蒼の日 ― 雲の中の戦場
戦いは――すでに始まっていた。
ダルカンとクリオは六体の狂戦士と交戦していた。
雨と火花が交錯し、金属の悲鳴が塔の頂を震わせる。
その少し後ろで、ザイアスがただ一人、
まるで余興を眺めるかのように不気味な微笑みを浮かべていた。
ダルカンが飛び出す直前、
彼は振り返りざまに短く命じた。
「アーシェ、距離を取って待機しろ。」
その瞬間――
なぜか彼の視線が一瞬、僕の腰の短剣に向いた気がした。
理由は分からない。
だが、彼は“何かを知っている”ような目をしていた。
僕はイレナに教わった基本防御魔術を詠唱し、
蒼い雨の中に 蒼い雨の中に、小さな**障壁**を展開する。
揺れる障壁越しに、戦いが見える。
ダルカンの剣が雨を断ち、
クリオの影が狂戦士の間を駆け抜ける。
僕は――ただ見ていた。
いや、正確には “観察していた”。
まるで前世で、
検査結果の波形や画像から
最適な処置を選ぶときのように。
単純な殴り合いだけを見れば――
ダルカンとクリオが押しているように“見えた”。
だが、決定的に違う。
あの狂戦士たちは、不死身だ。
ザバのときと同じ。
刺した吸魔石が塔の魔素を吸い上げ、
肉も骨も、いくらでも再生してしまう。
斬っても、砕いても、倒れない。
(……戦いが長引けば、確実に負ける)
そう考えた瞬間――
空気が、ひとつ震えた。
祭壇の前で動かなかったザイアスが、
ようやく“口を開いた”。
低い声で、短く、淡々と。
詠唱だと理解した次の瞬間――
世界が動いた。
屋上に降り注ぐ数えきれない雨粒。
そのうち、半数近くが――
弾丸になった。
雨粒が、雨ではなく“質量”を持つ。
空気を裂き、石を砕く速度で。
バラララララ――ッ!!
暴風雨の中を逆巻く弾丸の嵐が、
射出口を失った銃のように四方へ散る。
その軌道は容赦なく狂戦士たちもろとも
ダルカンとクリオへ襲いかかった。
視界が白い筋で埋まる。
(まずい――!)
戦場の重心が、一気に崩れた。
◇
雨の弾丸が、戦場に降り注ぐ。
狂戦士は――何度撃たれても再生する。
だが、生身のダルカンとクリオには
傷が確実に蓄積していく。
この雨こそが敵の領域だった。
しかし、
ダルカンの剣は、その理不尽さを“力”でねじ伏せていた。
振るうたびに空間がわずかに裂け、
生まれた歪みがそのまま“障壁”となって雨弾を弾く。
その状態でなお、
狂戦士の爪も拳も、寸前でいなし、切り捨てる。
ダルカンの動きは、
一挙手一投足が“次の一手”いや――
何手、も先を読んだ最適解の連続だった。
まるでこの場のすべてが、
雨粒でさえ、狂戦士でさえ、
“ダルカンの意図に沿って”動かされているように見えた。
その背中は、
戦場ではなく“答えの出た盤面”に立っているかのようだった。
対してクリオは――
どれだけ速くても、この“弾丸の雨”をすべて避けきれるはずがない。
ピシュッ、ピシュッ!
身体をかすめる雨弾が次々に命中し、
服は裂け、皮膚に赤い線が刻まれていく。
一発一発の威力は低い。
だが、“積み重ね”が致命的だ。
雨が重りになり、
血が体温を奪い、
動きを――鈍らせる。
そしてついに――
クリオの足が、ほんの一瞬だけ遅れた。
その刹那、ダルカンが迷わず叫ぶ。
「クリオ、下がれ! 一旦アーシェのところへ!!」
短いが、雷のように鋭い声。
クリオは息を荒げながら、かすかに頷いた。
「……了解」
いつものような俊敏さはもうない。
それでも狂戦士の腕の隙間を縫い、
雨弾に打たれながら、必死にこちらへ退く。
血が、雨に混ざり、細い赤の軌跡を作った。
「アーシェ……悪い、治癒……頼む」
僕は迷わず頷く。
掌をかざした瞬間、
淡い光がクリオを包み込む。
傷口が閉じ、血が止まる。
雨の重さが、少しずつ剥がれていく。
「まずいな……この雨の中じゃ、不利すぎる。
巫女がユーナだったのが効いてる」
クリオはそう言った。
意味の全部が理解できたわけじゃない。
“巫女がユーナだから雨が強まるのか?”
“この雨がどう不利につながるのか?”
僕には、その理屈はまだ分からない。
けれど――
肌を刺す冷たい痛み。
マナの感触。
動いた瞬間、身体が沈むように重くなる感覚。
それだけで充分だった。
この雨そのものが――敵の領域だ。
理屈ではなく、直感でそう思った。
祭壇の方では、ダルカンが――
六体の狂戦士を相手に、たった一人で立っていた。
その剣はなお鋭く、圧倒的だったが……
それでも、蒼い雨弾を浴びていくうちに、
肩や腕、頬に細い傷が増えていくのが見えた。
(……まずい)
あのダルカンでも、この雨の領域では押し切れない。
胸が強く締めつけられる。
「クリオさん」
僕は息を呑んで、決意を口にした。
「僕がこの雨を消します」
クリオの動きが止まった。
信じられないものを見るような眼で、こちらを向く。
「……何言ってんだ、アーシェ。
無理に決まってるだろ。」
即答だった。
怒鳴りはしない。
だけど、それは“常識を超えている”と言わんばかりの声。
この国で降りしきる“哀雨”を止めるなんて――
普通なら、誰もできないと分かっている。
けれど僕は、ただまっすぐに言った。
「……やらなきゃ、勝てません。」
僕の言葉は、暴風雨にむしろ“逆らうように”響いた。
クリオが動揺し、ダルカンが前線でわずかに反応したその刹那。
――僕は考えていた。
(この雨に感じる違和感。
地上で感じる雨より近い。)
胸の奥で、何かがカチリと噛み合っていく。
雲の塔。
その名だけだと思っていた。
でも――違った。
僕はふと、周囲を見渡した。
暴風で歪む白い帳。
視界を覆う濃い霧。
いや、霧じゃない。
(……雲だ)
塔の頂きは、本当に雲の中に突き出していた。
そして――
(この雨は真上……“雲のすぐ下”から落ちてきている)
つまり……
(――雨の源は、限りなく近い)
雨は空から降るもの
だが、ここはもはや空だった。
今、僕が立つこの場所からなら雨の“核”に届く。
それに気づいた瞬間、胸の奥に銀の熱が灯った。
◇
雲について、僕が知っていたこと。
白井悠真として――
ほんの少し、触れた程度の知識。
多くはない。
ただ、たった二つ。
――軽いから空にある。
――上昇気流で支えられている。
雲は浮かぶ。
その“条件”が崩れれば、雲は落ちる。
この塔の正確な高さはわからない……でも
雲の中にいる。
周囲は霧ではなく、明らかに“雲海”だ。
1000メートルは超えている。
だが――それでも。
雲が“ここにある”のは、低すぎる気がした。
雲は本来、もっと高い場所に浮かぶはずだ。
(……この高さで、雲が直頭上にある?)
違和感が、胸の奥でじわりと広がる。
障壁に弾かれた雨粒が、
まるで石を叩きつけるような音を立てた。
バチンッ……バチンッ!
……雨が近い、それでも頭上から降っていた。
分からないことは多い。
ただ――ひとつだけ確かなことがある。
雲は冷やせば、重くなる。
その仕組みがこの世界でも通じるなら、
雲を更に“落とす”ことで、この頂きから雨を消せる。
僕にできる手段はひとつだけだった。
氷界の矢――。
以前、一度成功させたことのある魔法。
雨や水に“連鎖”して届く、僕の唯一の“雲への接続線”。
因果の距離は大きい。
だけど――
(……今のリメアなら、いける)
両手が光に包まれた。
その瞬間、雨音が一拍だけ弱まった気がした。
空気が、僕の魔力の“構築”を待つように静まる。
僕は障壁をとき、
暴風雨へ向けて――矢を放つ。
「氷界の矢――。」
氷の矢が奔った。
雨粒が触れたそばから凍りつき、
凍結は鎖のように連鎖し、
一直線に雲へ伸びていく。
塔全体が震えるほどの冷気が広がる。
クリオもダルカンもその気配に一瞬だけ振り返った。
ザイアスの視線も、確かに僕へ向いた。
次いで――空気が弾ける。
雲の核に、確かに“当たった”。
冷気が吸い込まれるように集まり、
雨脚がほんの一瞬だけ弱まった。
(……下がる! これで――)
そう思った、その刹那。
――雲は、動かなかった。
冷気は――確かに届いた。
だが、雲はそこに“貼り付けられている”かのように、
空から離れなかった。
◇
既に、冷気は消えていた。
僕はすぐに気づいた。
(……違う。
方法が間違っていたわけじゃない)
氷界の矢は雲に届いた。
連鎖は成立した。
理屈も因果も、合っていた。
しかし――
出力が足りなかった。
胸の奥がひやりと凍る。
降り注ぐ雨が、ただの水ではないのは、もう分かっていた。
この重さ。
この圧。
この皮膚の裏まで染み込んでくる“痛み”の質。
(……この雨の中にあるのは“哀しみの魔素”)
意図せず、言葉が胸の中に浮かぶ。
哀しみの魔素。
それは――
この国じゅうから集まった悲嘆の集合体。
(僕の魔力量じゃ……どうしようもない)
やっと理解できた。
僕の冷気は“届いた”。
でも、それは――
海に氷の欠片を落とした程度にしかならなかった。
僕ひとりの魔力では――
絶対に落ちない。
雨がさらに強まる。
塔が軋み、まるで悲鳴を上げているようだった。
ザイアスの笑みが、遠くでひどく歪む。
そして――
ダルカンの肩が沈んだ。
背に深い斬り傷。
腕から血が滴り、呼吸は荒く、足元がわずかにふらついている。
(……まずい)
戦闘経験の浅い僕にでも分かった。
もう長くはもたない。
再び前線に戻ったクリオも息が荒い。
雨弾に削られ、動きが鈍っている。
そして――僕自身。
(……リメアが……からっぽだ)
先ほどの氷界の矢でほとんどの力を使い果たした。
胸の奥は空洞みたいで、光がまったく灯らない。
終わりだ。
そう思った瞬間――
光った。
腰の短剣だ。
かすかに脈打つ魔力。
……間違えようがなかった。
そこに宿っていたのは――
僕自身の魔力だった。




