第38話 新しい、出会い
それは、偶然が積み重なった不運だった。
よちよち歩きを覚えた赤ん坊が、母親に抱っこされ2階の休憩スペースにある子供専用の広場で遊んでいた。
ふと、携帯からメールを受信したことを示す音が鳴る。何かと思い、母親が数秒目を離した時だった。赤ん坊がいなくなったのは――。
赤ん坊の興味を引いたのは、キャラクターのシールが大きく張られたスーツケースだった。キャラクターに誘われるように、赤ん坊がよちよち歩きではなく、ハイハイをして追いかけていく。想像以上のスピードで。
スーツケースは持ち主に引かれ、2階から1階への階段手前で止まった。持ち主が携帯で話を始め、スーツケースから手を放す。
赤ん坊が体当たりするかのようにスーツケースにぶつかったのは、ちょうどその時だった。ゆっくりと階段に倒れたスーツケースは、ぎりぎりの所で滑り落ちるのを踏みとどまる。持ち主が安堵して拾い上げようとしたが、それよりも、赤ん坊がスーツケースの上に乗るのが早かった。
アッと誰かが声を上げるも、時すでに遅く。スーツケースは、階段を滑り落ちる――赤ん坊を上に乗せたまま。
赤ん坊を探していた母親の上げた悲鳴が病院内に響き渡る。
初めはゆっくりと滑り始めたが、あっという間にスピードを上げて誰も止められない状態になっていた。状況を理解できない赤ん坊だけが、無邪気に手を叩いて笑っている。
悲鳴で何が起こったか気付いた人の大多数は、ただ事態を見守るか声を出すことしかできない。その中で、体が動いたのは数人だった。
真春は悲鳴が聞こえたのと同時に、先程までの剥き出しの闘争心を潜ませ、人間とは思えない素早さで階段まで到着する。事態を瞬時に把握した後、階段の手すりを足場に高く跳躍し、手に持った開いていない缶ジュースを力の限り投げつけた――スーツケースに向かって。
高い所から放たれたレーザービームは、スーツケースを追い越す。狙った箇所は、前方の空間だった。缶の放物線と、滑り落ちるスーツケースの直線が交差するポイント。少しでもコントロールを間違えば、赤ん坊を更に危険な状況におきかねない。
「頼んだわよ!」
真春の言葉と共に、缶がスーツケースの前方にクリーンヒットした。スーツケースがへこむほどの力が加わり、急ブレーキを掛けたように大きく沈み込む。その反動で、スーツケースの後方が勢いよく浮き上がり、乗客を放り投げた。同時に、ロックが衝撃で外れ、中身が躍り出る。
それは、大量の下着だった。色とりどりの女性下着が宙を舞う。その様子は、ある種幻想的で自分が別世界にいるのではないかと錯覚させた。
一方、投げ出された赤ん坊は、下着が舞う中、前方に綺麗な放物線を描きながら飛んで行く。その先にいたのは、
「ナイスコントロール」
歩だった。その胸には、赤ん坊が抱きかかえられている。赤ん坊は楽しそうに笑い声を上げていた。
「この手触り、色、デザイン……最高級品質の下着だ! 初めて見た!」
興奮気味の声に視線を向けると、散乱した下着を猛スピードで集めたヒアックがいた。鼻息が荒く、頬は紅潮している。周りの人たちもドン引きしていた。
知り合いだと思われないよう歩は必死に明後日の方向を向いたと言うのに、
「歩! お前も見てみろ、この下着凄いぞ!」
「頼むから話し掛けないでくれ……」
ヒーローの1人として、視線を向けられていた歩だが、下着を漁っているようにしか見えない男の知り合いとわかるや否や、白い目で見られる。
「すみません! 大丈夫でしたか!」
そんな中、ロビー中に響き渡る声を上げながら、階段を駆け下りてくる女がいた。
焦る気持ちが前に出過ぎて、転びそうな勢いで走っている。案の定、歩のもとに来る手前で躓いた。
「きゃっ!」
衝撃を想像して女が思わず目をつぶるが、何の痛みも訪れはしなかった。誰かに支えられている気がすると思い、目を開けると、赤ん坊を片手に抱えた歩に助けられているのに気付く。
「あ、ありがとうございます! スーツケースから目を離したのは私の不注意です。すみませんでした。赤ちゃんのことも重ねて御礼申し上げます!」
スーツケースの持ち主は彼女らしい。どこか慌てつつも、恭しく頭を下げる。ブロンドの長い綺麗な髪の毛が印象的だ。
「いえ、結果的に何事もなかったですし。どうか顔を上げてください」
「は、はい」
顔を上げた女は、どちらかというと少女に近い可愛さがあった。モデルでも通用しそうな小顔とスタイル、長い手足を持っている。茶色の目の色は、ハーフかクオーターであることを物語っていた。
そして、この少女との出会いが、歩を新しい事件へと誘うのである。
次は1週間後を目安に投稿します




