第36話 ただいまと、お帰り
「何でこんなことになったんですか!?」
「ふはははは、楽しかろう! 走るのもたまには悪くない!」
見渡す限り青空と緑が続く世界を歩と魔王が走っていた。全速力で。
後ろを見ると、とんでもない光景が広がっていた――巨大なぬいぐるみ、可愛らしい服を着た骸骨、大きく口を開いた大きな果物や木々。ファンシーとホラーを融合させた大群は、ちょっとした仮装パーティーにも見える。追いかけられている当人たちにとっては、ただの悪夢だったが。
「王様、本当に魔力は使えないんですか?」
森のような場所を駆けながら、隣の魔王に問いかける。息ひとつ切らさずに涼しい顔で走りながら、
「使えん。ここは、扉と世界の狭間にある娘の意識の中だ。ここで魔力を放てば、シアにどんな影響が及ぶか想像がつかないからな。……喜べ、今は人間と同じ力しか出せんぞ!」
「なに自慢気に話してるんですか! お蔭でここに来てから、逃げることしかしてませんよ!」
危機的状況にもかかわらず、相好を崩さない魔王に半ば呆れる歩であった。ため息をつきながらも、
「まぁ、ゆっくりしていたせいか、ここら辺にいる奴らは大体惹きつけられましたけどね」
「何だ、やはりお前も同じ算段か」
「あとは、一旦どこかに隠れる場所を……」
「隠れる? 俺の辞書にそんな後ろ向きな言葉はない!」
「面倒くさいなぁ! 今も逃げるという後ろ向きな選択をしてますからね!」
思わず、魔族の王に対してツッコミを入れてしまう。
「ふはははは! 確かにそうだな! 一本取られたわ!」
なぜか歩の非礼を笑い飛ばす。そんな魔王を尻目に歩が声をあげた。
「あそこ!」
視線の先には、木々に囲まれた洞穴が姿を見せていた。
「それにしても、酷い目にあった」
何とか謎の集団から逃げ、洞穴で一休みしている歩が言った。
ほぼ同時に、薄暗い中、ドサッと音がする。見ると、魔王が胡坐をかいていた。
「そういえば、お前の仲間は無事に元の世界に戻れたようだぞ」
「! そうですか、良かった」
胸を撫で下ろす歩。だが、次に放った魔王の一言に気が気でなくなる。
「あと少し遅ければ存在が消滅していたな」
「え?」
歩が目を見開く。この王様は何を言っているのか。
「知らんのか? 適性を持った者以外が異界へ行くと、数時間で存在が消えるぞ」
「ちょっと待って下さい。初耳なんですが……。適性を持った者って僕や姉ちゃんのことですよね?」
魔王が頭に疑問符を浮かべる。どうやら、姉が誰を指すのか分からなかったらしい。初めに攻撃された人ですと教える。
「ああ、あの女か。いや、あれは異界を渡る者ではない」
「……そういうことか、道理でおかしいと思った」
1人合点のいった歩が確かめるように魔王に質問をする。
「姉ちゃんは、僕と同じく2つの世界の記憶を共有しています。これは……?」
「ああ、異界に目覚めし者か。ちょうど良い、時間がないから手短に言うぞ」
そう言って魔王は語り始めた。魔王が言うには、
一、扉は2種類ある。肉体を通すものと、意識のみを通す扉。意識を通す扉は常に開いていて、今この時も誰かの意識が世界を飛び回っている。
一、意識は寝ている時、無意識に誰しもがその一部を飛ばしている。これを無幽意識と呼ぶ。無幽意識は消滅しても本人に影響がほとんどない
一、無幽意識は世界を漂い、まれに扉を通じて別世界へ行く。普通はそのまま消滅するが、ごく稀に別世界の波長が同じ意識と交じり合う。融合した意識は本人へと還り、異なる世界の記憶を共有するようになる。これを異界に目覚めし者という。
「次にシアについてだ。少し前に魔界から姿を突然消した。意識の一部を残してな」
「彼女は異界を渡る者なんですか?」
「分からん。調べたが、どうにも確証がつかめん……」
沈黙が訪れるが、不意に魔王と歩が立ち上がる。
「囲まれるな」
「外に出るしかなさそうですね」
洞穴を出た2人を待っていたのは、宙に漂う亡霊のような群れだった。2~3メートルはある半透明の骸骨の上半身がいくつも浮かんでいる。
困惑する歩に対し、魔王が苦々しい顔になる。
「消滅した意識が集合してできた怨念だ。取り込まれれば命はないと思え」
「僕の体で吸収できませんか?」
「やめておけ。何が起こるか分からん」
歩の特異な体質だけでなく、魔王の絶対的な魔力も使えない。援軍も期待できない。一方、敵は増えるばかりである。
そんな四面楚歌の中、亡霊の背後に忍び寄る影があった。
「気付いたか? 亡霊に釣られて娘が来たぞ」
魔王の言葉通り、シアと思われる気配が亡霊の少し後ろに近づいていた。
「想定通りだな」
思わず口角を上げた魔王が、歩の目を見る。そして、何かを確かめた後、満足そうに頷き1人亡霊の群れの前に出て行った。まるで人間を守るかのように。
亡霊たちが待っていたとばかりに獲物に狙いを定めた。
背中を向けた魔王がいつもと変わらない口調で、
「さぁ、行け。ここは俺が何とかする。娘を取り戻して来い」
身に着けたマントを翻しながら、横顔を歩に向ける。その瞳を見れば言葉はいらなかった。ただ一言だけ魔王に声を掛ける。
「これが終わったら、祝杯を上げましょう!」
返事を待たない一方的な投げかけだった。駆けていく歩に気付いた亡霊の一団がその牙の矛先を変えようとする。
「亡者のくせに、王を無視するとは良い度胸だ」
魔王の目が赤く輝く。その輝きは魔力ではなく、王としての器の片鱗だった。
「……あまりなめるなよ」
辺りの空気が一変した。言葉を、拳を交わさずとも分かる格の違いを見せつけられ、亡霊が呪詛のような声をあげる。
こいつを今すぐ殺せと言わんばかりに、一斉に襲い掛かるのだった。
シアがいるであろう場所に歩がたどり着いた時、目にしたのは先程よりも2回り大きい1体の亡霊だった。
「随分と大きくなって……」
よく見ると、亡霊の心臓部分が赤く明滅している。まるで助けてと言っているような声なき声を、何よりシアの存在を間違いなく歩は感じていた。
歩に気付いた巨大な亡霊が腕を大きく振る。命を奪い取る無慈悲な攻撃を前方に転がるように躱した。ただ腕が触れただけだと言いうのに、木々や花はその命を失っている。
考えている暇などない。一か八かやることはただ一つだった。
「シア、君が今どんな気持ちかなんて、どうでも良くてさ。ただ、僕がシアにもう1回会いたいだけなんだ」
返ってくるのは、耳鳴りがする程の咆哮。その中を、歩が平然と進んでいった。最初はゆっくりと、一歩一歩を踏みしめるように。
亡霊の攻撃が幾度となく襲い掛かる。瞬く間に命を失っていく大地。対して、初めからどこに攻撃が来るのか知っているかのように、歩が全てを躱していく。
亡霊が大きく声を出した。何故、あり得ないと言わんばかりの叫びをあげると、その激しさを増していく。
ほとんど同時に、歩が走り始めた。数々の攻撃をかいくぐり、亡霊の足元まで到達する。あと一歩で亡霊にぶつかる所まで勢いよく走った後、右足を深く踏み抜き――垂直に跳躍した。
だが、僅かに亡霊の心臓部分には届かない。それを見計らったように、死神の魔の手が横から繰り出される。
「それを待ってた」
亡霊の腕が歩の足を掴もうとする。掴んだと確信したが、手応えがない。歩が伸ばした膝を折り曲げていたのだ。不発に終わった腕が空を舞い、歩の真下を通る。その腕に乗るようにして、歩が着地した。
身に付けていた靴が瞬間で色を失う。歩は自身が取り込まれる前に、靴を脱ぎ棄て――亡霊の腕を足場に再び跳躍した。
「取り戻す!」
明滅する亡霊の心臓部分を手で掴み、そのまま勢いよく引きちぎったのは、一瞬の出来事だった。
それが引き金となり、短い断末魔と共に亡霊が消滅する。歩の手には、赤く光る丸い球があった。
「さてと、この後ってもしかして……」
歩の予想通り、激しい地響きが起きた。地震ではなく、空間そのものが揺れている。
「よくやったな、歩!」
狙ったとしか思えないタイミングで魔王が登場した。全くの無傷な様子を見て、歩が安堵する。
「王様、この揺れは?」
「核を失ったことで、この世界が崩れようとしているな。俺たちも帰らないと巻き添えになるぞ」
「帰るってどうやって?」
やり取りをしている間にも、周りの木々や空が崩れていく。もう一刻の猶予もなさそうだ。
「簡単だ、こうするんだよ」
シアの意識世界に来た時と同じ衝撃を受け、意識が落ちるのを感じるしかない歩であった。
誰かの呼ぶ声がする。その声は探し求めていた声に違いなかった。
歩が目覚めると、目の前には小さな可愛らしい顔。目を覚まさないことに心配したのか、顔は涙でくしゃくしゃになっていた。目と目が合うと、大粒の涙と大きな泣きじゃくる声が辺りに響く。
「お兄ちゃん!? お兄ちゃん! お兄ちゃん!!」
鼻水と涙で一杯になった顔を歩の胸元に押し付ける。全然泣き止む気配がない。
「大丈夫だから、ちゃんとここにいるから」
しばらく頭を撫でながら優しい声をかけ続けてようやく泣き声が止む。
「ほぅ、起きた途端、うちの娘を泣かすとはいい度胸だな」
扉の方を見ると、意地悪な笑みを浮かべた魔王が立っている。どうやらここは魔王の居城でシアの部屋のベッドに歩は寝ていた。
「お、おに……おにいちゃ……」
また泣きそうになる少女の頭を撫でて、歩は言った。大切な一言を。
「シア、ただいま」
「うん、お帰り!」
ちょっと修正しました。(2/13)
次も1週間後です




