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六、仕様改善と“恥の文化”

 菊池奈央は自宅のリビングで憤っていた。

 

 「佐野君。酷い話だとは思ないかい? こっちはそれくらい分かっていて、もうずっと前に提案していたんだぞ?」

 

 それに佐野隆は、頷きながら「いかにも“国の対応”って感じだな」とそう応える。

 因みに彼女と彼は入籍を済ませていて、結婚式は行っていないが、既に一緒に暮らし始めている。

 彼女が運行を担当している『ご近所付き合い型コミュニティサイト“和やか”』。どうやらそのテスト運行が上手くいっていないらしかった。まず、全体の登録者が高齢者に偏っている。しかもその高齢者達は、助けを求める事以外ではあまりサイトを利用せず、結果的に数少ない人の好い人間に、助けを求める依頼が集中し、それで負担も重くなってしまっているらしい。

 このSNSの目的の一つは、活用できていない潜在的な高齢者の労働力を、地域間の交流を活発化することで活かしていこうというものだから、そのままでは問題がある。そもそも一部の人間に負担が集中している現状を放置してしまったなら、サイトは長続きしないだろう。

 この主な原因は大きく分けて二つあった。

 一つはシニア層があまりインターネットの活用に慣れていない点。それで高齢者達の多くは“依頼に応える”という機能をあまりよく把握できていないらしいのだ。これは当初から予想できていた事で、だから菊池達システム会社の人間達は要件定義の段階で、既に国に対してシニア層にとって使い易いシニアモードを用意するべきだと提案していたのである。

 SNS“和やか”では、生年月日登録を推奨しているから、60代以上の年齢にはシニアモードをデフォルトにするようにすれば、高齢者達は自然とシニアモードを利用してくれるはずだろう。

 ところが、国の人間達はできるだけコストを安く済ませる事を望み、その提案を蹴ってしまったのだった。

 「最近の老人達を侮っては駄目でしょう。充分に彼らはインターネットを活用していますよ」

 というのが、当時の彼らの弁。

 確かに高齢者にだって充分にネットを活用している人は多い。料理方法を調べたり、ネットオークションに参加したり、意見を主張したりしている。しかし、それには個人差があり、中にはまったくネットを活用していない高齢者もいるのだ。この『ご近所付き合い型コミュニティサイト“和やか”』ではできるだけ多くの高齢者を取り込まなくてはならないのだから、それでは問題がある。

 そして案の定、それは問題として表面化してしまったのだ。

 

 「でも君は、予めそれを予想していて、ちゃんとシニアモードを追加し易いようにシステムデザインしていたのだろう?」

 

 憤っている菊池に向けて佐野隆はそう言った。彼はやや不思議そうな顔をしていたのだが、それは彼女の予想通りに事が進んだのだからむしろ彼女が上機嫌になるだろうと考えていたからだ。サイトの仕様変更に伴って、追加で金も貰っているはずだから、大きな不満の種になるとは思えない。そしてその彼の予想通り、彼女はその点についてはあまり不満を感じてはいなかったのだった。“そんなものだろう”で、元から諦めている。

 実は彼女が憤っていたのは、高齢者達がSNS“和やか”を助けを求める為にしか利用しないもう一つの原因の方にあったのだった。

 「まぁ、その通りだ。だから、お蔭でシニアモードを追加する工数もそれほどかからないで済みそうだよ。ただ、問題はそれだけじゃなくってさ」

 菊池はやや得意げな顔で口を開いたが、言い終える頃には表情を曇らせていた。

 「今回、高齢者達があまり誰かの助けを求める声に応えなかったのは、どうも国の対応方法に半分以上は原因があるようなんだよ」

 「と言うと?」

 「これが情けない話なんだが、国の人間達はあまりやる気がないのだな。それでそれを各地方自治体に丸投げした訳だけど、それを受けた地方自治体でも真面目にやろうとはしなかった。なんと彼らの多くは、それを町内会なんかに丸投げしてしまったんだ。

 その依頼を受けた町内会は、なんとか高齢者達にサイトに登録してもらわなくちゃならないと考え、どうもこんなような事を高齢者達に言ったらしい。

 “このサイトに登録して、手伝ってくれって頼めば近所の誰かが助けてくれる”」

 その説明を聞くと佐野は笑った。

 「なるほど。そもそもお婆ちゃんやお爺ちゃん達は、自分達が誰かを助けなくちゃいけないなんて思ってもいなかったのか。そういう説明を受けていなかった。だから『ヘルプコール』を見つけても、自分には関係ない事だと思ってしまった……」

 「そうらしい。中には気付いた人もいたのかもしれないが、他の誰も助けるって行動に出ないもんだから、それに倣ってしまったのだろう。非常に日本人らしいね」

 そもそも町内会の人間達も『ご近所付き合い型コミュニティサイト“和やか”』の本来の目的を理解していなかった可能性もあるが、いずれにしろ登録した高齢者達の多くは、SNS“和やか”利用の心構えの段階で思い違いをしていたのだ。知って参加してさえいれば、恐らく、もっと多くの高齢者達が“助ける側”に回っていただろう。つまり、飯野正の予想は、半分だけしか正解ではなかった事になる。

 佐野が菊池にこう尋ねた。

 「しかし、だとすると厄介だね。どう解決するつもりだい?」

 「なに。手ならあるよ。日本人ってのは助けてもらったなら、“お返しをしないと悪い”って思う人種だからね。助けてもらった実績のある人に『助けてもらったお返しをしましょう』ってなメッセージを出して、他の誰かの依頼に応える機能の方もアピールすれば問題はないと思う」

 それを聞くと、佐野は少しだけ意地の悪い表情を浮かべた。

 「“誰かがあなたを助けてくれるシステムです”で、登録を呼びかけておいて、登録後で逆に誰かを助けるように誘導する。それだけ聞くと、まるで詐欺みたいだね」

 「確かにね。ただ、こっちも意識的にやった訳じゃないんだが。まぁ、これに怒る人はあまりいないだろう。

 それよりも問題は国や自治体の態度だよ、佐野君。これからもこんなやる気のない状態が続くんじゃ、こっちの負担がどんどんと重くなっていくばかりだ……」

 菊池は腕組みをしつつそう呟くように言うと、しばらくの間考え、それからこんなような事を言った。

 「いや、自己組織化現象や集団的知性を活かすって発想じゃなけりゃ、そもそも上手くいきはしないだろうから、これはこれで良いのかもしれない。分かっていない国の人間達に余計な事をやられたら、却って失敗をしてしまいかねないからな……」

 その言葉を聞いて、佐野は不思議そうな表情を浮かべたのだった。

 「なんだい? その自己組織化現象とか集団的知性ってのは」

 すると菊池は「ああ、それはね……」と、説明をし始めた。

 

 はい。

 いつも通りの補足説明っぽいもんです。

 突然ですが、質問です。アリやミツバチといった社会性昆虫は巣を作ります。でもって、この巣はかなり高度で、非常に優れた機能を持っているんですね。では、その高度な巣を作るよう指示を出している“脳”は一体何処にあるのでしょうか?

 もしかしたら、「女王アリや女王バチが指示を出しているんだ」なんて思っている人もいるかもしれませんが、だとするとかなりおかしいんです。だって、もしそうなら、女王アリや女王バチには非常に高度な脳がなくてはならない事になるじゃありませんか。更に“指示を出せる”という事はその指示を伝える為の言語に相当する何かもなくてはなりません。アリやハチは確かに個々で情報を交換し合っていますが、それは比較的単純で、とてもそんな巣が構築できるほどの複雑な情報のやり取りをできるようには思えません。

 実はアリやミツバチ等の社会性昆虫は、“巣全体で一つの脳となっている”と表現するべきらしいのです。でもって、このように集団全体で知性を持つ現象を『集団的知性』と呼びます。

 さて。

 こう考えると、人間社会にだってこれと似たような『集団的知性』があるのじゃないかと想像したくなるのじゃないかと思いますが、実際にそれはその通りで、今では“ある”と考えられています。例えば民主主義ですが、これは“統制”という考え方からは大きく外れています。“個”の主体性を認め、自由に行動する事を認めているからですね。ですが、それでも立派に社会を成り立たせています。それどころか、現段階では最も成果を出しているシステムの一つだとすら言えるでしょう。

 もちろん、資本主義もこれと同様です。市場原理は、各個人が自由に行動する前提であるシステムですから。

 企業でも集団的知性の例は観られます。1997年2月1日に、トヨタ自動車のブレーキ部分を製造している工場で火災が発生しました。この工場が停まると、生産ラインの全てが停止するという事態に陥ってしまうので、トヨタは大ピンチです。

 ところがどっこいトヨタ自動車は劇的にこの危機を乗り越えました。トヨタ傘下の複数の企業が驚くべき協調行動を見せ、なんとわずか三日で他の工場でそのブレーキ部品を生産できる体制を整えてしまったのです。

 しかも、その劇的な復活にトップは重要な役割を果たしませんでした。個々の企業の自発的な行動で、その危機を乗り越えたのです。つまり、これは『集団的知性』なのです。

 凄いですね。

 この集団的知性をもっと積極的に活用しようという動きもあります。交流を促進する事で、生産性をもっと上げようとか、新しい優れたアイデアを醸成しようとか。政治機能がとても酷い現状ですから、この分野の発展には大いに期待をするべきだと、僕なんかは思ったりなんかするのですが、どうでしょう?

 因みに自己組織化現象ってのは、個々の相互作用で、自然と組織が生み出されるような現象を言い、集団的知性とも深い関係があります。

 なんか長くなり過ぎるっぽいので、詳しい説明は割愛しますね。

 

 「まぁ、国がやる気ないと、私達に余計な仕事が回って来そうで嫌でもあるんだが、だからこそ好きにやれるってトコもあるから、どっちもどっちかなぁ?」

 そう言い終えると、菊池はチラリと佐野の事を見てみた。佐野はそれに反応して、「どうしたい?」とそう尋ねる。

 「いや、子供を産む時期が少し遅れてしまいそうだと思ってね。申し訳ない」

 佐野はそれを受けると「それは大丈夫だよ。僕は少しくらいなら待つ」とそう言い、それから少し迷うと「もとい。ちょっと残念だな」とそう続けた。

 ここは正直になっておくべきだと彼は判断したのだ。そしてその判断は正解だった。菊池は少し笑うと佐野に近付き軽くキスをする。そして彼女はこう言った。

 「すまない。そして、ありがとう」

 それから少しの間の後で、彼女は気を取り直すとまた仕事の話をした。

 「しかし、今回の事で色々と工夫するべき点についても分かったよ。例えばね……」

 

 ――飯野正は、その日の『ご近所付き合い型コミュニティサイト“和やか”』のメンテナンス結果を見て、思わずホッと安堵の息を漏らしてしまった。

 そのメンテナンスでは、シニアモードが追加されてあったのだ。しかも、自分が今受けている依頼の数が公開できるようになっていて、ある程度の数をオーバーしたなら自動的に『忙しいので依頼を受けられません』という文言を表示してくれる機能も追加されていた。これで彼に対してヘルプコールが出される事も減っていくだろう。つまり、過剰な負担から解放される事になる。

 「迅速な対応だな。これでまだこのシステムを使い続けられそうだよ」

 彼はそう呟くと、もう少し今回のメンテナンスで何が変わったのか確認してみた。すると、今まで自分が依頼を受けてきた回数も他のユーザーに公開表示できる事になっていた。当然、彼の回数はこの地域ではトップクラスだ。

 まるで自慢しているように捉えられかねないので、一瞬、それを公開設定にするのを飯野は躊躇したのだが、これから『忙しいので依頼を受けられません』と他のユーザーに伝える機能を使うのであれば、相手に悪く思われない為にも表示しておいた方が良いだろうと考え、公開設定をONにする事にした。

 「しかし、こうしてシステムが改善していくのを観るってのも少し面白いもんだな」

 実はシニアモードの追加は、彼が管理者達にメールで要望として挙げた事でもあったのだった。その返信結果は“検討します”となっていて彼はあまり期待していなかったのだが、こうして直ぐに追加してくれた。だから彼はより嬉しかったのだ。

 もちろん他のSNSでも似たような事は観られるが、この『ご近所付き合い型コミュニティサイト“和やか”』はテスト段階の為に特にそれが著しい。今のところ、飯野が誰かに助けを求めるような事はないが、そのうちもし困ったら、このサイトを活用してみようと彼はそう思った。当然の事ながら、その意思の背景には“自分は多くの人を助けて来た”という彼の自負があった。

 

 「……概ね。前回の問題点は解決したようで、良い経過みたいなんだけど、まだ問題が残っているんだよ、佐野君」

 

 システム改善リリース後、しばらくして菊池は佐野に向けてそんな事を語った。金曜の夜。彼の部屋である。彼はその時、ライターの仕事をしていた。パソコンでワープロソフトを開き、記事を書いている。

 彼に話しかける事はその彼の仕事を邪魔しているし、しかもそれは愚痴なのか相談なのか微妙な口調だったから、話しかけられた彼は少し困るだろう。彼女としては話す事で少しでも楽になりたいのだろうし、自らの考えを整理できるので役に立つのだが、客観的には迷惑な行為のはずだ。

 ただし、それは裏を返せば、その程度では佐野が気を悪くしないと彼女が信頼しているからで、つまりは一種の愛情表現と言えるのかもしれなかった。そしてだから、彼女は彼に話したからといって“解決策”を期待していた訳ではなかった。だがしかし、意外にも佐野はこの時、有益なアドバイスをしてくれたのだ。

 「どんな問題が残ってるの?」

 そう佐野が尋ねて来たので、菊池はこう答える。

 「若い世代…… 10代から50代の登録者数が相変わらずに少ないのだよ。これではシステムを活かしきれない」

 それを聞くと、佐野は少し考え、それからインターネットで検索した。何かの記事を見つけると少しそれを眺め、それからこう彼女に向けて言ったのだった。

 

 「もしかしたら、だけど、少しはマシにできるかもしれないよ。ほら、日本人は“恥の文化”を持つって言われているだろう?」

 

 菊池は少し驚き、それからその彼の検索したページを観に行った。

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