責に沈む少女
あの少女の姿は、あまりにも儚く、今にも消えてしまいそうに見えた。
それは、医師だった頃の知識から導いた結論ではない。
ただ――理屈を追い越して、そうだと分かってしまった。
まるで、レールの上を進むように生きた前世の自分のように感じた。
決められた道を進むしかない。
それは責任などではない。
ただ――自分の役割が、そこにあっただけだ。
まだ、目すら合わせたことのない少女を、僕は救いたいと思ってしまった。
理由を言葉にしようとした瞬間、それが、どれほど危うい感情かに気づいてしまった。
◇
王女と出会った翌朝。
先日この別荘に集められた従者たちは、
皆、王家の別荘内に与えられた部屋で夜を越していた。
僕に与えられた部屋に、シアナがやってきていた。
二人きりで、他愛のない話をしていたはずなのに――
気づけば、話題は王女のことに向かっていた。
「病気のレアノール様が、
儀式で“罪の灰”を浴びたら……
命に関わると、僕は思う」
口にした瞬間、自分でも驚くほど、声は低く沈んでいた。
「そっか」
シアナは少しだけ考える素振りをして続けた。
「私はアーシェみたいに賢くないから、
正直、よく分かんないけどさ。
でも――アーシェがそう言うなら、
きっと、そうなんだと思う」
「でも、どうしたらいいのか……分からない」
答えを求めていたわけじゃない。
ただ――僕が、いちばん素直になれる相手だからこそ、口にできた言葉だった。
「答え、決まったら教えて」
シアナはそれだけ言った。
毛先のカールした銀の髪は、前より少し伸びていた。
けれど――右目の下の泣きぼくろだけは、何も変わっていなかった。
◇
旅立ちの時間が、近づいていた。
僕とシアナも、中庭へと出る。
少し早く出すぎたらしく、庭に出た時点では、まだ人影はまばらだった。
だが、ほどなくして――この遠征に参加する兵たちが、次々と集まり始める。
ヴァルデンの兵は、エルミナの兵も合わせて、およそ六十。
ヴァン、ミリア、シグなど、見知った顔もすでに隊列に加わっていた。
薄い灰色の鎧に身を包んだ、アルヴェイン本家の兵たち。ざっと見て、三十ほど。まだ、オルロの姿は見えない。
そして――ひときわ異質な存在があった。
黒に近い灰色の鎧を纏った兵たちが、三十名ほど。
責の灰。
そして、その先頭には――
灰の魔導士、ヴァルディオ・グレイアスが立っていた。
おそらく――この国で、最強の魔導士。そして、僕やユーナにとっては、兄弟子にあたる存在。
間を置かず、エルミナが現れた。
金の髪。
あの青い瞳は、どこを見据えているのだろう。
ヴァルデンの兵のうち、十名ほどは姉の直属だった。その先に控える、白い鎧の騎士が二人。エルミナは、彼らの前に静かに立った。
そして、ガイルとロイスが姿を現した。
僕とシアナを含む、ヴァルデン兵たちの先頭に――父は、無言で立った。
少し間を置いて、オルロが姿を現した。
誰よりも遅く現れ、誰よりも無造作に歩き、それでも当然のように――本家の最前に立った。
この広大な庭に、左にガイル。中央に、ヴァルディオ。そして右に、オルロ。
三者を先頭として――
責罪の儀に挑む、百二十ほどの軍勢が、静かに、ここに揃った。
「すくねーな。
第二王子のときはさ、こんな庭じゃ入りきれねーほどの軍勢だったって、兄貴は言ってたぜ」
オルロの気怠そうな声が、庭に転がった。
僕は――その声が、ぎりぎり届く距離に立っていた。
「まぁ、その数でも失敗したってんだ。
アルヴェインが推した王子は死に、万象の魔女様も失脚――
それで、今度は“病気の王女”か。なぁ、大丈夫なのかよ?」
オルロの視線は、中央に立つ灰の魔導士へと向けられているように見えた。
「口を慎め」
低く、短く。
口を開いたのは、ガイルだった。
「……ああ、悪い悪い」
オルロは肩をすくめる。
「まぁ、べらべら喋りすぎたよ。でもさ――」
そこで一拍置き、気怠そうな視線を庭に巡らせる。
「親父も、国もさ。この数しか出さねーってのは――そういうことだよな?」
嘲るような声が、そこで止まる。
次の瞬間、軍勢の前に――
神官と並び、王女が姿を現していた。
「そうですね。
私の人望が至らず、皆さまに不安を与えてしまっていること――心より、お詫び申し上げます。どうか、ご助力いただけましたら幸いです」
緑の瞳を持つ王女の声が、庭に静かに響いた。
初めて耳にしたその声は、決して強くはない。
――そして、違和感を感じた。
あの瞳が、何を見ているのか分からない。
決して、オルロに向けられた言葉ではなかった。かといって、僕ら兵たちに向けられているようにも感じられない。
その声は、誰かに届くことを前提としていないかのように――
どこか、虚空へと放たれているように響いていた。
それでも――
王女のその言葉が、崩れかけていた空気を、かろうじて繋ぎ止めた。
◇
僕たちは、ネフェレスの砂漠へ向けて、カルディエの街を後にした。
半日もかからず、緑の景色は失われ、砂の地平が広がった。
そこを馬で越えることは不可能――
そう聞かされていた通り、遠征は徒歩での行軍となった。
総隊長を務めるのは、父・ガイル。
その指揮のもと、隊列は静かに進んでいく。
レアノール王女は、ヴァルデンの隊の後方に、包み込まれるようにして進んでいた。
本家の兵は後衛。
責の灰は、状況に応じて前後を移動し、臨機応変に対応する配置だった。
僕は、ヴァンとシアナとともに、後方に位置していた。
そして――
そのすぐ前を歩いていたのが、王女と、その直属の者たちだった。
砂の向こうで、王女が、小さく咳をした。
その音が、――なぜか、医師だった頃よりも、はっきりと胸に引っかかっていた。




