白炎の魔女
戦いは、始まった。
エルミナは、間を置かずに詠唱へ入る。
――白炎。
もう一人の姉、シアナと共に見た、あの奇跡。
それが、僕の起源だった。
姉の詠唱に応えるように、
今――再び、それは目の前で煌めいた。
直線上に走るその白炎は、
通過した軌跡そのものを、白へと変えていく。
僕自身の経験では、
魔力は因果から離れるほど、
マナに満ちたこの世界から拒まれる。
だが、この白炎は――
因果を超えた「意味」そのものを、
世界に刻みつけているように感じた。
燃える、という過程を踏まない。
熱も、破壊も、そこでは副次的な現象にすぎない。
物質はただ、
“最後の姿”へと辿り着く。
白灰へと。
その炎は、まるで――
世界そのものを、同じ色へと塗り替えているように見えた。
オセロの黒が、
白に挟まれて、抗えずに反転していくように。
包まれたものは、
炎と同じ“白”へと変わる。
それは、より白く、
より純粋で、
――もっとも光を放つ白だった。
逃げ場のない、終わりの色だった。
炎は、一撃で――
十人以上の、罪の牙の戦士を、白へと変えた。
本来なら、恐ろしく残酷な光景のはずだった。
それなのに――
なぜか、それは神秘的にさえ見えた。
再び視野を広げる。
白炎の走った軌跡は、
最後の一点まで、完全な白に染め抜かれている。
だが――
その白の世界には、異物があった。
鉄。
刃。
鎧。
白という“結末”を持たない物質だけが、
そこでは燃え尽きることも、白へ至ることもなく、
熱に耐えきれず、
ただ解け、崩れていた。
「白炎の魔女――
帝国兵を数百、斬殺したという噂は……
本当だったか」
誰かの声が、
戦場の奥から、掠れるように聞こえた。
その瞬間、
エルミナは次の詠唱へと移っていた。
だが――
詠唱を断ち切るように、
クリオの剣が、一直線にエルミナを狙う。
「――っ」
火花が散った。
ミリアが、即座に前へ出る。
掲げた盾が剣を弾き、
鋭い衝撃音が空気を震わせた。
「エルミナ様。
少し下がりましょう」
ミリアの声は、冷静だった。
「さすがに――
敵の数が多すぎます」
一瞬の沈黙。
そして、
エルミナは詠唱を止め、静かに頷いた。
「アーシェ、下がりますよ。
ついてきなさい」
エルミナの言葉に、
僕は反射的に頷いた。
だが――
下がろうにも、敵が多すぎた。
包囲はすでに閉じかけている。
逃げ道らしい逃げ道は、どこにも見当たらない。
そのときだった。
――強いマナの変動。
空気が、ざらりと変質する。
視線の先で、
クリオの身体に、灰色の闘気が立ち上った。
意思を帯びた圧のように、
彼の輪郭そのものを歪ませていた。
――灰色。
胸の奥が、ひくりと跳ねる。
「……灰狼の闘気」
思わず、声が漏れていた。
それは、
ロイスも使っていたもの。
あの――灰狼流の闘気。
「白炎の魔女――
ここで死んでもらう」
叫びと同時に、
クリオの身体が地を蹴る。
狙いは、一直線にエルミナ。
ミリアが即座に割り込み、
盾でその一撃を受け止めた。
だが――
明らかに、押されていた。
いくら姉が規格外の魔導士でも、
魔導士と剣士。
しかも、灰狼の闘気を纏った剣士相手では――
近接戦闘に分があるはずはない。
だが――
次の瞬間、エルミナが別の詠唱を始めた。
短く、鋭い言葉。
それに応えるように、
ミリアの剣へ、白炎が宿る。
炎は燃え広がらない。
ただ、剣そのものの色を――
白へと塗り替えた。
「――っ!」
ミリアは迷わず、その剣を前に出す。
激突。
クリオの剣が、白炎を受けた瞬間、
金属が悲鳴を上げた。
焼けたのではない。
熱に耐えきれず――
刃そのものが、歪み、曲がる。
刹那。
ミリアは踏み込んだ。
白炎を纏った一撃が、
一直線に、クリオを斬り裂かんと走る。
「――ちっ」
クリオは舌打ちと同時に距離を取る。
間一髪。
刃は空を切り、
白炎だけが、地面を白く染めた。
「……やっぱり、エルミナ様は本物だ」
シグの呟きは、
戦場にしては妙に静かだった。
僕は、答えなかった。
ただ、白く変わった地面から目を離せずにいた。
「クリオ……なんなのだ、あの炎は?」
戦士たちの輪に守られながら、
ヘルムートの声が震えを含んで響いた。
「分かりません」
クリオは即答した。
感情のない、冷えた声だった。
「意味刻み――
あるいは、使徒の力か」
一瞬、言葉を選ぶように間を置く。
「……いずれにせよ、
ただの炎ではありません」
◇
僕たちは、包囲を抜けることができない。
だが――敵もまた、迂闊に踏み込めない。
互いに刃を向けたまま、
ほんのわずかな均衡が生まれていた。
そのときになって、ようやく気づく。
――周囲で、戦いの音がしている。
剣がぶつかる金属音。
怒号。
そして、断続的な悲鳴。
おそらく――
仲間の兵たちが、別の場所で
罪の牙の者たちと交戦を始めているのだ。
この場だけが、戦場ではない。
森全体が、すでに戦いに呑み込まれていた。
多くの敵は、姉――エルミナを警戒している。
その視線は、白炎を中心に張り付いていた。
結果として、
僕とシグは、ただ戦場の中央に立たされていた。
こちらは、いまだ数で圧倒的に不利だ。
――やはり。
この作戦は、無謀だったのではないか。
そう思い始めた瞬間、
胸の奥に、ひやりとしたものが落ちた。
それでも――
姉は、表情ひとつ変えなかった。
その違いが、
今の僕には、遥か遠くに感じられた。
その瞬間――
僕は、微かな違和感に気づいた。
足元が、熱い。
視線を落とすと、
地面が――白かった。
姉が最初に放った、
直線状の白炎。
その痕跡から、
白が、じわじわと地面へ広がっていた。
まるで――
炎が、侵略しているかのように。
それは当然、
敵の足元も、等しく侵食していた。
次の瞬間――
姉の鋭い視線が、一人の敵戦士を射抜く。
言葉はない。
詠唱もない。
ただ、視線が向いた。
その戦士は、
足元から白炎に呑み込まれ――
一瞬で、白になった。
悲鳴すら、途中で途切れる。
終わりが白ではないもの――
剣や鎧などの金属だけが、
溶け、歪み、
白の中に異物として崩れ落ちていた。
「アーシェ、ここから抜けますよ」
姉は、
そこが最初から自分の領域であったかのように、
ゆっくりと拠点の外へ向かって歩き出した。
僕は頷き、
シグと共に、その背を追う。
「魔女が――死ね!」
怒号とともに、
罪の牙の戦士たちが、数人、姉へ刃を向けた。
だが。
姉は、立ち止まらない。
ただ、その視線が――
一瞬、彼らを捉えた。
次の瞬間、
刃を掲げていた兵士たちは、
足元から白に呑み込まれた。
叫びも、抵抗もない。
白になれない金属だけが、
地面に崩れ落ちる音を立てていた。
唖然と立ち尽くす――
ヘルムート、クリオ、そして敵の戦士たちの姿が、視界に映った。
もはや、一歩でも動けば、
その瞬間、姉の裁定が下る。
彼らはすでに、
白の宣告を受けていた。
◇
この森全体が白に染まっているように見えた。
だが――
それは、不思議な光景だった。
白に侵食されているのは、地面だけだった。
木々も、簡易な建物も、
白く見えてはいる。
だが、それは燃えたからではない。
風に舞う白灰が、
表面を薄く覆っているだけだった。
白炎は、
世界すべてを焼き尽くしているわけではなかった。
選ぶように――
“地面”だけを、
白へと変えていた。
「エルミナ様、アーシェ様、ご無事で」
猟兵数名と合流した。
エルミナは静かに頷き、
何も言わず、拠点の出口へと歩き出す。
そのとき――
ふと、視界の端に、あの二人の子供が映った。
先ほど見かけた兄妹。
怯えたまま、その場に立ち尽くしている。
「……ここは、危ないですよ」
エルミナはそう告げると、
静かに詠唱を始めた。
風が生まれ、
地を覆っていた白が、舞い上がり、散っていく。
白灰は空へと溶け、
その一帯だけ、元の色を少しずつ取り戻していった。
その横顔を見て、僕は気づいた。
姉の表情は――
どこか、悲しそうだった。
◇
僕たちは拠点を離れ、
森の中腹にある、少し高台のような場所まで来ていた。
振り返る。
そこから見下ろす拠点は――
一面、白い世界だった。
姉は、ゆっくりと詠唱を始めた。
その言の葉が終わると同時に、
残された灰から、白炎が静かに広がっていった。
あの場所は、
白へと変わった。
姉の眼差しは、
燃え上がる炎ではなく、
その向こうを、ただ見つめていた。
そのとき、姉が何を思っていたのか――
僕には、分からない。
ただ、
白炎は森の一帯を、
確かに「白」へと変えていた。
「アーシェ。
シアナも、母様も待っています。
帰りましょう」
白灰と残熱が舞う風の中、
姉の声が、静かに響いた。




