蒼の日 ―突入―
雨が、さらに強くなっているのを感じた。
ざああ――という音が、大地そのものを削るような勢いだ。
そのとき。
アイラのもとへ、斥候らしき者が操る走竜が泥を跳ね上げながら駆け込んできた。
息を荒げたまま、何かを短く伝える。
アイラの表情が――わずかに、しかし確かに険しくなる。
そして振り向き、全員に告げた。
「北で待機していた者たちからの連絡が途絶えた。
……おそらく、奴らは“北の入り口”から塔に入った。
予定より、かなり早いわ」
ざわ…と――五十名の間に緊張が走る。
僕たちは“南の入り口”へ向かう予定だった。
予定通り、その入り口を目指す。
◇
塔が――目の前にまで迫ってきた。
近づけば近づくほど、その“異様さ”が増していく。
眼前にそびえる黒い壁は、もはや建造物というより大地から突き出た巨大な断崖のようで、
首をどれだけ反らしても、その頂は雲に隠されて見えない。
想像を絶していた。
息を呑む間もなく――
ガアァン!!
遠くで金属がぶつかり合う音が、雨の帳を切り裂いて響いた。
続いて、怒号。
剣と剣がこすれる高い火花の音。
「……もう始まってる!」
誰かがそう叫ぶ。
視線の先では、蒼い鎧に身を包んだ騎士たちが、庵の戦士たちと激しくぶつかり合っていた。
蒼聖騎士――!
その青い鎧は、雨粒を弾いて鈍く光っている。
庵の仲間が必死に足止めしているのが分かった。
「アイラさん! 突破口は開いてます!」
雨の壁を突き破るように、庵の戦士の声が響いた。
その報告に、アイラは振り返りもせず片手を上げる。
「――全隊、前進!」
その一声で、走竜たちが一斉に速度を上げた。
蹄が泥を跳ね上げ、雨を切り裂き、呼吸が荒くなるほどの加速。
僕もダルカンの背に必死でしがみつきながら、前方へ視線を向ける。
そこで気づいた。
地面が変わっている。
ぬかるんだ泥の感触がふっと軽くなり、
走竜の蹄が叩く音が――
土から、石へと変わった。
塔へと続く大地は、まるで巨大な手で磨かれたかのように滑らかで、
青白い円形に広がっている。
その中央の先――
蒼い鎧の騎士たちと、庵の戦士たちが激突していた。
火花が散る。
雨も蒸発しそうなほどの殺気が渦巻く。
アイラが剣を抜きながら叫ぶ。
「突入隊は突破口へ! 遅れるな!」
僕たちはその指示に従い、石の大地を走り抜けた。
塔の巨大な影が、頭上へ覆いかぶさる。
ここまで来て、初めて分かった。
塔は青白く、まるで哀しみの象徴のような色をしていた。
雨がその表面を伝い落ちるたび、
塔の外壁がまるで泣いているように見える。
冷たく、重く、無機質なのに。
胸の奥がざわつくほど“感情”を帯びた色だった。
「……これが、雲の塔……」
誰の声だったのか。
自分の声だったのかさえ、わからない。
過ぎゆく石の地面に――ふと目が引き寄せられた。
人の形を思わせるような、黒ずんだ染みが点々と残っている。
雨に打たれ続けているのに、
どれもまったく薄れない。
まるで石に“焼きついた”影――
消えることを拒むような、最期の跡。
僕が思わず息を呑んだ、そのとき。
ダルカンが、低く、押し殺すような声で言った。
「あれが……儀式の正体だ」
その声は雨音に紛れず、まっすぐ届いた。
「魔響区を進めない者は、中層のあのバルコニーから落とされる。
魔力耐性が高い者は……頂上からだ」
走竜の蹄が石を叩く音が遠のくほど、
ダルカンの言葉だけが重く沈んでいく。
「叩き落とすだけの……惨殺だ」
雨の帳の奥にそびえる塔。
その側面の中腹――ぼんやりと黒い突起が見えた。
あそこが中層のバルコニー。
無数の黒ずみ。
消えない影。
ここで、どれだけの命が……。
胸の奥が凍りついた。
◇
戦いの間をすり抜け、
火花と剣戟の音を背に受けながら――
ついに、見えた。
雨の帳の向こうに、
巨塔にふさわしい“巨大な入口”が口を開けていた。
あまりにも大きい。
まるで塔そのものが、侵入者を飲み込むための“顎”を広げているようだった。
「降りろ!」
ダルカンの声と同時に、僕らは走竜から飛び降りた。
石の地面が足裏を強く打つ。
跳ね返る水音が、胸の奥まで響いた。
僕は振り返り、わずかに首を傾ける走竜と視線が合った。
濡れた睫毛の奥で、竜の黒い瞳が揺れている。
(……また、必ず会おう)
心の中でそう告げると、走竜はひとつ短く鼻を鳴らした。
別れの声にも、激励にも聞こえる音だった。
僕たちは走り出した。
入り口は、もうすぐそこだ。
――だが。
蒼い鎧の群れが、入口付近で庵の戦士たちと激しくぶつかり合っていた。
雨に濡れた蒼鎧の反射光。
剣がぶつかる鉄の悲鳴。
足元で流れる赤い水――。
どう見ても、庵の戦士たちは劣勢だった。
その様子を一瞥したアイラが、迷いなく声を張り上げる。
「ここを抑える者、二十! 前へ!」
その号令に応じ、二十名の庵の戦士が迷いなく前へ歩み出た。
剣を構え、雨を払うように足を踏み込み――
次の瞬間、蒼聖騎士の群れへ一直線に突っ込んでいく。
斬り結ぶ音が炸裂し、火花が雨に散った。
仲間たちが切り開いたその“細い隙間”が、前方へと開く。
「今だ、行け!!」
アイラの叫びが、落雷のように響いた。
僕たちは石段を駆け上がり、入口へ走った。
そして――
ついに、塔へ突入した。
踏み込んだ瞬間、空気が変わる。
外の湿った雨の匂いが急に薄れ、冷たい石の匂いが肺に刺さる。
背後から聞こえていた戦いの怒号が、遠く、遠くに引いていく。
足を一歩踏み入れた瞬間――
ぞくり。
背筋に、氷の指でなぞられたような震えが走った。
ここは、もう別の“世界”だった。




