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第6話 パスタがないならうどんを打てばいい

「昼は麺がいい」


 去り際に公爵様が残したリクエストは、なかなかの難題だった。この世界にも「パスタ」の原型のようなものはある。

 しかし、それはデロデロに茹で過ぎた短いマカロニか、あるいはボソボソした小麦の塊だ。


 私の理想とする、コシのある麺は存在しない。

 もちろん乾麺なんて便利なストックも屋敷にはない。


「ないなら、作ればいいじゃない」


 私は腕まくりをした。

 目の前には、強力粉と塩、そして水。

 これだけあれば、私が前世で愛した『最強の麺』が作れる。


 そう、うどんだ。

 ボウルで粉と塩水を混ぜ合わせ、そぼろ状にする。それを一つにまとめ、分厚い麻袋の中へ。

 ここからが重要だ。グルテンを鍛え、至高のコシを生み出すための神聖な儀式。


 私はドレスの裾を太ももまでまくり上げ、麻袋の上に足を乗せた。


「ふんっ! ふんっ! 美味しくなーれ!」


 全体重をかけて踏む。

 生地を広げては折りたたみ、また踏む。

 地味な作業だが、これが「もちもち食感」の命なのだ。


「ふんっ! ふんっ! これでも食らえカイル王子! この弾力が私の怒りよ!」


ドスッ、ドスッ。


 静かな屋敷に床を踏み鳴らす音が響く。

 リズムに乗ってきた私は、鼻歌交じりでステップを踏み続けた。


ガチャ。


「……何をしている?」


「ひゃっ!?」


 振り返ると、そこにはジルベール公爵が立っていた。


 予定より三十分も早い。お腹が空きすぎてフライングしてきたらしい。彼は、まくり上げた私の足と足の下にある麻袋を交互に見つめ、氷点下の視線を送ってきた。


「……ついに気が触れたか? それとも、私への当てつけで床を破壊しようと?」


「ち、違います! 料理です! これは神聖な仕込みなんです!」


 私は慌ててスカートを下ろした。


 公爵は眉間のシワを深くする。


「食材を足蹴にする料理など聞いたことがない。……やはり貴様、私に泥を食べさせる気か」


「失礼な! 見ていてください、この『踏まれた生地』がどう化けるか!」


 私は公爵を強引に席へ座らせ、仕上げに取り掛かった。鍛え上げた生地を麺棒で薄く伸ばし、包丁で均等な幅に切る。

 たっぷりのお湯で茹で上げると、半透明に輝く白く美しい麺――うどんの完成だ。


 だが、今回の相手は洋風の舌を持つ公爵様。

 ただの醤油うどんでは芸がない。


 私はフライパンでベーコンをカリカリに炒め、牛乳とチーズ、卵黄を混ぜた特製ソースを用意した。

 茹でたての熱々うどんを、そのソースに投入。

 余熱でとろりと絡め合わせ、仕上げに黒胡椒をガリガリと挽く。


「お待たせしました。『濃厚カルボナーラうどん』です」


「……カルボ、ナーラ?」


 公爵は皿の中で白く輝く麺と、黄金色のソースを怪訝そうに見つめた。


「見た目は……悪くない。だが、足で踏んだものだろう?」


「加熱殺菌済みです! 騙されたと思って、その長い麺をちゅるっとすすってみてください」


 公爵は恐る恐るフォークで麺を巻き取り、口へと運んだ。 


チュルッ。


 唇を滑る、絹のような滑らかさ。

 そして、噛んだ瞬間。


「――――ッ!?」


 公爵の動きがピタリと止まった。


「……弾む?」


 ボソボソでもデロデロでもない。

 歯を押し返すような、強い弾力。

 噛み締めれば、小麦の甘みとチーズのコクが口いっぱいに広がる。


「なんだこの食感は……! 生きているかのように口の中で暴れるぞ!?」


「それが『コシ』です、閣下」


「コシ……。素晴らしい……!」


 公爵の目が輝いた。

 彼はフォークを回す手つきを早め、次々と麺を口に放り込む。ズルズル、という音は貴族のマナー違反だが、この際どうでもいい。

 濃厚なクリームソースが太めの麺によく絡み、ベーコンの塩気がアクセントになって止まらないようだ。


「美味い。この弾力、癖になる」


「でしょう? 私が心を込めて踏みつけた甲斐がありました」


「……ふむ」


 公爵は麺を咀嚼しながら、少しだけ意地悪な笑みを浮かべた。


「君に踏まれるのも、悪くない味だということか」

 

「ぶっ!!」


 私は吹き出した。

 なんて誤解を招くセリフを吐くんですか、このイケメンは!


「冗談だ。……レティシア」 


 完食した公爵は、ナプキンで口を拭いながら真剣な表情になった。 


「君の料理は、私の知る常識をすべて覆してくる。……悔しいが、もはや君の飯なしでは生きていけない体になりつつあるようだ」


「それはどうも」


「そこでだ。……専属契約の話をしたい」


「えっ?」


 公爵は、どこから取り出したのか、羊皮紙の束をテーブルに置いた。


「私の専属料理人になれ。給金は望むだけ払う。衣食住も保証する。……どうだ?」


 破格の条件だ。

 追放された身としては、これ以上ない就職先である。けれど、私の視線は、羊皮紙の端に書かれた小さな文字に吸い寄せられた。


『契約期間:生涯』

『備考:公爵はレティシアをあらゆる外敵から守護し、妻として……(以下略)』


ん? なんか「妻」って見えたような?


「あの、閣下? ここ、文字が滲んでて読めないんですけど」


「気のせいだ。ただの雇用契約書だ。サインしろ」


 公爵が視線を逸らした。

 耳が真っ赤だ。


(……あ、これ。料理人契約に見せかけた、事実上のプロポーズだ)


 恋愛偏差値2の私でも、さすがに気づいた。

 気づいてしまったが――。


「まあ、美味しい食材が手に入るなら、どこにでもサインしますよ!」


「……そうか」


 私は食欲に負け、内容をよく読まずにサインペンを走らせようとした。


 その時、屋敷の外から、けたたましい馬のいななきが聞こえた。


「おーい! 生きてるかー!? レティシアお嬢様ー!!」


 この声は……?


「チッ、邪魔が入ったか」


 公爵が舌打ちをし、一瞬にして「氷の魔公爵」の顔に戻った。

私の平穏な餌付け生活に新たな乱入者が現れようとしていた。

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