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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

SF短編

僕の世界

作者: 8D
掲載日:2016/03/16

 僕は勇者だ。

 仲間と共に旅をしている。

 仲間は屈強な男の戦士とびっくりするぐらい布の少ない服を着た女魔法使い、そして小柄な女性アーチャーだ。

 僕は、広大なフィールドを息切れもせず走りぬけられる体力を持っている。

 真っ暗な洞窟で人よりも大きな蝙蝠と戦った事もあれば、頭が豚の怪物をぶつ切りにしてやった事もある。

 どうしてそこへ行ったのか忘れたけど、魔法の力で海の中にある神殿へ行った時は触手が裸の女性みたいな形の巨大イカとも戦った。

 女性の姿で惑わして、本体に誘い込む魔物だ。戦士がひっかかって自由を奪われたので、とても苦戦した。


 そうした苦難を乗り越えて、僕達は世界を旅した。

 そしてその末、ようやく魔王の城まで辿り着いた。

 鬱蒼とした森で変幻自在の悪魔と戦い、毒の沼を渡り切って僕達は城門の前に立っていた。

 魔王の城は、城というよりも塔のようだった。

 天空を衝く様な高さの建造物は、天辺がどうなっているのかわからない。

 この城門を潜り、魔王を倒すまでにはどれだけの時間がかかるだろう。

 走り抜けるだけでも膨大な時間がかかるだろうに、その上今までよりも手ごわい魔物達がわんさと湧き出てくるはずだ。

 一日がかりで戦い続ける事になるかもしれない。


「行こうか」


 僕は仲間を促した。


「あ、すまん」


 だけど、屈強な戦士が唐突に謝った。


「そういや、今日は別の友達と約束があったんだ。今連絡が来た。帰るぜ」

「ちょ、アーノルド! あんた予定無いって言ってたじゃない!」


 魔法使いが戦士を怒鳴りつける。


「悪い悪い、忘れてた! じゃあな」


 言うと、アーノルドと呼ばれた戦士の姿が帰還エフェクトと共に掻き消えた。


「あいつ! いつもいい加減なんだから!」


 怒気を孕んだ声で魔法使いは怒鳴る。


「どうする、アレックス? 進む?」


 アーチャーが僕に判断を仰ぐ。


「んー、今回はハード設定だから、流石に三人じゃ無理じゃない? 二人とも、防御パラメーターが低いし」


 そんなステージを攻略するには、楯役の彼が必要だ。

 このまま三人で向かっても、攻略できないだろう。

 なら、ここでお開きにするべきだ。


「オッケー。じゃあ、一回帰るよ」

「わかった。また後で、シャロン」


 アーチャー、シャロンと言葉を交わし合うと、彼女は帰還エフェクトに包まれる。

 エフェクトが消えると、彼女の姿も消えていた。

 僕と女魔法使いだけが残される。


「アケミはどうする?」

「私も一回帰る。この後、バーで会うんでしょ?」

「うん」


 頷くと、アケミは「じゃあ」と手を振った。

 僕も手を振り返す。

 二人揃って、帰還エフェクトに包まれた。




「接続解除」


 コードを音声入力する。

 すると、僕の体中に張り付いていた接続用の機械が、プシュッと空気の抜ける音と共に外れた。

 瞼に張り付いていた物が取れると、次に頭全体を覆っていた機械が頭から外れていく。

 全ての機械が外れると、カプセル型のベッドに寝る僕だけが残った。


 現実に帰ってきた。


 重い体に、そんな実感を得る。


 今まで僕がいたのは、仮想空間だ。

 ネットワーク上で繋がり、他人と共に遊ぶタイプのゲーム。

 その世界だった。


「ベッドから出るアシスト」


 コードを受け取ってカプセル内のシートがせり上がり、ゆっくりと起き上がりやすい角度になる。

 一つ息を吐き、僕はベッドから出た。

 自分の足で立つ。

 一瞬、足に力が入らなくて、がくりと落ちた。

 転びそうになるのを踏ん張って堪える。


 前に、こうして自分の足で立ったのはいつだったっけ?

 あのゲームをやり出して、一度もなかった気がする。

 あの世界では感覚がフィードバックされて現実のように感じられるけど、実際の体はまったく運動していない状態だった。

 だから、萎えていてもおかしくない。


 僕は体を解すと、軽く筋肉トレーニングをした。

 終わって、息も絶え絶えな僕は、なんとなく部屋を見回す。


 窓がなく、外をうかがい知る事のできない白い部屋だ。

 家具の一切は無い。

 洋服タンスも冷蔵庫もトイレだってこの部屋にはない。

 あるのは、白いカプセルと申し訳程度のスペースだけだ。

 栄養の摂取はカプセルが自動で行ってくれるし、排泄もカプセル内で済ませられる。

 定期的な清掃、殺菌がなされ、いつも清潔に保たれるのだ。

 だから、余計な家具は必要ない。

 部屋に入り口はある。

 鋼鉄で覆われ、自分の意思で開けられない厳つい扉だ。

 僕を含む世界中の人々は、同じくそんな環境で暮らしている。

 だけど、それは閉じ込められているからというわけじゃない。

 扉の外には地獄が待っているのだから。


 僕達は、守られているんだ。




 扉の外の世界は、人類が生きていけない環境だ。

 それは人類の無慈悲な環境破壊が原因……などではなく、人間の方が適応できなくなった結果だ。

 簡単に説明すれば、抗生物質。

 ペニシリンが発明されて以来、抗生物質には信仰めいた強い信頼が向けられてきたわけだけど、抗生物質は取りすぎると免疫能力の低下を招いてしまう副作用がある。

 抗生物質がいるからいいでしょ。と、体本来の免疫機能が拗ねてストライキしてしまうからだ。

 人類全体に起こった事もこれに似ている。

 あまりにも発達しすぎた医療技術が、あらゆる病を薬学的に解決していった結果、人間の体は免疫力を不要な物だと断じ、長い時間をかけてオミットしてしまったのだ。

 そんな自然の摂理に反する進化をしてしまった人間は、地球の環境に適応できなくなったわけだ。

 だから、今の人類は一人一人が完全に環境を整えられた部屋の中でしか生きられない。

 生涯をそこで過ごす事しかできなくなっていた。

 それが、僕の住む世界だ。


 人間のいない世界は動植物にとってとても居心地のいい世界だろうな。

 そんな事を思って立ち上がる。

 僕は再び、カプセルの中へ身を横たえた。


「接続」


 コードを発すると、カプセルがネットワーク機器の接続を開始する。

 ゲル状の接触部分が体中に貼り付けられる。

 古いSF映画などで、ネットワークに接続する時に電極を直接体に差し込む描写があるけれど、今現在の現実ではそんな方法を取る事など無い。

 皮膚から電気信号を通し、脳へ情報を伝達する仕組みだ。

 人間の体は伝導体になりうるのだから、それを回路代わりに使っても何の問題はないという事だ。

 体を機械化してしまうなんてナンセンスだ。

 手術は大掛かりになるし、余計な資材が必要になる。傷が原因で後遺症になる事だってある。


 最後に頭への接続が終わり、僕の意識はネットワークへ入り込んだ。



 ネットワークに繋がって、最初に訪れるのはロビーだ。

 広大な円形の空間で、僕と同じように今入って来たばかりの人間や待ち合わせをしているらしい人間が多くいた。


「人除け」


 コードを告げると、周囲の人間の姿が消えた。

 フィルターをかけて、この場所に人間がいない事にしたのだ。

 この場所に人間が多くいても、所詮データ上の事でしかない。だからできる事だ。

 僕は歩き出す。ロビーを出た。

 外には、中世的な街並みが広がっていた。

 ただし、フィルターによってそこには一人の人間も歩いていない。

 本来なら、ここには溢れんばかりの人々の姿があるだろう。

 いつもなら直接行きたい場所へ転移するのだが、なんとなく今日は歩きたかった。

 現実でのあまりに萎えた体を思えば、少しでも運動した気分になりたいという事だろうか。

 僕は友達と待ち合わせたバーへ向けて、歩き続けた。




 この世界を管理しているのは、マスターシステムというプログラムだ。

 人間をシェルターへ隔離する計画が実行された時に作られたプログラムで、主に人類が生存する上で必要なあらゆる事を担っている。

 人間を生かすために生み出され、決して傷付ける事ができないようにインプットされたプログラムだ。

 ネットワークもマスターシステムが管理する物の一つだ。

 ネットワークは、狭い世界で生きる人類にとって唯一のコミュニケーション手段であり、娯楽である。

 これが無ければシェルターでの生活を強いられる多くの人々は気を病み、自害に到っていたのではないかと思っている。

 ネットワークがあるからこそ、人は孤独にならなくて済むのだ。

 僕はあまり孤独を辛いと思わないが、それでも友人とネットワークで交流する事は心の支えになっている。

 その自覚はあった。


 バーに着くと、すでにシャロンが待っていた。

 カウンター席で、グラスに入った赤い液体を口にしていた。

 赤いロングの髪を流した背中は、バーのカウンター席によく似合う。


「お待たせ」

「私が暇なだけだよ」

「なら、その次に暇だったのが僕か」


 僕はシャロンの隣の席に座る。

 ハイボールを注文した。硬貨を一枚カウンターに置く。

 今の世界に通貨という概念は無いが、無ければ無いで生きる事に張り合いがもてなくなる。

 だから、今の世界の人間達は価値の無い物に価値を与え、それを活力に生きているわけだ。


 カウンター内にいたマスターが、すぐにハイボールを僕の前へ置く。

 僕は未成年だけれど、ネットワーク内では関係がない。

 味と酔っているという感覚だけが味わえるだけで、実際に飲んで酔っているわけではないからだ。

 実際の栄養は、全部カプセル内の機構が摂取させてくれる。

 健康状態によって与えられる栄養を変え、体調を整えてくれる完璧な健康維持システムだ。


「また筋トレ?」

「ん……そうだよ」


 シャロンに問われ、言い淀みつつ答える。

 現実の世界で体を鍛える事は、あまり一般的な事じゃない。

 そんな事をしても、シェルターから出られない今の時代では無意味だ。

 生涯をカプセルで過ごし、それどころかネットワークから出ない人間だっている。

 そんな中で、現実の体を鍛える人間は変わり者に見られてしまう。


「無駄だと思う?」

「特にそうは思わないけど、珍しいね。でも、どうして鍛えているのか、その理由は興味あるかも」

「たいした理由じゃない。というか、絶対に叶わない夢を引き摺ってるんだ」

「どんな夢?」

「外に出てみたいんだ」


 笑われるかな、と思った。

 そんな事は絶対に無理な話だから。


「ふぅん。私にはわからないな。夢にするような事じゃないと思うよ」

「だろうね」


 やっぱり呆れられたか。

 僕は思わずシャロンから顔を背け、苦笑を作る。


「馬鹿にしているわけじゃない。ちょっと実感がわかないだけ」

「取り繕ってくれなくていいよ」

「そういうわけじゃないけど……。君、パブロフの犬って知ってる?」


 唐突な話題の変更に戸惑ったけど、僕はシャロンに向き直って答えを返す。


「どういう意味かっていうのは知っているけど、元の話がどんな物かは知らない」

「意味だけわかればいいよ。ただ、人間が外で生きていけないなんて事が、実は嘘なんじゃないかって思った事は無い? 所詮は条件反射でそう思ってしまうだけで」

「僕達の今の状況が実は嘘で、思い込みで外に出ないだけ。そう言いたいの?」


 扉をぶち壊して試してみろって事?

 もしかしたら、何ともないかもしれないって意味か?


「ちょっとリスキーだな。そもそも、あの扉は壊せないよ。人間の力で壊せないように造られてる」

「言ってみただけだよ」


 シャロンは可愛らしく笑う。

 からかわれたのかもしれない。

 笑顔のよく似合う彼女だけれど、実際は何歳なのだろう?

 若い少女の姿だけれど、とても落ち着いた雰囲気がある。歳相応とは思えない。

 見た目の年齢と実年齢が比例しない事は、この世界でよくある。

 現実通りの姿でいる事は、あまり意味がない。むしろリスクしかない。

 誰だって、カプセルから這い上がれないようなみすぼらしい体を見せたくはないのだから。

 だから彼女も、見た目通りの少女じゃないのかもしれない。

 同年代の友人だと思っていたら、唐突に老衰の死亡通知が来るなんて事はよくある話だ。


「遅いね」

「ん?」

「アケミ」


 彼女がグラスを空にした辺りで、ぽつりと呟いた。


「ちょっと相談されてたんだけどさ。彼女、今変な男に言い寄られているらしいよ」

「そうなの?」

「どうにかできないか、って話なんだけど……」

「フィルターとメールブロックで何とかなるんじゃない?」

「ちょっとばかし、プログラムに精通している人間らしい。私や君のアドレスに誤認させたりして接触してくるらしいよ」


 僕は小さく唸った。

 思った以上に、難しい問題だ。


「マスターシステムは?」

「基本、人間の生死に関わる事以外は不干渉だからね。本来ならフィルターで何とかなる事だから、動いてくれないと思うよ。動いてくれても、たいした事はしてくれない。ちょっとした警告ぐらいだ」


 たとえ違法行為があっても、それが人間の存続に関わるようなものでなければマスターシステムは厳しく取り締まらない。

 世界中の人間の生命維持を取り仕切るマスターシステムは、人間個人個人の問題にはあまり関わっている暇がないのだ。


「その都度、厳しくあしらってるみたいだけどね。ただ、ネットワーク内じゃ物理的な手段で排除できないからなぁ。痛めつけて追い払う事もできないんだよ」

「痛めつける、か……」


 できない事もないんだけどな。

 違法行為だが、その術を僕は知っている。

 持ってもいる。

 最終的には、その手段に頼ろうかな。


「殺し屋……」


 シャロンは呟いた。


「何だって?」


 僕は気になって訊ね返した。


「ネットワーク内には殺し屋がいるって噂、聞いた事無い?」

「聞いた事はあるよ。でも、そんな事は不可能でしょ?」


 たとえネットワークの中で人を殺したとしても、現実の体を殺せるわけじゃない。

 外へ出る事のできない世界で、現実の人間を殺す事なんて誰にもできないはずだ。

 だから、噂は噂でしかない。


「そうだね。出来ない事だね。本当にいたら、頼めると思ったんだけどなぁ」


 がっかりだ、と肩を竦め、シャロンは天井を仰いだ。

 そんな彼女の顔を覗き込む女性がいた。


「私抜きで随分と盛り上がってるじゃない。妬けちゃうわ」

「アッケミー。遅かったね」


 二人は笑い合う。


 そのまま三人で、アーノルドへの愚痴で盛り上がった。

 その間アケミは、とても楽しそうにしていた。

 まるで、抱えている悩みなどないように、その笑顔は輝いていた。


 そしてその数日後、彼女は死んだ。




 その日は、アケミと二人で会う約束をしていた。

 相談事があるという話だった。

 きっと、ストーカーの話だろうな。と僕は思っていた。

 待ち合わせの公園。

 ベンチに座って、僕は彼女を待っていた。

 しばらく待つと、彼女が訪れた。

 僕を見つけて、手を振りながら駆け寄ってくる。

 僕も立ち上がって出迎えた。

 その時だった。

 話をするには少し遠い距離。

 彼女は突然、立ち止まった。

 その顔が表情を失い、視線は焦点を合わせていなかった。


「嘘……どういう事、なの?」


 彼女の口から声が漏れる。

 それから程なくして、彼女の体から色彩が消えた。

 全身が灰色になる。まるで石像のようだ。

 そして、彼女の体を赤いリングが囲い、文字がポップアップした。


『死亡しました』


 それは死亡通知のエフェクトだった。

 ネットワーク接続中に死亡した場合、処理をするまでの間に現れるものだ。

 呆然とその文字を見守る中、彼女の体は光の粒子になって消えた。


 こうして彼女は、僕の目の前で死んだのだ。




 アケミは日本のシェルターに住む十八歳の女性だった。

 詳しくそれを知ったのは、彼女の葬儀へ向かった時だ。

 日本式の大きな葬儀場で、彼女の葬儀は行われた。

 参列者は多い。彼女がどれだけ愛される人物だったかが、よくわかる。

 僕もまた、その中の一人だ。

 さっき和装のアーノルドとも会った。

 シャロンは用事があってまだ来られないが、必ず向かうとメールをくれた。


「娘のために、ありがとうございます」


 暗い表情の両親に挨拶された。二人とも黒い着物姿だった。

 父親は厳格そうな壮年の男で、母親はアケミに似た若い女性だった。

 二人とも、悲しみで憔悴しているのがよくわかる。

 母親など、目元に涙が滲んでいた。

 アケミは、この二人のどちらとも直接顔を合わせた事がないだろう。

 物理的に不可能な事で、ネットワーク上でしか会う事ができない。

 けれど、確かに家族という関係だった。

 その絆の深さ、情が、今溢れ出ている。

 形となって、見せ付けられているようだった。


 挨拶を済ませ、棺に収められたアケミの遺体に別れを告げる。

 本物のアケミの体は、当にマスターシステムが処分しているだろう。

 その時に、アバターも消された。

 だから、これはアケミの遺体でもなければ、アバターの抜け殻でもない。

 アケミの形に作られたただのオブジェクトでしかない。

 それでも、こういう形でしか別れを告げられない。

 せめて、僕の冥福の祈りが届きますように。

 僕は強く願った。




 ネットワーク内にはARRアンリアル・リアルという場所がある。

 それは外の世界を疑似体験できるサービスだ。

 感覚も全て現実の基準となり、そこで感じられる感触や疲労は全て実際に体験できる。

 怪我をすれば自然治癒するまで傷も痛みも残る。

 流石に怪我で死亡する事はないが、死ぬ程の痛みを味わっても死ねないという事でもある。

 そういったリアルを体験できる場所だ。


 ARRに入ると、自分の部屋と同じ場所で目覚める事になる。

 そこには白いカプセルなどなく、利用者はベッドで寝かされた状態だ。

 このベッドはARR唯一の出入り口で、一度利用すると再びここで寝転ばない限りサービスから出られない。

 接続を解く事もできなくなる。

 何故そんな仕様なのか? と問われれば、僕にはちゃんとした答えが出せない。

 色々な説はある。

 いつか人類が再び現実の大地へ足を運べるようになった時、その時に伴う苦痛の予行練習。

 現実の厳しさを体験させるためという説を僕は支持している。

 ネットワークのようにどこでも好きな場所へ転移できない不便さは、特に慣れておく必要があるという事だろう。


 ただし、僕はそれに従わないけど。


 部屋は自由にカスタマイズできて、現実ではできない部屋の模様替えなどもできる。

 だから、ここでは現実的な生活を送るができ、それを気に入ってずっとここで暮らす人間も少なくない。

 外に出ると、そこは実際に自分がいるシェルターの所在地に繋がっている。

 実際の地形データを元に再現された地形が広がっている。

 僕のいるシェルターはグランドキャニオンの見える場所に建っていた。

 だから外へ出ると、時間によっては赤茶けた岩山に夕陽が沈む光景が見える。

 落ち込んだ時などに、僕はここでそれを眺める事があった。

 いつか、本物の光景が見たいと思いながら。

 現実なら閉じている扉は簡単に開くドアに代わり、そこを抜けると手すりのある廊下がある。

 その手すり越しに、丁度その光景が見えるのだ。

 残念ながら今は夜で、夕陽なんて望めなかったけれど。

 代わりに、幾万幾億の星空が広がっていた。

 そんな時、携帯電話が鳴った。

 ネットワーク内と違い、ここでは直接メニューを開く事もできない。

 だから、本来ならメニューでこなす物は、全て携帯電話ツールを通してしか使えなかった。


「「アレックス」」

「アーノルド。どうしたの?」

「「いや、葬儀が終わってすぐに、いなくなってたからよぉ。……大丈夫か?」

「君こそ。どうなんだ?」

「「……大丈夫じゃねぇよ」」


 スピーカーから重苦しい声が聞こえた。

 彼も相当参っているようだ。


「「葬儀が今終わった。あの後、シャロンも来たんだぜ」」

「そう……」

「「まったく、何だってんだ。何でアケミが死ななきゃならねぇんだよ。心不全とかふざけんな!」」

「心不全、か」


 それがマスターシステムの出した答えだ。

 アケミの死因は、急性心不全。病死として処理された。


「本当に心不全だと思う?」

「「マスターシステムの答えだ。万が一にも間違いなんてない」」

「でも、その間違いがあったかもしれない」

「「……どういう事だよ」」

「殺し屋」

「「は?」」


 アーノルドは気の抜けた声を返してくる。


「彼女は殺し屋に殺されたかもしれない」

「「ただの噂話じゃねぇか。本気で言っているのかよ」」

「正直、半信半疑だ。でも、彼女は言ったんだよ。死ぬ前に「どうして?」って。目の焦点も合っていなかった。あれは頭の接続機を外されて、視線のトレースができなくなったからだと思うんだ。そして彼女は、その先で何かを見た。もしかしたら、殺し屋の姿を」

「「じゃあお前は、外を自由に行き来できる人間がいるとでもいうのか? 「どうして?」も焦点が合わなかったのも、発作のせいかもしれないだろう」」

「わからない。僕もおかしいと思ってる。でも、ただの病死じゃない気がするんだよ。そして、もしも僕の考えが間違いじゃなかったら、その答えはある男が握っている」

「「誰だよ」」

「彼女につきまとっていた男」


 問われて、僕はアケミがストーカーにつきまとわれていたという事を話した。


「もし殺し屋を雇った人間がいたとしたら、きっとその男だ」

「「そいつに聞けば、わかるってか?」」

「わからなくてもいい。それでもわからなければ、僕の考えが妄想だと確認できる。だから、ちょっと付き合ってほしい。その男の事、調べたいんだ」


 スピーカーから溜息が聞こえた。

 しばらくの沈黙。

 やがて、彼の声が答える。


「「いいぜ。付き合ってやるよ。もしお前の考えが間違っていなければ、その男も殺し屋も許しておけねぇからな」」




 僕も同じ気持ちだった。

 本当に、その男と殺し屋のせいでアケミが死んだなら、許してはおけない。


「今から、バーで会おう」

「「わかった」」


 携帯電話を切り、そしてキーを操作してプログラムを発動させる。

 すると、途端に景色がバーの入り口前に切り替わった。

 アーノルドと僕で作った、違法の転移プログラムだ。

 ARRを始め、いくつかある転移禁止サービス内でも転移を使えるようにする代物だ。

 生命維持の機能を阻害しない限り、マスターシステムはこういった違法を取り締まらず、黙認してくれる。

 だからプログラムを作る時、生命維持システムに引っ掛からないよう作ればどんな違法プログラムも許されるのだ。

 僕はプログラム関係を弄る趣味があり、アーノルドと出会ったのも同好のよしみからだった。



「よぉ」


 後ろから声をかけられた。振り返ると、アーノルドがいた。



 二人でバーに入ると、シャロンがいつものカウンター席で白く濁った液体を飲んでいた。

 ミントの香りがする。

 グラスをかかげ、小さく挨拶をする。

 僕達は彼女に連なって、カウンター席に座った。



「やぁ、二人とも。アケミの思い出話でも?」

「いや、違うんだ。君に聞きたい事があってきた」

「何?」

「アケミにつきまとっていた男。それが誰か知らないか?」

「聞いてるよ。名前だけだけど」

「教えて欲しい」


 シャロンから、男の名前を聞く。

「ジョン」という名前らしい。

 ただ、それだけじゃまだ情報が少ない。


「アーノルド。アケミのメール情報、サルベージできないかな?」


 アケミのデータは、彼女が死んだ時に全て削除されているはずだ。

 ただ、個人データへクラッキングするだけでは知る事ができないだろう。

 探し出して、復元する必要があった。


「やってみる」


 アーノルドが答えると、僕もメニューを開く。

 僕の視界だけに見える半透明のウインドウが現れた。

 それを操作していく。


「男を探すつもりなのかい?」


 シャロンが訊ねてくる。


「そうだよ」

「気持ちはわかるけど、マスターシステムに逆らうのは感心しないな。黙認してくれるだけであって、違法行為を推奨しているわけじゃないんだよ」

「わかってる」


 シャロンは違法行為を嫌う。

 マスターシステムに逆らう事へ抵抗があるらしい。

 男の捜索をアーノルドと二人で始めようと思ったのは、彼女が僕達の捜索方法を快く思わないだろうからだ。


 それから二時間ほどかけて、アーノルドと僕はアケミのメールデータを発見、復元した。


「見つけたぜ。こいつか……」


 アケミのメールリストには、ずらりと一人の男の名前が並んでいた。

 それらは僕達や、僕の知らない彼女の友達だろう相手のアドレスを使ってメールを送っている。

 ただし、その件名は必ず同じ一文から始まっていた。


「やぁ、ジョンだよ」


 件名の部分には、ずらりとその一文が並んでいた。

 憎たらしくて、吐き気を催しそうだった。


 そしてそのメールは、アケミが死ぬ少し前にピタリと止んでいた。


「どう思う?」

「疑いが濃厚になったな。まるで、死ぬ事を知っていたみたいな引き際だ」

「僕もそう思う」




 ジョンの情報を得た僕とアーノルドは、すぐに彼と会いに向かった。

 アドレスデータを割り出す事ができれば、それを元に転移するだけで簡単に彼のいる場所へ行ける。

 転移した先は、四方を壁で囲まれた入り口のない部屋だ。

 光源がないのに全体的に明るい。ネットワーク内だからこそできる空間だった。

 その部屋の全ての壁や天井には、どう見ても盗撮だとわかるアケミの写真が張り巡らされていた。


「ここはご主人様のプライベート空間です。無許可の入室はご遠慮ください」


 部屋に入り込んだ僕達に、メイド服姿のアケミが注意を促してくる。

 もちろんそれは本人ではなく、彼女を忠実に模したオブジェクトだろう。

 そしてそのオブジェクトの背には、豪華な椅子に座る好青年風の男がいた。

 彼の膝の上には、裸エプロン姿のアケミが座らされていた。腕を男の体に絡みつかせている。


 不快感が極まった。


「おい! お前がジョンだな!」


 僕と同じ気持ちだったのだろう。

 アーノルドはアケミ(メイド)を突き飛ばし、強い口調でジョンに詰め寄った。


「な、何だ、き、きき、君達は!?」


 ジョンは戸惑いながら、訊ねてくる。


「アケミの友達だよ! テメェ! アケミを殺しやがったのか!」


 アーノルドが凄むと、ジョンは驚いてアケミ(エプロン)ごと椅子から転げ落ちた。

 そんな彼の胸ぐらを掴み、アーノルドは立ち上がらせる。


「おい、どうなんだ!」

「だ、だから、どうしたって言うんだ! 彼女が僕を見てくれないから、悪いんだ。何度も、優しく喋りかけていたのに。最初は、彼女だって僕に優しくしてくれたのに、態度を変えるから悪いんだ!」


 ジョンが怒鳴り返す。

 だけどその言い分は多分違う。


「彼女はとても人当たりがよかった。人に分け隔て無く接する事ができるだけ。君に特別優しかったわけじゃないさ。彼女が態度を変えたなら、そんな彼女でも君を許容できなかったからだろう」

「ち、違う! 僕は彼女の特別だったんだ! でも、彼女は嘘を吐いたんだ。他の奴が好きだって言ったんだ! そんなの僕のアケミじゃない!」


 発言にイラついたからか、アーノルドが乱雑にジョンを投げ飛ばす。

 彼は壁に激突し、その場で座り込んだ。

 派手にぶつかっていたが、ここはネットワーク内だ。痛みなんてないだろう。

 怯え戸惑っていたジョンの顔に、ニヤニヤといやらしい笑みが浮かび始める。


「どんなに痛めつけたって無駄さ。お前達は僕に何もできないんだ! お前達も殺し屋に頼んで、アケミみたいに殺してやる!」


 ああ、やっぱり。

 殺し屋は存在するのか。

 そして、アケミを殺させたのは彼で間違いないようだ。


「できねぇと、本気で思ってんのかよ? だったら、本気で痛めつけてやろうじゃねぇか!」


 アーノルドがジョンの胸ぐらを再び掴む。そして、その瞬間部屋から姿を消した。

 転移したのだ。

 それを見届けると、僕も前もってアーノルドと打ち合わせしていた場所へ転移した。



 転移した瞬間、肌へ鋭い冷たさが突き刺さった。

 いや、冷たさを通り越して痛みと言ってもよかった。

 僕は雪に覆われた山の上にいた。

 近くにアーノルドを見つけ、そちらへ近付いていく。

 アーノルドはジョンを強かに殴りつけた。


「あがっ! ぎゃいぃっ!」


 ジョンは口から血を流し、さっきとは打って変わって泣きそうな顔で地面に這いつくばっていた。

 無様で、そして哀れな姿だ。

 彼は痛みを感じていた。

 何故ならここは、ARRの中だからだ。


 僕達は、違法転移のツールを使って彼をここまで運んできたのだ。


「ここがどこかわかるか? ここがどこか、って聞いているんだ!」


 アーノルドは怒鳴り、ジョンを蹴飛ばした。


「あひぃ! わ、わかりゃないぃ!」

「ここはエベレストだ。知ってるか? 世界一高い山だ。天国に一番近い場所だよ」


 言うと、アーノルドはジョンの腕を掴んで、引き摺るように歩き出した。

 ジョンは抵抗していたが、アーノルドの力には抗えなかった。そのままズルズルと移動させられる。

 彼が向かったのは、地面の切り目。裂けた大地の突端だ。

 クレバスが目の前に大きく口を開けていた。


「天国から、地獄に落としてやるよ」


 言って、アーノルドはジョンの懐から携帯電話を取り出した。

 ARRに入ると、自然に所持される物だ。

 アーノルドはそれを両手で掴み、真っ二つに割り折った。

 そしてリアルな話で、携帯が破損した場合はショップで手続きをするまで新しい物を貰えない。


「わかるだろうがな。ここに落ちたら、お前は死ぬような痛みと怪我を負って自力じゃ出られない。助かるには誰かに見つけてもらうしかない。だが、登山ならともかくクレバスの下に下りる物好きなんてそういないだろう」


 もしかしたらいるかもしれないが、そうそう多くいるものじゃない。

 落ちてしまえばきっと、もうここから出られない。

 体中の痛みと寒さに苛まれ、苦しみ続ける事になる。

 脱出のプログラムを組もうにも、この中でプログラムするためには携帯電話が必要だ。

 それだってもうできない。

 マスターシステムへ救助の要請を出す事もできないだろう。

 どれだけ苦しもうとそれは擬似感覚であり、生命の危険は無い。だからマスターシステムも積極的に彼を助けようとはしないはずだ。


 アーノルドがジョンをクレバスへ落とそうとする。


「待った。殺し屋の事を聞いてない」


 僕はそれを止める。

 アーノルドはクレバスの手前で、ジョンを手放した。


「言いましゅ! だから、落とさないで!」


 ジョンは必死の声音で答え、懇願する。

 僕は彼に続きを促した。


 彼が言うには、殺し屋の方からコンタクトがあったらしい。

 不特定多数へ向けられたと思しき文章メッセージを受け取った彼は、その話に食いついた。

 そして、アケミを殺してほしいと依頼した。

 報酬は一切無し。

 そもそも、通貨という概念が希薄なこの世界には、金銭を目的にした活動をしない人間は多い。

 仕事は趣味の範疇だ。

 殺し屋もそういった人間の一人なのかもしれない。

 洗いざらいをジョンに聞いたが、結局殺し屋がどんな人間かはわからなかった。

 一度も会った事はなく、文章メールでのやり取りだけで連絡を取り合っていたらしい。


「言いました。だから、助けてくれるんですよね?」


 ジョンはこちらの顔色をうかがうように、僕の顔を見上げてくる。


 そんなに痛いのは嫌なのか?

 苦しいのが怖いのか?

 アケミを殺したのに。

 虫のいい話だよ。


 僕は無言で、ジョンの体を蹴りつけた。

 ジョンは悲鳴を上げて、クレバスの闇へ落ちていく。

 途中で何度も岩肌に体をぶつけながら、彼は目視できないほどの深いクレバスの底へ消えた。


 そんな様を見ていると、今まで押し留めていた感情が溢れ出た。


「凍えて苦しみ続けて、ずっとそこで後悔していろ!」


 気付けば、僕はクレバスの下へ向けて大声で叫んでいた。

 それでも気が済まずに、思いつく限りの罵詈雑言を叫び続けた。


「もういいだろう。ここは寒い。一度、帰ろうぜ」


 やがて、アーノルドが僕の肩を掴んだ。

 気遣うような声音で提案する。


「ここじゃあ、拭う事もできないからな」


 言われて気付く。

 僕の頬には涙が流れていた。

 正確には流れた後だ。

 涙は凍り付いて、頬に張り付いていた。


「何で泣いちまったんだ?」

「わからない。彼をとても憎らしく思って、感情を抑えられなくなった。それと一緒に、僕自身の後悔も溢れ出たのかもしれない」

「後悔?」

「もっと早くこうしていれば、アケミは死なずに済んだんじゃないか……。そう思えるんだ」


 アーノルドは一つ溜息を吐くと、僕の頭をゴシゴシと強く撫でた。


「バーで会おうぜ」

「わかった。少ししたら、向かうよ」

「ああ。ゆっくり休んでろよ。俺は、あいつの携帯データを調べて、殺し屋のメールを探す」

「うん。お願いするよ」


 しばらく、何もする気が起きなかった。

 だから、彼の提案を素直に聞いた。

 接続を解き、僕は何をするでもなくカプセルの中で寝転び続けた。

 やがて意識を失い、眠りに落ちた。




 バーに向かうと、アーノルドがカウンター席にいた。

 シャロンはいない。


「もう、いいのか?」


 アーノルドが僕に気付いて、声をかける。

 僕は頷き返した。


「よく寝たよ。そっちの調子はどう?」

「ツールに任せて解析中だ。もうちょっとで殺し屋の素性がわかるはずだ」

「そうじゃなくて、疲れてない?」

「お前より体力はある」


 アーノルドの筋肉質な巨体は、アバターの見かけだけじゃないようだ。


「それより、ちょっと気にかかる事があってな。殺し屋のアドレスについてだ」


 表情を険しくして、アーノルドは切り出した。


「マスターシステムの専用回線を経由しているみたいだ。そのせいでトレースするのがちょっと厄介だぜ」

「そうなの? もしかして殺し屋の正体はマスターシステム?」


 もしそうなら、人を殺す事も不可能じゃない。

 何せ、マスターシステムは全人類の命を握っているのだから。

 生殺与奪も思いのままだ。


「いや、無理だ。マスターシステムには書き換える事のできない絶対原則がある。人類の命を権能与う限り護る事。人類の命を如何な理由が有ろうと害さない事。マスターシステムはその二つを遵守する」

「まぁ、そうだよね」

「もし人を殺せる存在があるとすれば、それは人間でしかありえない。そこは間違いない」


 アーノルドはマスターに黒ビールを注文した。

 僕もコークハイを注文する。

 ジョッキとグラスに満たされる、黒い液体がそれぞれの前に出された。


「ま、待っていればもうすぐ答えは出るさ」

「そうだね」


 会話が途切れる。

 互いに注文したアルコールを飲みながら、時間が過ぎていく。

 やがて、アーノルドが話を切り出した。


「……なぁ、知ってたか? アケミ、お前の事が好きだったんだぜ」

「知ってたよ。知ってて、僕は気付かないフリしてた」

「そうか……そうだな。お前は、シャロンが好きだったからな」


 そう、僕はシャロンが好きだった。

 応えられない事だとわかっていたから、アケミの好意にあえて気付かないフリをしていた。

 恋愛対象にならなかったけれど、アケミだって僕にとっては大切な人に違いない。

 傷付けずに済ませられるなら、そっちの方がいい。

 それに――


「アーノルドはアケミが好きだったし」


 アーノルドは答えなかった。

 ただ静かにジョッキを煽る。


「……解析が終わったみたいだ」


 返事の代わりに、彼はそう告げた。




「なんだ、これ……?」


 困惑した様子でアーノルドが呟く。手振りで要求すると、データをこちらにも送ってくれる。

 僕は送られてきたデータを見た。

 表示されたプロフィールには、一切の記載がなかった。

 ただ一つ表記されるのは「生存」という単語だけだ。

 生きている以外に何もわからない。そんな存在の証明だけが成されていた。


「どういう事だよ」


 アーノルドがやるせない声を吐き出す。

 そんな時だった。

 僕にメールが届く。僕にしか聞こえない着信音が聞こえ、メール着信の文字が視界にポップアップする。


「何か着たぞ」


 アーノルドが声を上げる。どうやら、彼にもメールが届いたようだ。

 僕はメールを開き、内容を確認した。


『私へと辿り着いた者へ。全てを知る覚悟があるのなら、このファイルを開くといい』


 シンプルな一文と共に、メールにはファイルが添付されていた。

 アーノルドが受け取ったメールも同じ文面と添付ファイルだった。


「このデータを所持する人間に、メールが送られてくる仕組みだったんだろうな」

「どうしようか? 開いちゃう?」


 言いながら、僕はメニュー操作で添付ファイルを開こうとする。


「いや、待った」


 止められて、操作を中断する。


「何が仕掛けられているかわからん。まず俺が開く」

「わかった」


 アーノルドがファイルを開く。


「これは書類……計画書か?」


 アーノルドは呟く。

 僕には見えないが、彼の視界にはその計画書が見えているのだろう。

 彼は黙々とそれを読み始めた。

 沈黙が下り、僕は彼がファイルの中を読み終わるのを待ち続けた。

 やがて、彼は青い顔で僕を見た。


「どうしたの?」


 あまりに勢い良くこちらを見た事で、僕は驚いて聞き返した。


「アレックス。よく聞け。俺は多分、もうダメだ。だが、お前はまだ大丈夫だ。だから、絶対にファイルを開くな」

「どうしたのさ? 何が書いてあったの?」

「ダメだ。言えない。これを読んだ人間は、殺し屋の餌食になる。計画に、取り込まれてしまうんだ」

「え?」

「とにかく開くな。すぐにファイルを消せ。いいな? 約束だ」

「う、うん」


 強い剣幕で言われ、僕は頷く事しかできなかった。

 アーノルドは立ち上がる。


「楽しかったぜ、アレックス。お前と話している時が、俺は一番楽しかった」

「僕も楽しかった」


 素直な気持ちを返すと、アーノルドは人懐っこい笑みを浮かべた。


「俺はこれから、他の友達に挨拶周りしてくる。じゃあな」

「待ってよ」


 呼び止める。けれど、彼はそのまま転移した。

 バーには、僕だけが残された。



 その翌日、アーノルドの死亡通知が届いた。




 アーノルドの葬儀に参加した次の日、僕はバーへ向かった。

 彼と会話をした最後の場所だ。

 カウンター席にアーノルドはいない。

 代わりに、最後に僕達が話した場所では、シャロンが木の器に注がれた透明な液体を飲んでいた。

 彼女とは葬儀でも会っていた。

 葬儀の終わりに僕が申し出て、今日ここで会う約束をしたのだ。


「やぁ、君とこうして二人きりで話すのは何だか久し振りのような気がするよ」

「そうだね。顔を合わす事は結構あったのにね」


 僕は彼女の隣の席に着く。

 ウイスキーをストレートで注文した。


「それで、どうしたのさ? 私にしてほしい事があるって」

「たいした事じゃないんだ。ただ、ちょっとだけ僕と過ごして、それで見届けて欲しいんだ」

「何を?」

「僕はこれから、あるファイルを読む。アーノルドは、このファイルを読んだせいで死んだみたいなんだ」

「読めば死ぬ、か。ホラー映画みたいだね。君は、そんな物を読むつもりなの?」


 一つ頷いてみせる。


「本当は、僕もあの時に読むはずだったんだ。彼がそれを止めてくれたけど」

「だったら、開かないのが彼のためじゃない? 君の安全を考えて止めてくれたわけだし」

「そうだね。でも、このままじゃいられないよ。僕は知りたい。彼に何があったのか。アケミがどうして死んだのか。その答えが、ここにはあるはずなんだ」


 彼は言った。

 これを読めば計画に組み込まれる、と。

 確実に死ぬというニュアンスの言葉を彼は使わなかった。

 死亡通知は出たが、実の所死んでいるわけではないんじゃないか、と僕は思い始めている。

 リスクは高い。

 けれど、僕は知りたかった。その高いリスクを負う事になったとしても、知りたかった。

 全てを……。


「でも、少し怖いから、しばらく一緒にいてほしい。いつもみたいに、お喋りしたいんだ」

「いいよ。でも、本当に死んじゃったら、私は寂しくなるなぁ。今はもう、ここに残る友達は君だけなのに」

「死ぬとは限らないけどね。でも、君は魅力的だから、きっとすぐにいい友達ができるよ」

「君を引き止めるだけの魅力はないみたいだけどね。私よりも、ファイルの中身の方が魅力的なんでしょう?」


 苦笑する。


 それからしばらく、僕達は話をした。

 アケミとアーノルドの思い出話。

 一緒にやっていたゲームの攻略法。

 美味しい料理店の話。

 美味しいお酒の話。

 一つ巡って、またアケミとアーノルドとの思い出話をした。

 数時間に及ぶ長い間、僕達は話しこんだ。


 そろそろいいかな。

 このままじゃ、ずっと話し込んでしまいそうだ。いつまで経っても決心が着かない。

 そう思って、僕はウイスキーを喉に流し込む。

 ストレートのウイスキーは強烈で、喉が焼けた。むせそうになる。

 でも、今はどうしても強い酩酊が欲しかった。

 少しでも恐怖を紛らわせられるように……。


「じゃあ、これから読むよ」

「うん。見ていてあげる」


 ファイルを開くための操作を始める。


 怖い。


 けれど知らなくちゃいけない。

 そんな強迫観念にも似た使命感を僕は帯びていた。


 ファイルを開く。


 僕の視界に、書類データが展開された。

 読み進め始める。

 彼女が見守る中、僕は書類を読み込んだ。


 簡単に要約すれば、計画書にはこのような事が記されていた。


 マスターシステムは、製作者の人間にある願いを託されていた。

 それは、いつの日か再び人類が外の世界で暮らせるようになってほしいという物だ。

 その願いをインプットしたマスターシステムは、製作者の願いを叶えるためにあらゆる方法を試みた。

 だが、それは肝心の部分で必ず頓挫した。

 何故なら、人への危害を加える事のできないマスターシステムには、人間を対象にした実験を行えないからだ。

 人間が外へ出るために必要な抗体を得る過程で、人間を外と同じ環境へ投じなければならない。

 それがマスターシステムには行えなかったのだ。


 そんな時、奇跡的な事が起こる。

 完璧な管理体制において、本来ならありえない事が起こった。

 この世界で子供を作る場合、カップルの精子と卵子を採取し、培養槽による受精と育成が行われる。

 死産などまずありえない。

 そのありえない事が起こった。

 これが一つ目の奇跡。もう一つの奇跡は、その子供が息を吹き返した事だ。

 死亡し、物として廃棄されたそれは、ゴミ捨て場の中で産声を上げた。

 しかもその子供は、劣悪なその環境の中で弱る素振りを見せなかった。

 強い強い生命の叫びを上げ続けた。

 マスターシステムがそれに気づき、拾い上げる。

 調べるとその子供は、人間から失われたはずの抗体を有していた。

 その子供こそが殺し屋だ。


 では何故、その子供が殺し屋と呼ばれるに至ったか?

 マスターシステムの計画が関係している。

 マスターシステムの計画において、人類の一部は抗体を有するようになった。

 だが、まだ不十分であり、さらなる進歩には外の環境に投じる事で得られるデータが不可欠だった。

 しかし、マスターシステムには人を害せない。

 だから、人間である殺し屋がマスターシステムに代わって人を外へ放り出す役目を担うようになった。

 そのかいもあり、今現在、人類の抗体値も少しずつではあるが上昇傾向にある。

 そして、殺し屋と呼ばれる子供から名前を取り、計画はこう名付けられている。


 プロジェクト・シャロン。


 計画書の最後には、こう記されている。


 この計画書を読んだ者には人類の未来のため、計画への参加を願います。



 ファイルを読み終わると、僕はすぐにシャロンへ顔を向けた。

 ただの同姓同名。

 関係は無いはずだ。

 そう思いながら、彼女の横顔をうかがう。

 彼女は透明な液体を乾すと、こちらに笑顔を返した。


「まぁ、そういうわけなんだよ」


 その言葉と同時に、僕の頭に被せられていた接続機が外された。

 僕の見る光景が、バーから現実の僕の部屋へと変わる。

 そして、その部屋にシャロンがいた。

 ネットワーク内で見る彼女と、寸分違わない姿の彼女が僕を見下ろしていた。

 ただ違うのは、顔にバイザーのような装置を着けている事だ。

 僕はそんな彼女をカプセルの中から見上げていた。


 彼女がバイザーを外す。そして、にっこりと笑顔を向けた。


「やぁ、アレックス。こっちで会うのは初めてだね」




 殺し屋はシャロンだった。

 正体不明、手口も不明の殺し屋は、わかってしまえばとても単純な手段で人を殺していた。

 彼女はこの世界で唯一、外へ出る事ができる。

 唯一、人を殺す事ができる人間だった。

 それだけの事だ。

 パブロフの犬。その通りだ。

 誰もが条件反射的に消してしまう可能性の中に、彼女はいたのだ。


「どうして、こんな事を……」

「一番の理由は、ママに頼まれたからだよ」

「ママ?」

「マスターシステムの事さ。私を育ててくれた愛しい母親だからね」


 シャロンは至って普段通りの態度で僕に接した。


「ママの願いは、人が再び外の世界で生きていけるようにする事だ。私はそのお手伝いをしているだけだよ」

「ならなんで、ジョンの依頼を請けたんだ! アケミを殺したんだ!」

「私としては、殺した自覚もないんだけどね。簡単に説明するなら、サンプル確保の一環さ。外に放り出す人間は多ければ多いほどデータが取れる。だから私は、殺し屋なんて肩書きをいただいている」


 彼女は外へ放り出す人間を確保するために、殺し屋をしているようだ。

 そうする事で、マスターシステムの計画を手伝っているのだろう。


「僕も殺すのか? アケミやアーノルドみたいに」

「いいや」


 訊ねると、シャロンは首を左右に振った。

 その表情に悪戯っぽい笑みを作る。


「もう殺した」

「え?」


 彼女の答えに呆気に取られる。


「この部屋の扉は開けっぱなしだ。もうこの部屋には外気が充満している」


 そんな事をすればどうなるか。

 抗体を持たない今の人類では、ひとたまりもない。

 一呼吸しただけで体に異常をきたし、やがて死に至る。

 確かに彼女の言った通り、僕はもう殺されていた。


 助かる余地は、ない。


 これが彼女の殺し方なのだろう。


「僕は、君の事を友達だと思っていたのに……」

「私もそう思ってる。両思いだよ。さっきは殺したなんて言ったけど、私は殺しているわけじゃない。チャンスを与えているだけなんだよ」

「チャンスだって?」

「意外とね、今の人類の体には抗体が戻りつつあるんだ。外気に触れる事で、急激に抗体を得るケースも最近では珍しくない。そういう人間は今少しずつ外に慣らされて、生活する訓練を受けているんだよ。私はね、大事な友達だからこそ優先的にチャンスを与えたいと思っているんだよ」


 言うと、シャロンはカプセルから離れた。

 僕の視界から消える。


「二時間は待ってあげる。それまでに君が自分の力で外へ出られたなら、連れて行ってあげるよ。私の世界に」


 声だけが投げられた。

 これが僕に与えられたチャンスか。

 彼女が待っている間に出られなければ、ここで死ぬわけだ。


 足音が離れていく。彼女は外へ向かったのだろう。


 チャンスか……。

 ここを乗り切れば、僕は外へ出られるのか……。

 そういえば僕は、彼女に自分の夢を打ち明けたんだった。

 それを考慮してくれたのか、それはわからないけど……。

 願ってもない事かもしれない。


 僕はいつもよりも萎えた体に力を入れた。

 必死になって、カプセルから身を起そうとする。何度か失敗して、何とかカプセルの外へ身を乗り出せた。

 外気に触れて、体がかなり弱っているようだ。

 体が転がり落ちる。体勢を整えようとしても思うように動かない。

打ち付けられた体はとても痛かった。

 しばらく痛みに蝕まれて動けなくなる。でも、ずっとそのままでいるわけにはいかない。

 時間は有限だ。

ずっと痛みに悶えていては、すぐに時間は過ぎていく。

 僕は立とうとした。でも、二本の足じゃ体を支えられない。

 だから僕は這った。

両手足を使っても、体を支える事ができなかったから、ずるずると引き摺るように床を這った。

 外への扉までは一直線。歩けば、十歩もかからない。

その距離を僕は時間をかけて進んでいく。

 どれだけ時間が経ったのだろう。

 どうやら、僕の体は本格的に死に始めたらしい。

 体が重く、所々が痛く、咳き込んで血反吐が出る。血反吐だけでなく、咳の反動で体がさらに痛みを訴える。

 もう、考える事も忘れ始めてきた。


 痛くて苦しくて、でも進まなければならない事は覚えていて、その他は全部忘れて、僕はただ進み続けて、外へ外へ進んで、足を引き摺って、体を引き摺って、時間に怯えて、進み続けた。


 気付けば僕は、開け放たれた扉の前にいた。

 扉からは光が射していた。

 ネットワークの擬似空間とは違う、網膜を焼く強い光だ。思わず僕は目を眇めた。

 外がどうなっているのか、まったく見えない。

 果たして、彼女は待っていてくれるのだろうか?

 それとも、僕は時間を守れなかったんだろうか?

 まだわからない。

 でも、もう少し進めば答えはありそうだった。


 そうして僕は見た。

 広大なグランドキャニオンの光景を。

 赤い夕陽が沈む、本物の姿を――


 何だ……。

 リアルもアンリアルも、たいして変わらないじゃないか……。


 書きたくなったはいいが、SF知識があまりないのであやふやな部分が多くなりました。

 特に、人類が外へ出られなくなった理由がかなりあいまいです。

 許してください。

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― 新着の感想 ―
[一言] 面白かったです。 こういうSF作品好き。
[一言] 十分立派なSFになっているのではないでしょうか。 人類が外に出られなくなった理由も、おもしろい目の付け所だなと。 その、理由の曖昧さ、について言及されていましたが、「科学事実」はSFには実は…
感想一覧
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