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主者選択   作者: シロイペンギン
責に沈む者 ― 少年編/ファルナへの帰郷
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白い炎

ポルト――

ヴァルデン領南端にある、小さな港町。


船を降りた瞬間、

桟橋の先に立つ二本の旗竿が目に入った。


灰狼を描いたセレストリア王国の国旗と、

アルヴェイン家の領旗が、

潮風を受けて、並んで揺れている。


ここは――間違いなく、故郷だった。


もっとも――

僕は、この町に来たことはない。


ヴァルデン領。

アルヴェイン分家、父ガイルの治める土地。


前世の感覚で言えば、四ヶ月ぶりくらい。

この世界の数え方なら、二期ぶり――

そんな感覚だった。


この世界では、正確な日付というものは曖昧だった。


暦そのものは存在するらしい。

国ごとに、権力者たちが定めた日付があり、

王宮や儀式では、それが厳密に運用されている。


けれど――

地方貴族である僕にとって、

それはどこか遠い世界の話だった。


年齢の数え方も、ずいぶん大まかだ。


一年は、季節の流れに合わせて

八つの「期」に分けられている。


春の前期、春の後期。

夏の前期、夏の後期。

そんな具合に。


人は、自分が生まれた「期」が巡ってくると、

一つ歳を重ねる。


例えば僕なら、夏の前期生まれ。

その期が訪れるたびに、

「また一年経ったな」と、そう扱われる。


ただ――

蒼の日は、例外だった。


雨に含まれるマナの状態によって定義されるその日は、

魔針と呼ばれる道具で測ることができた。

だからこそ、庵の者たちも、

そして関わる者たちも、

「その日」を明確に特定できた。



フェンと共に浅橋を抜けた、その瞬間だった。

領兵の列の奥に、懐かしい金の髪が見えた。


――エルミナ。


その姿を認識した瞬間、

視界から、他のすべてが消えた。


「エルミナ姉さん」


思わず、声がこぼれた。


「……アーシェ」


返ってきたエルミナの声には、抑揚がなかった。

それも、いつものことだ。


姉は何も言わず、ただ一歩近づいて――

静かに、僕を抱きしめた。


強くはない。

けれど、逃がさない腕だった。


この姉は、いつもこんなふうだ。

多くを語らず、感情も表に出さない。


前世の記憶を持つ僕は――

この九年間を共に過ごしてきたエルミナを、

近くて、しかしどこか遠い「姉」として受け入れていた。


「でも、姉さん……なぜポルトに?」

僕の迎えなら、シアナならまだしも、

エルミナがわざわざ出向くとは思えなかった。


「それは、私が説明します」

背後から、落ち着いた女の声が割り込んだ。

ミリア。

ユレッタでの作戦に同行していた、魔導戦士だった。


「ひとまず、駐屯地へ」


ミリアがそう告げた。


僕は頷いた――が、すぐに振り返る。

そこには、フェンがいた。


「アーシェ、じゃあ、任せたぜ!」


白い牙を見せて、いつもの笑顔。


「……もう、行かれるんですか?」


自分でも驚くほど、素直な声だった。

正直、もう少し一緒にいたかった。


「俺もな、この国で用があってよ」


フェンは、相変わらず軽い調子で笑っていた。


それ以上、何も言えなかった。

僕は、ただ頭を下げる。


フェンも何も言わず、

その背中を軽く叩いてくれた。


そのあと――

エルミナがフェンに歩み寄り、

短く礼を告げているのが聞こえた。


続いて、声を落として何かを話している。


距離があり、言葉は途切れ途切れだったが、

ひとつだけ、はっきりと耳に残った。


「……黒鳥」


胸の奥が、わずかに沈んだ。


フェンがここに来た理由を、

僕は完全には知らない。

それでも――

危険な道に足を踏み入れているのだということだけは、

なんとなく分かってしまった。


何も言えなかった。


ただ、

無事でいてほしいと、そう思った。


「フェンさん。

 ……また、あの裏路地で会いましょう」


僕がそう言うと、

フェンは振り返らず、手を上げた。


「おう!」


それだけ言って、

彼は人混みの中へ消えていった。



駐屯地。


ユレッタのものと比べれば、かなり小規模だった。

建物は低く、石壁も簡素で、常駐している兵の数も少ないのが分かる。


その一室へ案内される。


扉をくぐった瞬間、

視界の端に、いくつかの顔が入った。


ユレッタ遠征で、共に行動した者たちだ。


そして――


部屋の奥。

机に向かい、黙々と書類を整理している男。


記録官のノルドも、そこにいた。


彼は顔を上げ、僕を見ると、

ほんの一瞬だけ目を細めた。


そこに浮かんだのは、確かな安堵だった。


「……ご無事で、なによりです」


そう言って、静かに頭を下げる。


僕は、レオのその後を詳しく聞きたかったが

今は、それを口にできる空気ではなかった。


エルミナ、ミリア、そして見慣れた数人の兵たちが集まると、

記録官のノルドが口を開いた。


「アーシェ様も戻られましたので、改めて説明いたします」


一同の視線が、自然とノルドへ向く。


「東のカフの森にて――

 **《罪の牙》**の拠点を発見したとの報告が、斥候より上がっています」


室内の空気が、わずかに張り詰めた。


「我々は、同拠点の偵察、ならびに壊滅を目的として作戦を開始します」


ノルドは一拍置き、続けた。


「領主の裁可により、

 本作戦の全権は――

 エルミナ・アルヴェイン様」


一瞬、間を置いてから。


「そして、補佐として

 アーシェ・アルヴェイン様に委ねられます」


僕は、話があまりに唐突で、すぐにはついていけなかった。


「作戦の決行は、明朝――準備が整い次第となります」


ノルドの声が響き、

皆それぞれ部屋を後にしていった。


去り際、ミリアがふと立ち止まる。


「アーシェ様。レオは元気ですよ。

魔脚も適合していて、日常生活には支障もありません」


その言葉に、胸の奥がわずかに緩んだ。


「彼も、アーシェ様のことを心配していました。では、また明日」


そう言って、彼女は静かに扉の向こうへ消えた。


部屋には、僕とエルミナだけが残った。


「……アーシェ」


姉は、少し間を置いてから口を開いた。


「ファルナに帰りたいと思っているでしょうけど」


その声音に、責める色はなかった。


「けれど、これはアルヴェインにとって重大な問題なの」


淡々とした声。

命令でも叱責でもない。

ただ――事実を述べているだけだった。


「あなたは次期当主よ。

 だから、責任を持って向き合いなさい」


言葉は短く、鋭かった。


エルミナは、ふと何かに気づいたように視線を落とした。

僕の左手――消えない傷へ。


そして、静かに言った。


「残響石の魔力を、使ってしまったのね?」


その言葉は、責めるようでもあり、

同時に、確かめるようでもあった。


――残響石。


そのとき、僕は初めて、

あの石の名前を知った。


けれど、

その名よりも先に、僕の中に残ったのは――


『使ってしまった』という、その言葉だった。


まるで、

“使わなければよかったもの”を

僕が選んだかのような響き。


「アーシェ、話は聞いているわ。

アルセリアから魔導を教わっていたそうね」


一拍、間を置いてから、エルミナは続けた。


「たしかに、イレナ・アルセリアは偉大な魔導士よ。

それは否定しない」


そして――


「でも、魔導を学びたいのなら、

母様に頼りなさい。

アルヴェインに見合った師を、正式につけてもらうべきよ」


最後に、はっきりと。


「アルヴェインとして、

責任のある行動をしなさい」


エルミナの言葉に、僕は苛立ちを覚えた。

けれど――何ひとつ、言い返せなかった。


そう。


僕に、この世界で初めて“奇跡”を見せたのは、この姉だった。


僕の起源は、あの白い炎だった。


だから――

彼女を否定することなど、僕にはできなかった。


聞きたいことは、他にもたくさんあった。

それでも、どれひとつとして口にできないまま、


僕はその夜に沈んでいった。

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