淡い光
終わりのない雨は、岸壁の“蓋”によってぴたりと遮られていた。
小舟を浅瀬へ寄せ、僕たちは静かに陸へと降り立った。
さっき湖面から見えた隠れ村は、この浅瀬を上がってすぐ先にあるのだろう。
ここは天の岩に覆われ、外の曇り空よりも――さらに暗かった。
すぐに村に着いた。
入口には見張りの男が一人、静かに立っていた。
顔見知りなのだろうか。
ダルカンの姿を目にした途端、見張りの表情がわずかに動いた。
「ダルカン、無事だったか?
イレナさんから連絡は受けてたが……到着予定より遅かったから、皆心配してたぞ」
男はそう言ったあと、少し訝しむような顔つきになり、続けた。
「……ユーナはどうした?」
その問いに、ダルカンは簡潔に事情を説明した。
「そうか……。カロニアの拠点との音信が途絶えて、何かあったと皆騒いでいたが……そんなことがあったのか。
――とにかく、**長**のもとに案内する」
男はそう言って、僕たちを村の中へ案内した。
ここは、不思議な場所だった。
前方には切り立つ岸壁、背後には雨に煙る外界と広大な湖。
村のあちこちには、奇妙な石がいくつも配置されており、
それらが淡く光を放っていた。
「クリオさん、あの石……どうなってるんですか?」
横を歩くクリオに、僕は小声で尋ねた。
「あー、あれは吸魔石だ。
魔力を吸うと光るんだ。珍しい石だから、高価だぜ」
クリオが、いつもの軽い調子で答えた。
その後も、村のあちこちに同じ石が配置されていた。
奥へ進むほど、ここは“村”というより――
この場所全体がひとつの施設のように感じられた。
ところどころにテントのようなものが張られ、
その周囲では、村人たちが忙しなく行き来している。
そして、さらにしばらく歩くと、岸壁が目前に迫ってきた。
目の前に立ちはだかるその壁は、前世で見たどんなビルよりも高く感じられた。
この自然の壁と、その頭上を覆う岩の“屋根”が――この隠れ村を守っているのだと実感した。
最終的に辿り着いた場所は、巨大な岸壁の目前だった。
「長はここだ」
男が示した先――
岸壁には、小さな穴がひとつ口を開けていて、入口のように布が掛けられていた。
男はその布をそっと捲り、僕たちを中へと案内した。
中は、驚くほど静かだった。
壁に埋め込まれた吸魔石が、淡い光をこぼし、薄闇をぼんやりと照らしている。
さらに奥へ進むと――そこには一人の女が立っていた。
青い髪の女性。
若いというより、静かに成熟し、澄んだ水面のような気配を纏っている。
その佇まいは、言葉にできない圧と、どこか優しげな陰影を同時に孕んでいた。
女は、僕たちの足音に気づいてゆっくりと顔を上げた。
その青い瞳は、湖の底のように深く、どこか懐かしい光を宿している。
「……来たのね、ダルカン」
落ち着いた声。
雨のような冷たさと、焚き火のような温かさが、矛盾するように共存していた。
その青い髪と、どこか影を宿した雰囲気が、ユーナと重なって見えた。
「事情は聞いているわ。
村の者には混乱を避けるため伝えていなかったけれど……
カロニアの拠点から、状況の報せが届いていたの」
アイラの言葉に、ここまで案内してくれた男が小さく息をのんだ。
どうやら、自分は知らされていなかったらしい。
「遅くなった、アイラ」
ダルカンが静かに言った。
アイラと呼ばれた女性は、僕たち一人ひとりに視線を向けた。
その瞳は深く澄み、まるで“内側”まで見透かすかのようだった。
やがて――僕の前で、ふと視線が止まる。
「……あなたが、アーシェね」
アイラの声は、問いというより確信に近かった。
「アーシェ・アルヴェインです」
僕は名乗った。
アイラは、僕の目をじっと見つめたあと、静かに、しかし鋭く口を開いた。
「……ダルカン。
あんたがついていながら、どうしてこんなことに?」
その声は、雨より冷たかった。
責めるというより、“信じられない”という色が強かった。
彼女が何を言っているのか――僕には、痛いほど分かった。
ユーナのことだ。
胸の奥に沈んでいた言葉が、勝手に口へと浮かび上がる。
「……ユーナさんは、僕のせいで」
そう言った瞬間、胸の奥がひりついた。
アイラが何かを言おうとした、そのとき――
「俺が必ずユーナを救い出す」
ダルカンの強い言葉が空気を震わせたあと――
彼は一歩、アイラに向き直った。
「……アイラ。力を貸してくれ」
短いが、重い言葉だった。
彼が他者に助力を求める姿を、僕は初めて見た。
吸魔石の淡い光が揺れ、静寂が落ちる。
アイラは、しばらくダルカンを見つめていた。
その瞳は深く澄んでいて、決意の色を探るようでもあった。
そして――静かに、ひとつ頷いた。
◇
その後、アイラは今後の方針について語ってくれた。
「“蒼の日”――巫女選定の儀式では、
反神的と判断された人々の“処刑”が行われるわ」
アイラは淡々と続ける。
「私達の目的はいくつかあるけど、その人々の救出も当初の目的の一つだった」
吸魔石の光が揺れる中、言葉だけが鮮明に響く。
「ユーナも――
おそらく“生贄”として選ばれる」
その言葉が落ちた瞬間、
空気は音を失い、重く沈んだ。
「我々の戦力では――
ユーナを救出できる機会は“蒼の日”が最初で最後」
アイラの静かな声が、部屋の空気を震わせた。
「矛盾するようだけれど……蒼の日は当然、蒼聖騎士の警備が最も厳しくなる。
それに、教団が“大物の冒険者”を雇っているという噂もある」
淡々と説明しているのに、その一つひとつの言葉が重い。
部屋の温度が、わずかに下がったように感じた。
「つまり、最も厳重に守られる日が……
同時に、私たちが唯一動ける日でもある」
アイラの言葉は矛盾のようでありながら、
残酷な現実をまっすぐ突きつけていた。
「蒼の日――生贄を連行する“その瞬間”を狙って襲撃するわ。
これ以上の具体的な作戦は……日が近づいたら改めて説明する」
アイラはそう言い、少しだけ僕の方へ身体を向けた。
吸魔石の淡い光が、彼女の青い髪を照らす。
「作戦の日まで、あと一か月。
……イレナさんから、あなたのことを託されているの。
アーシェ――あなたには“毎日やってもらうこと”がある」
その言葉に、周囲の空気がわずかに張りつめた。
「なーに、単純な作業よ。
毎日、この村にある魔吸石を回って――限界まで魔力を込めてきて」
あまりにも淡々としたその指示に、思わず瞬きをした。
……けれど、僕はしっかりとうなずいた。
そして、その日から一か月。
僕の、“魔力を運ぶ奇妙な日々”が始まった。




