第56話 おめでたい話と、嫌な予感
――元の世界
「なるほど、もうイリーナさんは大丈夫なんだ?」
休日の昼下がりの病室で、真剣な顔をした歩が目の前にいるイリーナを見て言う。その手は、イリーナの持っているトランプの中から何を選ぼうか吟味していた。
一条歩は、中肉中背で見た目は平凡な黒髪の成人男性である。一方、イリーナと呼ばれた女は美人であった。長いブロンドの髪は艶やかで、入院中にもかかわらず手入れがされていることがわかる。少し線が細いが、優しい心の持ち主であり、茶色い瞳からは意欲的な意志を感じた。しかも近くにある現役の女子大生である。
「はい。今日の検査が終われば正式に退院に……なります。ただ、向こうの世界の私はしばらく……入院が続き……ます」
歩がババを引きそうになると、イリーナの表情が面白いくらい変わる。会話も所々途切れ途切れになるので、何回もババを選ぶ振りをするが、急にその行為をやめた。イリーナの隣にいる姉であるソフィアの視線が強くなったからだ。同じくトランプを持っていて、歩の対角線にいるのだが、尋常な圧をかけられていた。
ソフィアはイリーナの双子の姉である。一卵性双生児のため、非常に似た容姿をしていた。もっとも、姉の方は目つきが妹より厳しい印象を受ける。特に歩とヒアックに対してはより厳しかった。
水色のカーディガンに花柄をあしらったスカートを身に付けている様子からは、どこぞの令嬢を連想させたが、実際こちらの世界でも良い家柄らしい。
歩が少し迷った末にババを引く。
「でも、向こうも順調なんでしょ?」
その歩の手札を迷いなく引いたのは真春だった。こちらの姉弟は全く似ていない。姉の真春は、双子の姉妹に劣らず人目を引く美しさを持っていた。双子のすらっとしたモデル体型とは違い、真春は魅惑的な肢体を白のワイシャツとスーツに包んでいる。
真春が引いたのババであった。だが、眉1つ動かさずに手札から引くようにソフィアに促す。
「体力の低下が1番の問題と言われて、こっちも拍子抜けしたほどよ」
イリーナの代わりにソフィアが答える。引いたトランプの絵柄を見たときに、一瞬目が大きく見開かれるが、すぐに元の涼しい顔になった。
「向こうでも早く退院して皆さんと一緒に行動したいです」
人の良さがにじみ出る笑顔を見せながら、一巡してイリーナがトランプを引こうとする。ところが、取ろうとした矢先、ソフィアが慌てたように手札を引っ込める。
「? お姉ちゃん?」
「ごめんごめん、ちょっとね」
訝しむイリーナを他所にソフィアが手札をシャッフルする。
「さぁ、引いて」
イリーナが再びカードを選ぼうと手を伸ばした。手をゆっくりと左から右にトランプの上をなぞるように動かすと、あるカードの上でソフィアが手札を僅かに震わす。
(そんなにババを引かせたくないのか……)
歩と真春が思わず目を合わせる。しかし、当のイリーナはかなり集中しているのか、ソフィアの合図に気づいていないようだった。
「そういえば改めて聞きたいことが……」
「なに?」
ソフィアが視線をイリーナに向けながら歩に話す。
「アウェイカーについて。姉ちゃんには聞きましたが、2人の切っ掛けと日々はどういう形で訪れるんですか?」
周りに他の人はいない。ここが個室だからこそ言える質問であった。言い終わると同時にイリーナの手が止まる。どうやら、引くカードが決まったらしい。
「私たちは物心ついた時になってたわよ。ほぼ同時に。寝て起きる度に違う世界を行き来してるわ……ねっ!」
ソフィアが答える最中、イリーナが掴んだカードを引き抜くのを阻止しようと力を込める。
「そう……ですねっ! お姉ちゃんがいなかったら私どうなっていたか。でもっ! 奇跡的に両親が両方の世界で同じだったので、そこも助かりました」
イリーナがビクとも動かないトランプを引こうと何度も挑戦する。唸っている様子は小動物を見ているようで癒された。
「まぁ、両親はアウェイカーではないけどね」
違うカードを取るよう目で訴えかけるソフィアに対し、イリーナが悔しそうに別のカードを取ろうとする。だが、安心した一瞬の隙をついてイリーナが当初狙っていたトランプを奪い取った。
「それは、両親に直接確認したんですか?」
歩の問いにソフィアが渋い顔をする。歩にではなく、妹のした行為についてだが。イリーナの方はと言うと、引いたカードを見て放心している。ソフィアがようやく歩の目を見て話した。
「子供だったから聞いたわよ。でも、両親は夢かイタズラとでも思ったんでしょうね。魔法世界の両親は異界があることは知っていたけど、アウェイカーのことは知らないみたい。それ程特殊な存在なのよ、私たちは」
「他に誰かに話したりは?」
「実の親でさえ、その反応だったのに他に話さないわよ。それに、私はその後妹のことで頭が一杯になってたし。普通は異世界のことなんて信じないわよ」
アウェイカーは孤独なのだと歩は思った。恐らく、複数人が同じ場で共有していること自体稀有な例なのだろう。孤独に耐えかね、精神を病む者もいそうだ。チラッと真春の方を向くが、いつもの涼しい顔だった。
なるほどと頷いてから、歩がイリーナの手札から1枚選ぼうとする。ようやく我に返ったイリーナは慌ててカードをシャッフルしていた。歩がイリーナの手札の上をゆっくりとスライドさせる。あるカードの上に指が来た時、表情が面白いように変わった。
思わず吹き出しそうになりながら、ソフィアを見ると柔らかい微笑を浮かべ妹の様子を見ている。
そんな姉妹を見て、歩は先日のソフィアとの会話を思い出した。
「私には素性の知らない協力者がいた。妹が死んだ時、突然現れて脳移植を行い、後の処理をするための資料を残して消えたわ。会ったのはその1度だけ。探したけど、全く分からなかった」
ソフィアの告白に真春たちが驚く中、ただ1人歩だけが真剣に考え込んでいた。
しかし、突然聞こえてきたサイレン音に歩の意識が戻る。何事かと思い、皆で窓から外を見ると、ミニパトがけたたましいブレーキ音を鳴らし、病院の前に急停車していた。その直後、男が病院から飛び出してくる。それを追う形でパトカーから女性の警官が降りて追いかけ始めた。
男の方は黒い帽子を目深に被っていて顔は良く分からないが、まだ20代に見える。手に持っているのは女性用の鞄だった。
一方の女性警官も若く、制服の着こなし方を見ても、数年しかこの職を経験していないことが伺える。肩まで伸びた茶色の髪を持つ、すらっとした体型の美人だが、今は目がつり上がって鬼の形相をしていた。警笛を勢いよく何度も鳴らしている。
女性警官は足が速い。見る見るうちに男に追いつき、あろうことかドロップキックをお見舞いしていた。更に、男が痛そうにうずくまった所を腕ひしぎ十字固めでとどめを刺そうとしている。後ろから追いついた同乗者の先輩警官が、やり過ぎている若い警官に拳骨を振っていた。
「なにあれ?」
その光景を窓から見ていたソフィアが素朴な疑問を投げた。イリーナと2人で信じられないものを見た顔をしている。
「通報があった時に偶々近くにいたみたいね。犯人は災難だこと」
真春が見慣れた光景とでも言わんばかりに言ったが、
「違う違う、あの警官よ!」
指示した先にいたのは、拳骨を喰らい反省している若い女性警官であった。
「ああ、真子さんですか。この街が好きで警官になったんです。ちょっと加減を知らないだけですよ」
歩の言葉に姉妹が沈黙する。そんな中、真春が不意に、
「そういえば歩、向こうで明日は時間ある?」
「? あるけど」
歩が買い物か何かの手伝いかと思っていると、予想外に硬い声が返ってきた。
「グレッグ爺さんから私たちに頼みがあるそうよ。……少し危ない案件みたい」
「あぶない?」
「……裏闘技場、魔法社会の暗部よ」




