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会社が倒産した。七年間それなりに尽くしてきた、俺の勤め先が倒産した。
マジで神様いねえな、と思った。
真夏の水曜の昼下がり。俺の部屋は日差しと共に、蝉の声がわんわん降り注いできて、異常に蒸し暑かった。四畳半のワンルームのエアコンは壊れ気味で、そのうえ、三十路前後の男が三人集まっているのだから暑苦しいことこの上ない。
会社の倒産は、一週間前のことだ。出社したら入り口が差し押さえられていた。あの絶望を七日も引きずったまま、俺たちはここに集まったのである。
「再就職先、見つかりそう?」
中原圭介が、ビールを片手に聞いてきた。
「因みに俺はまだ。同棲してる彼女の世話になってる」
中原とともに座卓を囲んできた俺と横内敦は、顔を見合わせた。
「ヒモじゃん」
「ヒモだな」
「うるせえよ。ヒモは愛がないと成立しないんだぞ。で、あんたらはどうなの」
中原が強引に話を戻す。横内はまだ突っかかりたそうな顔をしていたが、冷静な性分である彼は頬杖をついて中原の質問に答えた。
「俺は今のところ、駅の中のコンビニでバイトしながら新しいところを探してるって感じだな。短期のバイトに滑り込んでるだけだから、のんびりはしていられない」
「駅のコンビニ……ああ、南口の。営業時代によくお世話になった店だ」
俺は数日前を懐かしんだ。ほんの数日前なのに、あの頃が恋しい。
横内が俺のほうに目をやる。
「加藤は? 仕事、見つかりそう?」
「俺も、まだ……」
はあ、とため息をついて、俺は宙を仰いだ。
俺、こと加藤樹は、七日前まで地元のオフィス用品メーカーで働く二十九歳の会社員だった。市内を車で回る営業職で、特別頑張ってきたわけでもないが、まあ、それなりにやることはやってきたつもりだ。
中原と横内とは、入社当初から切磋琢磨してきた同期だった。今日は兄貴肌な中原の誘いで集まることにしたはいいが、居酒屋や喫茶店に入る金を節約するために、俺のアパートで飲んでいる。
七月末の猛暑日。一週間ぶりに顔を合わせた同僚たちは、痩せたというか、やつれていた。うまくいかない就活も、贅沢できない切り詰めた生活も、前の会社がなんとなくやばい感じはしていたのに見切りを付けられなかった中途半端な自分も。飲んで忘れてしまいたかった。でも、そのための飲酒代すらケチってしまって、買った酒はコンビニで安売りしていた缶ビールをひとり一本だけなのだが。
それでも久々に同僚と飲む酒は美味い。昼間っからはじまったこのチンケな飲み会は、微妙な盛り上がりを見せていた。中原が笑う。
「失業してからも性格が出るなあ。情に訴えるタイプの営業やってた俺は、彼女に情で養ってもらって、効率重視の合理的な仕事ぶりの横内は堅実にバイトしながら次を探す。で、優柔不断な加藤は、迷いながら道を探してる感じで」
「迷いたくなんかないんだけどなあ」
俺は苦笑いで返す。
俺たちは全員同じ営業一課に所属し、それぞれのやり方で営業活動に勤しんでいた。中原はターゲットを決めたらしつこいくらいに営業をかけ、でも嫌味のない性格のおかげで受け入れられ、粘り勝ちで仕事を取る。一方横内は、見込みのない客はあっさり手を引くし、無理な要望はきっぱり断る。だからこそ顧客からの信頼が厚い。
なお俺は、このふたりの中間くらいの、そこそこ融通をきかせつつ妥協もする半端な営業マンをやっていた。
俺は酒をひと口進めて、言った。
「この機会をチャンスと捉えて、心機一転、次は営業以外の仕事に就いてみたいな。なにがいいかな」
現実的には選んでいる余裕はなさそうだが、意図して前向きな言葉を出してみる。横内がへえと珍しそうにこちらを見た。
「営業経験活かしたほうが、再就職しやすそうなのに?」
「向いてないと思うんだ。俺の顔、特徴がないからお客さんに覚えてもらえないんだよ」
「ははは、そういや加藤、いつも悩んでたな。顔も体格も営業トークすらもド平均で、良くも悪くも『普通』でさ。せめて変わった営業スキルでもあれば、個性が出て強みになったかもしんないのに、そういうこともしないし」
俺の深刻な悩みを、中原が笑い飛ばす。俺はうう、と唸って項垂れた。
「奇を衒った行動を取れる性格じゃないんだよ。失敗したときのダメージが怖いから」
他業種にチャレンジしたい気持ちはあっても、この性格だから、結局は安定と安心の経験がある職種を選んでしまいそうな気がする。そもそもまずは、雇ってくれそうな職場を見つけるところからだが……。
なにせ俺は、養ってくれる彼女がいる中原や、バイトで繋いでいる横内よりも、状況が深刻だ。恋人はいないし、バイトも見つかっていない。会社員時代の貯金を切り崩して生活している。その貯金も、もともと少ない。会社が同業他社に負けはじめてから、従業員の給与はカットされ、在職中もカツカツだったのだ。
中原がそうだと手を叩いた。
「早緑駅にある、『ベーカリー・クラリネット』ってパン屋があるだろ。あそこ、金曜日限定セールで驚くほど安くなるから、節約生活の味方だぞ!」
「それは有益な情報」
横内が食いつき、俺も頷く。
「この頃、節約のために安売りのときに買い込んだカップラーメンばっかり食べてる。脱・カップラーメン。たまにはパン屋さんの焼きたてパンも食べたい」
食費を気にしていると、自分の体に必要な栄養素が足りていない実感が湧いてくる。落ち込みやすくなるのは、ビタミン不足の症状と聞く。
中原は酒で赤くなった顔で笑った。
「まあ、そのセールで通路まで大行列になって、折角並んでも買えないこともしばしば。安さに釣られるのは皆同じだな」
「あはは、負けられないな」
俺もなかば開き直って笑った。崖っぷちの俺たちだけではない。世の中皆、不景気を生き抜こうと必死に足掻いている。我々庶民がこんな惨めな思いをしている間も、金持ちは悠々自適に欲しいものを買って食べたいものを食べている。世の中、所詮は金だ。
金稼ぎが上手い人、金持ちの家に生まれて金に苦労しない人もいる中で、俺のようななんも才能にも恵まれず、努力してもいける高さが決まっていて、おまけに運まで悪い奴も存在する。神様はなんのために、こんな格差をつけたのか。なんて、卑屈になって、いもしない神様を責めるくらいには俺は疲弊していた。
薄い壁の向こうから、カンカンと階段を上がってくる音と、若い男女の笑い声が聞こえてくる。隣の部屋の大学生が、彼女を連れて帰ってきたようだ。
隣の大学生は、チンピラみたいな金髪の青年である。ゴリゴリのシルバーのアクセで武装したデカイ男で、アパートの通路で顔を合わせればお互い挨拶はするが、こちとら冴えない無職のアラサーだ。俺は彼についビクッとしてしまうし、向こうは俺を目障りに感じているかもしれない。
酔った横内が床に仰向けになった。
「ああ、誰か楽して稼ぐ方法を教えてくれ」
中原が彼を横目に、存外真面目な声で言った。
「そりゃお前、振興宗教を興して教祖になるんだよ」
「真顔でなに言ってんだ」
中原の冗談に、俺はつい噴き出した。中原もいたずらっぽい顔になる。
「ほら、うちの取引先にもあっただろ『白き自由の教団』」
白き自由の教団――その名前を聞くなり、俺は会社員時代の嫌な思い出が蘇った。
その教団は、ここ数年で妙に名前を聞くようになった宗教団体である。二十年以上前から存在していたが、このところ急速に勢力を伸ばし、各地に支部を置くようになった。その本部は、この市内にある。といっても、平野部から随分離れた山奥にあるのだが。
嫌な思い出というのは、この本部にまつわる記憶である。
「そこ、俺の営業担当だったんだよな……」
俺は思い出すなり頭を抱えた。
教団はもともとは、先輩の客だった。その先輩が会社の経営難を察知して転職して、俺が引き継いだかたちだ。大口の取引先だったから、引き継いだときにはラッキーだとしか感じなかった。
しかし実体は、本部に納品に行くたびカーナビが機能しない山奥に入り、道に迷わされ、そのうえ到着すると本部の事務員に入信を勧誘される。大口の取引先でもおつりが来るほど、対応が億劫な相手であった。
中原がお、と片頬を上げる。
「そうか、加藤の客だったか。あそこ、なんかすげえ金持ってるんだろ?」
「うん。よく知らないけど、信者からの献金でガツガツ稼いでるっぽい」
「怖あ。そういうのに金を出しちゃう人って、どんな人なんだろうな。それとも、よほど信仰したくなるようなありがたい教義なのか?」
中原が面白がる。俺は顧客情報と実際の勧誘で得た中途半端な知識を思い浮かべた。
「なんだっけかな。自由に生きることを目的とした教団、とかなんとか」
「自由に生きる?」
「我欲を認めたうえでそれを律して、己を解放し……なんたらかんたら」
最初にパンフレットを掴まされたとき、話を聞いて、少し意外に感じた。宗教というからには、禁欲を勧めるものだと思い込んでいた俺は、逆に「自由」や「解放」を謳う教団にイメージを覆された。
横内が「そういえば」と思い出した。
「あそこ、はじめは宗教団体じゃなかったらしいぞ。もともとは似たような考えの人たちが集まったサークルみたいなものだったんだけど、『神の信託が下った』とかで宗教法人化したんじゃなかったかな」
言われてみれば、先輩からこの営業先を引き継いだとき、そんな話を聞いたかもしれない。
最初はただの茶飲み友達みたいな集まりだったが、その中にひとり、資産家の家に生まれた正真正銘のお坊ちゃんがおり、その人が会を大きくして、やがて教祖になったらしい。
「よく分かんない世界だな。まあ、取引先でもなければ一生関わらないけど」
俺が平凡な感想を呟くと、中原と横内もこくこくと頷いた。横内が改めて、ビールをひと口飲む。
「宗教を興すのは大変そうだからな、楽して儲けるなら懸賞金なんてどうだ?」
「ああ、指名手配犯の情報を警察に届けたり、捕まえたりするともらえるやつ」
俺は駅に張られていた、情報提供を呼びかけるポスターを思い浮かべた。凶悪犯の逮捕に貢献すると、警察から捜査特別報奨金を貰えるのだ。とはいっても、実際に指名手配犯を偶然見つける機会はそうないから、非現実的な発想である。
横内が今度は俺にアイディアを求めた。
「加藤は? なんかすごい一攫千金の方法、思いついた?」
「えーと……」
地道に働く以外に考えていなかった。一攫千金、か。
俺はかつて観た映画を、頭に浮かべた。
「大富豪の子を誘拐して、身代金を要求する、とか」
「ついに犯罪かよ!」
酔っている中原は、この程度の冗談で大笑いする。
「だいたい加藤に大富豪の宛て、あるのか?」
「ないな」
首都圏からやや外れたこの地域には、大企業はないし、労働者の層も中流家庭がいいところだ。莫大な財産を抱えているような大富豪なんて……それこそ、代々資産家で、なおかつ信者からの金を集めに集めた、白き自由の教団の教祖くらいではないだろうか。
隣の部屋から、大学生の笑い声がした。俺は急に現実に返る。
「地道に仕事探すかあ」
白きなんとかではないが、神様にでも縋りたい気分だ。いや、神様なんていないけれど。いるもんか、神様なんて。
幼い頃から気づいていた。この世に神様なんていない。いるとしたら、俺はとっくに見放されているのだ。




