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青春の岐路(全編)  作者: 松島 圭(本名・成尾五邦)
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 第十五章 神風疾風(続き)   第十六章 青春の岐路

  青春の岐路(九)


  第十五章 神風疾風かみかぜはやて(続き)


              4


 奈月を後ろから羽交い締めにしていた金髪が、乳房を両手でつかみ、お尻に自分のモノを押しつける。

 奈月は、必死に体をよじり、身もだえしながら、何すんのよ! 解放はなしてよ! いや! いや! と、泣き声で叫んでいる。

 剛志の蒼白になった顔がゆがんだ。

 奈月は、パチンコ店で出会った時と違って、地味で清楚な服装をしていた。

 あいつはズベ公なんかじゃない!

 剛志は、対峙していた若者を突き飛ばすと、死に物狂いで駆けた。

 吉井も駆け寄っているのが視野の片隅に入ったが、かまわず、頭を下げて、突進した。

 奈月に抱きついていた金髪が、慌てて体を離し、身構えようとした。

 その顔面に頭突きが決まろうとした瞬間に、後頭部に激しい衝撃を受けて、剛志は意識を失った。

 駆け寄った吉井は、剛志を金属バットで殴りつけた若者を蹴倒しておいて、金髪の横っつらを目がけて、飛び上がるようにして、頭をぶつけていった。

 金髪は、たまらず、横様よこざまに転倒した。

 その後、奈月に近づこうとすると、ひたいから血を流した吉井が襲いかかってくるので、若者たちは手が出せずにいた。

 それも長くはたなかった。

 一人の若者があしに飛びついてきて、両足の自由を奪ったので、吉井は腰から落ちた。たちまち、数人に折り重なるように押さえつけられて、殴られ始めた。

 吉井に抵抗されて、近づくことができなかった若者たちが、奈月の周辺に、ジャッカルのように、群れてきた。

 奈月は、殴られている吉井の方に駆け寄ろうとしながら、あんたたち、許さないよ! こんなことして、タダですむと思ってんの! と、金切り声をあげている。

 奈月は、すぐに、仰向けに引き倒され、三人がかりで押さえつけられた。

 若者たちは、かまわねえから、スッピンにいちまえよ、などと、言いながら、セーターを下着やブラジャーごと首の近くまでまくり上げたので、白い腹部から弾力のありそうな二つの丸い乳房まで、あらわになった。

 奈月は、激しく首を振り、からだをよじりながら、両手を使って、必死にセーターを引き下ろそうとするのだが、すぐに手をつかまれてしまう。

 両手をつかんだ茶髪が、胸の谷間に、顔をこすりつける。

 もう一人の若者が、激しくバタつかせている両脚を押さえつけておいて、奈月のジーンズを引き下ろしにかかる。

 吉井の兄の政博が、公園に駆け込んで来た。

 それと前後して、新井と屋宮も駆け込んできた。

 政博は、奈月が押さえつけられているのを見て、全力で駆けた。

 駆け寄った政博は、一人の若者の後襟首うしろえりくびをつかんで乱暴に引き倒し、もう一人を蹴り離して、蹴倒した。

 政博に続いて駆け寄った新井は、奈月の近くにいた一人を蹴り飛ばし、一人にパンチを見舞い、もう一人にアッパーカットを見舞った。

 屋宮も、その周辺の若者たちに頭突きを喰らわし、蹴倒した。

 若者たちは、精悍せいかんな風貌の政博に加えて、スキンヘッドの暴力団風の大男とゴリラ顔をした髭面ひげづらの巨漢の出現に色を失った。

 攻撃をまぬがれた者も、奈月の周辺から、逃げ散った。

 吉井を押さえつけて、殴っていた連中や、その周囲にいた連中も、新井と屋宮が駆け寄ろうとした途端に逃げ散った。

 新井と屋宮は、逃げ遅れた若者の襟首をつかんでは引きずり倒し、情け容赦なく、蹴倒してまわった。

 政博が奈月の傍に、かがみ込んだ。

 「大丈夫か? 和己の友だちだろう? 遅くなって、すまなかったな」

 奈月は、政博の言葉に、自分を取り戻したらしく、泪目になって、

 「大丈夫です! ありがとうございます!」

 と言うや、すぐさま起き上がって、めくれ上がっていたジャンパーやセーターや脱がされかかっていたズボンを手早く元通りにして、バタバタと身仕舞みじまいを正すと、剛志が倒れている方へ駆け出した。自分のことより、金属バットで殴られて倒れている剛志のことしか頭になかったのだろう。


               5


 吉井政博は、ケータイが鳴り出した時、F市街にある吉井建設の事務所に居残っていた。時計に目をやると、夜の十時をかなり過ぎていた。

 受信ボタンを押して耳に当てた途端に、叫ぶような声が聞こえたかと思うと、激しい衝撃音がして、通話が唐突に切れた。

 耳に残ったのは、暴走族、N町の公園、という断片的な言葉だけだった。

 しかし、政博はすぐに事態を察した。

 ある程度、予測していたことだったからだ。

 政博は、この日、昼過ぎに、この事務所に帰って来た。

 F市内の工事を請け負った時は、いつも、そうしていた。

 主に、仕事の段取りや、同業者や下請け業者との面談や交渉ごとに使っていた。

 この日、そこの応接セットのソファーに、弟の和己が座っていたので、驚いた。和己が事務所ここに来ることはめったにない。

 女性事務員が、決済書類を持って出て来たが、後にしてくれ、と断って、向かい側の肘掛け椅子に腰を下ろしながら、声をかけた。

 「どうしたんだ?」

 「・・・・・」

 「何かあったみたいだな」

 「ちょっとな」

 和己は、生来の意地っ張りの性格もあって、めったなことで兄に泣きついてくるようなことはなかった。

 そんな和己が、この日、昨夜の高塚との出来事を、別れぎわの高塚の捨て台詞ぜりふに至るまで、かなり詳しく話した。

 この時も、政博に何かしてほしいというような意味のことは一言も言わなかったが、梶原らと事を構えることになった時のように、一筋縄ひとすじなわでいかない危険な相手で、万一のことを考えて話しておく気になったのだろう、政博は、そう察して、こう言っておいた。

 「現場の仕事にけじめがついたら、また、ここに帰って来る。おまえも、学校が終わったら、ここに来い。泊まり込むつもりで、待ってるからな。途中で何かあったら、おれのケータイに連絡を入れろ」

 和己が素直に頷いたので、その場は、それで、別れたのだった。

 政博は、事務所近くの駐車場に駐めていた四輪駆動車に飛び乗った。


 竹岡里沙は大学近くの女子学生寮の自室にいた。

 剛志がアパートに無事に帰り着いたら、連絡が入ることになっていた。

 里沙は、外出着のまま、待機していた。

 そこへ、ケータイが鳴り出した。

 吉井のケータイの番号が表示されていた。

 里沙は、受信ボタンを押して、耳に当てた。

 途端に、激しい衝撃音が続いた。

 その後、いくら呼びかけても応答がない。

 交信状態を一旦切っては、何度もリダイアルしてみたが、繋がらない。

 剛志のケータイにも電話を入れてみたが、これも繋がらない。

 激しい胸騒ぎに襲われながら、新井のケータイに電話を入れた。

 新井は、すぐに電話に出た。

 竹岡だけど、と名乗るだけで、用件を言う必要はない。

 「何か、あったんじゃないの?」

 「いや、今のところ、何もない」

 「そんなはずないわよ! 今、吉井君からケータイに電話が入ったんだけど、激しい衝撃音がしただけで、いくら呼びかけても、応答がないのよ」

 「えっ・・・! 途中では、何も・・・実は、見失ってしまってるんだ」

 「まあ! どういうことよ!」

 「放課後、主事室に呼ばれて、明日からのことを打ち合わせてる間に、吉井のやつ、先に走り出ていたんだ。追いつこうと思って走っているうちに、結局、おれたちのアパートに着いてしまった。違う街路みちを走ってるんだろうと思って、後戻りしながら、あちこち探し回ってるところなんだ。見失ってるだけで、別に心配するようなことはないと思ってるんだけど・・・・・・」

 「なに呑気のんきなこと言ってるのよ! あのケータイの様子だと、ただごとだとは思えないわ。きっと何かあったのよ。念のために・・・そこまで考える必要はないかもしれないけど・・・取り敢えず、警察に何か通報が入ってないか、確かめてみた方がいいみたいだわ。私の方で、すぐにそうするけど、あなたたちは、そのまま、見つける努力を続けるしかないわね。今のところ、そうするしかないでしょう? 何かわかったら、また、すぐに連絡し合いましょう。わかって?」

「わかった。面目めんぼくない。とんでもない事態ことになっちまってなきゃいいんだが」

 里沙は、警察に直接問い合わせても、守秘義務を理由に詳しいことは教えてもらえないだろうと思ったので、青木警視の私宅に電話を入れて、在宅していた警視に事情を話した。

 青木和男警視は『絆』の顧問の一人で、警察側の代表責任者だった。

 警視からの折り返しの電話で、それらしい一一〇番通報が入っていて、現場はN町の公園周辺らしいとわかった。

 里沙は、すぐに、新井にしらせた。

 対暴力班のメンバー、船迫士郎、森脇郁夫、寺田聡、藤元直樹、などにも、次々に連絡を入れて、緊急招集をかけた。

 青木警視に改めて電話を入れて確かめてみると、すでに警官隊が出動しているとのことだった。

 里沙は、外へ走り出て、N町の方角へ小走りしながら、タクシーを探した。


              6


 吉井政博が、若者たちを追い散らしながら、公園内を移動し、西寄りの水銀灯の下のあたりに来た時、吉井さん! と、呼ぶ声が聞こえた。

 公園の左寄りの大きなくすのきの木の下に、白い戦闘服姿の長身の若者が立っていた。改造車から最後に降りて来て、木刀を手にして、成り行きを見ていた若者だった。

 政博は、驚いて、目をいた。

 若者の方へ近づきながら、

 「なんだ! 鶴田じゃないか!」

 と、声をかけると、戦闘服が項垂うなだれた。

 この若者は、暴走族集団の総長リーダー・鶴田だった。

 鶴田鉄也は、政博より四つほど年下で、政博が組織した暴走族・神風疾風かみかぜはやての後継リーダーだった。

 鶴田は政博を畏敬いけいしていた。

 少なくとも、そんな思いで、接していた時期があった。

 政博は、とかく問題トラブルを起こすことの多い鶴田の面倒をよくみた。

 鶴田がゲームセンター関係の仕事先で使い込みをして、引っ込みがつかなくなった時、政博は、多額の金を出して、話をつけてやったこともあった。

 日頃の鶴田は、堂々たる体躯の上に頬骨ほおぼねの張り出したいかつい顔が乗っていて、仲間内での存在感は抜群だった。陰惨いんさんな目つきには射すくめるようなすごみがあった。

 「鶴田、神風疾風に入って来た頃、おまえ、いくつだった?」

 「・・・十七、でした。あの頃・・・吉井さんには・・・お世話になりっぱなしで・・・」

 「おまえとはいつでも連絡が取れるようにしておくつもりでいたんだが、いつの頃からか連絡が取れなくなってしまったな。おれを避けてるんじゃないかと思ったもんだから、そのままにしていたんだが・・・なあ、鶴田、おれもエラそうなことを言える経歴がらじゃないが、そろそろ、オトナになったらどうだ?」

 「・・・吉井さんみたいに、会社の重役やくづきにでもなれるようだったら、とっくにやめていたかもしれませんが・・・」

 と、言ったかと思うと、急に、

 「おーい! おまえら、やめろ! やめろ! やめねえと、リンチだ!」

 と、若者たちに向かって、大声で怒鳴り始めた。

 鶴田は、自分たちが襲った相手の中に政博の実弟おとうとがいるとは思わなかったはずだが、少なくとも政博と親密な関係にある者たちだということはわかったようだ。

 鶴田に命令されて、さからう者はいなかった。

 もっとも、政博、新井、屋宮の出現で、ほとんどの連中が、すでに戦意を喪失してしまっていたのだが・・・ 。

 若者たちの中には、動けずにいる者もいた。

 剛志も、うつぶせに倒れたまま、動けなくなっていた。

 後頭部に強い打撃を受けて、脳震盪を起こしているらしかった

 右耳に近い後頭部に、血がにじみ出ていた。

 頭の内部にまで影響が及んでいるかどうかはわからなかった。

 奈月は、吉井の助けを借りて、剛志をそっと仰向けにしてやった。

 奈月が泪顔なみだがおを上げると、吉井も、ひたいの左上のあたりから出血していて、顔の一方が青黒くれ上がっていた。

 奈月は、吉井の額に流れている血を、自分のハンカチで丁寧に拭き取ってやりながら、声を上げて泣いた。

 しゃくりあげている奈月と、額に傷を負った吉井が、剛志の左右に屈み込んで、耳元に、村山君、剛志、と、交互に呼びかけているとき、二人の救急隊員が、担架を持って、駆け込んで来た。

 現場を走り去っていなかったタクシーの運転手が、金属バットで殴られて、倒れて動かなくなった若者を見て、一一九番に緊急通報を入れたのだ。

 新井と屋宮も、若者たちの抵抗がほぼんだので、駆け寄って来た。

 政博も見に来たが、救急隊員に、心肺停止にはなってないと聞いて、一安心ひとあんしんして、鶴田のところへもどって行った。

 政博は、ちょっと気色けしきばんで、改めて、鶴田に言った。

 「鶴田、おまえたちが襲った一人は、おれの弟だ。弟も相当ひどい目にったようだが、弟の親友だちが、金属バットで殴られて、救急車で運ばれることになった。それに、襲った一人は女の子じゃないか。おまえら、たがゆるんでんじゃないのか。なんで、こういうことになったんだ?」

 鶴田は、鉄拳てっけんのテツ、と呼ばれている。

 そのいかつい顔を曇らせて、肩をすくめて、謝った。

 「すんません・・・高塚がおれたちの仲間で・・・」

 「高塚・・・? 高塚! どんな野郎だ?」

 「三年ほど前に入ってきたやつで・・・どはずもんですが、他の組織グループおさえる時に役立つもんだから、おれも甘やかしてしまって、仲間内なかまうちでは、まあ、大きな顔ができるようになってます。やつの鼻が腫れ上がっていて、事情わけを聞いたら、ひどい目に遭わされたってんで・・・やつの話を鵜呑うのみにしちまって・・・」 

 「仲間がやられたら、やり返すのがおれたちの不文律きまりだったからな。そうでなくっちゃあ、組織がたない・・・おれも、久しぶりに須藤を思い出したよ。おれがやつに痛めつけられたと聞いて、おまえがやつを見つけ出して、決着をつけてくれたんだったな。あの時、おまえが須藤のアゴに見舞った見事なアッパーカットは、今でも、覚えてるよ。やつが、のけぞるような恰好で、吹っ飛んだもんな」

 「吉井さんが やつらにだまちされたと聞いて、おれも頭に血がのぼってたんです」

 「須藤は、あの後、どうなったのかな? 知ってるか?」

 「その後も、『迅雷じんらい』のリーダーだったんですが、やつのグループはおれたちがつぶしました。須藤やつもおれに仕返しをしようと付けねらってたんで、改めて、決着をつけることになったんです。結局、リーダー同士のタイマンということになったんですが、おれにコテンパンにのされた須藤は、血だらけの顔で、土下座して、おれに頭を下げました。おれは、やつの頭を蹴りつけて・・・」

 パトカーのサイレンの音が耳を覆いたくなるほど大きくなっていた。

 赤色灯を回転させた五,六台のパトカーと、濃紺のワゴン車が、公園の入り口の周辺に次々に停まった。

 三十人近くの戦闘服姿の警官隊が駆け込んで来た。

 ゴーグル付きのヘルメットをかぶり、強化プラスチック製のたてまで持っている。

 鶴田は、すっかり、観念してしまっているようだった。


           7


 若者たちは、濃紺一色の物々《ものもの》しい武装警官隊が駆け込んで来たのを見て、公園の反対側の入り口に向かって一斉に逃げ出した。反対側の入り口にも、パトカーの赤色灯が回転しているのを見て、公園の中を闇雲やみくもに走りまわり、右往左往し始めた。

 すぐに追いかけられ、追いつめられ、最後まで逃げ回っていた者もタックルされたり、押し倒されたりして、結局、全員、取り押さえられてしまった。

 指揮棒を持った警察官が、五,六人の戦闘服を引き連れて、政博と鶴田が立っている方へ歩いて来た。

 「やあ、マサ、おまえ、まさか、まだ、こんなことやってんじゃないだろうな。吉井建設の常務におさまって、おとなしくしてるとばかり思ってたんだがな」

 戦闘服姿の指揮官は中央署の酒匂秀雄さこうひでお警部だった。

 「弟がこいつらに襲われてると聞いて、駆けつけただけです」

 政博は、酒匂と知って、前置きをはぶいた。

 鶴田は、政博が警官隊の指揮官と親しげに言葉を交わすのを見て、驚いている。

 政博が、極真のマサ、と呼ばれて、神風疾風のリーダーだった頃、酒匂は警部補で、暴走族取り締まりの現場責任者だった。

 政博は、その頃の酒匂に、親身になって、何度も説諭せつゆされたことがある。

 酒匂は、その後、現場を離れていたので、鶴田の顔は知らないようだった。

 酒匂は、鶴田にジロリと鋭い視線を投げてから、政博に顔を向けて、

 「詳しい事情は後で聞かせてもらうが・・・困ったもんだな。取り締まってるつもりだが、まだ、こんな無茶をやりおる。現場責任者が出払っているところへ、大勢おおぜいの暴走族が市街地の中心部で暴れ回っていると通報が入って、急遽、私が指揮をることになったんだが、どうやら、遅れてしまったようだな」

 と、言い訳とも反省ともつかないようなことを言った。

 責任感の強い酒匂らしい言葉だった。

 酒匂は、改めて、鶴田に厳しい顔を向けた。

 「君がリーダーらしいな。名前は?」

 「・・・鶴田、鉄也、です」

 「ほう・・・鉄拳のテツ、と呼ばれてんのは、おまえか」

 酒匂は、鶴田の頭の天辺てっぺんから足の爪先つまさきまで、視線を上下させた。

 「ここが片付いてからということになるが、鶴田おまえは署に連行する。この場所から離れんでいてくれ。政博きみにも、詳しい事情を聴かにゃならん。公園ここから出ないでいてくれ」

 酒匂がそう言っている時、竹岡里沙が、タクシーを降りて、駆け込んで来た。

 公園の入り口の方に顔を向けていた酒匂が、目敏めざとく気づいて、やあ、竹岡さん、と言って、挙手の格好をした。

 酒匂のうしろに控えていた警官たちも、つられて、姿勢を正した。

 政博も、鶴田も、思わず、振り向いた。

 酒匂は『絆』の顧問・青木警視の直属の部下で、『絆』発足後は、交通関係の部署から引き抜かれる形で、警察側の窓口役のような役を任され、警視のわりに、実務的な仕事をしていたので、お互いよく知っていた。

 「お久しぶりです。お世話をかけます」

 駆け寄って来た里沙は、息をはずませながら、そう言って、頭を下げた。

 「ちょうどよかった。実は、ここに到着する前、警察無線ではなくて、私のケータイに、直接、連絡が入りましてね。まだ、現場に着いてないのか、何やってんだ、と怒鳴られました。これが青木警視でしてね。直々《じきじき》に発破はっぱをかけてきたんです。竹岡さんに会ったら、くれぐれもよろしく伝えてくれ、ってね、警視に頼まれてるんです。青木さんも竹岡さんには弱いんですよ、あは、はは・・・」

 酒匂は、笑っているような場合ではなかったはずだが、声を出して笑った。

 里沙は、青木警視や酒匂警部の気遣きづかいはうれしかったが、剛志がどうなっているのか、気が気でない。

 担架が一つ、新井、屋宮、吉井、それに見知らぬ女の子に囲まれて、救急車の方へ運ばれているところだった。

 里沙は、酒匂に、後でゆっくりお話にまいります、とことわると、警官たちや、政博、鶴田に軽く会釈しておいて、担架に向かって駆け出した。

 酒匂は、里沙を目で追っていたが、すぐに政博と鶴田の方に向き直ると、鶴田に向かって、公園ここから出るなよ、逃げる気遣いはないだろうがな、と、改めて、釘を刺した。

 政博にも、この周辺あたりにいてくれ、と念を押した。

 酒匂は、急にいかめしい顔にもどって、多くの捜査服が動き回っている方へ向かいながら、警官たちに指示を始めた。

 「公園内の証拠物件になりそうなものは、位置を特定しておいて、どんな小さな物でも拾ってくれ。金属バットやヌンチャクなどがそこらへんのヤブの中に投げ込んであるかもしれんから、見落とさんように気をつけろ。見つけたら、持ち主を特定しておいてくれ。

 外にめてある単車や改造車も、持ち主に立ち会わせた上で、検分して、特に改造車は、改造個所はもちろん、車内やトランクに積み込んであるものを点検して、武器に類するようなものは見逃さんようにしてくれ。それに、駐車違反だ。違反切符を切っといてくれ。

 それから、主立おもだった者は署に連行する。現場検証が終わっても、全員、身柄を拘束しておいてくれ・・・」

 酒匂が遠ざかると、政博が鶴田に言った。

 「高塚って野郎もケガをしてるようだ。酒匂さんが了解してくれたら、高塚やつをおれの知り合いの病院へ連れて行こうと思ってるんだが、それで、いいか? 治療の必要があったら、責任を持つよ」

 「このおれが吉井さんにいやだなんて言えるはずがないでしょう。高塚は、煮て食うなり、焼いて食うなり、好きなように料理してくださいよ。それに、どうせおれは、留置場泊まりになるでしょう。やつの面倒なんか・・・」

 と、鶴田が言いかけていると、戦闘服姿の警官たちが近づいて来た。

 鶴田は、結局、身柄を拘束された。

 政博も、同行するように言われて、公園の出入口に向かった。

 視線の先には、無数の赤色灯が回転・明滅していた。

 パトカーの数が増えているようだった。

 『絆』の対暴力班のメンバー、船迫士郎、森脇郁夫、寺田聡、藤元直樹、などが、車に分乗して公園に駆けつけてきた時には、もう、騒ぎはおさまっていた。

 

 

  第十六章 青春の岐路


             1


 剛志は、病院の緊急外来に運び込まれた時には、意識が回復していた。

 右後頭部から出血していたが、頭蓋骨や脳内に格別な異常はないと診断された。

 左肩から背中にかけて、赤く腫れ上がった部分が目についたが、日時が経てば、完治する種類のもので、心配するほどのものではないということだった。

 頭から耳にかけて包帯が幾重にも巻かれることにはなったが、救急車に同乗してきた里沙、屋宮の車で後を追ってきた新井、吉井、自分のバイクで駆けつけた奈月・・・みんな、一様に、安堵した。

 吉井も、離れたベッドに寝かされて、手当てを受けた。

 ひたいの左上に、5,6針縫うほどの裂傷を負っていた。顔、腕、脚などにも、内出血の青黒い腫れや出血の跡が見られたが、重傷に類するようなものはなかった。

 奈月は、安心した様子で、病院を後にしていったが、『絆』の三人と知り合いになり、再会を約して別れることになったので、うれしそうだった。

 剛志と吉井は、日付が変わる頃、緊急外来から、五階の病室に移された。

 二人とも、翌日、念のために、精密検査を受けることになっていた。

 剛志の父親の俊之と母親の蓉子が、深夜にもかかわらず、病院に駆けつけて来た。里沙がしらせたのだ。

 剛志は、頭を包帯でぐるぐる巻きにされて、ベッドに横たわっていた。

 病室に入って来た蓉子は、剛志を見るなり、肩を震わせて、泣き出した。

 俊之も、言葉が見つからない様子で、呆然と突っ立っている。

 蓉子も、俊之も、急にけ込んでいるように見えた。

 剛志は、涙が溢れ出そうになって、背中を向けた。

 里沙が俊之と蓉子を廊下に連れ出した。

 十数分ほど経って、蓉子が病室に戻ってきた。

 里沙から、大体の経緯いきさつと、頭の傷はたいしたものではなくて、すぐにでも退院できそうなこと、里沙や新井や屋宮がずっと付き添っていること、など、説明を受けて、落ち着きを取り戻していた。

 一安心ひとあんしんした俊之と蓉子は、深夜の病室に長居してはいけないと判断して、着替えや下着類や洗面道具などを置いて、その夜は、いったん、病院を後にした。

 俊之・蓉子と入れ替わるようにして、政博が病院に入って来た。

 政博は、警察で事情を聴取すると言われて、中央署に行っていたのだ。

 酒匂警部が直々《じきじき》に聴取した。

 事実認定のみの簡単なものだった。

 政博は、後で公園に現れた美貌の女性のことが気になっていたので、酒匂にいた。

 酒匂は、先ず、NPO法人・『いじめバスターズ・絆』の概要ことを話してから、竹岡里沙のことを、この組織を立ち上げたリーダーの一人で、優れた活動家だと言った。

 警察署を出た政博は、竹岡もいるだろうと思って、病院に向かった。

 病院に着いた政博は、夜間の当直に、剛志と和己の病室が五一六号室と聞いて、許可をもらって、五階に上がった。

 新井と屋宮が、病室の外のソファーの背もたれにもたれかかって、仮眠を取っていた。

 竹岡はいなかった。

 眠り込んでいる二人の若者が目を覚まさないように気をつけて、 五一六号室のドアをそっと開けて、中を覗いた。

 明かりは落としてあったが、それほど暗いわけではない。

 剛志も、吉井も、まだ目を覚ましている様子だった。

 政博が中に入ると、頭の白い包帯が目立つ剛志が、慌てて、上半身を起こした。

 博志が、ささやき声で、

 「いいよ。いいから、寝てろよ。・・・痛みはないか?」

 「いいえ、大丈夫です」と、剛志。

 政博は、微笑を浮かべて、うなずいた。

 吉井も、ベッドの上で、上半身を起こした。

 ひたいから髪の生え際の上の方まで包帯を巻いている。

 政博は、和己おとうとには、寝てろ、とは言わずに、小声こごえで話しかけた。

 「睡眠を取らせなきゃいかんところだが、ちょっと訊いておきたいことがあってな。高塚って野郎も、この病院で治療を受けて、同じ階の五一九号室にいるようだ。おれは、いろいろ事情ことが重なって、まだそいつを見てないんだが、丸顔のドングリまなこのやつじゃないか?」

 政博は、吉井が頷くのを見て、そうか、やっぱり、あいつらしいな、とつぶやくと、もういいから、寝ろ、朝寝してもいいからな、と言い残して、病室を出た。

 廊下へ出ると、新井と屋宮はまだ眠り込んでいた。

 竹岡里沙と話をしたいと思っていたのだが、姿が見えない。

 当直の看護師に訊いてみればわかるだろうと思って、当直室の方へ向かおうとした時、里沙が帰って来た。

 政博の方から声をかけた。

「竹岡、さん・・・だろう? あなたのことを酒匂さんに聞いてきた」

「あら! ・・・吉井君の・・・お兄さん、ですよね。すみません。こんなことになってしまって」

 里沙は、丁寧に頭を下げて、謝った。

 深夜まで気遣いを続けていたせいか、化粧っけのない顔が、青ざめて、白っぽく見えたが、それがかえって里沙の美貌を引き立てていた。

 「いや、こちらこそ。弟が迷惑をかけてるらしいんで・・・それに、他にも、いろいろあるようで、あなたに話を聞かせてもらおうと思ってたんだ」

 声をおさえて会話やりとりをしているつもりだったが、針一本落ちても、音が響くような深夜の病院の廊下だ。

 新井と屋宮が目を覚ました。

 二人は、目を覚ました途端に、夜の公園で共に闘った、あの精悍せいかんな男がそこにいたので、びっくりした。さらに、この男が吉井の兄だと知って、二度びっくりすることになった。二人の眠気が完全に吹き飛んだことは言うまでもない。

 今までのことを政博に話す必要があった。

 里沙が主になって、新井、屋宮が補足する形で、剛志が夜間定時制に転学することになった経緯いきさつから、この事件に至るまでの概要ことを、政博がほぼ理解できるところまで、話した。

 「高塚のやつをどうするか、とりあえず、それが問題のようだな・・・あいつが病院ここに入ってからの様子がわからないんだが、呼び出して、話ができるような状態なのかな?」

 と、政博が訊いた。

 「先刻さきほど、担当の医者せんせいに話を聞いたんですけど、それほど気を遣う必要はないだろうということでした。でも、呼び出して話をするのは、明後日あさってにしようと思ってるんですけど・・・」

 「明後日あさって?」

 「あ、ごめんなさい。もう日が変わってるから、明日あしたってことです」

「今日、明日、退院ってわけでもなさそうだから、それでも構わないけど・・・今日の午後じゃいけないの?」

「こちらの準備が不足してるものですから・・・学校や警察を回って、できるだけ情報を集めておこうと思ってるんです」

「なるほど。やつのことをもっとよく知っとく必要があるってわけだな」

 結局、里沙、新井、屋宮が昭栄高校の上之園を訪ねて、学校関係の情報を集め、政博は、改めて中央署に出向いて、酒匂警部から、高塚の罪状に関する警察側の見解と、酒匂の助言を聞いてくることになった。


              2


 高塚を呼び出したのは、結局、乱闘事件の翌々日の午前十時過ぎだった。

 五階病棟の東端にある会議室兼用の娯楽室を使わせてもらうことになった。

 そこは中型テレビや自動販売機などが備え付けてあって、平常は、テレビの前に、折り畳み式の長机が二つほど並べてあって、パイプ椅子が、七つ、八つ、置いてある。部屋の片隅には、折り畳まれたままの長机やパイプ椅子がたくさん寄せてあった。

 新井と屋宮が、平行に並んだ二つの長机の間隔をせばめておいて、椅子を並べ換えていると、薄青の病衣を着た高塚が、中年の女性看護師に先導されて、入って来た。

 看護師は、高塚を招じ入れると、微笑をあいさつわりにして、急ぎ足で出て行った。

 高塚の土気色に見える顔には、さすがに、生気がない。

 剛志の左拳こぶしが当たった鼻とその周辺は、まだ、青黒く腫れ上がっていた。

 二つの長机を中にして、左側にパイプ椅子が一つ、右側に四つ置いてある。

 新井が、左側のパイプ椅子を手で示して、そこに座れ、と命じた。

 スキンヘッドの強面こわもての大男と、ゴリラ顔に髭面ひげづらの巨漢が待ち構えていたのだから、いくら横着者でも、づいたはずだ。高塚は、おどおどした様子で、新井に指示された椅子に座った。

 入り口寄りに立っていた屋宮は、それを見届けると、里沙と政博を呼びに行った。

 しばらくして、屋宮に続いて、里沙が入って来た。

 高塚は、驚いた様子で、美貌でプロポーション抜群の里沙を目で追った。

 少し遅れて、政博が入って来た。

 高塚は、今度は、びっくり仰天して、「常務!」と叫んで、泡を食ったように立ち上がった。急に立ち上がったので、あしふくはぎに勢いよく押されたパイプ椅子がひっくり返って、びっくりするような音をたてた。

 高塚は、なおってない股間に激痛が走ったらしく、そこに手をやりかけたが、椅子を元通りにする方を優先した。それは、高塚の混乱ぶりを、何よりも雄弁に物語っていた。

 高塚は、政博が建設作業中の仕事場に現れると、現場監督の藤尾が急にペコペコし出すのを見ていた。

 藤尾は、上背うわぜいのある筋肉質のたくましい体躯に加えて、腕には入れ墨が見え隠れし、左頬ひだりほおに刃物のものと思われる傷跡きずあとがあった。普通の建設作業員に対する態度や物腰ものごしは紳士的だったが、高塚のような横着な若者が、仕事に遅れたり、サボったり、生意気な態度を見せたりすると、腰や腹を角材やスコップで容赦なく殴りつけた。

 高塚は、二月半ふたつきはんほど前の夏の夜、作業員宿舎で、暴走族仲間と酒盛りをして、騒いでいるところを、不在だと思っていた藤尾に見つかったことがあった。ビールやスナック菓子は、宿舎の冷蔵庫から、無断で持ち出したものだった。

 この時は、両肌もろはだ脱いだ藤尾に殴りつけられた上に、屈強な男たちにからだを押さえつけられて、腕やあしや腹にタバコの火を押しつけられた。泣こうが、わめこうが、火傷やけどしようが、藤尾には通じなかった。

 藤尾から、逃げることもできなかった。

 藤尾は、経歴が経歴だけに、暴走族にも顔がいた。

 その藤尾が、常務、常務、と言って、政博にペコペコしている様子を見ていたので、政博は、高塚にとって、まさに、雲の上の人のような存在だった。

 政博は、机をへだてて、高塚の正面のパイプ椅子に腰を下ろしながら、声をかけた。

 「おっ、高塚君だね」

 「は、はい! な、なんで、常務さんがここに?」

 高塚は、夜の公園に駆け込んで来た強面こわもての男たちの一人が政博だったとは、夢にも思っていない。

 「ちょっとな、きみに話があってな」

 「すみまっしぇん。おとといから仕事を休んでしまいまして・・・」  高塚は、大きな丸い肩をすくめて、的外まとはずれなことを言って、謝った。言葉遣いがまともになっている。

 「そうか。無断で休んだのか?」

 「・・・すみまっしぇん」

 「ま、いい。それは現場で話をつけてくれ。・・・ところで、君がここで治療を受けることになった乱闘事件のことなんだが、君が仲間のやつらと襲った相手がおれの弟だったもんでな。おかげで、入院させてもらってるよ」

 「えっ・・・!」

 高塚は、驚愕きょうがくして、大きく目をいた。

 「騒ぎを起こした張本人が君で、その理由も理不尽だ。おれはきみを許さんつもりだが、このお姉さんが、きみに話があるそうだ・・・ま、座れ」

 政博の左隣には里沙が座っている。

 里沙のさらに左隣の二つの椅子には、新井、屋宮の順に座っている。

 高塚は、ふらつくようにして、座った。

 里沙が語りかけた。

 「高塚君、ずっとあなたと話をしたいと思ってたのよ」

 高塚は、驚きといぶかしさが混在したような顔を里沙に向けた。

 「あなた、昭栄の定時制に入って六年くらいになるそうね。大変だったんじゃないかしら? きつい仕事をしながらだから、尚更なおさらよね。退めたいと思ったことも何度もあったんじゃないかしら?」

 高塚は、困惑しきって、里沙を上目遣いに見ている。

 「高塚君て、ほんとにエライな、と思ってるの。私だけじゃないのよ。ここにいるみんなの感想おもいよ・・・つらいこと、悲しいこと、いろいろあったんじゃないかしら・・・あなたが小学校の二年生の時、ご両親が離婚されて、その後、施設に預けられていたって聞いたわ。幼い頃から、お父さんにひどく虐待されて、施設に何度も預けられていたってこともね。お母さんがどこにいらっしゃるのか、今も、わからないそうね」

 高塚は、驚きを通り越して、ぽかんとした顔になった。

 「いくら辛くても、自分でがんばるしかなかったのよね。そんなあなただから、今からもがんばれるはずだと思ってるの。今は、あなたにとって、一番大切な時期じゃないかしら。だから、学校、退めないでほしいの。村山君や吉井君も、あなたが昭栄にいる間は退めないと言ってるわ。あなたが卒業するまで一緒にがんばるつもりでいるのよ。今の仕事も続けられるように、吉井常務さんにお願いしてあげるわ」

 高塚は、言葉を失って、項垂うなだれている。

 綺麗事きれいごとだけで学校を退めずにいたわけではない。学校に顔を出すと、いつでも、自分にへつらってくる生徒たちがいた。そんな連中に囲まれていると、偉くなったような気がした。学校は、高塚にとって、居心地のよい唯一の場所だったとも言えるのだ。

 政博には、無論、高塚の心の中の動きはわからない。

 ただ、里沙の真意を理解していた。

 「どうなんだ? 君に立ち直る気があれば、今度のことは、水に流してやってもいいんだぞ。君は今度の事件ことの首謀者だ。治療が終わったら、傷害罪や凶器準備集合罪で、警察に連れて行かれるぞ。それに、鉄製のチェーンを振り回して、村山の頭を殴りつけようとしたんだからな。殺意があったと見なされても、文句は言えん状況だ。

 君のチェーンの握り手には、タオルが巻いてあって、輪ゴムで幾重にも留めてあったそうだ。これは、明らかに、計画性を伴った殺人未遂の傷害罪ということになる。君には少年法は適用されんから、起訴されたら、実刑は免れんぞ。おれたちの出方にもよるだろうがな。

 実刑を受けるようなことになれば、取り返しのつかんキズを負うことになる。学校には、無論、おられん。二度と立ち直れんことになるかもしれん。

 君は、どうなってもいいと、自暴自棄じぼうじきになっていたのかもしれんが、もっと自分を大切にしたらどうなんだ。自分を大切にできんような人間が、周囲まわりの人間を大切にしようという気持ちになれるはずがないんだ。君がこうなった事情はわからんでもないが、自分をもっと大切にしろよ。そうでなきゃ、生きていけんぞ。

 君が、暴走族なんかと縁を切って、卒業するまでがんばり抜くという決意をして、それが本物ほんものだと見極みきわめがつけば、吉井建設としても、援助を惜しまんぞ。仕事先や仕事のなかみを考えてやってもいい。余裕を持って授業に間に合うようにな。それに、時間給も・・・」

 政博が、そう言いかけた時、高塚が突然椅子を離れて、土下座した。

 イスラム教徒の礼拝のように、両手を前に伸ばして、頭を勢いよく下げたので、頭が床にぶつかった。

 政博の経歴を考えれば、とても言えるような内容ことではなかったはずだが、政博の頭の中には、この時、高塚に言った通りの考えしかなかった。

 それを、そのまま、言葉くちにした。

 それが、高塚の心の底に、そのまま、届いたのだろう。

 高塚は、肉親にも見放され、可愛がられたことも、大切にされたこともなく、世間から見捨てられて生きてきた。少なくとも、自分では、そう思い込んでいた。逃げ込めたのは、傷をめ合うような関係でしかない、暴走族のような仲間との交際つきあいの中だけだった。

 高塚は、頭を床にこすりつけるようにして、肩を震わせている。

 言葉は出てこない。その代わり、低くれた頭の下に、水溜みずたまりができ始めた。

 大粒の涙を、止めなく、流していたのだ。


                3


 高塚は、結局、調書を取られただけで、起訴されずにすんだ。

 被害を受けた側がそれを強く望み、警察側が『絆』のことよく知っていて、その方針やりかたを容認した結果だろうと思われた。

 鶴田が高塚と『神風疾風』との縁を切ってくれた。

 その後、『神風疾風』が解散したらしいという風聞うわさが流れてきた。

 上原奈月は、コンビニとスナックの掛け持ちを続けていた。

 相変わらず、学校に出て来ない日が多かったが、気にしている様子はなく、剛志と同じ年度の卒業を目指す、そんな意味のことを言ったりしていた。

 奈月にはミステリアスなところが多かった。少なくとも深夜勤務が許される年齢に達していて、経済的に逼迫ひっぱくした家庭事情をかかえている、剛志は、まだ、そんなことしか知らなかった。

 高塚睦夫は、ほとんど毎日、学校に出て来るようになった。

 自分の方から、剛志や吉井に近づいてくるようになっていたので、『絆』がどんなかかわわり方をしているか、高塚の口から直接聞くことができた。週に何回か、K大・相馬研究室に行っているようで、『絆』のメンバーの名前を親しげに口にするようになった。

 高塚が出てきても、怖がる生徒はいなくなった。

 冨田泰之は高塚の変貌を最も喜んでいる一人だ。

 高塚も、冨田と普通に接することがうれしい様子で、冨田に勉強を教わっている微笑ほほえましい光景が珍しくなくなった。

 冨田は、独学で成果の上がる学習ができると思われ、その方が大学受験にも得策とくさくだとわかっているはずなのに、毎日、学校に出て来る。

 学校にいる時間が自分にはとても大切なんだ、というのが冨田の口癖だ。

 冨田の眼鏡の奥の怜悧れいりな目には力があった。

 車椅子の日常は、健常者には想像もできないほど不便で苦痛なことが多いと思われるのに、弱音をかなかった。

 日頃は謙虚な冨田が、将来は身障者の人権や権利を守るような仕事をしたい、と言ったことがある。

 冨田ならできるだろう、剛志は、そう確信している。

 夢や希望や目標を持つことがどんなに大切なことか、剛志は冨田の日常を通して学んでいた。

 高塚には、意外に、剽軽ひょうきんなところがあることがわかった。

 芸能人の物真似が驚くほどうまく、演歌を渋い声で上手に歌うので、定時制恒例のクリスマス前夜祭で、大受けした。

 二月末に、定時制の卒業予餞会が、体育館で開催されることになっていた。

 今年度、昭栄の定時制は、国公立大学に複数の合格者が出て、私立大学にも例年以上に合格し、部活動も、軟式野球部が全国定時制大会で準優勝するなど、活躍が目立っていた。

 予餞会は、毎年、盛大に行われているのだが、今年は、全日制の吹奏楽部、新体操部、それに、名物の応援団が出演することになっていて、それに、女子のチアリーダーが花を添えることになっていた。

 数日前に配布されたプログラムの出演予定者の中に『高塚睦夫』の名があった。剛志は、びっくりして、そのプログラムを新井に見せた。

 予餞会は、休日開催で、午後早めに始まった。

 全日制課程の生徒たちも大勢おおぜい見に来ていた。

 体育館は、両課程の生徒たちや保護者や外来者で、ほぼ埋まった。

 剛志と吉井は、真ん中よりやや左寄りの、ステージに近い席に並んで座っていた

 演目が進んで、高塚がステージに現れた。

 剛志が、大丈夫だろうかと見ていると、高塚は、左手の甲を恥ずかしそうに口に当て、女が身をよじるような仕草をしたので、会場は大笑いになった。

 明らかに、嘲笑気味の笑いだった。

 ところが、得意の物真似を始めると、それが一変した。

 爆笑と拍手が連続し、次に何が飛び出すか、会場に期待感が生まれ、全体の雰囲気を高塚が支配することになった。

 物真似が拍手のうずの中で終わると、今度は、カラオケの伴奏付きで、『マツケンサンバ』を歌った。

 どこから見ても高校生には見えない、重そうで大きな体をすって、軽妙に踊りながら、松平健顔負けの振りや歌い方をしたので、会場が沸いた。

 アンコールの声援や手拍手が鳴りやまない。

 剛志がそんな会場を見回していると、左手の中央出入り口の近くに、里沙、新井、屋宮、二宮がいるのに気づいて、びっくりした。

 四人揃って、アンコールの声援や手拍子の仲間に加わっている。

 高塚は、アンコールにこたえて、ガラリとおもむきを変えて、『おふくろさん』を、森進一ばりに、思い入れたっぷりに歌い上げた。

 場違いな感じの演歌だったが、これが、意外に受けた。

 母親と生き分かれている事情を知っている『絆』の四人は、どんな思いで聞いただろうか。

 定時制と全日制の生徒たちの、アンコール、アンコール、の合唱と手拍子が、また、涌き起こった。

 高塚は、スタンドの上に戻していたマイクを、もう一度外はずしておいて、おもむろに右手に握ると、口元に近づけて、

「もう、なんも言えねえ!」

と、開口一番、金メダルを取った時の北島康介選手そっくりに真似たので、体育館が爆笑と拍手の渦に包まれた。

 高塚は、それが静まるのを待って、顔を紅潮させて、会場に向かって語りかけた。

「えー・・・おほん・・・卒業生のみんな・・・みなさん、おめでとう・・・ございます・・・夜間定時制で、卒業までがんばるのは、いろいろ大変なんだ。全日制ひるまに通ってるヤツらには、わからねえと思うけど、オレたちにはわかるんだ・・・えー・・・オレ、ボクは、いろいろ、みんなに迷惑をかけたりして、嫌われていた。オレがこの学校にいない方がいいと思ってたヤツ・・・ヤツじゃねえや、ヒトもいたでしょう(笑い)・・・でも、オレは、この学校、やめなかった・・・悪かったな・・・じゃねえや、悪うございました(爆笑)・・・ついでに言うけど、卒業するまでオレは、この学校、やめるつもりはない。この学校が好きなんだ。いや、大好きなんだ!(拍手と歓声)・・・勉強も、生まれ変わった気になって、がんばるつもりだ。卒業生のみんな、みなさんのように、立派に卒業する! 残ったみんな、がんばろうな! みんな、卒業しようぜ!」

 高塚がそう言うと、体育館中が、割れるような拍手と歓声に包まれた。

 剛志が『絆』の四人の方に目を向けると、里沙が、ハンカチで、目頭めがしらを押さえている。


 三月が始まる頃には、高塚は、学校で一番の人気者になっていた。

 高塚は本当に変わったのだろうか?

 それは、平凡な日常が長期間続いてみなければ、わからない。

 少年時代から青年期にかけての岐路きろは、いくつもある。

 その行く先は、誰にもわからない。

 村山剛志にしても、吉井和己にしても、それは同じことだ。

 それでも、さまざまな経験をしながら、確実に成長していることだけは確かだった。


                                             【了】


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