イギリスやその類似世界のキャラクター(英国貴族など)の呼び方の検討
「周辺情報はどうでもいいので、とにかくキャラクターの呼び方を検討したい!」という方は以下の表に沿ってお進みください。
0. はじめに、そして、基礎知識
0-1. はじめに
近代英国を舞台に女男爵が活躍するミステリー小説を書いている者です。
そのミステリー小説の起源は、私が近代英国文化沼に踏み込んだ20年ほど前(お察しのとおり森薫先生の素晴らしいヴィクトリア朝英国漫画「エマ」がきっかけです)に遡り、根本のアイデア自体は10年ほど前に固まっていました。
そして、最近になって、どうやらネットでは近世から近代ヨーロッパをモデルにした異世界ものが流行っているらしい?と気が付き、それをよりリアルに寄せたらどこまで書けるのか(私の知識も大したものではないのですが……)が気になり執筆し公開に至りました。
作品を公開してみると、意外と当時のリアルなマナーや習慣に興味を持ってくださる方が多いように思いまして、特に目につきやすい割に複雑怪奇な人々の呼称についてまとめると誰かの役に立つのかしらと思いました。
とはいえ、そういった知見をまとめてくださっている方々は世の中に多くいらっしゃるので、ただまとめるだけでは意味がないと思い、主に創作者の方向けに「そのキャラクターをどう呼ばせたいか」という切り口で整理しています。
本稿が何らかの役に立てば幸いです。
0-2. 基礎知識
本稿を読む上での最低限の知識に絞って記載します。
0-2-1. 英国貴族の爵位
英国貴族の爵位は、高位順に、公爵>侯爵>伯爵>子爵>男爵の5つがあります。
「でも、准男爵って聞いたことがあるけれど」?
残念ながら准男爵は貴族の爵位ではないのです。
その格差は呼び方にも表れているので、1-1-1.及び1-1-2.あたりをご確認ください。
0-2-2. 英国貴族の氏名
英国貴族といえど、名前の構成は庶民と同じです。
基本は「ファーストネーム(名)・ミドルネーム・ファミリーネーム(姓)」です。
ただし、ミドルネームがやたら多かったり、姓が二つ以上の姓を繋げて作る複合姓だったりします。
そして、何より、姓とは別に爵位名を名乗ることがあるのがややこしいのです。
姓と爵位名は一致する方が稀で、普通は別です。
例えば、近世から近代頃の英国にロンドン伯爵ジョン・スミスという男性がいた場合の呼ばれ方を簡単に検討します。
まず、家族や親しい友人は「ジョン」と呼びます。
学生時代の同級生は「スミス」と呼ぶかもしれません。
使用人からは「ご主人様」「旦那様」(My Lord、女性なら「お嬢様」「奥様」にあたるMy Lady)と呼ばれるでしょう。
そして、上流階級の社交界では「ロンドン卿」と呼ばれます。
なんて複雑なのでしょう!
以下では主に近世から近代頃の上流階級の社交界での呼ばれ方について検討していますので、それを念頭にお読みください。
1.男性の呼び方
1-1. 「卿」って呼ばせたい!
「卿」は良い選択です。非常に高貴かつ威厳のある響きがあります。
しかし、日本語で「卿」と訳され得る称号には二種類あるのをご存じでしょうか?
一つは、「Lord」、もう一つは「Sir」です。
どちらがあなたの男性キャラクターに合っているか確認してみましょう。
1-1-1. 卿(Lord)
まず、「Lord」です。「Lord」という称号があれば、その方は確実に貴族です。
生まれが貴族なのか後から叙爵されたかは、ストーリー次第ですが、高貴なお方であることは間違いありません。
英語では「Lord XXX」のように、固有名詞に前置する形で使われますが、「XXX」の部分に入る固有名詞には二種類あります。
(a) Lord+爵位名(爵位名+卿)
「Lord」の後に続くのが爵位名なのですね。
おめでとうございます。彼は自分の爵位を持っている可能性が高いです。
具体的には、男爵、子爵、伯爵、侯爵がこのように呼ばれます。
いちいち、「XXX男爵」やら「XXX伯爵」と呼ぶのは面倒なので、上記四つの爵位であれば皆「XXX卿」というわけです。
例えばロンドン伯爵のジョン・スミスという紳士がいた場合、彼は「Lord ロンドン」――つまり、「ロンドン卿」と呼ばれます。
例外?……まあ、あります。
自分の爵位を持っていない場合でも「Lord+爵位名」を名乗ることができる場合があるのです。
英国貴族は様々な経緯から一つの爵位に複数の従属爵位が付いていることがあります。
その従属爵位の中で一番格上の爵位を自分の長男に名乗らせることができます。
なので、「えー、『Lord+爵位名』なのに爵位持ってないの?」と思った方もご安心ください。
いずれは、長男である彼が父の爵位を継ぐことになりますから。
ただし、これができるのは、父が伯爵以上の場合です。
例えば、先ほどのジョン・スミスが保持している「ロンドン伯爵」という爵位にいくつかの従属爵位――仮に「マンチェスター子爵」と「リヴァプール男爵」――があるとします。
すると、ジョン・スミスに長男ウィリアム・スミスがいた場合、ウィリアムは従属爵位の中で一番格上の爵位を名乗ることができます。
これを「名目爵位」や「儀礼称号」と言います。
この例の場合は、「マンチェスター子爵」が該当します。
よってウィリアムは「マンチェスター卿」と呼ばれますが、これは彼自身が爵位を持つことを意味しません。
あくまで名目上の爵位なのです。
ちなみに、英国には稀に自身の爵位を持つ女性(女男爵、女伯爵など)も存在しますが、男性がそのような女性と結婚してもそれだけで何らかの称号を得ることはありません。
王室でも、女王(Queen)と結婚した男性が国王(King)になるわけではないので、それと似ていますね。
(b) Lord+氏名(氏名+卿)
「Lord」に続くのは氏名なのですね。それでも彼は間違いなく高貴な生まれです。
「Lord+氏名」と呼ばれるための基準は非常に厳しいのです。
父親が侯爵以上でなければなりません。
つまり、侯爵の次男以下と公爵の次男以下の男性が名乗ることができます。
……え、長男?
侯爵や公爵の長男はまず「Lord+氏名」にはなりません。
なぜなら、通常、公爵位や侯爵位には従属爵位がありますから、長男は前項で触れた名目爵位を名乗ることができるのです。
ちなみに、この場合の「Lord+氏名」は、基本的に「Lord+名」か「Lord+名+姓」になります。
公爵や侯爵の家に男の子が何人もいると「Lord+姓」だと誰のことかわかりませんからね。
先ほどのジョン・スミスが侯爵の次男であれば、「ジョン卿」または「ジョン・スミス卿」というわけです。
1-1-2. Sir(サー・氏名)
「Lord」の他に「卿」と訳され得るのは「Sir」です。
「Sir」で呼ばれる方は貴族ではありません。
個人的には、彼が貴族なのか平民なのか区別したい場合は、そのまま「サー」と表記するのをお勧めしています。
いずれも「卿」にしてしまうと「Lord」(=貴族)なのか「Sir」(=平民)なのかわかりませんからね。
もちろん、物語上その区別が必須でなければ、どちらにも「卿」を適用しても大丈夫です。
しかし、「Sir」と呼ばれる方は、「Lord」ほど高貴ではないにしても、やはり立派な方には違いありません。
准男爵という称号を持っている場合すらあります。
しかし、称号が「Sir」であることからわかる通り、准男爵は貴族ではないのです。
その証拠に准男爵はそれより上の爵位と違って爵位名に相当する名称がありません。
「XXX男爵」や「XXX伯爵」の「XXX」に当たる部分がないということです。
ただ、准男爵位は世襲可能なので、子々孫々に伝えることはできます。
その他ナイトの男性も「Sir」を冠して呼ばれますが、これは世襲することができません。
「Sir」で注意しなければならないのは、「Sir」の直後には必ず名前が来ることです。
先ほどの、ジョン・スミスが准男爵だった場合、「サー・ジョン」か「サー・ジョン・スミス」はOKですが、「サー・スミス」はNGです。
1-2. いや、「卿」じゃ足りない。もっと上。
上を目指す姿勢が素晴らしいです。
「卿」より上となると、王室のお方でしょうか?
あくまで貴族?
そうすると可能性は一つですね。
彼は公爵です。
公爵より下の爵位、侯爵、伯爵、子爵、男爵の場合は、彼らに呼び掛ける際、いちいち「XXX〇爵」と言わずに、「XXX卿」(Lord XXX)と呼びかけることができます。
しかし、貴族の中でも格段に身分の高い公爵にそのような非礼は許されません。
公爵のことは、必ず「公爵」(Duke)とお呼びしないといけません。
ちなみに、これは公爵と同じ上流階級に属している皆様の場合であり、私のような庶民が公爵に呼びかける場合は「Your Grace」(日本語訳をするとすれば「公爵様」「閣下」あたりでしょうか)とお呼びせねばなりません……。
1-3.まあ、身分は高いけど現時点では別に「卿」以上でなくても良い。
では、彼は「さん」にあたる「ミスター」と呼ばれるということですね。
「なら、彼は確実に庶民ですね!」……というわけではないのです。
伯爵以下の子息で名目爵位を名乗らない方は、貴族の子息でも皆さん「ミスター」です。
一方で、親も含めて何の爵位も持たない家の方でも同じなので、これだけでは彼が男爵家の嫡男なのか、ただの会社事務員なのかの区別はできませんね。
ちなみに、名家のご子息であれば幼少期は「マスター+名前」(Master+名前)で呼ばれることもあります。
男爵のご子息ジョン・スミス(3歳)への呼びかけは、「マスター・ジョン」です。
敢えて訳し出すとすれば「ジョン坊っちゃん」というところでしょうか。
2.女性の呼び方
2-1. 絶対「レディ」じゃないと!
是非「レディ」(Lady)へのこだわりは貫いてください!
「レディ」と呼ばれる彼女はきっと本物の淑女……でしょうか?
「レディ」と呼ばれる方は、その後に置かれるものによって大きく三種類に分けられます。
2-1-1. レディ+爵位名
「レディ」の後に続くのが爵位名であれば、その方は爵位のある男性の妻かご自身で爵位をお持ちの女性です。
つまり、男爵、子爵、伯爵、侯爵の夫人、および、女男爵、女子爵、女伯爵、女侯爵がこのように呼ばれます。
男性の場合と同じで「XXX男爵夫人」やら「XXX伯爵夫人」と呼ぶのは面倒なので、まとめて「レディ」というわけですね。
もちろん、伯爵以上の長男で名目爵位を名乗っている方の夫人も「レディ+名目爵位名」を名乗ることができますよ。
例えばロンドン伯爵夫人のメアリー・スミスというレディの場合は、「レディ・ロンドン」ということになりますね。
ただ、この場合は、爵位のある男性と結婚しさえすれば(いや、それが難しいのよ?)名乗れるので、彼女が生まれながらの淑女かどうかは保証できかねます。
2-1-2. レディ+姓
「サー」の称号を持つ男性の夫人も「レディ」の称号を冠することができます。
ただし、准男爵やナイトに爵位名はないので、姓を続けます。
例えば、准男爵ジョン・スミスの夫人メアリー・スミスは「レディ・スミス」と呼ばれることになります。
注意点は、「サー」の称号を持つ男性は、「サー」の後に必ず下の名前を続けなければなりませんが、彼の夫人は「レディ」の後に姓を置く点です。
よって、上記の准男爵夫妻は、「サー・ジョン・スミス」と「レディ・スミス」夫妻です。
また、女性本人が騎士団に入団し「ナイト」相当の身分になることもあります。
その場合の女性の称号は、騎士団の種別により「レディ」(Lady)、近代以降は「デイム」(Dame)となることもあります。
この場合も「レディ」の冠し方は、上記と同じ「レディ+姓」となります。
ただし、「デイム」の冠し方は、「サー」と同様で、必ず後に下の名前が続きます。
2-1-3. レディ+氏名
なんと、あなたのヒロインは「レディ+氏名」で呼ばれるのですね。
だとすると、彼女は確実に高貴な生まれです。
伯爵以上の方のご令嬢がこれに該当します。
実際に呼ぶときは、「レディ+名」か「レディ+名+姓」となります。
え?男性で「Lord+氏名」は侯爵以上の子息だったのに合っていない?
ええ、その通りです。非対称なのです。
例えば、メアリー・スミスという伯爵令嬢がいれば、彼女は「レディ・メアリー」または「レディ・メアリー・スミス」と呼ばれます。
ちなみに、時代にもよりますが、彼女は無爵の男性と結婚しても変わらず「レディ・メアリー」と名乗ることができます。良かった!
2-2. いやいや、「レディ」より上がいい。
そうすると、彼女は非常に高貴なお姫様です。
王室の一員か、もしくは、公爵夫人/女公爵です。
公爵夫人/女公爵の場合は、公爵の場合と同様に、「レディ+爵位名」で呼ばれることはありません。
あなたが上流階級に属していれば、必ず「公爵夫人」(Duchess)と呼びかけることになります。
庶民の私が呼びかける場合は、やはり「Your Grace」(日本語訳だと「公爵令夫人様」あたりでしょうか)と呼びかけます。
2-3. 「レディ」まではいらないよね?
現段階で「レディ」までは不要ということであれば、①既婚の場合は「ミセス+夫の名+夫の姓」、➁未婚の場合は「ミス+名+姓」が基本です。
ちなみに既婚女性で「ミセス+自身の名+自身の姓」という呼び方は、現代になるまで使われません。
例えば、近代以前にメアリーという名の女性がミスター・ジョン・スミスと結婚すると、彼女は「ミセス・スミス」または「ミセス・ジョン・スミス」と呼ばれます。
「ミセス」の例外としては、使用人の中で上位の地位にある女性は婚姻状況を問わず「ミセス」と呼ばれることがあります。
女性使用人の最上位の家政婦長やキッチンの最高責任者である料理人の女性がこれに該当します。
また、「ミス」については一つ特別なことがあります。
それなりの格の家の未婚の長女は名を省略して「ミス+姓」で呼ばれることができます。
次女以下は「ミス+名+姓」であり、「ミス+姓」にはなりません。長女と紛らわしいですからね。
3.おわりに
さて、あなたのキャラクターにぴったりな呼び方はありましたか?
ちなみに、ここまで見てきたのは、上流社交界での口頭での呼びかけ方なので、手紙の宛名を書く場合などにはまた違ったルールがあります。
それから、王室や聖職者、法曹、医師、軍人の方々にはまた別の呼び方があります。
また、公爵や公爵夫人の解説で少し触れましたが、呼びかける側が上流階級の社交界とは無縁の庶民だとまた呼びかけ方が違ったりするのでご注意ください。
……と最後まで注記が多く心苦しいですが、創作または読書ライフの一助となることを願っております。
■参考文献
君塚直隆(2024)『教養としてのイギリス貴族入門』新潮社
村上リコ(2014)『図説 英国貴族の令嬢』河出書房新社
村上リコ(2017)『図説 英国社交界ガイド』河出書房新社
A Member of the Aristocracy (1916) "Manners and Rules of Good Society or Solecisms to be Avoided" Frederick Warne and Co. and New York (https://www.gutenberg.org/files/33716/33716-h/33716-h.htm)




