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十二、保育園に落ちたわ!

 「保育園に落ちたわ!」

 

 と、そう山中理恵は言った。彼女の目の前には彼女の男性パートナーがおり、それを困ったような顔で聞いていた。ただし、彼は平素から困ったような顔をしているから、それが彼女の言葉によるものなのかどうかは分からなかったのだが。

 「うん。なるほど」

 困った表情のままで彼はそう応える。やはり本当に困っているのかどうかは分からない。

 「“うん。なるほど”じゃないわよ! あなた、これがどんな事態かちゃんと分かっているの?」

 山中理恵は彼の鈍い反応にそう怒る。ただし、これは半分は単なる八つ当たりだ。

 「いやぁ、まずいってのは分かっているよ。そりゃ、さ」

 彼はそう言ってから周囲を見渡す。彼女達が住んでいるのは比較的狭いアパートだった。つまり、彼女らはそれほど裕福ではないのだ。ただし、彼女らはもう少しマシな場所に引っ越す計画を立ててもいたのだが。

 「そうよ。あなたよりも、私の方が収入は多かったのよ? その私の収入が入らなくなっちゃったら、私達の生活はどうなるの?」

 「多かったって、一万円程度じゃないか」

 「茶々は入れないで。問題はそんな所にあるのじゃないわ! 生活はどうなるのか?ってのを気にしているの。私は!」

 それを受けると、彼は再び部屋を見渡してからこう言った。

 「まぁ、あれだな。引っ越しも考え直さないといけないかもな」

 「冗談じゃないわよ」

 間髪入れずに山中理恵はそう返す。どうも予め言葉を用意していたようだ。そのタイミングで隣の部屋で寝ていた息子の太一が目を覚まして顔を出した。彼は不思議そうな顔で夫婦を眺めると、やがて嬉しそうに母親に向かって駆けた。理恵は突っ込んで来た自分の息子を受け止めると、そのまま膝の上で抱っこしやる。

 「私は、この子の為にも、貧乏生活なんて受け入れないからね。この子の将来がかかっているもの」

 それを聞くと、彼女の男性パートナーは腕組みをしてからこう尋ねる。

 「でも、どうしようもないだろう?」

 「あるから、言っているの!」

 やはり彼女は言葉を予め用意していたようだ。彼を説得する為の準備をして来たのだろう。

 彼女はそれから卓袱台の上に乗っているノートパソコンを掴むと、それを彼に突きつけるようにして見せた。そこには『ご近所付き合い型コミュニティサイト“和やか”』のトップページが映し出されてあった。

 「これが?」

 彼は不思議そうにそう尋ねる。

 「この“和やか”ってSNSを提供している地域に引っ越すのよ」

 「どうして?」

 「この“和やか”ってSNSってのを利用すると子供を預かってもらえるからよ。ネット情報によると、この地域に住んでいるお婆ちゃんやお爺ちゃん達が子供達の面倒を見てくれるんだって。それで仕事に復帰できた女の人もいるみたいなの」

 そう言い終えた彼女は、話し始めた頃とは打って変わって希望に満ちた表情を浮かべていた。

 

 はい。

 前回が若年層の貧困問題だったから、今回は待機児童問題だろうと予想していたそこのあなた。正解です! 今回は待機児童問題ですね。

 まぁ、今回のタイトルで既にバレバレですが。

 専業主婦モデルが成立していたのは、高度経済成長期という、日本どころか世界ですら稀で幸運な時代だけだった、という話を以前にしましたが、これはその時代の男性にそれだけの収入があった事を示しています。当然、“普通の時代”に戻れば、それが通用しないだろう事は簡単に予想ができます。

 まぁ、つまりは、収入が少ないから女性も働かなくちゃやっていけないって話ですよ。共働きが当たり前の時代の到来ですね。

 ところがです。

 国は未だに専業主婦モデルに固執しているのか、それとも単にお金を出したくないだけなのか、この“共働きモデル社会”に相応しい社会制度を整えようとはしないのです。現役世代は貧乏なままでも構わないって考えているのですかね?

 何度も似たような事を書いていますが(あ、一応断っておくと、何度も似たような事を書いているのは、同じ問題を別角度から扱っているからですからね)、この“現役世代の貧困問題”を放置し続けたなら、出生率は低下し続けます。国としてもそれはなんとかしないといけないはずなんです。でも、やる気があるようには思えない。普通に考えて、現役世代をないがしろしていたら、国は疲弊しますよ。で、僕は、

 「どういう、つもり?」

 とか、ずっと思っていたんですが、そんなところで、ちらほらと自民党の議員達から「移民政策」という言葉が出始めました。

 国に税金や年金保険料を支払っているのは、主に現役世代…… いえ、そんなもんがなくても、社会を支えているのは、現役世代な訳ですが、その現役世代を見捨てて、その結果として人口が減少したなら、今度は「移民政策で労働力を輸入してしまえばいい」って発想は、倫理的にも政策的にもどうなんだ?って思いませんか?

 そもそも移民政策を簡単に考え過ぎてしまっているような気もしますし。大小様々な問題が発生しますよ。絶対。

 まぁ、本当に自民党が「移民政策」を執るとした場合の話なんですがね、これ。

 話がちょっとばかり逸れましたが、もし仮に現役を引退した高齢者達が、子供達の面倒を見てくれるのであれば、この状態は改善するはずなんです。そして、もしも地域社会が活性化したなら、それができるかもしれないんですよ。

 切っ掛けさえつくってやれば、お金だって、そんなにはかからないだろうと思いますし。なんとか、ならないですかねぇ?

 

 数週間後。

 計画通りSNS“和やか”のサービス提供をしている地域に引っ越した山中理恵は、息子の太一を連れて、久慈という高齢者夫婦の家を訪ねていた。彼女としては、できるだけ早く地域との交流を深めておきたかったのだ。

 久慈家に住む久慈春はガーデニングを趣味にしているのだが、その為に使っている柵が腐りかけていたらしい。久慈春はそれを取替える作業を皆に手伝ってもらおうとSNS“和やか”で、近所の人達に呼びかけたのだ。

 そこには四、五人の人達が集まっていた。作業をする上では多過ぎる人数だったが、あまり気にしている人はいない。半分は皆で交流を楽しむのが目的なのだろう。その中には田宮学という名前の子供もいて、他のもっと幼い子供の相手をしていた。そして山名理恵は明らかにそれを気にしていた。

 “大きい子が、ちいさい子の面倒を見てくれるってのもありよね。教育とか、色々な意味もあるし”

 そんな事を思っている。

 山中理恵は自分でもやや張り切り過ぎだと思うような働きぶりで、その庭の柵を取替える作業を手伝った。新参者が警戒されるというのは何処の社会でもよくある事だから、それくらいでちょうど良いと判断したのだ。ただし、目立ち過ぎてはいけない。自分を売り込み過ぎると逆効果だ。謙虚に、できるだけ健気な雰囲気を演出しなくては。

 そのうち、皆で一休みしようという話になった。物珍しさも手伝ったのか、古野という男が彼女にこんな事を尋ねてきた。

 「山中さんは、どちらから引っ越してこられたのですか?」

 それを受けて彼女はチャンスだとそう思う。

 「前は千葉の方に。その頃はアパート暮らしでしたが、この子も大きくなりますし、もう少し広い家に引っ越そうと、ここに越してきました」

 「なるほど。家というと、あの一軒家ですね?」

 「ええ。借家ですけどね。比較的安い値段で借りられました。あまり裕福ではないので、助かりました…… 夫婦二人で暮らすだけなら、まったく困りませんが、子供もいるとなると少々大変でして」

 少しばかり強引だとは思ったが、彼女は自分達の経済状況と子供の世話が負担になっているというアピールまでしてしまった。どう思われるかと不安になったが、その古野という男は「ははぁ、なるほどぉ」と呑気に応えるだけだった。悪印象は持たれていないようだが、彼女の意図もまったく察してくれていない。そして同じくそれを聞いていた久慈春は“専業主婦制度”を信じている為か、彼女が働きに出たいと思っている事には気付いていないようだった。ただ、うんうんと頷くばかりだ。

 “ここまで言って、駄目なの? 察してくれても良いじゃない!”

 彼女は思い切ってもっとはっきり分かるように言ってしまおうかとも考えたが、これ以上を言えば、ずうずうしくなってしまう。悪印象を持たれる事だけは避けたかった。

 “どうしようかしら? 焦らず、時間をかけていくべきかしら?”

 それで彼女はそんな風に悩んでいたのだが、そのタイミングで傍にいた子供の田宮学が口を開いたのだった。

 「ねぇ、お婆ちゃん。ぼく、この太一って子、気に入っちゃった。できればこれからも一緒に遊びたいよ。駄目かな?」

 田宮学は彼女の息子の面倒を見てくれていたのだ。

 “――え?”

 思わず、彼女は自分の耳を疑った。

 それに久慈春はこう応える。

 「もちろん、構わないけどね。そういうのはちゃんと山中さんにも言わないと駄目だからね」

 もちろん、即座に彼女は返した。

 「はい。大丈夫です。ぜんぜん、オーケーです! お願いします」

 不意打ちだった事もあって、彼女は少しばかり動揺してしまっていた。慌てて頭を下げる。そして下げた頭で見えた視界には、田宮学の顔が入っていた。目が合って、彼は軽く微笑む。それで彼女は察した。

 “この子、分かっていて、あんな事を言ってくれたんだ……”

 田宮学は父子家庭だから、山中理恵の境遇を想像できてしまったのだろう。そしてだからこそ彼女の事を助けもした。

 “なんて、確りした子。私、この子、大好き!”

 感動した彼女は、その後も作業を懸命に手伝った。これで、子供の面倒を見てもらえるようになれば、なんとか生活ができると喜びながら。

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