第49話 剥がされる事実と、交錯する世界
「偶然という可能性は?」
亜紗の話を聞いた歩が数秒の後に聞く。
「これだけならね。だが、この部屋にはいくつも異界の扉を開けようとしている痕跡が転がっている」
亜紗が近くに積んであった雑誌サイズの本を取る。表紙を歩に見せ、
「これは表に流通していない美術名鑑だ。なぜなら、私は図鑑や美術本が好きで、最新のものが出る度に購入している。この本は私の記憶にはないし、出版元も書いていない」
亜紗が中身を見るよう歩に促した。
言われた通りにパラパラと本をめくっていくと、あることに気付く。
「……建国王関連の美術品に印がついてますね」
マーカーが引いてある訳でもないが、メモ書きや紙のよれ具合を見るに、ソフィアが建国王に興味があるのは明らかだった。歩が確認し終わったのを見て亜紗が、
「これは裏のマーケットで流通している本だ。写真に載っている美術品そのものは売買されない。説明文の中に暗号が隠されていて、写真の作者の別の作品が売りに出されている。欲しい作品があれば、暗号の中にある連絡先とコンタクトを取る形だ」
亜紗の説明を聞いた歩が別の側面から質問をする。
「ソフィアさんはどんな人ですか?」
「プライドが高く、不正に潔癖。そんな人間がこの手の本を取るだけでなく、メモや何回も読んだ形跡があるなんて、理由は1つしかない……自分の信念を曲げてでも欲しいものがあった。まぁ、この部屋を見れば一目瞭然だが」
亜紗の言葉を受けて、歩がイリーナのいる部屋を改めて見る。
イリーナが眠るカプセルといくつもの機械類、うずたかく積まれた書類や本、書き込まれたメモ書きの数々など。
「彼女は奇跡でも起こらない限り治らないんですよね?」
目を覚まさないイリーナに視線を向ける。心なしか、カプセル内を照らす青白い光が弱々しくなっている気がした。亜紗も釣られてイリーナを見ながら、
「ああ」
ただ短く端的に答えた亜紗に、歩が確認するような声で尋ねる。
「ソフィアさんが探してる建国王関連のもので、奇跡を起こし得るものって……」
「まず間違いなく、建国王の日記だろう」
バイタルサインを記録する機械の音が、やけにはっきりと聞こえる。歩が疑問を口にするよりも早く亜紗が口を開いた。
「なら、何故日記だけでなく異界の扉も追い求めているのか。私の推測が正しければ……」
亜紗がイリーナの眠っているカプセルに近づく。その手には、どこから拝借したのか、電動のドライバーがあった。かがんで、装置の中心部の下の方にある機械の外装を慎重に外していく。
時間にして5分ほどが過ぎた頃だった。
「やはり、あったか」
外装が外れた機械の中を亜紗が指差す。その先には、光を発する何かがあった。
「これは……建国王の日記?」
「ああ、しかも魔力がほとんど残っていない」
亜紗の言う通り、日記の光は以前に零の元で見た紙片よりも明らかに弱かった。
「この分だと、明日1日もつかどうか」
重苦しい空気が流れる中、歩が口を開く。
「ソフィアさんは、きっと明日扉を開けようとするはずです。そうでなければ、今日社交界になんて行かない。自分の中での決別の場だったのではないでしょうか?」
「ああ、いずれにせよ、世界のために1人を見殺しにするか、1人のために世界を捨てるか。1日で決めるには、少し重いな……」
ここで出来ることを全て終えた歩と亜紗は病院のロビーへと戻る。その間、お互い言葉を発することなく淡々と機械のように足を進めていた。
そのまま外に出ると、そう遠くない距離から蹄鉄と馬車の車輪が回る音が聞こえる。余程急いでいるのか、普段なら小気味良く響く蹄鉄の規則的なリズムも乱雑だった。
現実世界にて――
目覚めの朝はあまり気持ちの良いものではなかった。
長年見慣れた自分の部屋の天井が視界に入った後、歩はゆっくりと起き上がる。カーテンを開けて、天気を見ると、こちらの心を映すかのような曇り空であった。
顔を洗い、頭を切り替えて、寝間着のままリビングへ行く。
「おはよう」
そこには、朝食を食べている真春の姿があった。Tシャツにショートパンツというラフな姿である。
真春の表情や食べ方を見る限り、歩と同じように大分悩んでいるらしい。
パンをトースターに入れていると、後ろから声がかかる。
「ねぇ、今日どうするの?」
わざわざ面と向かい合わないで話しかける様子に、姉の迷いと、その顔を見せたくないのだと感じた歩は、
「うーん、病院に行くよ。少し確認したいことがあるから」
「あたしも行って良い?」
「うん、お願いしようと思ってた」
トーストを食べようと真春のいるテーブルの対面に来た時だった。
歩の携帯の着信音が短く鳴る。メールの送信者を確認して、
「亜紗さん!」
急ぎ文面を確認する。
「そういえば、出張中の亜紗に何か頼んでたわね」
「うん、これ見て」
そう言い、歩が携帯の画面を見せると、真春が驚きの声をあげる。
「ちょっと、これって!」
「新規開店キャンペーン中です! よろしくお願いします!」
病院の近くに着くと、元気な掛け声と共に1枚のチラシを渡される。見ると、今日からオープンした喫茶店のチラシだった。
「あぁ、これが例の。学生向けの喫茶店ね。1人でやってた本屋の爺様は引退か……」
真春がチラシを受け取った歩の手元を覗き込む。
「うん、寂しいけど、新しいオーナーの人も良い人だよ。爺さんは新しい事業を計画中だって」
他愛ない世間話をしながら、病院の中へと入っていく。
病院内は至って普通ではなかった。左を向けば、普段は温厚そうな婦人が激高し、強面の中年の男がしきりに謝っている。右を向けば、これから手術をすると思われる医者の1人が、嫌だと駄々をこねていた。他にも病院内にいるほとんど全ての人が、普段とは違う性格の様子を見せており、ちょっとしたパニックになっている。
そんな折、1人の老人が歩たちの前に躍り出た。軽快なステップを踏み、楽しそうに口笛を吹きながら、歩たちの横を通り過ぎ病院を出る。自動ドア越しにその老人を見ると、病院を出た瞬間、先程までの楽しそうな雰囲気が消え、暗い顔をしていた。
その様子を見た歩と真春は、互いに頷き合い足早にエレベーターへと向かう。静かなモーターの駆動音だけが聞こえる中、電子音が目的の階に着いたことを知らせた。
エレベーターを降りた先でも、病院に足を踏み入れた時と同じ現象が起きているのを目の当たりにする。その騒ぎを気にも留めないで、歩たちは姉妹がいるはずの病室の前に来た。扉の近くにある筈の入院している人の名前が書かれたプレートには、ブラガロードとしか書かれていなかった。
「行くよ」
「ええ」
病室のドアを開け放つ。そこには、病院内の喧騒など見当たらず、静かな本来あるべき姿があった。その静けさの中にいたのは、瓜二つの姉妹。
「あ、真春さんと一条さん! 今日も来てくれたんですね。お姉ちゃんも喜ぶと思います。ありがとうございます」
こちらに振り返った時に、着ていた白いワンピースと長い金髪がひらりと揺れた。純真さがそのまま人になったかのような柔らかい笑顔を見せる。傍らには、ベッドに伏せ目を覚まさない同じ顔をした人物がいた。
「そういえば、病院の前にある本屋さん、店を畳むそうですよ」
「え!? あの本屋さんですか? どうして?」
歩が扉を閉め、部屋のベッドまで近づいていく。話し掛けられた人物は、端正な顔を驚きに変えていた。
「ええ、お婆ちゃんも嘆いてましたよ。年には敵わないって」
「そうなんですね。私、あそこの本屋さん、好きだったんですよ。仲の良いご夫妻で、いつも優しくしてくれて。最後に会いに行こうかな……」
「分かります。最後にお婆ちゃんに会ったのはいつですか?」
「えーと、1週間くらい前ですね」
その言葉を聞いて、歩と真春が沈黙する。2人の様子に気付き、疑問を投げかけた。
「あの、どうかしましたか?」
歩が軽く深呼吸をする。これから起こることを受け止めるために。隣の真春と視線を一瞬交わし、
「本屋のお婆ちゃんは、2年前に亡くなりましたよ」
「え?」
訳が分からないのか、ただ呆然とする相手に対し、歩が言葉を続ける。
「すいません、お婆ちゃんが生きているように言ったのは嘘です。確かめたかったんですよ、あなたが誰なのかを」
「誰かって、私はイリーナですけど……」
困惑する自身をイリーナと呼ぶ人物に対し、歩が止めの一言を告げる。
「それに、イリーナ・ブラガロードは3年前から意識不明の状態で、今もこの病院に入院中です。……あなたは誰ですか?」
少し遅れました、、、。




