五、飯野正の場合2
それはほんの気紛れだった。その時、飯野正は別の用件でインターネットに接続していて、偶々時間が余ったタイミングで、ふと『ご近所付き合い型コミュニティサイト“和やか”』の事を思い出したのだ。
“あのサイトは今はどうなっているのだろう?”と。
彼がアカウントを作成してから三日ほどが過ぎていた。利用者が少しは増えたか、それとも何か改良が加わっているか、もしかしたら自分に交流申請が届いているかもしれない。ログインしてみると相変わらず利用者の数は少なく、未だに二十一人しかいなかった。この地域の住人達からほとんど関心を持たれていない証拠だ。
ただし変化はあった。
『ヘルプコール』と、そう書かれたリンクがあり、しかもビックリマークのアイコンが赤く点滅している。察するに、利用者のうちの誰かが助けを求めているのだろう。
飯野はそれをクリックしようかどうしようか悩んだ。正直、見なかった事にしてそのままログアウトしてしまおうかとも思った。面倒な事になるのは嫌だ。しかし、彼にはそれはできなかった。
飯野正は自分ではドライで淡白な性格だと思っている。ギブアンドテイクが人間関係の基本で、与えたら何かを受け取るのが当たり前だという考え方の持ち主だ。そうじゃなければ、人間関係を結ぶメリットなどないとすら考えている。
しかし実際はかなりのお人好しで、だからこそ年老いた両親を見捨てる事もできなかった。彼が新築の家を買ったのには“今の内に金を実物資産に換えておく”という意味があったのだが、両親の同居を認めたのは両親の生活の為である。
両親と暮らせば結婚は難しくなる。それを彼は分かっていた。それが自分の老後を不安定にさせる事も。彼自身の面倒は恐らく誰も見てくれないだろう。
つまり、彼は自分の人生を犠牲にして、両親の生活を支える道を選択したのだ。
そんな彼だから、その『ヘルプコール』を無視し切る事はできなかった。もしかしたら緊急事態かもしれない。怪我を負っているのかもしれない。強盗に入られたのかもしれない。命を失う危険があるのかもしれない。
リンクをクリックすると、そこには具体的な記述はなく、漠然としたカテゴリが示されてあるだけだった。恐らくはそれもセキュリティの為なのだろう。交流を結んだ相手とでなければ、具体的な情報は分からないようになっているのだ。
緊急度は“低”。場所は“自宅”。内容は“掃除”。事由は“身体能力的に困難だから”。助けを求めているのは“七十代の女性”。イニシャルは“TN”。他に『知り合いにならば分かるメッセージ』という欄があり、そこには“なっちゃんという愛称でよく呼ばれています”と記されてあった。
利用者がこれを見て、知合いだと分かったなら直ぐにでも交流申請を出し、彼女を助けてくれという事なのだろうか? この“なっちゃん”という愛称のお婆ちゃんは飯野には心当たりがなかった。彼はご近所付き合いをほとんどしていない。
「オッケ。これなら無視しても大丈夫」
飯野はそれをしばらく眺めてから、自分に言い聞かせるようにそう独り言を言った。しかし、それからページを閉じ、しばらく考えるとまたページを開いてしまう。
この七十代の女性がヘルプコールを出したのは二日前になっていた。そして、応答者は“0”。つまりその間、これは無視し続けられていたのだ。レスポンスを期待した書き込みに何も反応がないというのが辛いというのは飯野にも分かっていた。しかも、これは助けを求める訴えで、事由が“身体能力的に困難だから”である。
つい、飯野はこんな想像をしてもらう。
肉体の衰えを感じている高齢の女性。当然、心細さを感じているだろう。身体能力的に困難というのは、何か重い物を運ばなくてはならないような掃除だからではないか。汚れが溜まっている。掃除をしたい。しかし、それは難しい。惨めな気持ち。そんな時、このSNSの存在を知り、ワラにもすがる思いで勇気を出して助けを求めてみる。或いはそれは単に掃除がしたいというだけでなく、寂しさを紛らわせる為に執った行動だったのかもしれない。
きっとこの“なっちゃん”というお婆ちゃんは慣れない情報機器の類を必死に操作して、このヘルプ申請を出したのだろう。なのに、それを皆が無視している。
「まぁ、試しに、一回くらいは手伝ってみるか」
飯野は“何事も経験だ”と自分に言い訳をするように心の中で呟くと、そのお婆ちゃんの『ヘルプコール』のページの中にある返信ボタンを押下した。すると、
「この利用者は交流未申請です。同時に交流申請も行いますが、その時にあなたの本名と電話番号が相手に分かるようになっています」
という注意喚起を促すメッセージが表示された。飯野は“OK”のボタンを押す。ボタンを押した後で、彼は「いちいち、手続きが面倒だな」と思わずそう呟いた。通常のSNSでこんな事をしていては、恐らくは成功しない。手軽さと速さこそが利用者の参加を促す鍵だからだ。
だが、彼はそれから直ぐにこの『ご近所付き合い型コミュニティサイト“和やか”』はそもそも通常のSNSとは設計理念が根本から違う事を思い出した。これは隣近所の者との交流を促す為にあるシステムなのだから、個人情報に触れるまでの間に障壁がなければ、利用者は安心して登録ができない。そう考えるのなら、これはこれで正しい選択なのかもしれない。もちろん、それでも成功するとは限らないのだが。
このサイトはセキュリティの為に手軽さを犠牲にしてしまったのだから、後は利用者のメリットを増やすくらいしか参加を促す手はないだろう。だが果たして、そんなメリットをこのSNSは用意してやる事ができるのだろうか?
はい。
今回はちょっと短めです。
“独居老人”なんて言葉がありますが、恐らくはこれからどんどんと支援の届きにくい一人暮らしの高齢者の数は増えていく事でしょう。
当然の話ですが、高齢社会問題で被害を受けるのは現役世代ばかりではありません。高齢者達の生活だって苦しくなります。そしてもちろんその中には孤独に苦しむ高齢者もいるはずです。
もしそれが資源不足によって起こっている問題であるならば、或いは解決は困難かもしれません。ですが、その問題が“情報不足”によって起こっているのであるならば、地域社会の交流を活性化させる事によって解決ができます。そして、この小説の中で何度も訴えているように、インターネットを主とする情報技術を活かせば、それは実現できる可能性があります。
……もっとも、壁はいくつもあるんでしょうけどね。
――田村奈津。
“なっちゃん”という愛称で呼ばれる七十代のお婆ちゃんの本名はどうやらそういうらしかった。翌日に返信があり、そこには住所や本名が書かれてあったのだ。助けて欲しい具体的な内容は、換気扇フィルターの掃除で、天井にあるそれを脚立を使って取り外さなくてはならないのだが、それがどうも彼女の身長では難しいらしい。
「その程度なら、明日の仕事帰りにでもお宅に寄って手伝いますよ」
飯野はそれにそう返した。
朝、朝食を取りながら、彼は母親に「田村さんて知ってる? 背の低い七十代くらいのお婆ちゃんらしいんだけど」とそう尋ねてみた。彼の母親は彼や彼の父親に比べれば近所付き合いがあるので知っているかもしれないと思ったのだ。
「田村さん? ああ、知っているわよ。あのいつも笑っている人の好さそうなお婆ちゃんでしょう?」
母親は不思議そうな声でそう返して来た。
「その田村さんがどうかしたの?」
少しの間の後で、続けて母親がそう尋ねて来たので、彼は「いや、別にちょっと耳にしたもんだから」と誤魔化した。なんとなく『ご近所付き合い型コミュニティサイト“和やか”』に参加した事は言いたくなかったのだ。ボランティアのような事を自分がするつもりでいると知られるのが恥ずかしかったのかもしれない。
とにかく、これで彼はあのヘルプコールが悪戯ではないと確かめられた。もっとも、はじめからその可能性はとても低かった訳だが。
その日の仕事帰り、飯野は約束通りに田村お婆ちゃんの家に寄った。家は旧く、一応二階があったが、一人暮らしだから二階はほとんど使われないだろうと彼は思った。ベルを鳴らすと「はぁい」と高齢にしては張りのある声が聞こえ、中から想像していた通りのお婆ちゃんが出て来た。そこまでは予想通りだったのだが、意外な点が一つあった。見た事のない中年の男が、彼女と一緒にいたのだ。
「あなたが飯野さんね?」
嬉しそうに田村お婆ちゃんがそう尋ねて来たので、「はい。その通りです」と彼は答えた。それから思わず中年の男をじっと見てしまう。
「ああ、この方は町内会役員の古野さん。今回は初めてって事で是非同席させてくれって言われて一緒にいるの」
それを受けると、何故か少し照れながら古野は「古野です」とそう言って軽く頭を下げた。
“どういう事?”
と、飯野は首を傾げたい気分になった。
田村お婆ちゃんの説明によると、家に二カ所ある換気扇フィルターは、半年に一回は掃除をしなくてはならないのだが、もう一年以上は掃除をしていないらしい。業者に頼もうかとも思ったようだが、この程度の作業の場合、何処に頼めばいいかも分からない。それに、そもそもお金がもったいない。彼女はそれほど裕福ではないのだ。
「古野さんに、何か手伝って欲しい事はないか?って言われてね。それでこれを思い出したの。いつもは息子にやってもらっているんだけど、今年は正月に帰って来た時に頼み忘れちゃってね」
明るい声で田村お婆ちゃんはそう言った。ただ、そんな換気扇フィルターの事情よりも飯野には“古野さんに、何か手伝って欲しい事はないか?って言われてね”という部分の方が気になっていた。
そんな彼の心中を察したのか、飯野が換気扇フィルターを取り外している最中、古野は彼の足場の脚立を支えながらその事情を彼に説明してくれた。
「いや、実は市の役員さんにお願いされちゃいましてね。ほら、今は“和やか”のテストをやっている最中でしょう? その段階から運用に失敗していたら、シャレにならないって事らしいです。だから無理矢理にでも住民に使ってもらえって言われて…。
それで、ま、私達町内会の役員は、当然全員参加して、知合いにも参加してもらった訳ですが、入っただけで誰も利用しない。だから人の好い田村さんに『ヘルプコール』を出してもらえないかとお願いしましてね。彼女、スマフォを持っていますから。
いやぁ、苦労しましたよ。操作方法が分からないって言うんで、私が操作をしたんですが、私もあまりこーいうのは得意じゃなくて」
そう言い終えると、古野は豪快に笑った。初めは人見知りをするタイプのように見えたが、急速に馴れ馴れしくなっている。流石、町内会役員などをやっているだけはあると彼は思う。偏見かもしれないが。
「はぁ」と応え、取り外したフィルターを古野に渡しながら、飯野は思う。
“つまりは、このヘルプコールは、サクラってことか”
怒りは沸いて来なかったが、釈然としない思いはあった。この古野という男が知合いだというのなら、彼がこの換気扇フィルターの掃除を手伝えば良かったのだ。もちろん、実際にSNSを使わなければならなかったという事情はよく分かるのだが。
……それに、古野が一緒にいるのも自分が警戒されているようで飯野には多少は不快だった。安全の為には仕方ないと理屈では理解できるが、感情は理屈とは別モノだ。
その感情を押し殺しながら、飯野は作業を進めた。二カ所のフィルターを取り外し、それを田村お婆ちゃんが洗い終えるまで待機、洗い終えたフィルターをまた元の場所に取り付ける。時間は合せて三十分もかからなかった。
「本当に今日はありがとうございました」
大した事をしたつもりもなかったが、田村お婆ちゃんは温かいお茶とお菓子を用意して、そう飯野にお礼を言った。古野も「ありがとうございました」とそれに続ける。
もう直ぐ夕食だったが、大した量でもないしお礼の品に手を付けないというのも失礼に当たると思い、彼はお茶を飲んでお菓子を食べながら、軽い世間話をした。面白い話はできなかったが、田村お婆ちゃんは楽しそうにしていた。一人暮らしの彼女はやはり毎日の生活に退屈しているのかもしれないし、寂しくもあるのかもしれない。
多少は腹も立ったが、大した事ではない。田村お婆ちゃんの家を出る時、彼はそんな事を思った。そして、『ご近所付き合い型コミュニティサイト“和やか”』に書かれてあった「人と人との関わりは“お互い様”です」という言葉を思い出した。
“確かにそれはそうかもしれない”と彼は思う。人間関係はお互い様で、互いに許し合って互いに助け合うのが美しい姿。それは単なる綺麗事ではないのかもしれない。その方が色々と合理的なのだ。
はい。
またまた、短いですが少しばかり補足説明っぽいもんをします。
人間は集団で生活する生き物で、最近の研究によれば、核家族的な単位ではなく、もっと境界線の曖昧な互恵関係こそが人間社会の基本的なスタイルだったのではないか?なんて事が言われているそうです。
つまり、僕ら人間は「助け合う事」を基本としている動物なのかもしれないって事ですね。家族以外とも。まぁ、だからこそ社会を築けたのでしょうし、その方が効率も良く、方略的にも優れているので、これは充分に納得できる話です。
「仲良き事は美しきかな」なんて言葉がありますが、仲の良さを美しく感じるのは、僕らが協調行動を執る事で生き残ろうとする動物だからなのかもしれません。
飯野はそれからも『ヘルプコール』の依頼に応えるようになった。彼は本質がお人好しなのだ。意識してはいなかったが“少しでも役に立てれば”という思いがそこにはあったのだろう。それに、やはり、助けを求める人間がいる事を知りながら、無視をするのは罪悪感を覚える。最初の頃は、その依頼にはサクラも混ざっていたのかもしれないが、そのうちにそうとは思えない依頼も出始めた。
「風邪の所為で買い物に行けないので、お願いをしたいです」、「粗大ゴミを解体したのですが、誰か協力してくれませんか?」、「一日、病院に行って家を空ける用事があります。誰か代わりに犬の散歩をしてくれませんか?」
そのほぼ全てが高齢者からのものだった。本当に困ってもいたのだろうが、単に新しいものに惹かれているという要因もあったはずだ。彼らには時間がある。
相補関係を促す為か『ご近所付き合い型コミュニティサイト“和やか”』は、その地域で行われた助け合い回数が分かるようになっていたのだが、それはほとんどが彼のものばかりだった。つまり、SNS“和やか”を利用して、この地域で誰かを助けているのは実質的にはほぼ彼一人という事になる。そして、そんな中で飯野に直接、ヘルプを出す者も徐々に増えて来た。そこに至って、彼はある危機を感じ始めた。
依頼の数が増えすぎて、肉体的に辛くなり始めてきてしまったのだ。そもそも日中家にいる高齢者の活躍を期待して作られたシステムだから、自治体は高齢者の参加を積極的に促したのだろう。だから高齢者の利用者が多いのは分かるのだが、何故かその高齢者達は他の人間を助けようとはしないのだ。それが何故なのか彼は不思議だった。もちろん、高齢者達の性格が悪いとも彼には思えなかった。そしてある日、仕事から帰るなり、母親からのこんな質問を受けて、彼はその疑問の答えかもしれない理屈を思い出したのだった。
「あんたが、『ご近所付き合い型コミュニティサイト“和やか”』ってので、ご近所の人達を色々と助けているって本当?」
彼は照れながらこう返す。
「まぁ、なんか成り行きで」
それを聞くと、目を大きくしながら彼の母親はこう言う。
「なら、ちゃんと教えておいてよ。“お宅の息子さんはえらいわね”、なんて突然言われて吃驚しちゃったじゃない。知ってたら、もっと早くそのサイトに入ったのに」
「え? マジ? 母さん、入ったの?」
「マジよ。お父さんも入ったわ。あなただけ手伝っていて、私とお父さんが何もしていなかったら、まるで私達が薄情な人間みたいじゃない。私達はずっと家にいるんだし」
それを聞いて、“まぁ、それもそうか”と彼は思った。何故か両親が“和やか”を利用するという発想が彼にはなかったのだ。母親は自分の持っているタブレットを取り出しながら更に続ける。
「でね。まったく操作方法が分からないんだけど、教えてくれない? なんとか加入はできたんだけど、その後がもうさっぱり分からなくて」
そして、彼はその母親の言葉で気が付いたのだった。
“そうか! 助けを求めるのは、誰かにやってもらったり、その部分だけは誰かに教えてもらったりで高齢者達にもできるけど、誰かの依頼を受けるのはやり方が分からない人ばかりなんじゃないのか? 依頼の受け方を教わる機会は少なそうだ。そもそも、どれが助けを求める依頼なのかも分かっていないのかも……”
それから飯野は母親に教えながら、彼の母親が目を凝らしてタブレッド画面を見ている事にも気が付いた。
“なるほど。高齢者が観るにしては、文字サイズも小さすぎるんだ、これ”
と、それでそう思う。フォントサイズは大きく変えられるが、その変え方すら分からないのだろう。
つまり、『ご近所付き合い型コミュニティサイト“和やか”』は、シニア層に優しい“造り”にはなっていないのだ。