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 床から立ち上がり、窓辺に向かう。カーテンがしまったままだった。俺はそれを引き開けて、ベランダ越しの外の景色に向き合った。下にはアパートの駐車場と、それに隣接した駐輪場がある。


「うーん、俺が車かバイクを持ってたら、受け渡しの役に立ったかもしれないけど、電車通勤だったからいらなかったんだよな」


「そうなんだ。不便じゃない?」


 ハク様が俺の背中に問う。俺は夏の光に目を細めて、んーと唸った。


「若干不便だけど、この部屋は駅が近いからあんまり困らないかな。便利な店も徒歩圏内にあるし」


 片田舎のこの町は、車社会である。でも維持費が高いので、金のない俺は諦めていた。車がないと異性からモテないが、それどころではない金欠だから仕方ない。

 それに、職場エリア兼繁華街である早緑駅から二駅の、小さな駅から近いところに住んでいるほうが、俺の生活スタイルに合っている。


「電車がない地域に遊びに行くときなんかは、大体中原の誘いだったから、中原が車出してくれたし」


「中原さん?」


「ああうん、会社員時代の同僚。中原は車持ってたから、たまに乗せてもらってた」


 会社員だった頃は、仕事で営業車に乗っていたから運転自体はできる。中原の誘いで遠くへ遊びにいくときは、中原の車で出かけ、俺と横内も交代で運転したものだった。


「いろんなとこ行ったなあ。観光地とか、景勝地とか。特に名物がない、知らない町を歩いてみたりとか」


 俺は行く先々で、携帯で写真を撮るのが好きだった。友人との思い出の写真として彼らを撮るのではなく、単に風景や建物、見つけた小物なんかを撮っていた。写真を撮っていると、よくSNSに上げるのかと聞かれるが、俺はSNSはやっていない。ただ、自分の中の、行った場所、見たものの記録として撮影しているだけである。

 ハク様が床から俺を見上げている。


「加藤くんの会社員時代の話、初めて聞いた。友達と仲良くやってたんだね」


「会社潰れて離散してからも、連絡取り合ってるよ。昨日も俺の部屋で飲み会した」


「ああ、だからお酒の匂いさせてたんだ」


 こんな日常会話をしていると、身代金の受け渡しだとか、物騒なやりとりを忘れそうになる。ハク様とは昨日であったばかりで、まだ初対面から二十四時間経ってもいないのに、なぜかもう学生時代からの友人のような感覚で会話してしまう。人の懐に入るのが上手い性格なのだろう。いいなあ、営業職に向いていそうだ。


「ハク様は、この誘拐事件を起こす前はなにをしてたんだ?」


「神様。今もだけど」


「あー、そうだっけ」


 このままでは無駄な応酬になる。俺は質問の仕方を変えてみた。


「神様はじめる前は?」


「なにそれ。加藤くんは人間はじめる前、なんだったの?」


 まさかの質問返しに、俺はぎょっとして振り向いた、ハク様は床で膝を抱え、可笑しそうに俺を見ていた。


「神様はずっと、神様だよ」


 打ち解けたと思っているのは、俺のほうだけなのだろうか。ハク様はあけすけによく喋る性分に見えて、自分のことはなかなか明かさない。全部、神様云々ではぐらかす。

 もしかしたらハク様は、本名を含めた正体を他人に明かせない、特別な事情を抱えているのだろうか。失業中の俺よりも、もっと過酷な状況に置かれているのかもしれない。もう、聞かないほうがいいのかもしれないな、と、なんとなく思った。


 再び外に視線を戻し、俺はアパートの駐車場に見えた影に気づいた。見覚えのある、スーツのおじさんが見える。


「うわ! あ、あれ、さっき公園で隣に座ってた人! サンドイッチ食べてたと思ったら、いきなり金属バット持ち出して車をボコりに向かった人だ!」


 見間違えるはずもない。駐車場できょろきょろしている男は、ついさっき公園で見た、あの男だ。床に座っていたハク様も、飛び上がって窓辺に駆けつけてきた。


「マジで? マジじゃん」


「なんだ? もしかして、ここまであとをつけられてたのか」


 すっと血の気が引いた。安息の地であるこのアパートが教団に見つかったとなったら、俺はどこに行けばいいのか。ハク様が真顔になり、壁に背中を預けた。


「つけられてたとは考えにくい。そもそも俺と加藤くん、公園にいたのは見られてたとしても、誘拐犯だと特定されるような振る舞いはなかった。それにつけてたんなら、もうこの部屋まで突入されててもおかしくないのに、あいつは外でふらふらしてる」


「じゃあ違うところから情報が洩れたのかな。携帯の位置情報?」


「当然オフだよ。教団から鬼電されるから電源も切ってるし」


 ハク様は思い出したように、俺に携帯を返した。俺はそれを受け取って、ポケットに突っ込む。


「電話番号は、教団に知られちゃってるんだよな。でも番号から個人の住所を割り出すことはできないはず」


 俺が唸ると、ハク様は頷いた。


「普通ならね。でもさっきも話したとおり、白き自由の教団の信者は、町の至るところで日常生活を送ってる。中には携帯のキャリア会社に勤めていて、不正に客の情報を調べて住所を突き止められる信者もいる」


「それじゃね?」


「それかも」


 数秒の沈黙ののち、俺はがくっと膝から崩れ落ちた。


「住所バレしたー! 完全に詰んだ!」


「でも待って加藤くん、多分あのスーツのおじさん、まだ偵察段階だと思う!」


 ハク様が再び、窓からおじさんの動きを窺った。


「あいつ、さっきから駐車場に置かれてる車を一台ずつ見てる。加藤くんの車を探して、逃げられないようになにか細工したいんだけど、どれが加藤くんのか分かんないんじゃないかな。そもそも加藤くんの車なんてないのに」


 たしかにおじさんは、並んだ車の前をうろうろして、車の様子を見ている。駐車場は、部屋番号に合わせて数字を振られている。だからこの部屋の番号と同じ番号の駐車場が空いているのを見れば、俺の車がないのは一目瞭然のはずなのだが……。


「もしかして、部屋番号まではバレてないのか?」


「加藤くん、携帯の契約するとき、住所欄に部屋番号まで書いた?」


「覚えてない。でも、もしかしたら書かなかったかも」


 ショップで「建物名まででいいですよ」とか言われていたら、多分書かない。

 ハク様の勘は当たったのか、おじさんは車を見つけられず、今度は駐輪場に向かった。俺はバイクも持っていないから、探してもないのに。ハク様がおじさんを眺める。


「でもそのうち他の情報と照らし合わせて、部屋まで特定されるのも時間の問題かもしれないね。どうしようか」


「元はといえば、ハク様が俺の携帯を脅迫電話に使ってるのがいけないんだからな」


「うん、ごめんごめん。謝るけどこうなっちゃった以上取り返しつかないから、今、超絶天才的なリカバリー案を考えてる」


 ハク様の悪びれない態度はもやっとするが、たしかに責めても仕方ないので俺もこれを突っ込むのはやめた。

 ハク様の言うとおりで、一刻も早くリカバリーを考えないといけない。真剣に考えはじめたら、今度は外から怒声が聞こえてきた。


「なんだあ、てめえ。俺のバイクじろじろ見やがって、なにしてやがる」


 これは、日常の中で幾度となく聞いている、隣のヤンキー大学生の声だ。思わず窓から駐輪場を覗き込む。金髪色黒の険しい顔の大学生が、おじさんに詰め寄っているではないか。怖いお兄さんに威圧され、おじさんが萎縮している。


「あ、す、すみません……」


「聞こえねえよ!」


 怒鳴るヤンキーの声がガツンと響いた。俺までびくっと肩を弾ませてしまう。おじさんに迫るヤンキーの腕には、長い黒髪の女性がくっついている。


想汰(そうた)やめなって」


 よく一緒に見かける彼女さんだ。こちらはヤンキー青年とはだいぶ雰囲気が違って大人しそうで、今も威嚇する彼氏を宥めようとしている。彼女に制されてヤンキーが顔を背けた隙に、おじさんは一目散に逃げていった。

 一連の流れを見ていたハク様は、ぱあっと目を輝かせた。


「すごーい! あの子、このアパートの守護神!?」


「一般ヤンキーだよ」


「ヤンキーって頼りになるね! そうだ、ヤンキーは強そうな仲間とつるんでて、ひとりひとりの馬力があるうえに数もいるよね。あのヤンキーくんが味方になってくれたら、教団に襲われても返り討ちにできるかも!」


 ハク様がとんでもないことを思いついた。待て、とハク様のフードを掴んで止めようとしたがもう遅い。フードは俺の手をすり抜け、ハク様の背中はあっという間に玄関へと消えていった。


「こらあハク様! お隣さんに絡むな! 頼むから!」


 玄関のドアが開いた。俺も慌てて追いかけ、外に出る。ヤンキーと黒髪さんとは、アパートの外付け階段で鉢合わせた。ハク様が躊躇いなくヤンキーに手を振る。


「そこのお兄さん! 今、窓から見てたよ! 変なおじさんを追い払ってくれてありがとね!」


「あ? なんだてめえ」


 当然ながら、ヤンキーがハク様を警戒する。さながら肉食獣の眼光で睨まれても、ハク様は怯まない。


「あのおじさん、ずっとあそこうろうろしてて不気味だったんだよ。君が追い払ってくれたからもう来なくなるかも。本当にありがとう」


「あ? ああ……別に、なんか俺の愛車をじろじろ見ててキモかったから、声かけただけだし。つか、てめえ誰だよ」


 ヤンキーのいかつい顔が、ますますいかつくなっていく。俺はハク様の腕を引いて制した。


「すみません! こいつ、こういう性格なんです。気にしないでください」


 一方で、黒髪の女性のほうも、ヤンキーの腕を引っ張って首を横に振っていた。


「想汰、相手の人が怖がっちゃうでしょ。お礼言ってくれてるだけなんだから、そんな怖い顔しちゃだめだよ」


「あ? 生まれつきだし!」


 ヤンキーが牙を剥き出しにする。俺は今度は黒髪さんのほうに謝った。


「すみません。変な絡み方したのはこっちなんで……」


「いえ、こっちこそ失礼しました。ほら想汰、もう行くよ」


 黒髪さんがヤンキーの腕を引き、階段の向こう、俺の部屋のお隣を開ける。俺たちも部屋に戻ろうとして、ふいにコロンと、硬い音がした。ハク様が下を見る。


「あ、やべ」


 俺も振り向いて、ぎょっとした。パーカーのポケットに入れていたご神体が、コロコロ転がって階段を落ちていくではないか。拾いにいくハク様を見下ろし、俺は肩をすくめた。


「それ、大事なものなんだろ。そうしょっちゅう落とすなよ」


「そうなんだよね。落ちにくいように巾着でも買おうかな」


 白い石を摘まんで戻ってくる彼を、俺は部屋の前で待つ。ふと視線を感じて振り組むと、お隣の大学生カップルも、扉の前で固まっていた。


「ん?」


 俺がきょとんとしているうちに、ヤンキーが駆け出した。そしてご神体を持つハク様の手に、大きな両手で掴みかかる。


「そ、それ!」


 流石のハク様も驚いたようだ、大きな目を真ん丸くして、仰け反っている。ヤンキーはハク様の手を握り、顔を近づけた。


「この石、なんて宝石っすか!? めっちゃきれいっす!」

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