十、生き方の多様性
「まさか君に有名イラストレーターの知合いがいるとは思わなかったよ、佐野君。お蔭で、“マコトとマコト”はあっという間に広まった。イラストを頼んでくれてありがとう」
そう佐野隆は彼の結婚相手である菊池奈央から言われて、少しばかり居心地の悪い思いがした。
佐野隆の仕事はライターで、ウェブでの活動の関係で非商業誌の仕事に関わった時、件のイラストレーターと知り合ったのだが、実を言うのならそれほど親しくはない。しかも、飲み会でのネタとして“マコトとマコト”の話をしただけで、彼は「イラストを描いてくれ」と依頼した訳ではないのだ。そのイラストレーターは、“マコトとマコト”の話を面白がり、自ら「イラストを描かせてくれ」と言って来ただけだった。
「いや、僕はただ単に“マコトとマコト”の話を彼にしただけだよ。頼んだ訳じゃないんだ」
それで佐野はそう言った。菊池はそれを信じたのか信じていないのか「そうかい? でも、どちらにしろありがとう」と、そう返した。
彼女は今、インターネットをパソコンで閲覧している最中で、“マコトとマコト”に関する議論を眺めているようだった。彼女はとても興味深そうにそれらを読んでいる。
経緯がどうであるにせよ“マコトとマコト”は巷にある程度は知れ渡った事になる。そしてそれにより『ご近所付き合い型コミュニティサイト“和やか”』の内外で、活発な“男女平等時代の理想的な男女像”が議論されるようにもなったのだった。もっともそれは“理想的な男女像”を提示するような議論ではなく、どちらかと言えば「男性の悪い点、女性の悪い点」をそれぞれが指摘し合っているようなものに近かった(そして、その指摘し合いは女性の方が優勢だった)。
更に言うのなら、“マコトとマコト”のキャラクターは一定ではなく、曖昧としていて多様性があった。それはネットで不特定多数の人間が関わり醸成されるキャラクターにはありがちな事ではあるが、“マコトとマコト”に関してはそれだけが原因であるようには思えなかった。
しばらく“マコトとマコト”に寄せられる様々な言葉や評価を眺めると菊池奈央はこう言った。
「これは、或いは“ステレオタイプ”が持つ問題点がこういう形で表れてしまっているのかもしれないな」
はい。
今回のこの小説の中で、僕が“マコトとマコト”という設定を入れたのは、もちろん、物語の道具的な意味もあるのですが、それだけではなく、作中で述べたそのままの意図があったりもします。
もう一度繰り返すと「ステレオタイプを否定するばかりじゃなく、むしろそれを積極的に活用するべきじゃないのか?」ってやつですね。
ですが、ステレオタイプにはやはり問題がありもするのです。ステレオタイプを決めてしまうと、“ステレオタイプから外れた人間を否定する”という傾向が産まれてしまうんです。
まぁ、つまりは「マイノリティ」を産み出す事になってしまうのですね。
本来ならば、どれだけ変わっていても他人に迷惑をかけていないのであれば、できる限り受け入れるべきなんです。
ただ、まぁ、仮にステレオタイプを設定したとしても、ある程度はそのマイノリティの誕生を抑える事は可能だとは思いますが。
発想は単純で、ステレオタイプに多様性を持たせてしまえば良いんです。「こういう人も良いけど、こういう人がいてもいいよね」なんて感じで、どんどんと新たなステレオタイプを作っていけば良い。もちろん、無限にステレオタイプを設定する訳にはいきませんが、それでも随分とマシにはなるのじゃないでしょうか?
「ふふ、こいつを分類してみたら、意外に面白いかもしれないな」
まるで独り言を呟くように菊池奈央はそう言った。それが独り言かどうか迷ったのだが、佐野はこう尋ねた。
「分類って“マコトとマコト”を分類するのかい?」
菊池は嬉しそうに笑うとこう応えた。
「その通り。そして、それぞれに正当性を与えるのさ。それにより“マコトとマコト”は生き方の多様性を認めるものになる」
高齢男性の入浴介助に向かった綿貫朱音は、そこにいた里中蛍という20歳くらいの男性を見るなりこう思った。
“こいつは男のくせに、平日の昼間に何をやっているのだろう?”
そして、そう思ってから直ぐに“これはマイノリティの差別だ”とそう反省する。
その入浴介助は、平日の昼間の手が空いていそうな時間帯に行われたのだ。夕刻辺りになったら色々と忙しいだろうという配慮からだった。
里中蛍はどちらかと言えば無愛想だったが、それでも入浴介助自体は真面目にやった。力仕事を積極的に担当し、そのお蔭で他のメンバーは楽をする事ができた。悪い人間ではないのかもしれないと、それで綿貫は思う。ただ、コミュニケーション能力は低かった。仕事が終わると、他の皆が残ってお茶でも飲もうかと話している途中で「それでは、失礼します」とだけ言って、さっさと帰ってしまったのだ。
「なるほどねぇ。噂通りだわ」
それを見て、同じく入浴介助に来ていた近所の女性がそう言った。
「噂と言うと?」
綿貫がそう尋ねと彼女はこう説明してくれた。
「あの子、人付き合いが苦手で働いていないそうなのよ。両親と一緒に暮らしていて、家事手伝いをやっているらしいのだけど」
「つまり、ニートって事ですか?」
「そうなるのかしらねぇ? まぁ、ちゃんと家事はやっているみたいで両親はそのお蔭で助かっているって言っていたから、あまり責められないけどね。
あ、あの子の両親は二人とも働いているのよ。しかも二人とも正社員で、フルタイム。だから、家事をやってくれる人がいるのはありがたいらしいのよ」
そこまでを聞いて綿貫はようやく“家事手伝いをやっている男性を見つけたら、平等に接しよう”と自分が決めていた事を思い出した。
「まぁ、でも、そういう生き方も有りですよね」
と、それでそう言った。ただ、言いながら無意識のうちに苦笑いを浮かべてしまっていたのだが。それを聞くと彼女はこう返した。
「そうねぇ…… だけど、いつまでもそのままって訳にもいかないでしょう? 両親は子供よりも先に亡くなるのでしょうし…… あそこの両親は五十代らしいから、まだまだ先だけど」
それを聞いて綿貫は少し動揺してしまう。自分は祖父の年金頼りで生きているから、もっと早く生活がピンチになるのだ。
「そうですねぇ」
だから、そう言った。先とは別の意味の苦笑いを浮かべてしまっていた。
その事があってから、綿貫は里中蛍を気にするようになった。彼は比較的頻繁に『ご近所付き合い型コミュニティサイト“和やか”』のヘルプコールに応えているようで、回り逢う機会も多かった。ただ、何度会っても無愛想なのは相変わらずで、その所為か色々と手伝っているにも拘らず、近所での評判はそれほど良くなかった。
“あの人、損しているわよねぇ”
仕事量で言えば綿貫よりも彼の方が上なのに、コミュニケーション能力が低い所為で低評価なのだ。そしてその内に、彼女は「彼がヘルプコールに応えているのは、自分の近所での評判を少しでも良くする為だ」という噂を耳にしたのだった。
しっかりと家事を担当しているとはいえ、彼の立場は世間的にはニートだ。近所からは白い目で見られている。彼は両親の為にもその状況を少しでも改善しようと、できるだけヘルプコールに応えているらしいのだ(綿貫と違って無趣味らしいので、時間が余っているという事もあるのかもしれない)。その効果は少しはあるのだろうが、無愛想の所為で効率が良いとは言い難い。
“これは、少しくらいは忠告しておいた方が良いかもしれないわね”
それで綿貫はそのような事を考えたのだった。
それは里中蛍と一緒に近所の人達の手助けをした何度目かの時の事だった。いつも通り仕事が終わるなり去っていった里中蛍の後を綿貫朱音は直ぐに追った。もちろん、忠告をするつもりだったのだ。直ぐに背中を見つけると呼び止める。
「ちょっと、里中さん」
その声に彼は身を震わせるようにして反応した。後ろを振り返った彼は明らかに驚いた顔をしており、かつ怪訝そうでもあった。
「なに…… あの、綿貫さん?」
「ちょっと忠告をしておこうと思って。もう少し、その、愛想よくした方が良いのじゃないかって。ご近所の評判とかもあるし」
「ご近所の評判?」
「ええ。まぁ、ほら、あなたには色々と悪い話があるみたいだし……」
それを聞いて里中は何かを察したような表情を見せた。
「ああ、なるほど。“ニート”とか?」
そして不機嫌な表情でそう言う。どうも彼女の意図を勘違いしているようだ。彼はどうも馬鹿にされたと思っているようだった。
「でも、それは君の方も変わらないよね? 知っているよ。お爺ちゃんと二人暮らしで、家事をやって生活しているんだよね?」
「いや、ま、それはそうだけど、今はそんな事を言っているんじゃなくてね……」
綿貫は何か誤解がありそうだと思いながらそう言った。しかし、構わずに里中は続ける。
「やってらんねぇよ。女だと家事をやっているとちゃんと認められるのに、男が家事をやるとどうして“ニート”になるんだよ? 納得いかない!」
それを聞いて彼女は頬を引きつらせる。どうも彼は相当に鬱憤が溜まっているらしい。分からないでもないが、半分は自業自得のような気がする。
「あなたの立場が不公平だってのは分かるけど、でも、それはそれとして、もっと愛想は良くした方が良いでしょう? ハンデのある立場だからこそ、そういうのは大事にしないといけないと思うわよ? じゃないと、もっと悪い噂が流れちゃう」
「そうか? 僕にはそれ以前の問題に思えるけどな。顔を合わせる度に、僕に“働け”って言う近所のおばさんとかいるんだぜ。こっちは近所の手伝いだってやっているのに」
「いや、それは、いずれはあなたも生活の手段を見つけなくちゃならないからで……」
「そんなの君だって同じだろう? と言うか、僕の両親は五十代だけど、君が一緒に暮らしているのはお爺ちゃんだ。確実に君の方が早くまずい立場になるんだから、早く解決しなくちゃならないのは君の方じゃないか」
それを聞いて、綿貫は苛立ちを覚え始めた。理屈はもっともだが、今はそういう事を言っている訳じゃない。
「私の事はいいのよ。今はあなたの事でしょう?」
「どうしてそうなったんだよ? さっぱり分からない」
「だから! ニートって言われるとかそういう以前の問題に、あなたはコミュニケーション能力が低すぎるのよ! 私はそういうのは大丈夫なの! 友達だってたくさんいるし趣味だって持っている」
「それがどう生活の手段と結びつくんだよ?」
「友達がいれば相談だってできるわよ!」
「相談だけできたって無意味だろうが!」
気が付くと、綿貫は里中と言い合いをしていた。その声に驚いたのか、近くの家の窓からお爺ちゃんが顔を出して、物珍しそうに二人を見ている。それを見て二人は我に返った。綿貫は冷静になるとこう言った。
「何か変な感じになっちゃったけど、別に私はあなたを責める為に来たんじゃないの。あなたはちゃんと仕事をしているのに、悪い噂があるみたいだから、もう少しくらいは愛想を良くした方が良いって言いに来ただけ」
それを聞いて、里中の方も冷静になったようだった。そしてよく話を聞く前に、つい熱くなってしまった自分を恥じた。直ぐに敏感に反応してしまうのは、コンプレックスがある証拠だ。
「そりゃ、ごめん…… つい」
と、謝罪する。自分が悪いと思ったのだ。ただし、素直にお礼までは言えなかったが。
里中と別れてから、綿貫朱音は家に帰って自室で寛いでいたのだが、しばらくすると自分でも予期しない不安がにわかに込み上げてきてしまって戸惑いを覚えた。恐らく、里中から言われた事が効いている。無意識のうちに反芻してしまったのだろう。自分が依存している相手は祖父で、だから自分の方が直ぐに生活に困るようになる。仮に祖父の家にそのまま住み続けられるとしても、生活費は自力で稼がなくてはならない。
そして、それから彼女は友達に相談をしたのだった。ゴスロリ・ファッションの仲間の一人。最も気楽に話せる相手だ。「何か少しでも稼げる手段はないかな?」。するとその友達は、直ぐに彼女に有効なアドバイスをしてくれたのだった。
数日後、綿貫は上機嫌で近所のお年寄りの家でご飯を作っていた。もちろん、SNS“和やか”のヘルプコールに応えたのだ。里中も手伝いに来ており、自分の家で余った食材も持って来てくれていた。家事を担当しているだけあって彼の料理の腕は確かだった。慣れた手つきで調理している。
“これなら、コックさんのアルバイトとかできるんじゃないかしら?”
それを見て感心した彼女はそう思った。もっとも、それを口には出さなかったのだが。また彼が気を悪くするかもしれない。そしてその後で思う。彼の場合、やっぱりネックはコミュニケーション能力なのだろう、と。それから彼女は自分の事を考えた。
“多分、私でもアルバイトで料理を作るくらいはできるわね……。でも、無理してアルバイトをする必要はないかもしれない”
実はつい先日、彼女は自力でお金を稼ぐことに成功していたのだ。友達のアドバイスに従い、彼女は彼女が自作したゴスロリ・ファッションの服などをネット・オークションにかけて売ってみたのだが、5品で1万円ほども稼げてしまった。中にはお気に入りも入っていたので、少しばかり惜しかったが、それでも彼女はそれに満足した。だから今日、彼女はとても上機嫌だったのだが。
料理を作り終えると、皆でそれを食べた。珍しく里中蛍も一緒だった。もっとも、ほとんど口は開かなかったが。食べ終えると、やはり彼は直ぐに帰ってしまった。その後で、その家のお婆ちゃんが綿貫に尋ねてくる。
「朱音ちゃん。里中さんと何かあったのかい?」
その言葉に綿貫は驚く。
「どうしてですか?」
今日もほとんど会話をしてないはずだ。
「いや、なんか雰囲気がねぇ。私の勘違いかねぇ?」
もちろん、“何か”とは男女関係の何かだろう。そんな事は一切ないが、それでも彼女は少しばかり変な気分になった。
“もしも、お爺ちゃんが死んじゃったら、その後は彼と結婚して、彼の家で暮らす。彼の両親は働いているから収入はある。そして彼と私の二人で家事をやり、私はそれに加えて色々な服を作ってネットで売って、生活の足しにする…… そして、私はその服飾販売を、彼の両親が働けなくなるまでの間で、生活の手段にできるくらいの規模にまで徐々に育てていく……。
彼は家事だけでも、外で少しくらいは働いてもらってもどちらでもいい……”
その後で綿貫朱音はそんな事を想像し、少しばかり自分を馬鹿にした。
そんな事は実現しないだろうが、もし実現したのなら、聞いたこともないような構成の家族になるだろう。マイノリティと言えるかもしれないが、そう思ってみても別に悪い気はしなかった。




