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主者選択   作者: シロイペンギン
哀雨に濡れし者 ― 少年編 /ドロレア潜行
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咲くべき場所

僕たちは、すでに山岳地帯を抜けていた。

ここはもう、ドロレアの領土らしい。


街道を避け、鬱蒼とした森林地帯を進む。

空気はひんやりと冷たく、細かな雨が絶え間なく降り続いていた。


この国では、一年の半分ほどが雨季にあたる。

とくにこの寒い季節は、ほとんどの日が雨になる――

そう、クリオが教えてくれた。



ユーナを救出するには、

“蒼の日”――巫女の選定の日を狙うのが最も確実だった。


そもそも、僕たちがこの国へ来た目的も、

その日の儀式を妨害することにあった。


そのため、まずはこの国で“蒼哭の庵”と合流しなければならない。


今度こそ――。


旅立ったときの僕は、何も分かっていなかった。

けれど、ここまで来て――ようやく理解した。


白井として生きた世界では、

人と人の争いは、言葉であり、金であり、権力だった。

だから、この旅のことも、せいぜい“命から遠いデモに参加する”程度のものだと思っていた。


だが、この世界で見た争いには、言葉がなかった。

そこにあったのは、ただ――

“力”そのものの意味だった。

そして、それは、僕の知る“意味”とはまるで違っていた。


小さな頃から、屋敷ではシアナが剣を磨き、エルミナが魔法を研鑽していた。

父もまた、部隊を率いる武人だった。

これほどまでに“武”という力に囲まれていたにもかかわらず、

僕は、その本当の重さを理解していなかった。


この世界での――“力”の意味を。


相手が国家であるなら、僕がこれから成すことは――テロに参加するに等しい。


ただ、怖かった。

ユーナを助けたいという強い意志とは別の場所から、

白井として培った価値観が、重くのしかかってきた。


小さな火を、手の中に灯す。

エルミナの白い炎――あれは、僕には確かに“奇跡”に見えた。

たぶん、あの光に惹かれて、ここまで来たのだと思う。


母から渡された短剣を、そっと握った。

シアナの剣。

何度も僕の前に立ち、僕を守ってくれた。

あの剣があったから、僕は今も生きている。


“力”をどう使うのか――それは、もしかすると免罪符なのかもしれない。


けれど、あの前世で形成された――

命の“意味”を乗り越えなければ、

この世界で、僕は何もできずに死ぬ。


そう確信していた。


「お前は、お前のできることをやれ」

ダルカンの声が響いた。


――なぜだろう。

僕はダルカンの走竜の後ろに乗っていて、顔すら見えないはずなのに。


そのとき、自分の手が震えていることに気づいた。


そうか。

この震えを、ダルカンは感じ取っていたのかもしれない。


「はい……でも、僕に何ができるでしょうか?」


「選べ。そして、やりきれ。

この戦いが終われば、お前をヴァルデンに帰す。

お前はいずれ、いい領主になるだろう。

そうすれば、この世界も少しはマシになるはずだ。」


普段は要点だけを端的に述べるダルカンにしては、

その言葉には、わずかに感情の温度が残っていた。


言葉から感じた。

この人は――強い。

だから、あまり気づかなかったが、

本来は争いが好きな人ではないのかもしれない。


初めて会ったときも、結局、敵対していた僕を殺そうとはしなかった。


そう。


あの瞬間だけ、僕の中で明確な殺意を伴った魔法が、人に向けて発動したのを覚えている。


相手の存在の意味や、恐怖よりも――姉シアナの命の“意味”の方が、ずっと強かった。


ただ、それだけのことだった。


そうだ。


「僕、今度こそ――選びます。

 何があっても、選びます。

 ユーナさんを」


「ああ」


ダルカンは、短く相槌を打った。

雨音が、二人のあいだを静かに埋めていた。



ドロレアに入って、数日が経っていた。


今日も僕たちは、走竜を駆って西へ進んでいた。


――そのとき、

森林地帯の中に、村のような場所を見つけた。


いや、正確には“かつて村であった場所”だ。


家屋は崩れ、人の気配はない。

魔力の乱れすら感じられない。

草木がすでに建物を飲み込み、

おそらく滅んでから十年近くが経っているのだろう。


ダルカンが、走竜の脚を止めた。

その表情には――どこか、この村を知っているような気配があった。


廃村の外れに辿り着いたとき、

彼は小さく呟いた。


「少し寄っていく」


そう言うと、ダルカンに続いて僕たちは走竜から降りた。


「ダルカンさん、この場所……知ってるんですか?」

ロルが問いかける。

彼は、ダルカンによく懐いていた。


「ああ。――ユーナの故郷だ」


ダルカンの低い声が、雨音の中に静かに響いた。


「誰も……いないよ」

ベルが、不安そうに呟いた。


それから少し歩くと、簡易的な墓が見えた。


不思議な場所だった。

木で作られた小さな墓がいくつも並び、

その周りには――雨の中でも凍りついた花が添えられていた。


「この魔法……ばあちゃんか? ユーナか?」

クリオが小さく呟く。


「ユーナの魔法だ。

イレナさんが、初めてここでユーナに魔法を教えた。

 数十年は解けない氷だ」


ダルカンが答えた。


僕は、その花を見ていた。

……ただ、綺麗だった。


「この村は、野盗に滅ぼされたことになっている」

ダルカンの声が落ち着いて響く。


――なっている?


「おそらく、“蒼の教団”がどこかの冒険者でも雇ってやらせたのだろう」

ダルカンは淡々と続けた。


「教団は、野盗や冒険者を雇い、背神的な村を滅ぼす。

 そして、村の若い女を――一人だけ生かしておく。

 “悲しみを背負う者”として、な」


ダルカンの言葉に、ベルとロルは息を呑んだ。

その顔には、はっきりと恐怖の色が浮かんでいた。


「ユーナは、この村でただ一人生き残った。

 巫女になる者として――“生かされた”んだ。


 当時、俺はイレナさんたちと旅をしていて、

 “庵”と協力し、教団から何人かの子どもたちを逃がした。

 その一人が――ユーナだ」


ダルカンの低い声が、雨の中に静かに響いた。


その声に、誰も言葉を返せなかった。


「だが、我々と出会ったとき

ユーナは――すでに巫女になっていた。


 フォーネに“悲しみ”を捧げる日々の中で、

きっと、この村での悲しみを捧げたのだろう。


 この国から逃げる際、ユーナも一度ここに戻った。

 

この村の記憶は、鮮明に残っていると言っていた。


 だが、自分の育った村の惨状を目にしても、

 “悲しみはない”と、そう言った」


雨の音が、まるで祈りのように墓標を叩いていた。


胸の奥に、痛みが伝わってきた。


僕は――その“気持ち”があるはずの場所に、

その“気持ち”がないという痛みを、少しだけ理解できる気がした。


あの、レールの上を歩くように決められた人生と、

どこか似ているような気がした。


優しかったあの人は、

たくさんの悲しみを抱き、

そして――それを、あるべき場所から失っていた。


廃村を吹き抜ける冷たい風の音が、

不自然なほどに響いた。


雨の音だけが、空虚にこだましていた。


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