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主者選択   作者: シロイペンギン
責に沈む者 ― 少年編/ファルナへの帰郷
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蒼の残響

夜になっていた。

雨は、もう上がっていた。


僕たちは――

“翼”と呼ばれる存在に導かれ、

ドレイナ近郊の拠点まで運ばれていた。


結局、

彼らが何者だったのかは、分からないままだ。


僕らを地に下ろし、

何も告げず、去っていった。


拠点には、すでに塔から救われた人々も辿り着いていた。


ロルとベルとの再会。

二人はこの遠征の結末――

そして、ダルカンが下した決断を悟り、声を殺して涙していた。


ここは、まだ敵の領域だ。

蒼聖騎士の追手が来るのも、時間の問題。


僕らの走竜も、すでに回収されていた。

その再会を喜ぶ暇すらなく――


僕たちは、夜の森へと踏み出した。



蒼聖騎士のほとんどは、蒼の日の儀のために首都ドレイナへ集結していた。


そのおかげで、街道は思っていたよりも安全だった。


僕たちは、何日もかけて東へ進んだ。


庵の人々は、遊牧民のように各地を移動して暮らしているらしい。

リメア泉の近くにあった隠れ村も、数ある拠点のひとつに過ぎなかった。


北の国には、さらに大きな拠点があるという。


「もう少し東へ進んだら、私たちは北の拠点へ向かう」


アイラは、そう説明してくれた。



さらに、数日が過ぎた。


あれからも、ユーナの様子は変わらなかった。

ベルが、ほとんど付きっきりで世話をしてくれていた。


やがて、街道は二股に分かれた。


東へ向かう道と、北へ向かう道。

ここが、蒼の庵の人々との別れだった。


「アーシェ」


アイラが、静かに声をかけてくる。


「ダルカンのことは……残念だった。

 ユーナのことは、頼んだ」


一瞬、言葉を探すように間を置いてから、彼女は続けた。


「世界は広い。

 たが、人生も長い。

 生きていれば……また、会える」


そう言って、蒼い髪を風に揺らし、

彼女は北へ続く道へ歩き出した。


百人ほどの庵の人々が、それに続く。


振り返る者はいなかった。


やがて、その背中が街道の先に溶けていく。


残されたのは――


僕と、クリオ、ユーナ、ベル、ロル。


五人だけだった。


僕たちは、東へ続く道を進み出した。



別れ際、アイラは僕たちに馬車を一台、残してくれた。


ユーナがこの状態では、

走竜を扱える大人は、もはやクリオ一人だけだった。


そのため、

二匹の走竜に馬車を引かせ、

そのうち一匹にクリオが騎乗する形で――

僕たちは旅を続けることになった。


走竜は、本来とても気性が荒い。

馬車を引かせるなど、普通なら不可能らしい。


だが、この二匹は違った。


竜は、ダルカンに強い敬意を払っていた。

そして――

その敬意の“残り香”のようなものが、

今も、僕たちに向けられているのだと分かった。


走竜たちは驚くほど大人しく、

何も言わず、静かに馬車を引いてくれていた。


馬車の中は、静かだった。

ほとんど会話はない。


けれど――

ベルは、常にユーナの様子を気にかけていた。

ロルは休憩や食事のたびに、黙って剣を振り続けていた。


それぞれが、それぞれのやり方で

失われたものと向き合っていたのだと思う。


そんな旅が、一ヶ月ほど続いた。


やがて――

遠くから、川のせせらぎが聞こえてきた。


胸の奥が、わずかに緩む。


とても、懐かしい音だった。


そして――

視界の先に、カナルスの東門が見えてきた。



カナルスには、昼頃に着いた。


馬車を止め、走竜を繋ぎ、

僕たちはそのまま街へ入る。


クリオがユーナを背負い、先頭を歩く。

僕とロル、ベルがその後ろに続いた。


屋台では、アズリンが売られていた。

甘い香りが風に乗って流れてくる。


――懐かしい。


けれど、

その懐かしさを、素直に受け取れる状況じゃなかった。


街は、何も変わっていない。

人の声も、石畳も、昼の光も。


変わったのは――

僕たちのほうだった。


裏通りに差し掛かる。

いつもなら、フェンが顔を出してきそうな場所。


……だが、誰もいない。


胸の奥で、小さな違和感が鳴った。


そして、辿り着く。


平凡な一軒家のような建物。

目立たず、飾り気もない。


――イレナの家。


クリオは、何も言わずに扉を開けた。


軋む音とともに、扉が開く。


彼はそのまま中へ入り、

僕たち三人も、無言でそれに続いた。


「ばぁちゃん、戻ったぜ」


クリオの声が、家の中に響いた。


返事はない。


しばらくして――

奥の方から、ゆっくりと足音が近づいてきた。


イレナが、姿を現す。


まず、ロルとベル。

次に、クリオの背のユーナ。


それから――

僕の左手に残った傷。


そして、

“いるはずのもの”が、いないこと。


イレナは、それらを一つひとつ確かめるように見てから、

何も問わず、ただ一言だけ――


「……おかえり」


それは、

すべてを理解した上での言葉だった。



僕たちは、家の奥へ進んだ。


クリオはイレナに、塔で起きたことを一つ一つ説明していった。

雨のこと、儀式のこと、そして――ダルカンの選択。


その話を聞いたときのイレナの表情を、僕は忘れないと思う。

声も、言葉もない。ただ、深く、理解してしまった顔だった。


ユーナの状態が「崩心症」だと知り、

しかも――イレナにも治せないと聞いたとき、

胸の奥が、静かに崩れ落ちた。


けれど、イレナは続けた。


新律派という集団が関わっていること。

そして――必ず、治療法はあるということを。


その言葉を聞いた瞬間、

僕の中で、ひとつの記憶が蘇った。


カロニアで見た、

“未来の僕”が残した文字。


『家族を、仲間を、救え。

 魔術を磨け。

 そして――医師として果たせなかったことを、果たせ』


さらに重なるように、

ダルカンの最後の言葉が胸に響く。


『お前は―選べ』


その瞬間、迷いは消えた。


僕は、決めた。


ユーナを治す。

崩心症の治療法を、必ず見つける。


それが――

僕が、この世界で選んだ道だった。



ロルとベルは、イレナさんのもとで世話になることになった。


そして僕は――

ヴァルデンへ帰ることを決めた。


イレナの話によれば、

崩心症とは――

人の心を構成する六つの要素、その均衡が大きく崩れることで発症する状態らしい。


そして、新律派という集団は、

その崩壊を人為的に引き起こす技術を持っているという。


おそらくユーナは、

蒼の儀式のために“哀しみ”を過剰に調整された。


現時点では、治療法はまだ見えていない。

だが、イレナは言った。


セレストリア王宮付きの魔導士の中に、

心の研究で名を知られた人物がいるという。


イレナは、王家に伝手があり、

その魔導士へ連絡を試みてくれているらしい。


だが――

二人の間には、過去にかなり深い確執があったという。


理由は聞かなかった。

ただ、その口ぶりから察するに、

積極的な助力は期待できない――それが現実だった。


その話をイレナが語ったとき、

クリオが、ふと視線を外した。


まるで、遠い場所を見ているように。


その意味を、

今の僕は、まだ理解できなかった。


答えへ至る経路は、まだ霧の向こうにあった。

けれど――

僕には、そこへ至る道があった。


三年後。

僕はアルヴェイン家の長男として、

父と共に「王位継承承認の儀」に参加することが決まっている。


それは――

その魔導士と、正面から向き合える

唯一にして、確かな機会だった。



二週間ほど、この川沿いの街で過ごした。


穏やかな日常だった。


そして――

僕が旅立つと決めていた日が、やってきた。


フェンが、セレストリアまで僕を送ってくれることになっていた。


カナルスに戻ってから、

彼とはまだ一度も顔を合わせていなかった。


朝食を終えたころ、

フェンがやってきた。


何も言わず、ただ――

僕の肩を、ぽんと叩く。


大きく、硬い手だった。

けれど、そこには確かな温もりがあった。


顔を上げると、フェンは

まるで――


「全部、分かってる」


そう言っているような顔をしていた。



準備は、もうすべて終えていた。


イレナの家の入り口には――

皆が、見送りに集まってくれていた。


クリオ。

ロル。

ベル。

イレナ。

そして――ユーナ。


それぞれが、それぞれのやり方で、

言葉や、視線や、沈黙をくれた。


僕は、それに応えるように――

一人ひとりの顔を、順に見た。


「……時間は、かかるかもしれません」


言葉を選びながら、僕は続けた。


「でも――必ず、ユーナさんの治療法を見つけます」


脳裏に浮かんだのは、

あのときのダルカンの背中。

大きくて、無言で、ただ前に立つ背中だった。


「そして、また戻ってきます」


それは約束というより――

すでに選んだ未来を、口にしただけだった。


この世界で。

いや、白井として生きた時間も含めて。


僕には、初めて――

自分で選んだ“目的”があった。


だから――

振り返らなかった。


フェンの背を追い、

僕はその暖かな場所を後にした。



フェンと並んで、カナルスの町を歩いていた。


彼はもう、いつもの調子に戻っていた。

そのことが、少しだけ嬉しかった。


僕たちは、街の北東にある船着場へ向かっていた。


カナルスのあるリヴァルナとセレストリアは、友好国だ。

だから、運河を越える船も定期的に行き来している。


ほどなく、目的地に着いた。


そこは、大層な港というわけではない。

小ぶりな船がいくつも並び、

人の往来も静かな――そんな場所だった。


「フェンさん……本当に、ありがとうございます。

わざわざ、セレストリアまで送ってもらえるなんて」


そう言うと、フェンは鼻で笑った。


「何言ってんだ。

ダルカンさんは俺の兄貴みたいなもんだったし、

ユーナは――妹みたいなもんだ」


そう言ってから、ぐっと親指で僕を指す。


「ってことはだ。

お前も、俺の弟だろ?」


ガハハハ、と豪快に笑う。


その言葉が、胸の奥にすっと落ちた。


――嬉しかった。


フェンは、停泊している一隻の船を指さした。


「あれだ!」


運河を越えるには十分すぎるほど、

しっかりした造りの船が、そこにあった。


僕たちは迷うことなく乗り込んだ。



しばらくして――

準備を終えた船は、

ゆっくりと岸を離れ始めた。


カナルスの町並みが、

少しずつ遠ざかっていった。


船には、僕たちと船員を含めて、

二十人ほどが乗っていた。

商人らしい者、冒険者風の者、目的も素性もばらばらだった。

誰もが多くを語らず、ただ水音に身を委ねていた。


運河を越えるのに、三十分もかからないと聞いていた。


船の行き先は――

ヴァルデン領南西、ポルト。


僕は、ゆっくりと離れていくカナルスの町並みを見つめていた。


日の光が、眩しかった。


――ひとつの冒険が、終わった。

そして、選んだ道を、歩きはじめた。

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