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第3話 深夜の訪問者と肉汁ハンバーグ

 厨房にリズミカルな音が響き渡る。


ダンダンダンッ!


 オーク肉を包丁で叩き切る音だ。


「これでっ! 終わりじゃあっ!!」


 私は気合一発、最後の肉塊をミンチ状にした。

この世界の常識では、オーク肉は「硬くて臭い」のが当たり前。

 でも、細かく刻んで繊維を断ち切り、さらに玉ねぎの酵素と混ぜ合わせれば、驚くほど柔らかくなるのだ。


「ふふ、石のように硬い黒パンも、おろし金で削れば極上の『パン粉』になるし……」


 ボウルの中で、ひき肉、飴色になるまで炒めた玉ねぎ、削ったパン粉、そして卵を混ぜ合わせる。塩と棚の奥に見つけた香草を加えて粘り気が出るまでこねる。


「美味しくなーれ、美味しくなーれ……ついでに元婚約者の不幸も訪れろー」


 呪詛を混ぜ込みながら、手のひらでパンパンと空気を抜いて成形する。熱したフライパンにラード代わりのオークの背脂を落とし、いざ投入。


――ジュウウウゥゥゥッ!!


 厨房に暴力的なまでに食欲をそそる音が弾けた。


「あぁ……いい音……」


 表面を強火で焼き固め、肉汁を中に閉じ込める。

 ひっくり返すと、こんがりとしたキツネ色の焼き目。そこへ、先ほどの『完熟トマト』を潰して作った特製ソースと、少しの赤ワインを投入して蓋をする。


 蒸し焼きにすること数分。

 立ち上る湯気と共に甘酸っぱいトマトと焦げた肉の香りが換気窓から夜の森へと流れ出していく。


「完成……!」


 皿に盛り付けたのは、拳二つ分はある特大ハンバーグ。

 ナイフを入れると、ふっくらとした弾力と共に透明な肉汁がドワッと溢れ出した。赤いトマトソースと混ざり合い、黄金色の輝きを放っている。


「いただきます!」


 フォークを突き刺し、口に運ぼうとした――その時だった。


ガタッ。


 背後の勝手口で何かが倒れる音がした。


「……!」


 野犬? それとも魔獣?


 ここは魔物が闊歩する辺境だ。肉の匂いに釣られて熊でも出たのかもしれない。


 私は身構え、護身用のフライパンを握りしめて振り返った。

 そこに立っていたのは熊ではなかった。


 熊よりも、もっと恐ろしい存在だったのだ。


 闇夜に溶けるような漆黒の髪。

 彫刻のように整っているが血の気のない青白い肌。そして獲物を射抜くような鋭く光るアイスブルーの瞳。


「…………」


 男は無言で立っていた。

 その全身から放たれるプレッシャーだけで肌がビリビリと痺れる。


 間違いない。

 この領地の主であり、逆らう者を氷像に変えると噂される『氷の魔公爵』――ジルベール・フォン・ヴァルシュタインだ。


(終わった……。初日にして処刑エンド?)


 追放された罪人が勝手に備蓄庫の食材を使ったのだ。


「泥棒猫め」と氷漬けにされても文句は言えない。


 私はガタガタと震えながら、命乞いの言葉を探した。


「あ、あの……閣下、これはその……」


 しかし、公爵は動かない。

 その視線は、私の顔ではなく手元の皿に釘付けになっていた。


「……なんだ」


 低く地を這うような声が響く。


「その、暴力的な匂いのする物体は……なんだ……」


「は、はい?」


 よく見ると公爵の顔色は悪い。というか、頬がこけている。そして、その凶悪なほど鋭い目つきは殺意というよりも……もっと切実な何かを訴えているような?


グゥゥゥゥゥゥゥゥゥ……。


 静まり返った厨房に雷鳴のような音が轟いた。


 私の腹の虫ではない。

 目の前の魔公爵様の腹の虫だ。


「……」


「……」


 気まずい沈黙。

 公爵は青白い顔を少し赤らめ、咳払いをした。


「……職務で近くを通ったら、異様な匂いがしたものでな。毒物を精製しているのかと思い、検分に来た」


 嘘だ。

 本邸とここ歩いたら20分はかかる距離だぞ。


 わざわざ匂いに釣られて歩いて来たのか、この人。


 私はピンときた。

 噂では「冷酷無慈悲」と言われているが目の前の彼はどう見ても「空腹で行き倒れ寸前」だ。


 なら、取るべき行動は一つ。


 私はフライパンを下ろし、ニッコリと営業用の笑みを浮かべた。


「毒物検査、ですね? でしたら、どうぞこちらへ。ちょうど毒味をしようとしていたところなんです」


 私は焼きたてのハンバーグを公爵の目の前に差し出した。


「一口、いかがですか?」


 これが私の運命――そして公爵の胃袋を狂わせる契約の始まりだった。

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