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2、お姉さまは攻略できません



 するりと、抱きかかえたウサギのぬいぐるみが滑り落ち、床に転がった。


(………え?)


 瞬きも忘れて、私は目の前の少年を凝視する。

 金の粒子がこぼれ落ちているような、黄金色(こがねいろ)の髪の毛を揺らしながら、少年は床からゆいぐるみを拾い上げた。


「はい!」


 いっぺんの曇りもない、輝く太陽のような笑顔を浮かべた少年がぬいぐるみを差し出した。

 深い海の青を抱いた彼の瞳を見ると、とくんっとひとつ胸が高鳴った。


 なんだろう、この親近感にも似た戸惑いは……。


 私はなんだか、初対面であるはずの彼をよく知っている気がするのだ。

 思い出せそうで思い出せない。

 答えが出そうで出ない。

 そんなモヤモヤした何かを頭の端っこで感じながら、私はただただ戸惑っていた。

 目の前に立つ少年は、ぬいぐるみを差し出したまま不思議そうに頭を傾げた。


「ローザ、どうかしたの?」


(ロー……ザ?)


 ローザって……まさか、あのローザ?

 ローザ・フォン・フェルメールのことなの?

 私の大好きなゲーム『境界のBinary Star』 のヒロイン(であると私が勝手に頑なに一途に信じ続けている)ローザ御姉様のことなのかぁぁ!


「ローザ……どこっ?」


 私は思わず背後を振り返って、大好きなローザを探した。

 ゲームの登場人物が現実に存在しているハズがないことくらい、冷静にならなくても理解し(わかっ)ていることだ。

 たがこの時の私はかなり混乱していた。

 そう、正気ではなかったのだ。 

 冷静さなんて欠片もなくて、状況判断なんてちっとも出来なくて、ただひとつの強い思いに突き動かされていただけだ。


 つまり、だ。

 正気じゃなくても、ローザ姉さんに対する私の思いは、微塵も揺るがないということなんですよ!


 後ろを振り返った私は、背後に立つ人物を見て、酷く落胆した。


 黒のワンピースにフリルつきの白いエプロンドレス。

 頭にはフリル豊富なホワイトブリム。

 結い上げた髪は白に近い灰色であったが、彼女の年齢はまだ十代の半ばくらいだろう。


 私の後ろにいたのは愛しのローザではなく、漫画などに出てきそうなメイドさんだった。

 あれ、何処かで見たことがあるような、無いような?

 いや、それよりも今はローザだ。


 私はメイドさんの後ろを覗き込むように確認したが、部屋のドアが見えるだけで、そこには誰もいなかった。


 なんだよ……ローザいないじゃん。


「大丈夫だよ。もう何も怖がることはないんだよ」


 ガックリと肩を落とす私に、誰かが優しく語りかけながら近づいてきた。

 そろりとそちらへ顔を向けると、少年に似た雰囲気の男性が居て、とても柔らかな笑顔を浮かべていた。


 男性は床に膝をついて私と視線を合わせた。


「此処では誰も君を傷つけたり、怖がらせたりはしないよ。悪い奴は私や護衛の者が追い払うからね。寂しいときは君の侍女のサラが本を読んでくれるだろう。悲しいときは君の弟になるキースが元気になる歌を歌ってくれる。涙が溢れる日には君の新しいお母さんが頭を撫でて慰めてくれるよ。君はもうひとりぼっちじゃない。私たちは家族になるんだよ、ローザ」


 えーと……。なんのこっちゃぃ。

 なんだかとても良い事を言われているような気がするのだが、状況が理解できない立場の者から言わせて貰いますと、このオジサン……と、呼ぶには若すぎるお兄さん、さっきからなに意味不明な台詞を並び立ててるの?ってところですかね、はい。


 それはともかく、このお兄さんもローザって言ったよね。

 愛しのローザちゃんを探すのは勿論としてだ、ちょっと落ち着け私、いまのお兄さんの台詞の中に、ローザなみに馴染み深い名前があったよね?


「……きー……す?」


「そうだよ、ローザ。ほら、この子が今日から君の弟だ」


「おとう、と」


「うん、キース・フォン・フェルメールだよ。よろしくね、姉さん」


 ウサギのぬいぐるみをあたしに手渡しながら、少年が笑った。


 ん、んんー?

 誰が誰で私がなんだって?

 この少年はいまなんと言った?

 自分をキースだとそう言ったのか?



「…………キース、貴方があの、キース?」


「うん?そうだよ、僕がキースだよ」



 キース・フォン・フェルメール。

 『境スタ』の主人公にして、私の大好きなローザの弟。

 それが、この少年……だと。


 ま、まて、まて待てっ落ち着けぇっー。

 いったん落ち着いて考えよう。

 ウサさんを抱き締めてちょぃと心を落ち着かせようか。


 すっすっはっはーすっはーはー。

 んっ、よし。落ち着いた。


 さて私、まずは何から確認しようか。

 いま、明らかにオカシイことはなんだっけ?


「キースは18歳、でしょう?」


 ……んんー。あっれー、そこかな、突っ込むとこそこかな、私。


 いや確かに私が知っているキースはゲーム開始時に18才。

 ゲームのシナリオで誕生日イベントがあって、最終的にプラス1歳になるけれども、目の前にいる子どもはどう見ても10才程度だから明らかにオカシイ事ではあるな。


 だが私よ、それ以外にも確認することがあるんじゃないかな。

 ローザの現在地とかローザへの最短距離とか、他にも重要なことが山ほど……ぁー、うん、まだ混乱中だわ落ち着け私。


 確かに、この子、髪の色も目の色もキースと同じで、雰囲気も似てはいるけれど……。


「違うよ。僕はローザと同じ8歳だよ」


「は……い?」


 キースとローザは確かに生まれた年が同じだ。


 ゲームではローザは春生まれ。

 バラの花が咲き誇る頃に生まれたから名前もローザ。

 安直だが、その名前は彼女に良く似合ってもいた。

 そして、キースは夏生まれだ。彼らは同い年だが、僅かにローザの方が生まれた日が早かったため、キースが弟で、ローザが姉となっていた。


 作中では、同じ年である理由をいちいち説明することが面倒で、彼らは『双子』だと偽ることもあった。


 だが、いまはそんなことどうでもいい。

 少年よ、君はいま確かにこう言ったな。


「ローザ……が、8歳……だと」


 それはつまりあれか。

 クールでビューティーでキュートなローザ御姉様の、ちみっちゃい美少女バージョンを見ることが出来るということか。

 そういうことなのか?


 そうか、わかりました。

 いま理解しました。

 これは夢ですね。

 明晰夢というヤツなんですね。

 私の『境スタ』好きが高じて、ついに夢に見るまでになったか。

 しかも、なんだかとってもリアルな夢ですよ。

 そうか、これはあれか。

 ご褒美か。

 毎日、頑張っている私に対する、ご褒美なんですね。


 ありがとう神様、感謝します。


 たとえ夢の中であってもローザや他のキャラクターに会えるなら、とっても幸せです。

 ローザへの最短距離を検索して、ルート案内を開始していただけるともっと幸せです。


 あぁ。起きているときはゲームで、寝ているときは夢で『境スタ』を堪能できるなんて、なんという幸せだろうか。

 ただ……ねぇ神様。


「ローザ、大丈夫?」


 キースが小首を傾げ。


「ローザ、どうかしたかい?」


 キースパパが心配そうな目をして。


「なにか不安なことがあるのね?なんでも話して頂戴、ローザ」


 キースの背後に立っている女性……多分、キースママが優しい声音で言って。


「ローザお嬢様。これからはわたくしがお嬢様を御守りいたします。どうぞご安心なさって下さい」


 私の後ろに立っているメイドさんが誓いをたてた。



 うん。大好きなゲームの世界を夢で体験できるなんて、なんて素敵なことでしょう。ただ、ねぇ神様。


 なんでみんな私に向かって『ローザ』ってゆーのですか?


「……わたし、が、ローザ?」


 いや、そんな、まさか。

 私が見る夢なのに、ご褒美なのに……ローザ役が自分だなんて。


 静止する私のまわりではキースとキースの家族が戸惑い『まさかローザ、ショックのあまり記憶が?』などと騒いでいるが、それに反応出来る余裕なんて、いまの私には微塵もなかった。

 神様は、なんて意地悪なんだろうか。


 ぎゅっと、腕の中のぬいぐるみを抱き締めて気づいた。

 ああ、そうだ。

 このウサちゃんはローザの5歳の誕生日にプレゼントされた、母親が手作りしたぬいぐるみだ。

 そして、ぬいぐるみの首にかかる赤い石の首飾りは、父親がくれたものだ。


 この二つだけがローザに残された、実の両親の形見だった。


 ああ。決定打だ。間違いない、このぬいぐるみを持っているってことは、私が『ローザ』だ。

 なんで、なの、神様。


「……っ!どーしたの!どこか痛いの、ローザ!」


 私は泣いていた。

 あまりのショックに号泣した。

 キースが驚いてあたしの肩をつかんだけれど、後ろに何歩か下がり、その手から逃れた。


「こんなの、酷すぎる!」


 思わずそう叫んで、ぬいぐるみを抱き締めたままくるりと彼らに背を向けた。

 私はわんわん泣きながら部屋を飛び出した。


 背中にかかる声なんて全無視して、長い廊下をひた走る。

 胸中に渦巻くのは、なんとも言いがたい悲しみだ。

 なぜ、と問い掛けずにはいられなかった。


 なぜ?

 なぜなのですか、神様?

 こんなに幸せな夢なのに。

 はじめての明晰夢なのに。

 大好きな『境スタ』の世界なのに。


 どうして、私がローザなの?

 

 ああ、夢の中でさえ私は、ローザを攻略できないのか!


「うわぁーん!なんでキースじゃないのさー!どうやって自分自身を攻略しろってゆーのよー!!ばかぁぁあ」


 そして私は力の限り叫ぶのだ。



「私にローザ姉ぇさんを攻略(おと)させろー!!!」



 夢でも良いから、と、そんな思いが切実に籠った叫びだった。





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