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「なんだったんだ、今の。怪我人はいたのかな、大丈夫かな」
俺とハク様は、自宅アパートにとんぼ返りしていた。ここまで全力疾走だったせいで、五分くらい経ってもまだ息が上がっている。
あの武器を持った連中は何者だったのだろう。教団が金を持って現れるのをどこかで知り、車ごと強奪したというのか。
ハク様もぜいぜい息を切らしていた。
「怪我人は、いないと信じたい。あんなにあちこちから湧いてくるんじゃ、全部の動きは追えなかった」
「そうだよな、突然だったし」
「ただ、襲撃してた顔ぶれの中に、少なくともひとり、俺の知ってる顔がいた。本部に何度か来てる、信者だった」
ハク様のその言葉は、一瞬、理解が追いつかなかった。
「え? バンはたしかに教団の車で、間違いなかったよな。金を持ってきたのも、それを襲ったのも、教団の信者なのか?」
「そういうことになる。公園の中は、とっくに見張られてたんだ」
危険人物である誘拐犯と、大切な教祖を接触させないために、受け渡し場所には代理の信者が現れる。そうなれば受け渡し場所や方法は自然と漏れていき、別の信者たちにまで伝わってしまう。
そうして、あの公園は信者たちにマークされた、と。
ぞっとした。俺は平穏な公園の中で、誘拐犯とは疑われない自然な姿で溶け込めている自負を持っていた。でも、欺かれていたのは俺も同じだった。バンに乗ってきた信者以外にもあんなにたくさんの信者が紛れていたのに、全く気がつかなかった。
ベンチで隣に座ったあの善良そうなおじさんも、信者だったわけで。
「教団の信者って、祭礼の動画だと派手な人ばっかだったのに……ああやって自然にしてると、全く分からないものなんだな」
「そうだね。日常で接する一見なんの違和感もない人が、実はカルト宗教に嵌まっているなんてことは、どこでもいつでも起こりうる。特に白き自由の教団は、この頃勢力を伸ばしてるから多いし、さらに本部がある市だからこの辺りは特に多いよ」
ハク様に言われて、認識が変わった。知り合った人が信者かもしれない。親しい友達が、いつの間にか信者になっているかもしれない。自分と変わらないように見えていた人が、自分にはおよそ分からない価値観で神様中心の生活を送っているかもしれないのだ。
あのサンドイッチのおじさんも、あの導入で俺に語り掛け、入信を促そうとしていたのかもしれない。信仰は自由だ。だから当たり前に、いろんな人が自然に日常生活に馴染んでいる。
「そうだとしても、おかしくないか? 公園を見張る信者が紛れてたまでは分かるけど、それなら襲うべきは、誘拐犯である俺たちじゃない?」
誘拐犯が身代金の回収に現れるのを待って潜んでいたのなら納得だけれど、なんで身内を襲ったのだろう。俺は腕を組んで、先ほどの光景を振り返った。
「トランクを持ってきたのも、横取りしたのも信者だったなら……。あれは、金を用意したのに途中で奪われてしまった、と見せかける自作自演か? いやでも、そんなのを誘拐犯に見せたところで、『じゃあしょうがないから三億は諦めるよ』とはならないよな」
仮に自作自演なら、そんな行動をとった理由を考えてみる。俺は床に座って天井を仰いだ。
「シンプルに考えたら、時間稼ぎか。金を用意したと見せかけてわざと失敗し、次の受け渡しの約束を取り付ければ、それまで猶予が延びる」
俺の考えた仮定に、ハク様も暗い顔で頷いた。
「そうかもね。併せて公園を張り込めば、誘拐犯の手がかりも掴めるかもしれない」
「だとしたら、言い換えれば教団は、金を出し渋ったってことだな」
この仮定があたりなら、教祖の対応には失望だ。「神に誓って」と言ったくせに、あの言葉は嘘だったことになるではないか。自分から白珠様の存在を提唱しはじめて、あれだけ熱く語っておいて。こうもあっさり約束を破ったとは。あのまますんなり三億円が手に入ったとしてもそれはそれで拍子抜けだから、三億を取り逃したことはそんなにショックでもない。でも、仮にも宗教団体の教祖が「神に誓って」をこうも安っぽく使った事実には、結構がっかりした。
「三億なんて、やっぱり用意してなかったか。当然だよな。手に入ると思ってるほうが虫が良すぎるか」
額の汗を拭って、反省する。思慮が浅かった。公園の中に配備しておくことくらい、考えなくても思いつく。自信満々なハク様に釣られてしまったのもあるが、なにより自分自身がちゃんと煮詰めなかったせいだ。邪魔が入る可能性を、全然考えてなかった。
ハク様はぱたんと、床にうつ伏せになった。
「失敗した……まさか……こんなはず……」
気をつけの姿勢で真っ直ぐ寝そべって、消え入りそうな声で呟いている。これまでの明るく元気いっぱいで自信に満ち溢れた彼からは想像できない落ち込みようだ。俺はぽんと、フードが垂れた背中を叩いた。
「そう落ち込むなよ。三億なんて、そう簡単に動かせる額じゃない。仕方なかったんだ」
「ううん、かなり本気で凹む。たしかに三億は簡単に動く額じゃない。けど、貯えがあって、持ち出しが物理的に可能なお金と、生きる指針である神様と天秤にかけて、教団はお金を選んだ」
そうだった。ハク様は大金を逃すことではなく、教団が金を出し渋ったことがショックなのだ。
「お金なんてどうだっていい。そんなどうだっていい金に、神様が負けた。俺は自分の賭けに負けた。教団の信仰心が本物なら、三億くらい安いと思ったのに」
どうしてそんなに教団の信仰心にこだわるのかは、分からない。聞いても「俺は神様だから」としか言わないから、本当の理由が分からない。だから、聞くのはやめた。
「でもさ、やっぱり不自然なんだよな。教団はそんな自作自演をするより、誘拐犯を捕まえたほうがてっとり早いじゃないか」
ならず者を確保して、ご神体は無事に保護できて、お金も守れる。
「あの大人数を用意できるなら、三億を用意した素振りで誘拐犯をおびき寄せて、一気に囲んで捕らえればいい。でも教団は、俺が近づくのを待たずに身内に攻撃した」
自作自演以外に、もっと別の意図があっての行動だったのか? 誘拐犯を捕らえる以上にメリットがあるほどの? 俺にはこれ以上思い浮かばない。俺より洞察力があって発想も豊かなハク様は、落ち込むあまり思考停止している。
「とりあえず確実なのは、教団側が……少なくともその一部が、戦う姿勢を見せてきたってことだね」
ハク様のその言葉で、俺は戦う姿勢――武器を手にした信者たちを脳裏に浮かべた。躊躇なく暴力に訴えた彼らを思うと、ぞっとする。とんでもない計画だったのは承知の上だが、あんな恐ろしい光景を目の当たりにすると、腰が引ける。
「ご神体、そっと返しに行くのがいちばんがいいんじゃない?」
提案すると、うつ伏せだったハク様が、顔だけこちらに動かした。げっそり曇った顔を見て、俺は少し早口に付け足した。
「教団は手強そうだぞ。このままじゃ怪我人が出るかもしれない。金はもう諦めて、石を返そう。これ以上事が大きくなる前に、教団の気が収まるまで謝ろうよ」
「甘い」
ハク様は、妙に低い声を出した。そしてむくりと、体を起こす。
「教団が神様を第一にして、素直にお金を捨てるまで、俺はあいつらを許さない。無条件にご神体を返すつもりだけは、さらさらない!」
不満でいっぱいの面持ちで、彼は拳を握った。
「俺はご神体を返す気はないし、教団に捕まって強制的に戻される気もない。教団も、三億をあっさり渡す気がないみたいだ。そうなったら、方針はひとつだね」
ハク様は握った拳を、高く突き上げた。
「教団が金を出すまで、絶対に捕まらない。神様不在の不安を煽りに煽って、観念して金を出すまで脅し続ける!」
「自称とはいえ、神様らしからぬこと言う」
ハク様がようやく立ち直った。床にぺたんと座った姿勢で、考えごとをはじめる。
「次の作戦を考えよう。同じ手段は使えない。今度こそ囲まれるかもしれない。それにあの場にいた人が警察に通報してるだろうから、近隣の警戒が強まる。あの公園はもう使えないな」
「全く別の手段にしないとな」
いつの間にか、俺も乗り気になって考えてしまっている。




