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少年と刃  作者: 北川瑞山
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第三章

 私が小学校高学年になる頃、私の一家はまた引っ越しをした。私たちの転居先は北関東の内陸の地であり、またしても田舎町だったが、今度は海が無かった。海の好きな私ではあったが、この地を離れるに際してそれほど後ろ髪を引かれることはなかった。転勤族というのは度重なる転居のせいか、土地に対する愛着というものが薄いらしかった。家族全員揃って、ただ無邪気に新しい土地に対する期待に胸を膨らませていたのである。

 ちなみに港町の方の小学校への最後の登校日、悠一郎は私との離別を泣いて惜しんでくれた。普段快活な少年が涙まで見せたこの惜別に、私は心を動かされた。彼はまるで私を必要としているようであった。犠牲になれなかったこの私を。そう思うと、友情は別れ際になって不自然なまでに感傷を帯びた。私はその時になって劣等感を拭われた気がした。悠一郎と二人で下校する道すがら、潮風に吹かれて目を細めた悠一郎が言った。

「まあ、あれやな。向こうでは明るく頑張りや」

彼の他愛の無い一言が私のそれまでの記憶を駆け巡った。思えば私は彼に頼りっぱなしであった。美しさの天使達は私を犠牲に選ばなかった。代わりに私は彼の犠牲になる事に甘んじていた。つまり私たちの友情は神と世界の相互性、その延長線上の末端において成立していたのである。しかしそれはもはや過去の話であった。未来はそれぞれの目の前に、それは間違いなく私の目の前にも燦然と萌え広がっている様に思えた。かかる相互性を免れて並列の関係になった事で、私たちの友情はその時、既に対等になっていた。

 転校生というと、周囲の雰囲気に馴染めない不器用な印象が付きまとうが、私はその頃既に異文化における処世術と言うべき身の振り方を覚えていた。これは恐らく転勤族の強みであろう。常に明るく、ただし寡黙に、常に周囲の価値観に迎合しつつ、それでいて媚びる様子を見せない絶妙なバランスを保っていた。お陰でひと月もすると、私には数人の友人ができていた。私は自分の意外な器用さに驚いたが、それは同時に私の筋書き通りの展開でもあった。私はその時、自らの価値観の階梯を昇っていた。すなわち家族から始まり、気の置けないクラスの男友達、周囲の大人達、そしてゆくゆくは天使に辿り着き、やがては神の下へと繋がるその階梯を。私はその頃には計算ができる様になっていた。美しさの頂上に辿り着くにも、まずは足元の一歩を踏み出さねばならない。私にとって男友達との友情はその一歩を意味していた。最初の一歩を踏みしめた事に、私は満足していた。ようやく私にも未来が拓けた。そんな気がしていた。

 ところが、壁は厚かった。小学校六年生のある夏の事である。私の友人の一人であった明の家に、私は初めて招かれた。明の家は私の通学路の途中に位置し、道草を食うには丁度良いところにあった。

 明はその名の通り明朗な性格で話しやすく、その上男児の間で当時流行していたテレビゲーム等の娯楽に精通していた為、私たち男児の間では人気者であった。その日も数人の男友達と明の家に遊びにいったのである。ちなみにその中には女児の姿は一人もなかった。明は性格こそ明朗であったが、当時から顔や背中に夥しい数の吹き出物があり、その上脂性で常に顔をてかてかとさせていたせいで、女児には不潔な印象を持たれていたらしい。また明は明でそんな事は一向に意に介さない様子で、何かと自分を疎んじる女児達を軽蔑し返していた。

「女の言う事など一々気にしちゃいられない」

というのが明の口癖であった。私はそんな明の様子を日頃からある種の尊敬の眼差しで見ていた。遥か頭上にいる者達を軽蔑して生きる様子は、反逆の潔さを帯びていた。まるで貧しい者が富める者を軽蔑する様に、身の貴賤よりも高尚な価値を悟っているかの様な謎めいた魅力がそこにはあった。少なくとも当時の私にとっては。だがその日、私の明に対する敬意は悉く裏切られたのである。

 数人の男児達と共に、私は明の家の前に辿り着いた。明は玄関の引き戸を開けると、

「ただいまー」

と家の奥に叫んだ。

「お帰りなさーい」

と、家の奥から母親らしき声がしたので、我々は

「お邪魔しまーす」

と順々に挨拶をし、明に続いて蟻の行列の様に黒いランドセルを光らせて、ぞろぞろと家の中に入っていった。明の部屋は玄関の真向かいにあり、ドアノブに薄汚れたカバーがかけられていた。我々は家の者の顔も見る事なく明の部屋に直行した。そこは海上に口を開けた洞窟の様に暗く湿った、鬱蒼とした空間であった。部屋に入った瞬間、私にまとわり付く饐えた匂いが私の後頭部に悲愴な重みを与えた。

(男の匂いだ!)

私はこの世にも下劣な匂いに同化してしまう事を瞬時に恐れた。布団やら食べ物の屑が乱雑に散らかった部屋の様相が一層その恐怖をかき立てた。まるで見知らぬ土地で迷子になった子供の様に、私は恐怖と不安に打ちのめされた。帰るべき場所から離れていくあの茫漠とした、途方もない恐怖、不安。それは神のいる世界から遠ざかる悪徳から来るものであった。私はその悪徳の中に身を置いた。他の男児達は何も気にする事なくはしゃぎ、ランドセルを放り出すや否や一目散にテレビゲームに食らいついた。私は獣の匂いに耐えながら膝をつき、身を震わせながらそこに端座していたのであった。

 男児達がテレビゲームに飽き始めた頃、明は唐突に言った。

「おうそうだ、お前らに良いものを見せてやるよ」

言うと明は部屋の僅かな足の踏み場を渡る様にして、奥の押し入れを開け、何かをつかみ取ってこちらに戻って来た。

「昨日、兄貴の部屋で見つけたんだ」

明が手にしたものを床に放り投げた。それは数冊の薄汚れた成人向け雑誌であった。表紙には毒々しい色彩に縁取られた女が妖しげな視線をこちらに向けていた。私は勿論、こういった雑誌の存在を既に知っていた。コンビニに行けば店の奥の方に子供の近づけないコーナーがある事は誰に言われるでもなく気付いていた。だがその中身を見たのはそれが初めてであった。

「おいおい、勘弁してくれよ」

と言った男児はそれでも興味津々で一冊を手に取って、食い入る様に眺め始めた。他の男児達も例外無く各々の手で雑誌の頁を開き始めた。我々はそういう年頃に差し掛かっていたのである。しかし私は彼らと同じ様に雑誌の頁を開く事ができなかった。私にその中身を見る権利がある様には思えなかったのである。と言っても、その心情は単に法律上の倫理観から来るものではなかった。私を緊縛していたのは、もっと生物学的な倫理観であった。何の犠牲もなく女性の裸身を見る事は、神の衣装を引っ掴んで剥ぎ取る様な非道の行いの様に思えた。薄暗い部屋には沈黙が流れ、各々が頁を捲る音だけが静かに響いていた。ペラリ、ペラリと熱心に頁が捲られる度に、神の衣装が一枚一枚剥ぎ取られていく様であった。雑誌に視線を落とす彼らは、血走った目で、輪になって祈りを捧げている様に見えた。自らの届かぬ神の世界に。しかしそれは正当な祈りではなかった。彼らは何も捧げる事なく、何も犠牲にせず、ただ美しさの恩恵に肖ることだけを望んでいた。参拝客に混じって賽銭泥棒を働くが如く!私は家族の事を考えた。この悪徳の渦の中にいる私を知ったら、彼らはどう思うか。こんな子供らしい懸念を抱いている私に、明は言った。

「どうした?お前も見ろよ。ほら」

私は薄く埃の積もった雑誌を手渡された。それは小さな私の掌に乗ってしまう程軽かった。悲しい程にコンパクトに集約されてしまった神の姿は、もはや単なる物質であった。私は恐る恐る雑誌を開いた。見ると小さな写真のうちに収められた女性の裸体が、艶かしい光沢をたたえて紙面に印刷されていた。こんな惨めで薄っぺらな紙面に収められた神の姿は、死んだ様に動かなかった。神の標本化。私は気が付いた。明はこの悪行のお陰で、周囲の女児達を軽蔑する事ができたのだ。明はもはや神への階梯を正当に昇る必要などなかったのだ。その狡猾さは貨幣経済という得体の知れぬ力を持つエレベーターに乗って、瞬時にあっけなく頂上にまで到達してしまう、滑稽な程に残酷な社会構造の象徴であった。私はその社会構造を納得しきれなかった。

 しかしそれからというもの、私には妙な習慣が身に付いた。家に置いてある母親の婦人向けのファッション雑誌をこっそりと自室に持ち込み、それを眺めるのである。周りの男児達が成人向けの書物に興味を持ち始める頃、私は婦人服の雑誌に惹かれていた事になる。紙面には美しいモデル達がすらりとした服装に身を包んで微笑をたたえていた。私はその美しさに嫉妬していた。その嫉妬は、少女が自分より美しい少女を見る様な幼い憎しみを帯びていた。美の権化。私はそれを眺める度に想像裡における神の姿を逞しくするのだった。そうする事で私の姉の姿は徐々にではあるが輪郭を現し、その表情が私の心に映える様になってきた。しかし私には明の家で見た様な成人向け雑誌を用いて同じ行為に及ぶ事はできなかった。なぜならあの種の雑誌は自らを犠牲にしておらず、そればかりか神の姿を己の欲望の犠牲とした罰当たりな代物であった。犠牲のないところに崇高さはなかったのである。私が欲していたのは自らの犠牲、すなわち美にひれ伏す己の姿であった。つまり紙面に写る彼女達は上等な衣服を着こなし、気高く振る舞っており、少しも媚びる事のない視線を流しているのに対し、私はただそれを恐れおののいてみる他ない状態。そうしている時にのみ、私は神の神たる姿を垣間見る事ができたのである。

 そんな私の犠牲への憧れは、日常のあらゆる場面で顔を出していた。例えば、私が学校で第二次世界大戦中の日本兵について詳細に学んだときである。戦時中、日本海軍が航空兵への志願者数を全国の旧制中学校に強制的に割り当てた際、十代半ばの中学生達が将来の夢やその後の人生への未練などを断ち切って志願した、所謂志願兵の存在を、私は知った。彼らは紛れもなく己の生命を賭して守るべき崇高な何かを見出していた。それは天皇だったか、国家だったか、あるいは家族、恋人、友人だったか、それとも自分自身であったか、いずれにしてもそれは私の想像の域を出なかった。しかし私は痛切なまでに彼らの意志に共感したものであった。彼らは自らを犠牲にする事で、何物かを崇高ならしめた。その崇高な存在を精神のうちに宿したまま彼らは玉砕していったのである。存在とは精神の存在である事を彼らは知っていた。つまり彼らは自らの崇拝する対象物を、美しい感情を媒体にして精神の形状に反映させ、自らの存在を美しい光をたたえた崇高な存在と成して死んでいったのである。私はセピア色に花弁を散らす彼らを想像する度に、酩酊とも譫妄ともつかぬ心情に揺さぶられた。ただ、学校での教育は必ずしも私の思いに沿うてはいなかった。教師は志願兵達に同情こそするものの、彼らの辿った運命については殊更悲観的な態度をとっていた。彼らは国家エゴイズムの結果として生まれた戦渦に巻き込まれた被害者であり、彼らの死は教育によって心理的操作を受けたばかりに死へと追い込まれた理不尽な死なのだと、教師は強調した。

「彼らが生きていれば、その後の日本にとってどれだけ有益だったか知れない」

と、国家が自らの失策によって逸失した利益についても熱弁した。が、私はその時激しい反感を覚えた。

(国家にとって有益でなければ死んでも良いのか?)

私に言わせれば、そんな考えこそが彼らを追い込んだのだ、という事であった。そもそも彼らは国家ではなく個の為に生き、個の為に死んだに違いない、と私は信じた。犠牲への憧憬、という意味では、その方が私の感性に響くものがあったからである。また、そんな反抗心が却って私を勤勉にした。好奇心よりも反抗心の方が人を勤勉に駆り立てるらしかった。


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