意味奪い
その姿は――前世で見たファンタジー作品に登場した“あれ”だった。
尻尾まで含めれば、二十メートルを優に超える巨体。
全身を覆う刺々しい鱗が、闇の中で鈍く光を放つ。
二本の後脚が、その質量を支え、
前脚には、岩をも砕くような鋭い爪。
背には、夜空を覆うほどの二枚の翼。
そして――黄色い双眸。
それは“生物”ではなく、
世界そのものに刻まれた“災厄”を象徴するような眼だった。
その瞬間、空気が変わった。
すでに吸血竜たちは逃げ去っていた。
支配の気配に抗うことすらできず、群れごと散っていったのだ。
背後に立つ双子の震えが、背中越しに伝わる。
それは恐怖ではなく――“畏れ”そのもの。
走竜は膝を折り、まるで本能的に降伏するかのように首を垂れる。
この世界の“序列”が、はっきりと見えた気がした。
僕は一歩、前に出た。
背後の存在を――守らなければ。
◇
竜が降り立った場所とは、少し距離があった。
崩れかけた岩場がいくつも連なり、
僕と双子は、その陰に身を潜めている。
さらに奥には、二頭の走竜。
この騎獣を失うわけにはいかない――それは、旅そのものを失うことと同義だった。
ダルカンとクリオは、すでに側面へと回り込んでいた。
二人の気配が闇の中を走り、
竜を挟み込むように位置を取っているのが感じ取れる。
火竜の鱗が放つ光が、夜の闇を押し返していた。
その輝きだけで、視界が保たれているほどだった。
――これほどまでに、己の存在を隠そうとしない生物がいるだろうか。
まるで、存在そのものが“支配”を証明している。
たしかに恐怖はある。
それでも――僕は、逃げなかった。
僕には、“果たすべき使命”がある。
◇
「ブレスが来るぞ、アーシェ!」
ダルカンの声が、轟音の奥から響いた。
竜の胸の奥が赤く脈動している。
光は鼓動のように強まり、それが喉元を這い上がっていくのが見えた。
岩肌が焦げ、夜風が焼ける。
火竜の咆哮とともに、世界の温度が変わった。
灼熱のブレスが――僕らに向かっている。
……まずい。
この熱量、僕の魔法で防げるのか?
考えるより早く、身体が動いた。
「――っ!」
意識を一点に集中させる。
次の瞬間、僕の前に水が生まれた。
大気中の湿気が凝縮し、奔流となって弾ける。
水壁が立ち上がり、火竜の炎がぶつかった。
蒸気が爆ぜ、白い霧が視界を覆う。
熱い――けれど、焼けるほどではない。
壁が、炎を押し返している。
「……なんだ、これ……!」
手のひらが震える。
流れる魔力の密度が、以前とはまるで違っていた。
この小さな身体から出せるはずの出力を、明らかに超えている。
ユーナの言葉が蘇る。
『魔術の力にもいろいろあるけど、魔力の出力や量はリメアで決まる。
これは鍛えれば鍛えるほど、強く大きくなるって言われてるの』
……リメア。魂に刻まれた“意味の器”。
この双子を助けたとき、限界を超えるほどの負荷がかかった。
だが――たった一度で、ここまで変わるものなのか?
次の瞬間、黄色い閃光が走った。
クリオだ。
魔力を纏った光刃が、一直線に火竜の首元を裂く。
金属の悲鳴のような音が響き、火花が散る。
「っ、かってぇな!」
クリオの声が、熱風の中で跳ねた。
火竜が咆哮を上げ、砂利と灰が一斉に舞い上がる。
さらに次の瞬間――ダルカンが地を蹴った。
剣が抜かれた瞬間、空気が裂けた。
――竜が、わずかに身を引く。
その黄金の双眸に、初めて“警戒”が宿った。
火竜は翼を広げ、巨体を浮かせて距離を取る。
轟音とともに、風の壁が押し寄せる。
岩片が宙を舞い、夜空が赤く明滅した。
僕は強いマナを感じた。
ダルカンの剣が、紫の光を帯びていた。
刃の輪郭が揺らぎ、空気が低く唸る。
その輝きに反応するように、竜の双眸が細まる。
――視線が交錯する。
竜の胸が赤く脈打ち、熱が膨れ上がる。
「ブレスが――くる!」
クリオの叫びが響いた。
炎が解き放たれ、世界が紅蓮に染まる。
だが、その中を――ダルカンは進んでいた。
紫の光が、炎を切り裂く。
紅蓮の奔流が左右に裂け、焼け焦げた風だけが彼の背を追った。
――音が、先だった。
まるで巨大な金属を切り裂くような鋭音が夜を貫く。
火花が散り、空気が震える。
ダルカンの剣が、竜の胸を斜めに断っていた。
鱗が裂け、赤熱した血が火花のように散る。
竜が咆哮を上げ、巨体をのけぞらせた。
怒りとも恐怖ともつかない光が双眸に宿る。
やがて竜は翼を広げ、
砂塵と熱風を巻き上げながら――夜の闇へと飛び立った。
飛び去っていくその背から、淡く灯っていた光が消えていく。
残されたのは、焦げた地面と、わずかな熱の残滓。
そして――光を失い、砕け散った鱗がいくつも落ちていた。
まるで、竜という“概念”そのものが――削がれたかのように。
僕には、はっきりと感じられた。
――ダルカンが、竜から“強者としての意味”を奪ったのだと。
◇
「もう、この山では――竜種が襲ってくることはないだろう」
ダルカンの低い声が、夜気の中に溶けていった。
その背中は、炎の名残に照らされ、静かに光を帯びていた。
――あの竜に、“自分の方が強い”という意味を刻んだのだろう。
風が止まり、焦げた地面から白い蒸気が立ちのぼる。
そして僕の胸には、ようやく遅れて“驚き”が押し寄せていた。
自分の中で、確かに“何か”が変わっている。
――リメアが、進化している。
闇の中、まだ温もりの残る地面を見つめながら、
僕は静かに息を吐いた。
戦いは終わった。
そして僕らは――休める場所を探した。




