第12話 仕事中毒の公爵へ、サクサクのカツサンドを
公爵城の執務室前には、重苦しい空気が漂っていた。廊下に控える文官たちが、青ざめた顔で震えている。
「……どうしたの、みんなして」
私が声をかけると、文官の一人が泣きそうな顔で答えた。
「あ、奥様……! 閣下が、もう三日も執務室から出てこられないのです。食事も『いらん』の一点張りで……機嫌が悪くて、近づくと凍らされそうで……」
なるほど。
空腹による低血糖と過労によるストレス。
最悪のコンボだ。このままでは城全体が氷河期になってしまう。
「任せて。私が『燃料』を補給してくるわ」
私は手に持ったバスケットを掲げ、執務室へと足を踏み入れた。
◇
「――誰だ。入室許可は出していない」
部屋に入ると、書類の山に埋もれたジルベール様が顔を上げた。
目の下にクマがあり頬がこけている。
美しい顔が台無しだ。そして何より部屋の温度が冷蔵庫並みに低い。
「差し入れに来ました、旦那様。少し休憩しませんか?」
「レティシアか……。すまないが、今は無理だ。隣国との交渉決裂の対応で、猫の手も借りたいほど忙しい」
彼はペンを走らせたまま、私を見ようともしない。
「食事などしている暇はない。ナイフとフォークを使う時間すら惜しいのだ」
「なら、ナイフもフォークもいらない食事ならどうですか?」
「……なに?」
私はバスケットをデスクの隙間に置いた。
中から取り出したのは、白い紙に包まれた四角い物体。
「これなら、書類を見ながら片手で食べられますよ」
包みを開くと、現れたのは分厚い『カツサンド』だ。
昨日、バルト料理長と共同開発した特製の食パン。その間に挟まっているのは、極厚の豚ロースカツ。揚げたてを特製ソースにくぐらせ、千切りキャベツと共にサンドしたものだ。
「……パンに揚げ肉を挟んだのか? 野蛮な……」
「いいから、左手を出してください」
私は半ば強引にカツサンドを彼の手に握らせた。
「ほら、一口」
公爵は渋々といった様子でサンドウィッチを口元へ運んだ。書類から目は離さないままだ。
しかし、その歯がパンに触れた瞬間――。
サクッ。
静まり返った執務室に軽快な音が響いた。
「……ッ!?」
公爵のペンが止まる。
ふわふわのパンの優しさ。
その直後に来る、粗めの生パン粉が奏でるザクザクとした食感。そして分厚い肉を噛み切れば、ジュワリと溢れ出す熱い脂の甘み。
「なんだ、これは……」
酸味の効いたソースが脂の重さを打ち消し、むしろ食欲を加速させる。シャキシャキのキャベツが口の中をリセットし、次の一口を誘う。
サクッ、ジュワッ。
公爵の目が書類からサンドウィッチへと移った。もう仕事どころではないらしい。
「パンと肉が……一体化している。衣がソースを吸っているのに、なぜこんなにサクサクなんだ……?」
「揚げる温度を管理してますから。それにパンの内側に薄く『辛子バター』を塗ってるんです。それがアクセントになってるでしょう?」
「このピリッとした刺激か……! 頭が冴える!」
公爵は猛烈な勢いで食べ進めた。
片手で持てる気軽さとは裏腹に、その満足感はフルコース料理に匹敵する。肉を食べているという野生的な喜びと、計算された味の繊細さ。
あっという間に一切れが消滅した。
「……もう一つだ」
公爵が無言で左手を差し出す。
私はニッコリ笑って、二つ目を手渡した。
「どうぞ。まだ三つありますから」
「……恩に着る」
彼は二つ目を頬張りながら、ようやく顔色を取り戻したようだった。
殺気立っていた魔力が落ち着き、部屋の温度も春のように暖かくなっていく。全て食べ終えた頃には、公爵は見違えるように元気になっていた。
「ふぅ……生き返った」
ナプキンで口元を拭い、彼は私を真っ直ぐに見つめた。
「レティシア。君はすごいな」
「え?」
「私が『時間がない』と言ったのを汲み取り、手を汚さず、かつ活力が湧く料理を用意してくれた。……これほど私の仕事を理解し、支えてくれるとは」
公爵が感動に打ち震えている。
いや、単に「早く食べて皿を下げたかった」だけなんだけど。
彼は立ち上がり、私の腰を引き寄せた。
「この礼は必ずする。……この仕事が終わったら、たっぷりと可愛がってやるから覚悟しておけ」
耳元で囁かれた低音ボイスに、ゾクリと背筋が震えた。
「可愛がる」の意味が純粋な愛なのか、それともまた「夜食を作れ」という意味なのか判断がつかない。
「は、はい。お仕事頑張ってください」
私は空のバスケットを持って退散した。
背後からは、
「よし、やるぞ!!」
という公爵の気合の入った声と猛烈な勢いで書類を処理するペンの音が聞こえてきた。
どうやら高カロリーの燃料投下は成功したらしい。これでまた食材の予算申請が通りやすくなるはずだ。




