第50話 ソフィアと、イリーナ
「ここに、この病室の患者のカルテがあります。ここに、患者名がハッキリと書かれています。イリーナ・ブラガロードと」
歩が印刷された紙を見せる。それを見た自身をイリーナと呼ぶ女は、
「そんな……入院しているのは私? 3年前から意識不明で原因が分からない……」
表情が見る見る青ざめていくのが、傍目からでも分かった。非常にも追い打ちをかけるように歩の指摘が続く。
「昨日の子供との会話や先程の話で、あなたに昔の記憶があることは分かりました。ただ、最近の病院外の出来事については知らなかった。何が起きているのかは、この病院内で今現在進行中のことを考えれば、自ずと答えは見えてきます」
隣にいる真春を見ると、歩に全てを任せているのか、何も口を挟んでこなかった。静かに腕を組んで状況を見守っている。一方で、狼狽し目尻に涙を浮かべている女に対して、歩が淡々と事実を告げた。
「原因は分からないですが、イリーナさん、あなたは3年前からソフィアさんとこの病院内限定で入れ替わっている!」
「! わたしが……? いや、でも……まさか……」
雷に打たれたように立ちすくむイリーナだったが、次第に自分の置かれた立場に気付き始める。何かに納得したのか、時折小さな声を上げ、わなわなと全身を震えさせる様は見ていて心が痛くなるほどだった。やがて、歩たちの方を向き、
「私は、お姉ちゃんの時間を使っていたんですね……。そうとは知らずに、お姉ちゃんの方が意識不明だなんて思いこんで。滑稽ですよね?」
力なく微笑むイリーナの姿は、あまりにも憐憫を誘うものだった。歩は声を掛けたくなるのを必死に我慢する。ふと、イリーナが涙を流した。何に対しての涙なのか。声を押し殺して、
「向こうの世界で体も動かせないから、せめてこっちの世界では、自由に生きたかった。そんな私のお願いを神様が汲み取ってくれたのかもしれませんね……」
歩が目を閉じる。唇を真一文字に結んだ。病院に来るまでに決めていた決意を揺さぶられながらも、目を開いてイリーナに冷酷な言葉を投げかける。
「お姉さんに代わってくれませんか?」
離別の一言であった。告げられたイリーナは、恨み言を言う訳でもなく、ただ静かに頷く。
「はい、どうか姉に伝えて下さい。最後に体を貸してくれてありがとうと。それから、私のために無茶をしないで。私の誇れる、大好きなお姉ちゃんにままでいて」
何かが引き金となり、イリーナの意識が消えようとする中、歩が大きな声で呼び止める。
「イリーナさん! あなたのことは何とかします! お姉さんのことも!」
それは、本来言うべきことではなかった。今まさに、命が消えようとしている人間に対して、可能性を言うべきなのか。
「ありがとうございます」
自分の容体を一番良く知っているからだろう。歩の言葉を単なる励ましを受け止めたイリーナは、簡潔な感謝を述べると同時に意識が消え、その体は糸の切れた人形のように、姉妹が折り重なる形でベッドにふわりと倒れこんだ。
それから、数秒も立たないうちに、先程までイリーナの意識があった体の目がゆっくりと開く。何事もなかったように起き上がると、自分の体や部屋の様子、寝ている瓜二つの己を見た後、歩と真春に向かい口を開いた。
「……なるほど。アンタたち2人がアウェイカーだったと。そっちの男は初めてね」
イリーナの優しさとは対照的な声と冷徹な視線が真春たちを捉える。その瞳には、高貴さだけでなく、いくつもの修羅場を潜り抜けてきた戦士の側面を併せ持っているのが見えた。
「ソフィア・ブラガロード……」
ポツリと真春が呟く。腰まで伸ばした金髪に、モデルさながらのスタイルと長い手足。そこまではイリーナと同じだったが、纏っている空気が全く異なっていた。その青い瞳は歩を一瞥した後、真春を睨むように見つめる。
「まさか、アンタもそうだったなんてね……」
今度は真春がハッキリと目の前のソフィアに向かって告げる。ソフィアは鼻を鳴らして、
「それはこっちのセリフよ。それで、ここまで来たからには辿り着いたんでしょう? 私が今からすることに」
「本気で扉を開けようとしているの?」
真春の問いかけにソフィアは無言で答えを返す。答える必要がないというよりも、ここまで来た以上、全て分かっているのだろうという意味に感じた。
イリーナの心拍音を計測する機械の音だけが聞こえる。真春とソフィアが半ば睨み合う中、口を開いたのは歩だった。
「1つ聞かせて下さい」
「……あら、何かしら?」
歩が言葉を口にしたのをソフィアが意外そうに見る。眼中になかったと言っても良いのかもしれない。
「例え妹さんが救えたとしても、両方の世界が滅びているかもしれない。妹さんが笑う未来はあるんですか?」
ソフィアが一瞬目を開く。
「……そうね。あの子は優しい子だから、きっと悲しむと思うわ」
ソフィアの視線は眠ったままのイリーナへ向けられている。妹を見る眼差しは、打って変わって柔らかなものだった。
「でも、こっちのイリーナも生命活動が弱ってきている。元々体は弱かったけど、3年前までは普通に生活できていた。急に意識がなくなって……。分かる? アウェイカーは互いの世界の命が繋がっていて、片方の世界で死んだら、もう1つの世界でも死ぬのよ」
ソフィアからの告白に歩と真春は息を飲む。双子ともアウェイカーであった。そして、アウェイカーの命は異世界で共通であることに。
「きっと恨まれるでしょうね。それでも……それでも、あの子を助けたい。だから私は、そこに僅かな可能性がある限り、異界の扉を開くわ。……例え、世界が滅んでも」
歩たちの心を知ってか知らずかソフィアが続けて言った。
「本当に幸福だわ。アウェイカーが2人も見つかるなんて! 多い分には問題ない。むしろ、好都合。2人とも、扉を開けるのを手伝ってもらうわよ。明日昼の12:00に博物館跡に来なさい」
強制的なソフィアの言い方に真春が口を出す。
「素直に従うとは思ってないんでしょ?」
真春の反応を予想していたソフィアが不敵に笑う。その笑みに、歩は嫌な予感がした。
「アンタたちは来ざるを得ない。なぜなら、向こうのイリーナがいる病院を中心に時限式の魔方陣を敷いたわ。ざっと全長10キロ。明日向こうの世界で約束通り来なかった場合、12:00ちょうどに自動的に発動するようにね。もし、起動して中に人がいたら、命の保証はないわよ」
「!」
驚き、そして、一気に緊張の空気がソフィアとの間に拡がる。
「解除しようなんて無駄なことは考えないことね。起点になっている病院は、私が全霊をかけた防御魔法で守られているから」
自分の言いたいことを言い終わったソフィアが、黙り込む歩と真春の横を通り、病室を後にした。
「話し合う余地なしか……」
あとに残ったのは、目を覚まさないイリーナと、表情の変わらない真春、そして、言葉とは裏腹に何かを考え込む歩であった。
体調不良で遅くなりました。
しんどい、、、。




