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主者選択   作者: シロイペンギン
哀雨に濡れし者 ― 少年編 /ドロレア潜行
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蒼の日 ―火葬―

塔の中――。


外壁も白みを帯びた蒼だった。

だが、内壁はそれよりもさらに白く、淡く、透けるような蒼をしていた。


淡い光を放つ吸魔石が、空間をぼんやりと照らしている。


――ここが“哀しみの魔力”で満ちた空間なのだと、色が語っていた。


僕たちが通った南の入り口。

そのはるか逆側の闇の果てに、ぽつりと灯る小さな明かりが見える。


あれが――北の入口。


ユーナたちが運ばれていった場所だ。


距離は信じがたいほど離れているのに、

その光だけは闇に呑まれず、確かに揺れていた。


おそらく千メートルを超える巨塔。

その底部となる一階は、前世で見た野球球場を

そのまま石造りに変えて閉じ込めたような広さだった。


湿った石床が果てなく続き、

視界の奥には、人の背丈の何十倍もある“柱の森”が沈黙して立ち並んでいた。


その広大な空間の中央。


天へ向かって影が昇るように、

巨大な螺旋階段がうねり上がっている。


階段というより、

塔の中心に突き立てられた“竜骨”。


上へ、さらに上へ。

霧の天井へ飲み込まれるように続いていく。


――終わりが見えなかった。


僕たちは、ただ黙って、

その螺旋階段へ向かって走り出した。



外で雨が降っているのがわかった。

入口の方から、その音がかすかに流れ込んでくる。


……誰かが、泣いている?


そう感じて、思わず足を止めた。


耳を澄ます。

それは人の声じゃなかった。


激しい雨が塔の外壁を叩きつけ、

その振動が内部で幾重にも反響し――


すすり泣きとも、嗚咽ともつかない“鳴き声”に変わって響いている。


塔そのものが、泣いているみたいに。


雲の塔と呼ばれているけれど、

この瞬間の僕には――

まるで「哀しみの塔」と呼ぶ方がふさわしく思えた。


魔力の乱れを――感じた。


空気がざらりと逆立つような、皮膚を撫でつける嫌な気配。

塔へ踏み込んだ瞬間から微かに漂っていたが、

一歩進むたびに、まるで濃霧のように“濃く”“重く”なっていく。


(……中層以降が無響区だと聞いている。これが、その“前兆”か)


呼吸するだけで、喉の奥にざらつく違和感が残る。

空気そのものが、どこか“捻れて”いる。


けれど――それだけじゃない。


隠れ村での吸魔石との格闘。

あの一カ月、リメアと魔力に向き合い続けた日々。


その経験が、今の僕に“別の感覚”を生んだとすぐに分かった。


以前より――

魔力というものが、空気の温度変化のように自然に感じ取れる。


だからこそ、理解できてしまう。


――この場所は、明らかに“普通ではない”。


ただの塔じゃない。

外の世界とは異なる理で満たされた、“異質な領域”。


一歩、また一歩と進むたびに、

胸の奥がきゅ、と縮むような緊張が走った。



僕らは上層へと続くという階段を目指して、

湿った石床をひたすら駆けていた。


しばらく進んだその時――


「アイラ、頂上へは――俺とクリオ、そしてアーシェの三人で向かう。

 お前は残りを連れて、脱出経路の確保に回れ」


ダルカンの声が塔の内部で鋭く反響した。


空気がぴたりと止まる。


入口で戦っている二十名の仲間のおかげで、僕たちは塔に入れた。

だが、その代償として――

突入部隊はすでに“二十名ほど”にまで減っていた。


ダルカンは、いま最も合理的な判断を口にしたのだろう。


アイラは足を止め、短く息を吸ってから、

ゆっくりと僕の方に視線を向けた。


「アーシェは子どもよ。

 村で見た限り、魔法の素質はありそうだけど……本当に戦えるの?」


胸の奥を刺されたような痛みが走った。


――僕は、人とは戦えない。


ヒトを前にした瞬間、

リメアが“意味”を紡がなくなる。


魔力と向き合った日々の中で、

理由ははっきりしていた。


僕の中には――

白井悠真として生きた三十年が造り上げた“意味”が刻まれている。


「人を、傷つけてはいけない。

 人を殺してはいけない。」


医師として、日常として、当然のように染みついた価値観。

それは白井悠真の“禁忌”だった。


だから――

人に魔法を放とうとした瞬間、

リメアは“殺意という形”を絶対に結ばない。


まるで僕自身が、その行為を拒んでいるみたいに。


胸の奥に、冷たい痛みが広がる。


「問題ない。中層以降は無響区だ」


ダルカンが淡々と言った。


(……どういう意味だ?)


僕には理解できなかった。

今の僕の問題に対して、何一つ答えになっていない。


「……私は、七歳の子供が戦力になるのか、と聞いているのよ」


アイラの声は鋭いが、怒気ではなかった。

“命”を預かる者の真剣さだった。


アイラは僕の“対人戦の可否”ではなく――

七歳の子供を、この先にある“本当の死地”へ連れていけるのか。

その一点だけを案じている。


一方で、ダルカンは――

僕が“ヒトと戦えない”ことを知っている。


そして魔響区なら、その問題が解決できると思っている。


二人の認識は噛み合っていない。

僕の不安とも噛み合っていない。


(……魔響区なら、僕でも戦える?

 どういう意味なんだ?)


疑問は霧のように胸に溜まり、

答えは誰からも与えられないまま――


僕たちは、塔の奥へと進んでいった。



螺旋階段へ近づいた、そのとき――。


階段の根元に、蒼聖騎士たちがずらりと並んでいた。


しかし、違和感はすぐに走った。


動かない。

呼吸の音もしない。

ただ、塔に反響する雨音だけが、空っぽの鎧の中を通り抜けている。


「――殉死者だ。皆、警戒しろ!」


アイラの声が鋭く響いた。


胸の奥がひやりと震える。


殉死者――。


以前、屋敷で学匠から習ったことがある。

死者の肉体に“魔力の残滓”がまとわりつき、

意思を奪われたまま動かされる存在。


この世界でいう“アンデッド”。


だが目の前の蒼聖騎士は、その知識よりさらに異様だった。


外で見た蒼聖騎士たちは、どれも整備され、澄んだ蒼を放っていた。

対して、ここにいる騎士たちは――


鎧が黒ずみ、錆びつき、

肩の装具も、古い様式のまま硬直している。


“現役”の騎士ではない。

生きている人間が着ている動きではない。


さらに近づくと――

鎧の隙間から覗く部分が、人の形を保っていないのが見えた。


干からびた皮膚が石のように硬化し、

骨のような影が、鎧の継ぎ目で不自然に浮き上がっている。


(……儀式に同行させられ、そのまま死んだ者たち……?)


この塔の底に、放置されていた“成れの果て”。


ただそこに立っていただけの殉死者たちが、

僕たちの足音を察知した瞬間――


ギ…ギギ……。


鈍い音を立てて、動き出した。


二十はいる。


その動きは遅い。

しかし、一体一体が“死を引きずったままの重さ”を帯びていた。


階段の根元で、

死者たちが僕らの行く手を塞いだ。



戦いは――避けられなかった。


螺旋階段の根元で立ち塞がる殉死者たちへ、

村の戦士たちが次々と飛び込んでいく。


剣戟が鳴り響く。


僕は少し距離をとり観察していた。


殉死者の動きは鈍い。

だが、遅いのに……読めない。


踏み込みに癖がない。

腕の振りに迷いも、意図もない。

生者が必ず持っている“律動”というものが消えている。


だからこそ、動きに型や法則性がなく、

目の前で繰り出される斬撃は、逆に恐ろしく感じた。


素早くはないのに――避けづらい。


生き物が自然に持っている「間」がない。


戦士たちが捌くたび、

殉死者の鎧がきしり、

中で干からびた肉が砕けるような音が響く。


雨の反響音の奥で、

どこか遠くから聞こえるような呻き声が混じった。



戦いは続いていた。

何人かの戦士は傷ついていた。


ここで、ここ以上戦力を減らすわけにはいかない。


殉死者――人ではない。


(……なら、僕でもできる)


「……できます!」


自分でも驚くほど強い声が、塔の空洞に響いた。


隣でダルカンとクリオが、迷いなく頷く。


「任せた」


「行け、アーシェ」


その一言で、胸の奥の恐怖が静かに引いた。


アイラの視線が、肌に刺さるほど強く向けられているのを感じた。

――まるで、僕という存在そのものを“量っている”かのように。


炎の構造に、“蜥蜴という意味”を重ねる。

リメアの底で紡がれる因果が、魔力へと変換されていく。


(……この“ズレ”なら、“マナ”は反応する)


確信とともに、僕は手を突き出した。


指先に――熱が集まる。

魔力が、確かな“形”を得ようとしている。


吸魔石へ魔力を注ぎ続けたあの日々が、

今、この瞬間に“底の広がり”として、はっきり息づいていた。


火の“意味”が、形になろうとしている。


「――火蜥蜴ひとかげ


パッ。


青い火花が弾け、

炎の蜥蜴が一匹、二匹……と次々に形を成す。


蒼白い炎――

そしてその姿は、以前より“獣めいて”いた。

四肢の形状や爪のラインが、どこかリザードマンの影を思わせる。


一体、二体、五体、十体。


(十……!)


かつて三体を作るだけで必死だったのに、

今は、まだ魔力に“余裕”さえある。


確実に――

リメアが、僕自身が、成長している。


十体の火蜥蜴が一斉に駆け出した。


カッ……!


蒼い尾を引きながら、殉死者たちへ飛びかかる。


炎が鎧に噛みつき、

水蒸気のような白い靄が上がる。


殉死者の動きが止まり、膝が折れ――

崩れ落ちる。


死者には痛覚がない。

ただ、命の残滓が焼け落ちるだけだ。


火蜥蜴たちは次々と跳び移り、

階段前の殉死者を一掃していった。


蒼い炎が塔の内壁を照らし、

反響する雨音さえ――まるで塔そのものが泣き叫ぶ声のように震わせていた。


塔の空気が、ひと呼吸だけ静かになった。


ぱち、ぱち、と。

炎が殉死者の鎧を舐める音が、静かに空洞へ広がっていく。


そして――


燃え残った殉死者の鎧が、

ぱき……と乾いた音を立てながら崩れ落ちた。


僕は、小さく息を吐いた。


炎に包まれ崩れていく影を見ていると、

なぜか“白い部屋”と、あの最後の面談室が脳裏をよぎった。


死者は炎で送り出された。

悲しみと、祈りと、静けさの中で。


目の前で燃える蒼い鎧。


こんな姿になってまで、

いったい何を全うしようとしているのだろう。


僕には分からなかった。


それなのに――

胸の奥のどこかが、静かに疼いた。


悲しみでも恐怖でもない。

ただ、**“死者へ向く不可思議な感応”**のような。


そう思った瞬間だけ――

僕は他のすべてを忘れていた。


塔の泣き声も、雨の轟音も、戦いの息遣いも。


ただ、燃え落ちていく蒼い鎧を見つめていた。


その蒼が揺らぎ、炎が消えていく頃になって――

ようやく、僕は現実へ引き戻された。

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