手には西洋刀らしき武器を持っている。その刀身は黒く、血を滴らせていた。
首から血を吹き出しながら、ガンが静かに倒れる。一瞬の静寂の後、会場は熱気に包まれた。
これが新たな出会いと事件に発展するとは、この時の歩たちは知る由もない。




