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第19話 愛妻風たまご粥

「……起きませんね」


「起きないわね」


 朝の光が差し込む寝室。

 私と執事長は、ベッドの上で泥のように眠るジルベール様を見下ろしていた。普段なら夜明け前には起きて剣の素振りをしている彼が、今日は昼近くになってもピクリとも動かない。

 頬は林檎のように赤く、荒い息を吐いている。


「うぅ……寒い……いや、暑い……」


 彼がうわ言を漏らしながら寝返りを打つ。

 おでこに手を当てると、火傷しそうなほどの高熱だった。


「大変です! 『氷の魔公爵』様が溶けてしまわれます!」


 執事長がパニックになっている。

 原因は明白だ。昨夜の仲直りの後、興奮冷めやらぬ彼は薄着のままバルコニーで月を見ながら「妻が可愛すぎる」と一時間ほど独り言を呟いていたらしい。

 自業自得の湯冷めである。


「ん……レティシア……?」


 重い瞼を開けたジルベール様が、私を見て手を伸ばした。


「すまない……今日は休むわけには……会議が……」


 フラフラと起き上がろうとするが、すぐにバランスを崩して枕に沈む。


「ダメです。今日はお休みしてください。会議なんて、私がマヨネーズを賄賂に送れば延期できますから」


「だが……君に、朝食を作ってやれない……」


「まだ言ってるんですか。今は自分の体の心配をしてください」


 私は彼を布団に押し戻し、キリッと宣言した。


「私が『特効薬』を作ってきます。それを食べて、大人しく寝ていてくださいね」


   ◇


 厨房に入ると、私は腕まくりをした。

 弱った胃腸に消化の悪いステーキは厳禁だ。

 かといって、ただの白粥では栄養が足りないし、何より食いしん坊の彼が満足しないだろう。


「ここは、王道の『たまご粥』でいきましょう」


 まずは土鍋に、昨日の夕食で使った鶏肉の残りから取った『鶏ガラスープ』を入れる。

 そこに洗ったお米を投入。

 強火で沸騰させたら、弱火にしてコトコト煮込む。ポイントは、お米の形が崩れて「花が咲く」までじっくり煮ること。そうすることで、デンプンが溶け出し、とろりとした優しい口当たりになる。


「味付けは、塩と……隠し味に『生姜の絞り汁』を少し」


 生姜の力で体を芯から温めるのだ。

 そして、ここからがメインイベント。

 ボウルで溶いた卵を煮立ったお粥の中に高い位置から細く垂らし入れる。

 菜箸でゆっくりと円を描くように混ぜる。


――ふわぁっ。


 透明なスープの中で黄色い卵が花びらのように広がり、ふんわりと固まっていく。


「よし、完璧な『とき卵』!」


 火を止め、彩りに刻んだ小ネギをパラリ。


 土鍋の蓋をして蒸らせば完成だ。


   ◇ 


「……お待たせしました」


 寝室に戻ると、ジルベール様はまだ苦しそうに眉を寄せていた。

 サイドテーブルに土鍋を置き、蓋を開ける。


ふわぁ~……。


 湯気と共に鶏出汁と生姜の優しい香りが広がる。その匂いに反応したのか、公爵がピクリと鼻を動かした。


「……いい匂いだ」


「食欲はありますか?」


「……少しだけなら」


 彼は上体を起こしたが、手元が震えている。

 スプーンを持つのも辛そうだ。


(仕方ないわね)


 私はスプーンでお粥をすくい、ふーふー、と息を吹きかけた。

 熱を冷ましてから、彼の口元へ差し出す。


「はい、あーん」


「……っ!?」


 ジルベール様が目を見開いて固まった。

 顔の赤さが三割増しになる。


「な、何を……。私は子供ではないぞ」


「病人でしょう? 今は甘えていいんですよ。ほら口を開けて」


 私がニッコリ笑うと、彼は観念したように小鳥のように小さく口を開けた。


パクッ。


 とろとろのお粥が口の中に滑り込む。


「……ん」


 噛む必要はない。

 舌の上で米がほどけ、鶏の旨味が染み込んだスープが喉を潤していく。卵のふわふわとした食感が弱った心と体を優しく撫でるようだ。


「……優しい味だ。体が、ポカポカしてくる」


「生姜が効いてますからね。もう一口いけますか?」


「……ああ」


 二口目からは、彼の方から口を開けて待つようになった。


パクッ、モグモグ。


「あーん」のたびに彼の瞳がトロンと潤んでいくのがわかる。

 普段の「氷の魔公爵」の面影はどこにもない。


 ただの甘えん坊な大型犬だ。

 あっという間に土鍋は空っぽになった。


「ごちそうさま。……美味かった」


「よかったです。じゃあ、薬を飲んで寝ましょうね」


 私が片付けようと立ち上がった時、袖をクイッと引かれた。


「……行くな」


 振り返ると、ジルベール様が布団から手を伸ばし、私の服を掴んでいた。


「……?」


「一人にしないでくれ。……寂しい」


 熱のせいだろうか。

 あの冷徹な公爵様が捨てられた子犬のような目で私を見上げている。破壊力が凄まじい。


「……わかりました。ここにいますよ」


 私がベッドの端に腰掛けると、彼は安心したように微笑み、私の手を自分の頬に押し当てた。


「レティシアの手は……冷たくて気持ちいいな……」


「料理人は手が冷たいのが自慢ですから」


「……ずっと、こうしていてくれ……」


 彼は私の手を握りしめたまま、スウスウと寝息を立て始めた。

 無防備な寝顔。長く伸びた睫毛。


(……ずるいなぁ)


 こんな顔を見せられたら、もう逃げられないじゃない。


 私は彼の手を握り返し、その熱さが少し心地よいと感じていた。

 ただのお粥でここまで懐かれるとは。


 私の料理スキルも、とんでもないところまで来てしまったのかもしれない。

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