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少年と刃  作者: 北川瑞山
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第一章

 優しさが人を欺く能力だとすれば、私は甚だ優しい人間であったに違いない。それは勿論他人に対しても、それから自分に対しても。他人を欺く事は単なる打算から来る行為であり、特別に高尚な精神を必要としない。対して自分を欺くには、何か自己の存在を超えた純粋な価値を心に宿していなければならない。私の場合、それは姉の存在であった。と言っても私に兄弟は弟しかいない。兄と弟の二人兄弟である。しかしながら、私の心には常に一人の姉がいた。幼い頃より、この姉が夢に出て来ては優しく手を振って私を受け入れてくれた。生涯でただ一人私を励まし、常に見守ってくれていたのはこの姉に他ならなかった。私の半生はこの姉に支配されて過ごした男の喜悲劇であると言える。

 支配されたと言っても、私は姉の全貌を拝めた事がない。それは昼の太陽の様に眩しく、夜の月の様に朧げな儚さの延長に存在した。要するにその姉とは私の観念上の姉に過ぎなかった。

 あれはいつの頃だっただろうか。私が幼少の頃、恐らく幼稚園に通いだす前であったと思われるが、姉は初めて私の夢に姿を現した。姿形は全く思い出せないが、何か大きな建物の窓から身を乗り出し、背中に逆光を浴びながら、真下にいる私に向かって手を振っていたと思う。何故だか知れないが、その姿が私の脳裏に焼き付き、それからというもの私はその姉に恋をしたのだった。私がその女性を何故姉だと判断したか、その理由について客観的証拠は何もない。ただその挙動の澄明さ、あるいは目が覚めたときに肉親との別れとしか思われぬ切なさを感じて、幼少の私は迷う事なく彼女を姉だと信じたのである。

 その頃私は毎日母に手を引かれ、幼稚園に通っていた。同じマンションに住む園児である留美と、その母と大抵一緒だった。私たちの住んでいたマンションは丘の高台に位置し、丘の麓にある幼稚園へは急な坂道を延々と下っていかねばならなかった。欅の葉叢に包まれた長い坂道を下っていくのである。ある晴れた春の日に、生温かい風の中いつもの様に二組の母子が談笑しながら坂を下っていると、留美が突然木漏れ日に身を斑に染めながら走り出し、身を翻して私の前に立ちふさがった。留美は私の足元を指差して言った。

「智君の靴、女の子のやつだ」

屈託のない無邪気な声で、留美は言った。咄嗟に留美の母親が留美を戒めた。

「こら、そんな事言っちゃ駄目でしょ」

私の小さな靴は、母親から買い与えられたものであった。黄色い模様の入ったその靴は、私の目から見れば男物とも女物ともつかぬものであったが、女の子から見れば断然女物であったらしい。事実、同じ指摘を後日他の園児からも受けたから、それは確かに女物であったに違いない。私の母は笑いを絶やさず鷹揚に言った。

「そうよ、だってその方が可愛いじゃないの」

私の母は昔から、世間の尺度よりも自身の美学を重視する人であった。私は母の一言で恥ずかしくなった。いや、恥ずかしい振りをしたのである。私は俯いて

「可愛くなんかないよだ!」

と口を尖らせてみせた。

しかし私の心の奥では、羞恥よりむしろ矜持が生まれていた。自分が少なからず女性に近い位置にいる事の矜持である。私は女性に対して劣等感と、そこから来る憧憬を持っていたのである。

 つまりである。姉の存在は私に神の姿を与えた。私の中で神は常に女性の姿をしていた。「女神」という言葉は私にとって「神」の重複表現に過ぎなかった。その光明は私が本来あるべき姿と、それに似ても似つかぬ自分の下劣さを私に示唆した。私にとって男性とは醜さの具象であり、他ならぬ奴隷の姿そのものであった。もっともこれは性同一性障害の兆候ではなかった。私は明確に自分が男性である事を認識できたし、後々に至るまで女性が好きであった。ただしその「好き」という感情が、普通の男性は性衝動、あるいは愛情から来るものであるのに対し、私の場合女性への憧憬から来ていたという違いがあった。それはともすると他人から同一視されがちな、軽微な違いであったろう。勿論、当時の私はこのように自己の認識を咀嚼していたわけではない。得体の知れぬこの価値観も、当時の私には誰にでもある、ごくありふれた日常と思われた。私は周囲の人間を欺いていたのと同時に、彼らと同じように欺かれていたのである。私の心中の、あの姉に。幸福が幻想に惑う事で成り立つものであるとすれば、この頃の私はまだ幸福であった。

 私の父は厳格な父親で、男はいつも質実剛健でなければならぬと言っていた。そんな父にとって、体の貧弱な私は日ごろから悩みの種であったらしい。休日になると、父は度々私を公園に連れて行き、園内の小径を走らせたり、筋力トレーニングをさせたりした。しかしそんな父の努力もむなしく、私はいつまで経っても腹筋運動一回として出来るようにはならなかった。父はそんな私を励ました。

「まあ、小学校に上がれば大きくなるさ」

今思えば、父の言葉は私ではなく自分を励ます言葉であった。事実、父の言葉は私を励ましはしなかった。私は自分の白く、細く、小さな体を鏡に映して、度々眺めた。そこから湧いてくる感情は恐れであった。

(今に僕は大きくなってしまう!)

私は周囲の大人の男性の様にごつごつと醜い存在になってしまう事を恐れた。あれほど醜い存在は私にはなかった。私にとって全ての男性は将来の自分を連想させる恐ろしい存在であり、そういうこの世の理不尽に対する怒りの対象物であった。

 私は当時、女の子と遊ぶことが多かった。周りの女の子に引け目を感じてはいたが、それでも粗野な男の子たちと遊ぶよりは幾分ましだった。留美やその友人たちに囲まれて過ごす時間は私にとって至福の時間であった。しかしその時間が私を絶望の淵に追い込んでいた事は、その場にいた誰一人忖度しかねたであろう。彼女たちの長く艶やかな髪が私の嫉妬心を刺激し、殊更自らの男性であることを認識させた。私はいずれ彼女たちと袂を分かち、男として生活しなければならない。自分の甲高い声はじきに低くしわがれ、彼女たちとは異質な不快さを帯びることになる。そこには死の瀬戸際にある病人の諦念と後ろめたさがあった。このように彼女たちへの憧憬は私の内部で嫉妬に変わり、やがては劣等感に変質していったのであるが、ともするとそれは自我を忘れて幸福に滑落しかねない劣等感であった。彼女たちの美しさは、私の精神の形状を映し出している鏡面であった。私の精神は彼女たちと同様、いや、彼女たちは自分の美しさを自覚していない様に見える分、精神においては私の方が美しかったと言えよう。つまり絶望の淵は幸福の入り口であり、私はその価値観の倒錯のうちに彼女たちと接していた。彼女たちは畢竟、私の神を育み、華を添えていた!私の自我の血しぶきが谷底へと舞い落ちる度に、その淵には妖しげな華が咲いたのである。

 留美は私を自分と異質な存在として扱ってはいなかった。あくまで男女の違いは演ずる役割の違いとして認識し、その実は同種の人間として私と過ごしていた様であった。

こんな事があった。私はある日、私の自宅で留美と二人きりになった際、テーブルを隔てて座り私と共に絵を描く留美の表情を確かめた。そこに全く警戒の色はなかった。彼女は私の存在を許していた。私は彼女に彼女と同様の人間として扱われることに安堵を感じていた。そして同時に、私はその安息の地の揺るぎなさを自分の目で確かめたい衝動に駆られた。私たちの肉体はある一点を除けば何の違いもないはずであった。つまりその一点を私が受容することが出来れば、私たちは何の躊躇もなく同化出来るように思われたのである。私は無言でテーブルの下に潜り込んだ。テーブルクロスの帳の中で、留美の脚が白く突き出ていた。私は恐る恐るそれに近づき、二本の脚を割って、匂いやかなその中に顔を近づけていった。私はなるべく留美の肌に摩擦を与えないよう、慎重にスカートの中に手を伸ばし、心臓の鼓動が伝わる指先で留美の下着に手をかけた。無論留美が私の行為に気付かないはずはなかったのだが、幼さ故にその行為の意味が分からなかったのか、絶えず私の行為を黙認していた。また私は私で別段罪の意識もなしにその行為に及んでいたのである。しかしそれでも私が留美の下着を太腿まで下すには相当の時間がかかった。そうしてとうとう仄暗い私の視界の中央に留美の、女の秘めたる部位が垣間見えると、私はその丘陵の美しさに心打たれた。私はそっとその丘陵を指先で撫でた。留美は身じろぎもせずに黙って、私にされるがままの状態にあった。まさか私にはその時の留美の心情が理解できようはずもないが、同時に留美にも私の心情が理解できなかったに違いない。何せその頃の私にはまだ肉欲がなかった。肉欲なき男児が女児の秘部に何の用があろうか?それを求める私の心情を何と表現しようか?私はそれまで、女性と言えば母しか知らなかった。母の裸体の形状から、私はそれまで女が単に男性器を持たない、負の種族であると認識していた。しかしそうではなかった。女性には男にはない美しさがあった。私はそれを知った時、つまり留美の秘部を目にした時、決定的な自分との違いを見せつけられた。私が男性を拒んでも、女性になることは出来ないのだ!しかしその観念は私の精神を更に美しくした。なぜなら女性の美しさは肉体的に私の及ぶところではなかったからである。すなわち精神でのみ私は女性に近づくことができたのである。留美は私に生物学的な、私にとっては実に被虐的な美意識を植え付けて私の前から去って行った。


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