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ハク様はパソコンの画面の端っこに小さく表示された時計を見て、俺に向き直った。
「現在の時刻、九時半。十時には連絡したいかな。さて、受け渡しの日時と場所、どうする?」
「そういうの、決めてなかったのか」
「勢いで思いついた、行き当たりばったりの計画だもん。今からちゃんと練ろう。失敗したら大変だよ、加藤くんは教団から見たら神様を誘拐した不届き者だからね。ひっ捕らえられたら、慰謝料と迷惑料を請求されて、心を洗うためと称して入信させられて、高い献金搾り取られて、変な壷とか買わされちゃうよ」
「踏んだり蹴ったりだ。よく他人を巻き込む気になったな」
ブーイングする俺の肩を、ハク様はぽんと叩いた。
「失敗すればの話だよ。成功しちゃえばいいんだよ。教団に捕まらないためにも、人目につかず、スマートに受け渡しができる作戦を考えなくちゃね」
ああ、計画から降りたいのに、ハク様の押しの強さに流されてしまう。
「現金三億って、結構重い。大体三十キロちょっとある。運ぶならキャスターつきのトランクが理想かな」
「そうだな、抱えて運ぶサイズじゃないな」
「指定した場所に三億入りのトランクを持ってこさせ、トランクを置いたら撤退するように電話で指示。運び手が完全にいなくなったら、そっと回収。そんな感じでどうかな」
ハク様が提案してくるが、現実味のない話のせいで想像が追いつかない。一方ハク様はイメージできているらしく、仮定を膨らませていく。
「深夜に受け渡しをするのが目立たないかな。でもな、暗闇で見通しが悪いと危険かな。運び手の信者が去ったふりをして近くに潜み、トランクを回収しに来た俺と加藤くんを襲い掛かる可能性がある。それならいっそ昼のほうがいいのかな」
「人が多くいれば、教団から見たら誰が誘拐犯か分からなくて、注意を分散できるな。人目につくから教団も俺たちに手荒な真似をしづらいだろうし」
計画から降りたいのに、一緒になってアイディア出しをする。ハク様はなるほどねと頷いた。
「俺たちのどっちかが、受け渡し場所近辺を見渡せる場所について、電話で運び手を誘導する。もう片方は、受け渡し場所の傍で他の人に紛れて待機。一時間ほど敢えてトランクを放置して様子を見て、電話で指示役の指示どおりに運び手が去ったら、待機役が回収する。どうかな?」
「うん、それなら電話で指示してる本人は運び手から見つからず、待機してるほうは自然に風景に溶け込んで、教団の運び手の動向を黙視で確認できる。身代金から目を離すこともない」
俺が頷き、提案した。
「場所、さっきの公園はどうかな。あそこ、昼間ならビジネスマンとか散歩の人とか、今の時期なら夏休みの子供とかで結構賑わうんだ。傍に団地が建ってるから、指示役はその高い階から公園を見渡せる」
「お、いいじゃん!」
ハク様が無邪気に目を輝かせる。
「じゃあ、指示役は俺ね。俺は直線距離百メートルくらい離れた場所からでも、加藤くんが拾ったご神体がはっきり見えたくらいには視力が優れてる。高いところから周辺をチェックする役割が向いてると思う」
「百メートル先から、あんな小さい白い石が見えたのか! 鳥並みの視力だな」
「神様だから。仏教の六神通にもあるじゃん、天眼通。なんでも見えちゃうってやつ。それだよそれ」
テキトーに言って、今度は彼は俺の役割を決めた。
「必然的に、待機役、すなわち回収役は加藤くん。加藤くんはあんま特徴がない『普通の人』っていうか、通行人Bくらいのモブ感があるから、公園を散歩してる人に上手く溶け込める。まさに適材適所だね」
「悪口……? いや、無個性が武器になったんだから喜ぶべきか?」
素直に喜べないが、まあいいとする。ハク様は腕を組み、まとめた。
「加藤くんがトランクを回収するタイミングは、俺が合図を出す」
そう言ってハク様は、ぱさっと、パーカーのフードを被った。
「教団が見張ってる場合はこれね。パーカーのフードを被る。信者が完全にいなくなったら、このフードをはずす。君はそれを確認したら、トランクを回収して」
ハク様が全体をチェックしながら、運び手に電話で指示を出す。俺はなるべく自然に公園を散歩し、トランクが置かれたら、はじめから自分のトランクだったかのような顔をしてしれっと身代金を回収する。回収のタイミングは、ハク様のフードが信号になる。視力のいいハク様が合図を出してくれるなら、確実だ。
誘拐なんて気乗りしなかったはずなのに、作戦会議をしているうちに、なんだかちょっとわくわくしてきた。ハク様もノリノリで、俺の携帯を手に取った。
「そうと決まれば善は急げだ。決行は明日の正午ね!」
「明日! 三億の大金、教団はそんなにすぐに用意できるのか?」
「できるよ。信者から集めた現金での献金が、常に金庫にあるんだから」
困惑する俺に、ハク様は余裕の笑みを見せた。
「こういうのは急なほうがいいんだ。焦らせて、冷静な判断をさせる隙を与えない。信仰心があれば、出し惜しみなんてしないはず」
そういうものなのか。じっくり考える時間はないほうがいいのはもっともだが、あんな石ころひとつのために、本当に教団は、三億を出すのだろうか。ハク様の言うとおり、熱心な信者なら、目の前の金より心の支えたる神様のほうが、三億以上の価値があるのだろうか。
「じゃあ加藤くん。早速教団本部に電話しちゃおう」
ハク様は改めて、俺に携帯を突き出した。
「いつもならこの時間には、もう事務所の人も執務室にいる教祖も自宅に帰っちゃうんだけどさ。今日はなんたって神様が誘拐された日だからね。幹部が集められて会議をしてるんじゃないかな。誘拐犯の次の電話を待ちながらね」
電源は切ったままにしてあるそれを、俺はたじたじで受け取った。
「受け渡し方法の電話、俺がするんだ。さっきの誘拐宣言も明日の指示役もハク様なら、これもハク様がやったほうがいいんじゃない?」
ここで俺が電話したら、声が違うことで、少なくともふたり以上いる誘拐犯グループであると、情報を与えてしまうことになる。というのもあるが、あと、俺自身が単純に、脅迫という行為に怖気づいていた。ハク様は容赦なくかぶりを振る。
「最初の電話は事務員さんが相手だった。でもこの受け渡し指示は、教祖と直に話したい。教祖は純粋な人だから、この状況を誰より焦る」
「教祖を直々に脅したら、たしかに慌てるかも。春代夫人と安東氏の制止をきかないほど慌ててくれれば、身代金は素直に支払われる」
最終決定権を持つ教祖が大慌てで身代金を用意してくれれば、俺とハク様の作戦はより成功に近づく。ハク様はそうそうと頷いた。
「俺の声は教祖には聞かれたくないから、加藤くん、電話お願い」
「なんで? ハク様と教祖は面識があるとか?」
「加藤くんはそういうの気にしなくていいの。いいから早く、早く! わくわくしちゃうよ」
ハク様はマイペースである。俺の疑問など取り合わない。なんだかなとは思うが、ハク様は教祖の身の回りや教団内部にやけに詳しいし、教祖とは電話越しの声でも正体がバレてしまう間柄なのだろう。
ここでいつまでも尻込みしていても前に進めない。俺は腹を括って、携帯の電源を入れた。着信履歴が一気に表示される。俺はバクバクする心臓を押さえながら、かかってきていた教団からの番号に折り返した。
トゥルルルと、呼び出し音が鳴っている。わくわくした顔で見つめてくるハク様を一瞥し、息を深く吸い込んだ、そのときだった。
「はい、白き自由の教団です!」
おじさんの声で、応答があった。俺は吸い込んだ息をぶはっと吐き出した。
「は、ハク……いや、神様を誘か……じゃない、教祖を出せ!」
焦ってしどろもどろになる。こんなダサい脅迫電話、あるのか。電話口のおじさんが、泣きそうな声で応じた。
「わ、私が教祖だ」
「あ、し、失礼しました」
誘拐の脅迫電話なのに、会社員時代の癖で、素の反応をしてしまった。
「教祖自ら電話出るんですね……」
「神様が誘拐されたんだぞ。いてもたってもいられなくて、他の者には電話対応は任せられなかった」
動画で聞いた、教祖の声で間違いない。彼は僅かに声を震わせ、俺に訴えかけてきた。
「君、我が教団から神を誘拐するなんて、なにを考えているんだ。今ならまだ引き返せる。愚かな真似はやめて、ご神体を返しなさい」
案外落ち着いた、冷静な声だった。ハク様の予想では、もっと慌てているはずだったのだが。想像と違う対応にやや怯みつつ、俺はハク様と決めた時間と場所を伝えようとした。
「取引だ。三億円を、ええと」
そこへ教祖は、ゆったり落ち着いた声のまま、俺の言葉に被せてきた。
「白珠様は神聖な神だ。我々を自由に導き、生の日々と死後の世界を司り、充実したものになるよう導いてくださる。君がお金に執着するのもまた我欲。それを認め律し超越した先に、真の自由があるのだ」
まずい。なんか始まった。
「君も教団に入るといい。まず白珠様の価値を三億円などという金銭に重ねた淀んだ心を、白き自由の神の言葉で浄化しようじゃないか。それにはまず祭礼で洗礼を受ける必要があって……」
教祖が勝手に喋る。頭がこんがらがってきた。すでに教祖のペースに吞まれてしまい、要求を告げるタイミングがない。俺は思い切って教祖の語りに割り込んだ。
「明日の午前十一時、市内の噴水公園! 金はトランクに詰めて持ってこい。具体的な置き場所は、当日この電話から指示する!」
一方的に要求をぶつけると、今度は教祖がたじろいだ。
「強引だな。分かった。白珠様がかかっているのだから、三億など安いものだ」
「えっ」
「教団の祭壇から、ご神体がなくなっていた。君のこの電話がいたずらではないことは分かる」
教祖の声が震える。
「神の声を聞く者は、嘘をつかない。白珠様の、神の名に誓う」
「その言葉、絶対に裏切るな」
俺はそう言い残して、電話を切った。同時に、重たいため息と変な汗が出てきた。
「はああ、緊張したあ!」
「おっ疲れ。やるじゃん加藤くん」
ハク様がご機嫌で手を叩く。俺は携帯の電源ボタンを長押しして、再び電源を落とした。
こんなにあっさり承諾してくれるものなのか。教祖はビジネスや建前でなく、本気で神様を信じているのか。なんて純粋なんだ。
ハク様は嬉しそうににこにこしながら、体を揺らしている。
「さすが教祖、話が分かるよね。神と教祖の関係だもんね。こっちが信じてあげることも大切だよね。えへへ、明日、楽しみだなあ」
無邪気に伸びをするハク様は、やはりどう見てもただのひょうきんな若者だ。神様には、とても見えない。ただの若者なら、彼だってお金はあったらあっただけいいのではないか。俺は改めて、確認した。
「ねえ、三億、本当に俺が全部貰っていいのか?」
金もいらないのに、こんなリスクを犯して事件を起こす意味が、俺には分からない。でも。
「いいんだよ。俺は、教団が信仰心の証として三億払うところが見たいだけだから」
いくら尋ねたところで、ハク様はにっこり笑うだけなのだ。
「因みに加藤くん、分かってるとは思うけど、神様誘拐も教団脅迫も、教団からしたらめちゃくちゃ不敬だからね」
にっこり笑ったまま、彼は言った。
「さっき俺、入信させられて壷を買わされるって言ったけど、実際はそんなもんじゃ済まされないよ。捕まったら最後、本部の地下の、懺悔室送り」
「懺悔室……?」
懺悔室。その文字の並びだけでも、ぞわっとした。カルト宗教の地下の、懺悔室。本来の意味での、自分の行いを反省する部屋、という気がしない。
俺の顔が曇るのを見て、ハク様は面白いものでも見るかのように、ニヤリとした。
「そうだよ。過ちを口にすることで、神に許しを請う部屋。幹部の目が行き届かないといけない、特別な場所だからね。これは他の支部にはない、本部だけの秘密の地下室。教団から抜けたい人とか、教団幹部に歯向かった人とか、信者同士の対立で孤立した人とか。そういう人はみーんな、懺悔室行き」
悪魔の笑みでこちらに顔を近づけてくる。俺は顔を引きつらせて仰け反った。青くなる俺を見て、ハク様はますます楽しそうに言う。
「懺悔という言葉を笠に着て、強引にでも非を認めさせる。反省を促すためと理由付けして、物理的にも精神的にも攻撃する。謝っても、逆らえなくなっても、終わらせない。苦痛はいつまで続くと思う? いじめる側が飽きるまで、さ」
「……犯罪じゃん」
「密室で起こってることだよ? 表沙汰にならなければやってないのと同じ。どうだい加藤くん、教団に捕まりたくないでしょ。頑張って全力で逃げ切ろうね」
教団にとって都合の悪い信者を監禁する場所。身内でもその扱いだ。これが神様を誘拐した極悪人であれば、過激な信者がなにをするか、分かったものではない。
俺はぎゅっと膝を抱えた。
「脅迫の電話しちゃったあとに言うなよ!」
「あっははは! 大丈夫、大丈夫! 教団は素直に誘拐犯に従うよ。神様が危険に晒されるかもしれないんだから、誘拐犯を刺激するようなことはしないさ、多分」
ハク様は楽しそうに笑うばかりだった。




