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主者選択   作者: シロイペンギン
責に沈む者 ― 少年編/出会い
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白脆の王女

「アーシェ、王女様、見えなかったよ。ほんと残念」


 馬群が通り過ぎるのと同時に、シアナの声が響いた。


「すぐに謁見の時間があるし、これからの遠征で、何度も会えるだろ?」


 僕は、そう言って――

 少しだけ素っ気なく、シアナに返した。


「そうだけど。早く会いたいなー。

すごく綺麗なんでしょ?」

「……たしかに、綺麗だったけど。

まだ、子どもだし」


 その言葉は考えるより先に――自然と、僕の口からこぼれていた。


「えっ?アーシェ、見えたの?」


 シアナは、思い切りこちらを振り向く。


「えー……。

 子どもって、確か同い年でしょ?」


 少し不貞腐れた声。けれど、その視線は、やけに鋭かった。

 

 アーシェとして十二歳になり、ふとした拍子に、白井としての思考が顔を出すことが増えていた。けれど―『あの白衣の影を見ることは、もう、ないのだろう』そう、感じていた。



 しばらくその場で待機していると、王国兵が僕とシアナの名を呼んだ。

 兵に先導され、僕とシアナは、庭の奥に建つ屋敷へと歩き出した。

 屋敷の周囲には、先ほどの騎馬隊がすでに馬を下り、待機していた。

 そして――

 庭を進んでいった、あの灰色の馬車が、屋敷の脇に静かに停められていた。


  屋敷に入り、廊下をしばらく進み、僕たちは一つの大部屋へと通された。

 そこには、大きな長方形のテーブルが置かれていた。

 左側には、前方から順に――

ガイル、ロイス、エルミナ。

見知った顔が、すでに席についていた。

僕とシアナは、エルミナの隣に腰を下ろした。


 ふと、室内を見渡す。

 左の最前の席は、ぽっかりと空席のままだった。右側の席にも、まだ誰の姿もなかった。


 そして――この長い卓の最前、その中央。あそこに、王女が座るのだろう。


 しばらくして、深い灰色のローブをまとった中年の男が、三人の騎士を伴って入室してきた。彼は右側最前の席に静かに腰を下ろし、騎士たちはその背後に控えるように立った。


 さらに少し遅れて――アルヴェイン家の紋章が刻まれた鎧を身につけた若い男が、数名の従者を伴い、室内へと入ってきた。


 男は、僕の背後を通り過ぎると、テーブル左側の前列を目指して歩いていた。


「よっ!ヴァルデンの長男だよな――アーシェ、だったか?身内なのに、初めましてだな」


 ふいに、背中越しに投げられた声。気安い調子だった。

 振り返ると、黒髪に端正な顔立ちの若い男が、こちらを見ていた。その瞳は、僕とよく似た――わずかに灰を帯びた色をしている。笑みを浮かべてはいるが、視線は笑っていない。値踏みするような目が、僕をまっすぐ捉えていた。


「俺はオルロ・アルヴェインだ。

 王女も有力な候補じゃないし、おたくらも分家。まあ、俺も似たようなもんだ。せいぜい、仲良くしようぜ」


 婉曲も、配慮もない。それを失礼とも思っていない口調で、オルロは言い切った。


「オルロ様。その発言は、看過できません」


 右側最前に座る灰色のローブの男が、感情を押し殺した声で告げた。


「レアノール王女には、他のいかなる候補者とも等しく、継承の権利がございます。そして――」

「この義の行方は、貴方方アルヴェインのみならず、セレストリアそのものの未来を左右するのです」

「ヴァルディオ様はさ、誰が王になろうが、正直どうでもいいんだろ?」


 オルロは肩をすくめ、左最前の空席へと歩み寄った。


「あんたら、責の灰は、儀さえ無事に終わりゃ、それでいいんだからさ」


 そう言うと、オルロは一瞬だけガイルに頭を下げ、席についた。


「そうですね。それが――我々の責ですから」


 灰のローブの男は、何の迷いもなく、あっさりと言い切った。


 事前に、聞いていた。

 責の灰。王国の創世期より、責罪の儀を取り仕切ってきた存在。

 

 そして――

 目の前に立つこの男こそが、

 灰の魔導士、ヴァルディオ・グレイアス。

 現・王宮魔導長。

 そして、責の灰を束ねる長でもある。


 彼らこそが――王政そのものを、静かに、しかし確かに支え続けてきた存在だった。


 オルロとヴァルディオの応酬を前に、僕たちヴァルデンのアルヴェインは、ただ沈黙を保っていた。


 そうして――

 言葉の応酬は途切れ、静かな時間だけが、ゆっくりと場を満たしていった。


 しばらくして、扉の向こうから足音が聞こえる。


 扉が開かれ、二人の兵と、一人の神官のような者が姿を現した。

 そして、その後ろから――

 旅装を思わせながらも、王族らしい意匠が施された装いの少女が、静かに部屋へ入ってくる。


 金色の髪。

 エメラルドグリーンの瞳。


 その一歩一歩が、場の空気を、確かに変えていった。


 皆が席を立ち、王女が席に着くのを待った。


 隣のシアナは、分かりやすいほど目を輝かせている。


僕は――

 気づけば、吸い寄せられるように、王女の瞳を追っていた。だが、その視線が交わることはなかった。


 確かに、綺麗な人だった。

……いや。

 まだ、可愛いと呼ぶほうが、正しい年頃なのだろう。だが、その白い肌には、どこか病人めいた儚さがあった。

 そして、もう一つ。前を歩く神官の存在にも、違和感を覚える。本来、祭事に関するすべては、責の灰が取り仕切るはずだ。それとは別に神官が同行している――その事実が、妙に引っかかった。


 王女が席につくと、それに倣い、他の者たちも腰を下ろした。王女の背後に控えていた神官が、一歩前に出て口を開く。


「皆様、本日はお集まりいただき、感謝いたします。責罪の儀が滞りなく終えられるよう、どうかお力添えを。ネフェルの加護が、ここに集いし者すべてにあらんことを」


 その言葉の余韻が消えかけた、そのとき―王女が、小さく咳き込むのが、ふと視界に入った。

 ――やはり、体調が思わしくないのだろうか。そんな考えが、胸の奥に、静かに残った。


 その後、王女は神官と兵に伴われ、静かに部屋を後にした。扉が閉じると、張りつめていた空気だけが、取り残された。


「おいおい、本当に大丈夫なのか?

 聞いてたより、不味そうだぜ?」


 オルロが口を開いた。だが――その言葉が何を指しているのか、僕には分からなかった。


「それはどなたから情報ですか?ゼール殿ですか?」

 ヴァルディオは、オルロを睨むように言った。


「何言ってんだ。王都セリオンじゃ有名な話だぜ」


 オルロは鼻で笑うように言った。


「レアノール王女が――白脆病だって噂になってる」


 その言葉が落ちた瞬間、場の空気が、わずかに張りつめた。そして――ガイルの視線が、先ほどまでよりも、明らかに鋭くなっているのが目に入った。


「……なるほど」


 ヴァルディオは目を伏せ、感情の読めない声で応じる。


「俗世のことには、どうにも疎くてね」


 二人の会話だけが部屋に響いた。


 シアナの無響病。

 ユーナの崩心症。

 ――そして。

 『医師として、果たせなかったことを果たせ』

 かつてカロニアで見た、未来の自分が残した意味が、胸の奥で静かに反響した。


 だからだろう。

 僕は、この世界の「病」について――

 できる限り、学び続けてきた。


 白脆病。

 それは、生まれつきリメアが過敏であるがゆえに起こる病だ。


 強い意味。

 激しい感情。

 外界から流れ込むそれらに反応し、リメアが乱れ――

 結果として、持ち主自身を、内側から傷つけていく。


 病は、意思を持たない。

 だが、意味に触れすぎた身体は、

 その意味に、耐えられなくなる。


 そして――

 この大陸には、白脆病を根本から治療する方法は、存在しない。


――そんな状態の少女を、責と罪の儀へと、挑ませるというのか。

 喉の奥までせり上がった言葉を、僕は、声にできずに飲み込んだ。


「儀に挑むのは、王女自らの、決断です」


 ヴァルディオが、迷いのない声で言い放つ。


「罪と責を背負うこと。

 それこそが――セレストリア王族に課せられた、責任なのです」


 その声音には、情も、躊躇もなかった。あるのはただ、この国を“存続させてきた理屈”だけだった。

 灰の魔導士の言葉を最後に、一人、また一人と席を立ち、部屋を後にしていった。

 やがて、室内に残る者はほとんどいなくなった。

 アルヴェイン家の者も――いつの間にか、僕とシアナだけになっていた。

 そのときだった。ヴァルディオが、静かにこちらへ歩み寄ってきた。


「アーシェ様」


 不意に名を呼ばれ、視線を上げる。


「アルセリアさんは、お元気でしたか?」


 唐突な名に、胸の奥がわずかに波打った。


「私もね、彼女の弟子の一人でして。

 あの方が、王宮魔導長だった頃は……ずいぶんと、お世話になりました」


 懐かしむような口調。だが、その目は、過去ではなく――僕自身を見ていた。


「貴方が“万象”に従事したと聞き、大変、興味を持っております」


 一拍置いて、彼は微かに笑った。


「正直に言えばね。私は――白炎のお姉さんよりも、貴方を買っています」


 その言葉が、何を意味するのか。僕には、まだ分からなかった。


「では」


 踵を返しながら、ヴァルディオは、淡々と告げる。


「銀が、再び輝くことを――期待していますよ」


 そう言い残し、彼は、自分の言葉だけを部屋に置いて去っていった。


『――銀が、再び輝く』


 その言葉の、明確な意味は分からなかった。


 だが、あの灰の魔導士が――僕が“使徒”であることを見抜いていた。その一点だけは、疑いようがなかった。


 ――では、彼は何者なのか。


 使徒なのか。それとも、残響者なのか。

 答えは、出なかった。


 そして僕には、この時点で、選べる道など存在しなかった。

 ただ一つ。

 あの病の少女が、自らの責で、死地へと進むのなら――それを、助ける側に立つしかなかった。

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