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第18話 ふわとろオムライスの味

 ガリアの王女との対決から一夜明けた、ある日の夕暮れ。

 厨房は、私の愛の言葉で満たされていた。


「あぁ……なんて美しいの。その艶やかな赤色、透き通るような脂身。愛してるわ」


 私は昨日勝ち取った戦利品――最高級の生ハムの原木を抱きしめ、うっとりとナイフを入れていた。薄くスライスした一枚を口に含めば、熟成された塩気と旨味が爆発する。


「最高……。もう一生離さない……」


「……そうか。そんなにソレがいいか」


 背後から絶対零度の声が聞こえた。

 振り返ると、執務服姿のジルベール様が立っていた。しかし、その周囲には吹雪のエフェクトが見える。

 室温が急激に下がっている……気がする。


「ジ、ジルベール様? いつからそこに?」


「君がその『肉の塊』に愛の言葉を囁き、頬ずりしている間ずっとだ」


 彼は氷のように冷たい目で、私の愛しい生ハムを睨みつけた。


「昨夜もそうだ。君は私との勝利の晩餐をすっぽかして、一晩中そのハムの手入れをしていたらしいな」


「だ、だって乾燥したら味が落ちますから! オリーブオイルを塗って保湿ケアをしないと!」


「私の肌のケアは放置しているくせにか?」


「っ……」


 痛いところを突かれた。

 確かに、ここ数日、食材に夢中で旦那様を放置気味だったかもしれない。


「もういい。今夜の食事はいらん」


「えっ、食べないんですか?」


「君は愛する肉と仲良くしていればいいだろう。……私は塔にでも籠もってくる」


 ジルベール様は踵を返すと、パタンと扉を閉めて出て行ってしまった。廊下からはピキピキと床が凍る音が聞こえてくる。


「……あちゃー」


 ライルが洗い場から顔を出した。


「お嬢様、今回ばかりはマズイですよ。旦那様、完全に拗ねてます。生ハムに嫉妬する公爵なんて歴史書にも載ってませんよ」


「うう……反省してます」


 私は生ハムを置いた。

 どんなに美味しくても、食べてくれる相手がいなければ料理は完成しない。

 それに、あの不機嫌な顔を見ていると、なんだか胸の奥がチクリと痛むのだ。


「……よし。仲直りしに行こう」


 私はフライパンを握り直した。

 言葉で謝るのは苦手だ。だから私の最強の武器で愛を伝えるしかない。


   ◇


 数十分後。


 私は凍りついた廊下を滑らないように進み、執務室の扉をノックした。


「……入るなと言ったはずだ」


 中から拒絶の声。


「ルームサービスです。これを食べないと、ドアの前で大声で歌いますよ?」


「……入れ」


 脅しが効いたようだ。

 中に入ると、ジルベール様は窓際で月を見上げていた。哀愁がすごい。


「夕食をお持ちしました。『特製ふわとろオムライス』です」


 テーブルに置いたのは黄色い楕円形の物体。

 チキンライスの上に焼いた卵を乗せただけのシンプルなものだ。


「……ただの卵料理か」


 彼はチラリと見ただけで、興味なさそうに鼻を鳴らした。


「ふふ。ナイフを入れてみてください。……私の気持ちが、溢れ出しますから」


「気持ち、だと?」


 ジルベール様は怪訝そうに席に着き、ナイフを手に取った。そして、ぷるぷると揺れるオムレツの中央にスッと刃を入れる。


 その瞬間。


とろぉぉぉ……ッ。


 半熟に仕上げられた卵の中身が左右に雪崩のように広がり、下のチキンライスを包み込んだ。

 いわゆる『タンポポ・オムライス』の開花だ。


「……ッ!」


 黄金色の海が現れる。

 バターと卵の甘い香り。そして、その下から立ち上る、酸味の効いたケチャップライスの香り。

 視覚と嗅覚へのダブルパンチ。


「な、なんだこの演出は……。卵が勝手に広がってソースになったぞ?」


「まだ終わりじゃありません」


 私は懐から赤い瓶――自家製トマトケチャップを取り出した。


「仕上げに、魔法の呪文を書きます」


 私はトロトロの卵の上にケチャップで文字を書いた。本来なら『LOVE』とか書くべき場面だろう。でも、照れくさいし、何より今の彼に必要なのはこれだ。


『♡』 


「……ぷっ」


 いびつな形を見たジルベール様が吹き出した。


「なんだその字は。……ミミズがのたうち回っているのかと思った」


「一生懸命書いたんです! さあ、冷めないうちにどうぞ」


 彼は苦笑しながらもスプーンですくって口に運んだ。


パクッ。


「……美味い」


 声が柔らかくなる。


「卵は飲み物のように滑らかで……中のライスにはバターのコクと鶏肉の旨味が染み込んでいる。ケチャップの酸味が、拗ねた心に染みる味だ」


「生ハムより美味しいですか?」


 私が恐る恐る尋ねると、彼はスプーンを止め、私をじっと見つめた。


「愚問だな」


 彼は私の手首を掴み、グイッと引き寄せた。

 バランスを崩した私は、彼の膝の上に座らされる形になった。


「きゃっ!?」


「……味は生ハムには勝てんかもしれん」


「えっ、負けるんですか?」


「だが、作り手のスパイスが効いている分、こちらの方が中毒性が高い」


 公爵は私の腰に腕を回し、耳元で囁いた。


「許してやる。……その代わり、今夜は私が満腹になるまで『デザート』に付き合ってもらうぞ?」


「あ、あの……デザートって、プリンですか?」


「とぼけるな。……もう逃がさん」


チュッ。


 今度は、おでこじゃなかった。

 甘酸っぱいケチャップの味がする、キスは大人の仲直りの味がした。


(……あ、オムライス焦げそう)


 そんな冷静な思考が吹き飛ぶほど、その夜の公爵様の「おかわり」は激しかったのだった。

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