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主者選択   作者: シロイペンギン
哀雨に濡れし者 ― 少年編 /ドロレア潜行
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蒼の日 ― 見たい景色

前世は医師の家系だった。

そのレールに沿って、僕は医者になった。


そしていまの僕――アルヴェイン家の長男は、貴族だ。


たしかに、“継ぐ空気”のようなものはあった。

けれど、父も母もそれを強要したことは一度もない。


母が“魔導の名家”の出だと聞いたのは、エルミナからだった。


僕の部屋には、物心ついたころから

白銀の飾り石が壁に埋め込まれていた。


ゆっくりと光を脈打つ、不思議な石。


当時はただの装飾だと思っていた。


同じものはシアナの部屋にもあった。

おそらく、エルミナの部屋にも。


そして、いつだったか。


ユレッタへの遠征を告げられる少し前――

気づいたときには、その石が“部屋から消えていた”。


理由はわからなかった。

使用人が掃除で外しただけかもしれない。


けれど、不思議と、誰にも尋ねなかった。


激しい雨の音が、今の戦場に響き渡る。


今、剣を抜いて、初めて理解した。


あの白銀の石は

僕たち兄弟それぞれに“母から授けられた吸魔石”だったのだと。


何度もこの剣を抜いてきたのに――

どうして、気づかなかったのだろう。


この刃の芯は、あの白銀の石でできていた。


それは僕の魔力の脈動と、

まるで初めて“呼応した”かのように、確かに光っていた。


ここまでの経験と――

そして今、自分のリメアが“空っぽ”になったことで、

初めて気づいた。


この魔力の存在に。


吸われてきた“量”なんてわからない。

何度も剣を抜いたのに、一度も“感じ取れなかった”。


でも、ひとつだけ確信できる。


この世界での九年間、

ずっと僕のそばにあり続けて――


僕の魔力を吸い続けていた。


僕が泣いたとき。

怒ったとき。

迷ったとき。

誰かを救いたいと思ったとき。


リメアから自然と生まれたはずの“魔法になれなかった魔力”を、

この短剣は、静かに、確かに吸ってきた。


僕の感情と、意味と、未形の魔力。

そのすべてを、積み重ねるように。


まるで、

“いつか使う瞬間”を待っていたかのように。


「本当に困ったときにだけ使いな。

 ……それは“特別なもの”だよ」


――その声は、雨音の中にふとよみがえった。

イレナが旅立ちの日、僕の腰に短剣を結びながら言った言葉だ。


あのときは意味が分からなかった。


けれど今――

激しい雨と絶望の只中で、ようやく理解した。


あれは 選択 の話だったのだ。


“この銀の短剣を、いつ使うか”。


そして僕は――

今だ と思った。


だが、胸の奥に冷たい疑問が残る。


九年分とはいえ、

所詮は“人ひとり”の魔力。


この国じゅうから集められた

哀しみという“格”に――


僕の意味なんて、通用するのか?


その疑念が胸を締めつけた、その瞬間。


頬に、ひやりと冷たいものが触れた。


(……雨?)


違う。


無意識に視線を向けた。


そして――気づいた。


先ほど放った 氷界の矢 の軌跡が、まだ “生きて”いた。


暴風雨のただ中に、

一本だけ、細い“線”のような冷気が残っている。


その軌跡を通った雨粒だけが、

いまも 氷となって 塔を叩き続けていた。


その光景を見た瞬間、

胸の奥で――名前のない感情が、ふっと灯った。


(……この感じ)


前世で、白井として。

兄の手を引かれ、まだ見ぬ場所へ踏み出したあの瞬間。


この世界で、エルミナの白い炎を見たときの、

あの胸の奥がひらくような感覚。


恐怖もある。

責任の重さもある。

死の気配すら、すぐそばにある。


なのに――


その感情だけは、強くなる。


――9歳の身体の、成長途中の脳がくれる“高揚”なのか?


理由はわからない。


ただ、確かに今、胸の奥が熱かった。


現状や可能性、手段――

そういう“現実”よりも、

ただ “見たい景色” が、僕を支配していた。


そして――僕は走り出した。


暴風雨を裂くように。


その瞬間、ダルカン、クリオ、

そしてザイアスの視線が一斉にこちらへ向くのを感じた。


僕は、先ほど放った 一本目の矢 と

垂直に交差できる位置 を正確に計算しながら走る。


狂戦士の一体がこちらへ向きかけた。


だが――

クリオの刃がその進路を断ち切った。


僕は、狙っていた“その場所”に立った。


雨の轟音の中に、

ひとつだけ静寂が生まれた気がした。


使い方は――直感でわかった。


いや、違う。


あの狂戦士たちに刺さる吸魔石を見たときから、

“どうすれば届くか”は身体が理解していた。


僕は右手で短剣を抜いた。


銀の刃が、暴風雨のなかでも

ひときわ鋭く光った。


左手を――

濡れた石の地面へそっとかざす。


ザザ……ッ。

雨粒が掌を打つ音だけが、やけに鮮明に響いた。


……静かだった。


世界が一瞬、呼吸を止めたようだった。


そして僕は――


右手の短剣を、左手の甲へ突き刺した。


シュッ。


左手を貫通し、

濡れた石の“硬さ”が、右手へ直接伝わる。


血が流れる感覚も、痛みも――なかった。


次の瞬間


どこか懐かしさを感じた。

そんな“意味”と“感情”が、僕の中で静かに湧き上がる。


この世界で、

魔法になれずに消えていった、

僕のすべての魔力。


それらが、いま――

一気に“戻ってくる”のを感じた。


胸の奥が震える。


剣から、左手へ。

左手から、僕のリメアへ。


奔流のような魔力が――あふれ出した。


見たい景色が、胸いっぱいに満ちた。


僕は右手を前へ突き出す。


雨を割るように伸びた指先が――

そのまま“矢”の形をつくった。


親指が魔力の軸を示し、

人差し指と中指が氷の矢の方向を定める。


その形のまま、

リメアで再構築した魔力を一点へ集束させた。


掌の中心が蒼白に光る。


その瞬間――

この場の魔力の流れを、自分が支配していると直感した。


「あのガキを殺せ!」


どこか遠くで誰かが叫んだ。

だが、その言葉は僕に意味として届かなかった。


魔力が――臨界に達する。


僕の周囲の雨粒が、

降りきる前に 凍りつく。


「――氷界の矢」


放たれた。


矢の軌跡に触れた雨が一瞬で凍り、

氷の連鎖は空へ一直線に伸びる。


そして――

1本目の矢が残した冷気の軌跡と交差し、

雲の心臓へと突き進んだ。


冷気と雨と砕けた氷が空間を荒らし、

視界はぐしゃりと乱れた。


空へ伸びる 二本の矢の軌跡が拡散し、

暴風雨の中で揺らめく。


この場にいる者は皆――

敵味方を問わず、一瞬だけ“やるべきこと”を見失った。


ただ激流の中に放り込まれ、

判断が、視界が、意思が、曖昧になる。


雲は――まだ落ちていなかった。


「……早く。そのガキを殺しなさい」


ザイアスは安堵したように、吐き捨てる。


その声で意識を引き戻されたように、

クリオを弾き飛ばした二体の狂戦士が、

一気に僕へ迫った。


だが――


僕は、もう“そこにはいなかった”。


ただ一人。

僕だけは、次にすべきことを見失っていない。


2本の矢の交わる点。

その――真下。


僕はすでに、そこへ走り込み、立っていた。


左手は地面にかざしたまま、

突き刺した短剣がまだ薄く脈動している。


右手の二本の指は、まっすぐ雲へ――

“最後の一点”へ向いていた。


息を吸う。

世界がわずかに静まる。


「――氷界の矢」


解き放たれた。


三本目の矢は――

空を裂き、二本の矢が描いた交点を正確に貫き、雲へ突き刺さった。


その瞬間、


――世界が、裏返った。


さらなる冷気が天へ奔り、

雨粒という雨粒が、一斉に 氷の粒へ変わる。


カララララッ――!!


塔頂を揺らす轟音。

世界が白く砕ける。


寒い。

凍えるはずなのに――


胸の奥だけが、なぜか温かかった。


(……届いた)


光が落ちてきた。


雲が、落ちた。


空を覆っていた暗い層が、

砕かれた巨壁のように崩れ落ちていく。


暴風も、雨音も――消えた。


静かだった。

息が吸えるほどの静寂。


そして、


雨は、もう降っていなかった。


塔頂に、

ひと筋の 日の光 が差した。

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