第27話 悪魔が、取引
「ひぃ!」
零が耳にしたのは、情けない怯えた声だった。自分が生きていることに疑問を持ちながらも、声の聞こえてきた後ろを振り返る。
「な、何をする!? 私は魔法省の長官だぞ!」
零が目を見張る。
そこにいたのは出入口付近で怯え、腰を抜かした1人の中年男であった。彼が立っていた近くの壁に弾は命中している。
「魔法省長官だと? いつからいた?」
訝しむ零に対し、
「結構初めからいましたよね? この場所を知っていたんじゃないかな」
歩が長官に目をやると、自分の酷い姿に気付いたのか、慌てて立ち上がる。
「そんなことはどうでもいい! 今までの会話は聞かせて貰った。テロリストよ、お前の計画も水泡に帰すだな!」
真春の魔法で少し焦げた髭をいじりながら、長官が自慢そうに指を突き出す。
「ちっ、こいつを先に殺」
「いや~、長官がいてくれて良かった!」
零の不穏な言葉を遮り、歩が場にそぐわない陽気な声を出す。
「ふっ、こっちこそお前がテロリストを殺さずに助かった。主犯格が死亡となれば国民からの信頼も落とすのでな。大方、初めての射撃で手元が狂ったんだろう? アウェイカーは貴重だ。喜ぶが良い、国の発展のために最高の環境の下で保護しよう!」
両手を広げ声高に言う様からは、自分が間違ったことを言っているとは、これっぽちも思っていないのだろう。
零があからさまに不機嫌になるが、歩は全く気にした素振りを見せない。
「長官、取引をしませんか?」
「取引? 誰と誰が?」
「僕と長官が」
「何と何を?」
「長官はこの場で話したことを他言しない、見逃す。僕はこれから起こる長官の命を狙う者の行動を止める。どうでしょう? 命に比べれば安い気がしません?」
長官の表情が止まる。まるで時が止まったかのように微動だにしない。だが、次の瞬間、大声をあげて笑い出した。
零も不信感丸出しな顔で歩を見つめている。
「ははははは! 何を言うかと思えば、私がこれから命を狙われる? 誰にだ? そこのテロリストなら逮捕後に即極刑だよ!」
「いや、マハル・イノーレンツですよ」
「ははははは! ……は?」
笑い続けていた長官が歩の方をまじまじと見つめる。
やがて、貴族が庶民の面白い見世物を小馬鹿に見るような顔をして言った。
「これは面白い。マハル・イノーレンツが私を狙う? 何故? 私は魔法省長官、実質国のナンバー2だぞ」
「さっき、警告受けましたよね?」
淡々と歩が焦げた長官の髭を指差す。
「これは、何かの手違いで……」
「通ってますよね? 彼女が指定した場所から先を」
「は……?」
長官の脳裏に真春の言葉が呼び起こされた。確かに超えていると。
それを意識した途端、冷汗が背中を伝うのがハッキリと分かった。
「いや、馬鹿な……私は魔法省長官だぞ」
「彼女は言ったことは実行しますよ。相手が一国の大統領であっても。長官の貴方の方が良くご存じなのではないですか? なんせ彼女が通った後には」
「Nothing remains(何も残らない)……」
自分で真春の通り名を言った直後、長官の顔がみるみる青ざめていく。
「いや~、残念です。聡明で、この国の発展に必ず貢献するであろう長官の余命が幾ばくも無いなんて」
大仰に体全体を使って、歩がとても残念な空気を全面に出した。
冷静に見れば、歩の演技だと分かるのに、長官の体が震えだす。傍から見ていて、震え過ぎて心配になる光景だ。
零が両者の急な変化に唖然としている中、歩が畳みかける。
「そんな長官に朗報です! 僕なら彼女に一言言って、命を狙うのを阻止することができます!」
「お、お前のようなどこの馬の骨ともわからない奴の言うことを信じろと?」
「僕が何者かなんてどうでも良いじゃないですか! 大切なのは、マハル・イノーレンツが僕を守ろうと身を挺したこと! 僕との約束を守るためなら、魔法省長官でさえも敵に回すこと!……これ以上説明がいりますか?」
歩の言葉を聞いた長官の顔が目まぐるしく変化する。零はそれを見ていて、不覚にも可哀そうだと思ってしまった。
「自分の命がなくなれば、大統領への道もないですよ」
長官の傍まで来ていた歩が、青ざめた表情の耳元で呟く。
まるでそれは、悪魔の囁きに聞こえた。
止めとばかりに、最後の一言を加える。
「それに、ご家族も悲しみますよ」
長官は目を見開いて、自身の薬指を見る。そこには、金色に光る指輪があった。
「こう報告するのはどうでしょう? テロリストは主犯格含め、こちらの説得に応じず自爆。爆発の規模が大きく、遺体も残らなかった」
「だ、だが、テロリストどもが再びことを起こす可能性が」
長官がわななく唇で言った後、零の方を見る。
「いや、ないですよ。さっき話してるのを聞いてたでしょう? 彼らは隠遁です。それに制御できない魔族の危険さを肌身で感じて再び何かしようとは思わないですよね?」
歩が零に同意を求める。その有無を言わさぬ目力と話の急激さに、つい頷いてしまう。
零の返事が最後の引き金だったのか、長官が膝をついた。
「……分かった。取引をしよう」
その表情は一生忘れられないだろう。
「さて、僕はちょっと行ってくるね」
長官がふらふらとした足取りで地下室から出て行った後、歩が思い出したように言った。
「待て。何故助けた?」
冷静さを取り戻した零が問いかける。
端々に詰問するかのような棘があった。
「1人で色々と背負い気味なんで腹が立った」
「は?」
予想外の答えに零が完全に面食らう。
「君には少なくとも、もっと相談すべき相手がいたんじゃない? 色々考えるのはそれからでも遅くないと思うよ」
チラッと零の指にはめられた指輪を見る。歩の視線に気づいた零は指輪を大切そうに触っていた。
「お、噂をすれば来たみたい」
地下室への出入口を見ると、階段を駆け下りてくる音がする。余程急いでいるのか、その音は酷く不規則で今にも転ぶんではないかと思うくらいだ。
現れたのは、黒いローブを纏った少女。
トレードマークの大きな帽子は走って来る時に落としたのだろうか。大きな魔法杖も持っていないようだ。
息も絶え絶えの少女が辺りを見回す。
その様子を見ながら、歩は思った。
(ずっと孤独? 俺の気持ちは誰も分からない? 人間誰だって他の人の気持ちは分からないよ。だけど、理解しようと寄り添ってくれる人はいる。まして、君の隣には世界で一番の味方がいるだろう)
やがて、捨てられた子犬のように彷徨っていた瞳が探し物を見つける。
「お兄様!」
言うや否や、沙良が零に抱きつく。体当たりと言った方が適切かもしれない勢いだった。
「沙良? どうして?」
「嫌な予感がしたんです。探し回っていたら銃声が聞こえて……」
しっかりと沙良を抱きしめる。妹の目は少し潤んでいた。ローブは、戦闘の影響で汚れが目立つ。匂いも血の匂いが混じっていた。
煤けた髪の毛を見ながら、零が沙良の頭を優しく撫でる。そこには、復讐などとは縁遠い仲睦まじい兄妹の光景があった。
「お兄様が無事で本当に良かった」
少し経つと落ち着いたのか、沙良がふくれっ面で零を非難する。
「薄々感じてはいましたが、私に隠し事をしていますよね?」
「な、何のことだ?」
どもり下を向いた時点で零の負けだった。沙良が決定的な言葉を口にする。
「何かあったら兄妹で必ず相談しよう。そう約束したじゃないですか! それに皆のことも信じられませんか?」
「!」
沙良がおもむろに自分の指を見る。そこには、どこかで見た指輪がはめてあった。
「そう……だな。すまない。俺はお前たちと計画を進めるうちに、情が移ってしまったんだ。こいつらに死んで欲しくないと。リーダー失格だよ、情けない」
「そんなことはありません! どれだけ、お兄様の言葉と行動に皆が励まされたか! 私だって、お兄様と、皆とずっといたいです!」
「……遅いかもしれないが、皆に話すよ」
顔をあげた零の顔はどこか晴れ晴れとしているように見えた。
「はい!」
沙良が優しく微笑んだ。
「とにかく、魔族を何とかしないと。集めた日記を使うぞ。おい、お前はこれからどうする?」
零が先程まで歩がいた方向に問いかける。
だが、そこに歩はいなかった。




