第4話 姉、一条真春
一条歩の姉、一条真春は3年前に突如行方知れずとなっていた。
真春?が、見た者を射殺せそうな漆黒の瞳で店内を一瞥するが、特に興味のあることがなかったのか、手近な窓側の席に腰を下ろし、店のメニューを見つめている。
金色の綺麗で長い髪の毛は魔力を帯びており、夕闇の中で一層輝きを放っていた。毛先が気になるのか、時々髪をかきあげる様は、まるで絵画を切り取ったかのように幻想的だ。
「この時間帯に来るのは珍しいの、マハル。スーツ姿とは、仕事終わりか?」
グレッグが異様な空気を気にも止めず、慣れた口調で現れたマハルに話し掛ける。
「まあね。いつもの頂戴」
切れ長の目を向けながら、マハルは短く答えた直後だった。
「こちらお冷とおしぼりになります」
歩がいつの間にか給仕をしていた。
「……ありがとう。見ない顔ね?新人? 」
「はい、一条歩と言います」
グレッグが人を雇い入れたのが余程珍しいのか、彼女の視線が歩を捉える。
だが、すぐに興味をなくしたのか、視線は空に移っていた。
そんな中、給仕を終えた歩はある確信を持つ。
(髪の色が金髪だけど、やっぱり姉ちゃんだ)
歩は、今が夢の中であろうが何だろうが、気にしていなかった。
自分のことを覚えていない様子は気になる。
だが、歩にはある確信があった。突然現れた彼女が姉であると。
「歩、彼女に持っていってくれ」
ちょうどグレッグから飲み物を運ぶように指示がくる。
お盆に彼女が好きなカフェオレを載せ運ぶ。
「お待たせしました」
彼女の首には、その美貌に不釣り合いな古ぼけたロケットペンダントがかけられていた。
「ありがとう」
マハルの差し出した手と、カフェオレを持った歩の手がわずかに触れ合う。
その瞬間――
「きゃっ」
「うっ」
静電気のような衝撃が2人を襲う。
歩は急な衝撃で、手に持っていたカフェオレを離してしまう。誰もがグラスの割れる光景を想像したが、すんでの所で歩が器を掴み直した。
「お客様、大変失礼しました。申し訳ございません」
歩は謝りつつ、グラスを置き、マハルの方を向く。
何か小言を言われるかもしれない、内心穏やかでない歩だったが、掛けられた言葉は全く別の意味で歩の心を揺さぶった。
「……歩?」
「え?」
ふいに発せられた、小さな呟き。だが、絶対に聴き漏らしてはいけない呟きに歩は目を見開く。
「姉ちゃん……?」
「……っ」
歩が声をかけた瞬間に、マハルが頭を押さえる。
「くっ……何だっていうのよ」
「姉ちゃん!」
歩の手がマハルの肩に触れようとする。
「触るな! 私はあんたの姉じゃない!」
怒りのこもった鋭い視線を向けられた歩は、その動きを止める。その間にマハルは慌てるように店から飛び出していくのだった。
追いかけようとする歩に対し、別の声が店の入り口からかかる。
「全く、マハルを追いかけて来てみれば、何の騒ぎなんだい?」
聞き覚えのある声に歩は思わず足を止める。
(おいおい、嘘だろ)
現れたのは――歩の良く知る女性だった。
こげ茶色のあるショートヘアに日本人形のような整った顔立ち。美人の部類に入るにもかかわらず、羽織っている真っ白な白衣が全てを残念にしていた。
しかも、色が所々変色している。その下に着ているのは、茶色のレザージャケットに白のパンツという普通の恰好であるのに。
自分の外見を全く気にしていないのか、入ってきた人物は、理知的な黒い瞳で店内を一瞥した。そして、最終的に彼女の視線が歩に向けられる。
「君が原因かな?」
来たばかりなのに、ものの数秒でマハルを出て行った原因を歩だと推理する。
それに対する歩の反応は、心ここにあらずといった様子だ。
「……亜紗さん」
六道亜紗――歩の知っている彼女は探偵事務所を開いており、姉の真春とは無二の親友だった。
「君とは初対面のはずだが。君は一体……」
どう説明しようか歩が逡巡する。何とか言葉を出そうとするが、先に答えを出したのは亜紗の方だった。
「君のことは気になるが、今はマハルを追いかけるよ。あの状態で放って置くのもまずいからね」
グレッグにまた後日来ることを伝え、亜紗が店を後にする。
「待って下さい、亜紗さん!」
大きな声で呼び止める歩の声に耳を貸すことなく、亜紗の姿が遠ざかっていく。
「姉ちゃんは……真春はいつから不機嫌なんですか!」
歩の問い掛けにエルたちが怪訝な顔をする。
だが、亜紗の反応だけは明らかに異なっていた。
急に振り返ると、早足で歩の元に駆け寄り、その目を見つめる。
唇が触れ合いそうな距離に、思わず歩が後ずさった。
「何故、それを知っている? ……聞きたいことはあるが、あいにくマハルを放っておけないのでね。明日の午後改めて話をしよう」
亜紗は相手の承諾も得ないまま、一方的に喋るとマハルの後を追いかけていく。
そして、夜も更け寝る時間になる。
エルは歩と真春の関係を訝しみながらも、明日また来ると言い残し自分の家に帰った。
グレッグも自室で休んでいる頃だろう。
歩はベッドに入りながら考えていた。寝て次に目が覚めたとき、この夢から解放されるのではないか。確証はないがそんな予感がした。
後から聞いた話だが、この世界の姉は御三家と言われる大層地位のある家柄に生まれ、自身も世界最強と言われる程の魔法使いであるらしい。
色々と考えを纏めようとした時だった。部屋のドアをノックする音がする。
「お兄ちゃん、起きてる?」
「ああ、入って良いよ」
ドアを開け入ってきたシアは、可愛らしい寝間着姿に枕を抱えていた。
「一緒に寝る?」
シアの表情を見て、思っていることが分かったのか、歩が問いかける。
「うん! 寝る!」
嬉しそうに歩のベッドにシアが駆け寄ってくる。その様子は小動物を連想させた。
「えへへ~、寝る時もお兄ちゃんと一緒だ」
「それじゃあ、寝ようか。おやすみ」
「うん! おやすみなさい」
シアの頭を撫でながら横になる歩だが、その表情は複雑だった。
(夢もこれでおしまいなのか。あの姉ちゃんは……それにこの子は……)
釈然としない気持ちを抱えたまま、歩の意識は深淵に落ちていくのだった。




