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主者選択   作者: シロイペンギン
責に沈む者 ― 少年編/出会い
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その道の先で

 罪の砂漠、初日の夜。

 僕は、夜を越すために天幕の設営をしていた。


「くっそ、さみぃーな。昼はあっちぃーってのに」


 隣で作業をするヴァンが、ぼやくように呟く。

 彼の言葉通り、夜の砂漠の空気は、昼とは打って変わって、容赦なく冷え込んでいた。

 おそらく――大気中の水分が極端に少ないため、熱を保持できないのだろう。

 そんな推測が、自然と頭に浮かぶ。

 それは、医学的知識に基づいた考えだ。

 僕は医学以外の分野に、それほど精通しているわけではない。それでも、こうして状況に当てはめて考える程度の応用は、身についていた。


 ――目的地である《灰の神殿》までは、まだ十日近くかかる。

 予定通りの行路を辿れたなら、途中にある小さなオアシスに立ち寄れるはずだった。



 作業が一段落した頃、僕は神官に呼ばれ、王女が休む天幕へと向かった。

 当然ながら、それは僕らのものより、ひと回り大きく整えられていた。


 僕はその前に立ち、静かに魔法を放った。

 詠唱に呼応して、乾ききった空気の中に――ほんの僅かだが、水の息吹が生まれた。

 これが、僕が王女の近くに配置されている理由だった。


 王族のような高貴な身分の者が旅をする際、その身、あるいは旅の環境そのものを補佐するため、魔導士が随行する。

 その魔導士を、この国では「旅侍魔りょじま」と呼ぶ。

 本来、王族の遠征には、旅侍魔が複数名つく。

 だが、レアノールは――そんな王族なら当たり前の待遇すら、受けていなかった。

 だから、ガイルは、その役目を、僕に与えた。

 この役割については、旅立ちの前から聞かされていた。ライコスは僕に、旅侍魔として必要な、いくつかの生活魔法を教えてくれた。


 今、使っているのは――そのうちの一つ。

 大気中の水分量を、増やす魔法だ。

 火魔法に対する防護魔法と、詠唱の構造が、どこか似ている。おそらく、歴史のどこかで、同じ流れから分かれた術なのだろう。

 この環境で、水系統の魔法は弱く、消耗も激しい。

 因果としても、意味としても――遠い。


 ガイルとしては、戦力として期待していない僕には、この加湿器としての役割は、ちょうどよかったのだろう。


 役割を終え、僕も休もうと、その場を離れようとした――まさに、その瞬間だった。


 天幕の内側から、人影が現れた。


「……すごく、快適になりました。王宮にいるみたいに」


 ローブを深く被った、緑の目の王女が、僕に向かってそう言った。


 吸い込まれるような、綺麗な瞳。

 だが、その視線は――どこか、僕ではない遠くを見ているように感じられた。


 僕は、王族という遠い存在を前に、何を答えればいいのか分からず、言葉を失っていた。


 短い沈黙のあと――

 王女は、僕との距離を少しだけ詰めた。


「お名前は、なんて言うのかしら?」


 レアノールが、再び口を開いた。


「……アーシェ・アルヴェインです」

 

 名乗った直後だった。


「……なぜですか?」


 一度動いた口は、さっきまでとは打って変わって、その言葉を、自然と口にしていた。


「ご病気だというのに、なぜ、こんな危険な儀式に挑むのですか?」


 胸の奥から湧き上がる何かが、言葉を抑えることを許さなかった。

 その瞬間――すぐ近くに立つ神官の、鋭い視線を感じた。


 レアノールは、すぐには答えなかった。ローブの奥から覗く金の髪は、この砂漠の夜の中でも、驚くほど艶やかだった。


「そうですね」


 静かな声だった。


「それが――王族としての、責務ですから」


 その瞳は、僕ではなく、どこか遠くを見ていた。


「……でも」


 気づけば、僕は一歩、踏み出していた。


「死んでしまったら、意味が――」


 言葉の途中で、気配が変わった。

 すぐ横から、神官が一歩、前に出てきた。


 だが、レアノールは、ただ静かに立っていた。


「……この歳まで、生きられたこと自体が、奇跡なのです」


「ですから――この儀を終えられるのなら」


 レアノールは、微かに微笑んだ。


「それ以上を、望む理由はありません」


 その声は、とても静かだった。

 そして、僕はその言葉に、何も返せなかった。


 命とは、何なのか。

 意味とは、何なのか。


 ――分からなかった。


「レアノール様、お身体に障ります。お戻りください」


 神官の声が、静かに場を切った。

 王女は小さくうなずき、何も言わず、天幕へと戻っていく。

 神官が捲り上げた布の向こうへ、あの儚い後ろ姿が、消えてしまう。

 僕は、何かを伝えなければならないと、口を動かそうとする。だが、その「何か」は言葉にならず、口の中には、砂の感触だけが残っていた。


 ――その瞬間だった。


 天幕の前で足を止め、王女が振り返った。

 吸い込まれるような緑の瞳が――

 そのとき、初めて、僕を見たように感じた。


「アーシェ。

 貴方が……私を、生かしてくれるのですか?」


 その言葉を口にした瞬間――


 病を抱えた王女の顔は、年相応の、無邪気な少女の笑顔だった。


 風に揺れる、僕の銀の髪の音だけが、この世界に残された、唯一の音のように感じられる。


 僕はただ、静かに立ち尽くしていた。



 王女は、神官に促されるようにして天幕へと入った。

 その直後、低い声が落ちてくる。


「……レアノール様を、刺激するな。

次に同じことをすれば、旅侍魔を変えてもらう」


 神官の言葉だった。

 けれど、その声は――

 なぜか、ひどく遠くに感じられた。



 僕は、ヴァルデン兵の後衛部隊が張る天幕群へと戻った。


 さすがに貴族という立場もあって、作り自体は他の兵の天幕と変わらないものの、僕とシアナには、それぞれ個別の天幕が与えられていた。


 シアナは、自分の天幕の横で、黙々と素振りをしていた。


 その姿を横目に、僕は少しだけ迷う。

 自分も日課である、短剣への魔力注入を行うべきか。

 それとも――この先に待つ危険に備え、できるだけ消耗を避けるべきか。


 僕が、この儀に参加した目的。

 それは、ユーナの「崩心症」を治すためだ。

 そのために、功績を積み、ルーメン・パリンプセストに会う。


 それなのに。


 別の何かが、胸に引っかかっていた。


 ルーメンは、相当な治癒術師だと聞く。

 そんな彼でも――王女は、治せないのだろうか。

 思考の隙間へ、レアノールの言葉が滑り込んでくる。


 割り切るためだった。

 そして、目的に集中するためでもあった。

 回復分も考え、いつもより余力を残して、日課を行うことにした。


 ――ユーナなら、こうする。

 そう思い込むことで、

 それを、免罪符のように胸に置いた。


 鞘に収めたまま、短剣を手に取り、胸の前に掲げる。

 そして、リメアから意味を宿さない魔力を生み出し、それを、静かに短剣へと流し込んだ。


 違和感があった。


 砂漠での水魔法の使用は、確かに消耗が激しかった。

 だが、聞いていたほどではない。


 ――確信はない。

 けれど、この三年間の習慣の積み重ねが、僕のリメアを、確実に強く、大きくしていたのかもしれない。


 ……いや。

 違和感は、それではなかった。


「アーシェ、色……いつもと違うよ?」


 シアナが近づき、そう言った。

 その一言で――僕も、ようやく気づいた。


 短剣を包んでいた魔力が、どこか赤みを帯びた、灰色をしていた。


 そして――

 その色は、途切れる一瞬に、

 確かに“あの色”を帯びていた。


 そう。

 僕を、この世界へ導き、

 ――僕自身が選んだ、


 あの、眩い銀色を。

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