第11話 VS頑固料理長! 豚の角煮で勝負です
「奥様! お待ちください! そっちは厨房です!」
「知ってます! だから行くんです!」
公爵夫人となって三日目。
私は侍女たちの制止を振り切り、公爵城のメインキッチンへと突撃していた。
ジルベール様との契約により、私は本邸で暮らすことになった。豪華な部屋、ふかふかのベッド山のような宝石。
普通の令嬢なら天国だろう。
だが、私にとっては――。
(キッチンに立てないなんて、地獄!)
「夫人の仕事は優雅に茶を飲むことです」
と言われ調理器具に触らせてもらえないストレスで、私の禁断症状は限界だった。
震える手が包丁の感触を求めている。
「失礼します!」
私は重厚な扉をバンッと開け放った。
そこは、戦場だった。
何十人もの料理人が行き交う広大な厨房。
その中心で腕組みをして仁王立ちしているのは、熊のような巨漢――料理長のバルトだ。
「ああん?」
バルトが私をギロリと睨んだ。
顔に大きな傷跡。手には巨大な肉切り包丁。
どう見ても料理人というより引退した傭兵だ。
「ここは神聖な厨房だ。貴族の奥様が遊びに来る場所じゃねぇ。火傷しないうちに部屋へ戻りな」
ドスの効いた声。周囲の料理人たちが怯える中、私はエプロンを素早く装着した。
「遊びじゃありません。お昼の仕込みを手伝いに来ました」
「はっ! 笑わせるな。貴族の女に何ができる? どうせサラダの葉っぱをちぎるくらいだろ?」
バルトが鼻で笑った。
「俺はな、貴族ってのが嫌いなんだ。『美食』だなんだと講釈を垂れるくせに、実際に手を汚すことはしねぇ。そんな奴らに俺の城は触らせん!」
なるほど、筋金入りの現場主義か。
嫌いじゃない。むしろ、その職人魂には好感が持てる。なら、やることは一つだ。
言葉ではなく、味で黙らせる。
「わかりました。なら、勝負しましょう」
私は勝手口に積まれていた食材のカゴを指差した。
「あそこにある『廃棄予定の肉』。あれを使って、貴方が食べたことのない料理を作ってみせます。もし美味しかったら、私にこの厨房の一角を使わせてください」
「……ほう?」
バルトがニヤリと獰猛に笑った。
「いいだろう。だが、あの肉は『豚バラ』だぞ? 脂身ばかりでブヨブヨして、煮ても焼いても脂っこいだけのクズ肉だ。泣いて逃げ出す準備はできてるか?」
「そちらこそ、腰を抜かす準備をしておいてくださいね」
◇
私は豚バラ肉のブロックをまな板に置いた。
脂身と赤身が層になった三枚肉。
この世界では嫌われているが、私にとってはダイヤモンドの原石だ。
「まずは表面を焼いて、余分な脂を落とす!」
強火で全面に焼き色をつける。
香ばしい匂いが立ち上るが、バルトは「ふん、焼いたところで脂っぽさは消えんぞ」と余裕の表情だ。甘いな。ここからが魔法の時間だ。
鍋に肉とたっぷりの水、そして臭み消しのネギの青い部分と生姜を放り込む。さらに隠し味に『お米のとぎ汁』を加える。これが肉を柔らかくし、脂をさっぱりとさせる秘訣だ。
「煮込め、煮込め~」
一時間ほど下茹ですれば、肉はフルフルと震えるほど柔らかくなる。
それを湯洗いして脂を抜き、一口大にカット。
ここから本番の味付けだ。
鍋に肉を戻し、酒、砂糖、そして『醤油』をドボドボと注ぐ。落とし蓋をして、煮汁が飴色に煮詰まるまで、じっくりコトコト……。
――グツグツ、コトコト。
厨房に甘辛く濃厚な香りが充満し始めた。
醤油の焦げる匂いと、豚の脂の甘い香り。
それは屈強な料理人たちの胃袋を直撃する破壊力を持っていた。
「な、なんだこの匂いは……」
「飯だ……白飯を持ってこい……」
ざわつく周囲。
バルトの眉間にも深いシワが刻まれている。
「よし、完成!」
鍋の蓋を開けると湯気と共に現れたのは――宝石のような輝きを放つ『豚の角煮』だ。
濃い飴色の照り。煮汁をまとってプルプルと揺れるその姿は、もはや芸術。皿に盛り、彩りに茹でた青菜と味の染みた煮卵を添える。
「お待たせしました。『豚の角煮~とろける脂身の誘惑~』です」
「……ふん。見た目はいいが所詮は脂身だろ」
バルトは疑わしげにフォークを突き刺した。
その瞬間。
スッ……。
抵抗なくフォークが沈んだ。
「なッ!?」
驚愕するバルト。そのまま肉を持ち上げると、自重で崩れ落ちそうなほど柔らかい。
彼は恐る恐る、その塊を口に放り込んだ。
瞬間、カッと目が見開かれた。
「――――ッ!!」
噛む必要などなかった。
舌の上で脂身がジュワリと溶け、濃厚な甘みが広がる。赤身の部分はホロホロと繊維がほどけ、染み込んだ醤油ダレの旨味が溢れ出す。
脂っこい? とんでもない。
下茹でで余分な脂が抜けているため、濃厚なのに後味は驚くほど軽やかだ。
「……馬鹿な」
バルトの手が震えた。
「溶けた……。肉が、飲み物になったぞ……!?」
「白飯に乗せて、煮汁をかけて食べるともっと最高ですよ?」
私がご飯を差し出すと、彼は無言でひったくり、角煮オンザライスを敢行した。ガツガツと米と肉をかきこむその姿は、まさに野生の熊。
「うおおお! 米が止まらねぇ! なんだこの悪魔の食い物はぁぁぁ!!」
バルトの絶叫が厨房に響く。
それを見ていた他の料理人たちも、
「俺にも!」
「一口くれ!」
そう言って群がってきた。
あっという間に大鍋いっぱいの角煮が消滅したのだ。
「……ふぅ」
満腹になったバルトは、私の前にドスドスと歩み寄ってきた。そして――その巨体を折り曲げ、深々と頭を下げた。
「……参りました」
「わかってくれればいいんです」
「あんたはただの貴族の飾りじゃねぇ。本物の料理人だ。……いや」
バルトは顔を上げ、キラキラした尊敬の眼差しで私を見た。
「師匠! 一生ついていきます!」
「えっ、師匠?」
「おうよ! 今日から俺たちは師匠の弟子だ! 何でも言ってくれ、野菜の皮むきでも皿洗いでもやるぜ!」
「「「師匠! ご指示を!」」」
むさ苦しい男たちに囲まれ、私は苦笑いした。
どうやら公爵城の厨房も、私の手の中に落ちたらしい。入り口で騒ぎを聞きつけてやってきたジルベール公爵が、
「……またか。私の妻は、どこに行っても餌付けをして回るな……」
呆れつつも少し誇らしげに笑っているのが見えた。




