ここで終わる
『――僕は、なぜここにいるのだろう?』
多くの人が、人生のどこかで一度は同じ疑問を抱くのかもしれない。
けれど、僕のそれは、もっと――文字通りの意味だった。
なぜ、この世界に“転生”したのか。
その問いだった。
何度も考えた。
誰が、なぜ、どのように――僕をこの世界へ導いたのか。
そもそも、本当に“あの世界”が存在していたのか。
それすら、僕には証明できなかった。
この世界のどこにも、
“あの世界”を裏づけるものは――何ひとつとして存在しない。
僕の記憶だけが、二つの世界の存在を訴えていた。
まるで――誰にも信じてもらえない夢を、
自分ひとりで信じ続けているかのように。
サンタクロースや、テレビの中のヒーローを。
子どもの頃の確信のまま、ただ信じている。
……そんな、“確信”だった。
――少なくとも、今この瞬間までは。
なぜなら、“それ”は――目の前の本の中にあったのだ。
「……クリオさん、この文字、知ってますか?」
僕は、本のページの中――
古代語の下に小さく書き加えられた文字を指さして尋ねた。
クリオは肩をすくめて答える。
「見たことねぇな。
でも……ばあちゃんとか、ユーナなら、もしかしたら分かるかもしれねぇ」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で現実が戻ってきた。
そうだ。
ユーナを助ける――それが今の僕の目的だ。
この文字も、この本の意味も。
今の僕にとっては、必要なものではない。
けれど、ページの中のその筆跡から
どうしても――目を離せなかった。
本を閉じようとした――その手が、
なぜか次のページを開いていた。
めくれた紙の先に、
どこかで見たことのある“図”が描かれていた。
中央に――大きな球体。
その下に、六つの小さな球が取り巻いている。
そして、その横に、もう一つの――巨大な球体。
「……これは、アレイン神話じゃねぇかな」
クリオが、肩越しに覗き込みながら呟いた。
「“意味”と“感情”の神アレインが、
六柱の神に分かれて――世界を形づくったっていう、古い神話だ」
その話は、僕も授業で習っていた。
けれど――この図の形は、どこか違っていた。
「……これがアレインだとしたら、
この横の大きな球体は、なんなんですか?」
僕が指さすと、クリオはしばらく黙り込み、
首を傾げたまま、小さく息を吐いた。
「ばあちゃんが言ってたな。
“世界は意味や感情だけじゃできてねぇ”って。
だから、あの神話はどっかが抜けてるってさ」
彼は腕を組み、わずかに目を細めた。
「ま、なんにせよ――今、世界に残ってるのは六柱の神だけだ。」
その言葉が妙に引っかかった。
「クリオさん、ひとつ聞いてもいいですか?」
「おっ? なんだ? 女の好みか? それともモテる秘訣か?」
軽口を叩くクリオに、僕は真剣な目で続けた。
「……どの神の使徒だったんですか?」
一瞬、空気が静まり返る。
クリオは肩をすくめ、少しだけ気まずそうに笑った。
「なんだ、そんなことかよ。……“灰色”だよ。責任の神様さ」
「責任……の神。」
自分でも、なぜそんな質問をしたのか――わからなかった。
けれど、どこか“聞かずにはいられなかった”。
クリオは、わざと冗談めかした声で続けた。
「使徒はな、神の腹を――満たし続けなきゃならねぇ。
たまに奴らは現れて、“餌”を要求してくる。……お前もされたろ?」
僕は、静かに頷いた。
ティルザの白銀の姿が、脳裏をかすめる。
「その代わりに――絶大な力を授ける。
それが“契約”の形だ。
……ドロレアの連中もそうさ。あの国は、何百年も前から哀しみの神の食卓だ」
クリオの声が、低く湿った空気の中に落ちていく。
「“巫女”を使徒にして、哀しみを捧げ続ける。
――クソみてぇな国だよ」
彼の声音には、押し殺した怒りのようなものが滲んでいた。
「その……神が与える力って、そんなに凄いんですか?
僕は――そこまでの力を、もらった気がしません」
クリオは、珍しく真剣な顔をしていた。
軽口も、冗談もない。
「“対価に見合う力を授ける”――そんなこと、言われなかったか?
ティルザに」
「……言われました」
「なら、それで答えは出てる」
クリオは淡々と続けた。
「奴らは、人の感情に寄生してるだけだ。
願い、怒り、哀しみ、――そういう“感情”を喰って存在してる。
だから、直接は手を出さねぇ。
人間が勝手に“意味づけ”した行動で、世界が動くようにできてるんだ」
その言葉を聞いた瞬間、
胸の奥で、冷たいものが静かに広がっていった。
昨夜、蒼聖騎士たちが――平然と、あの虐殺を行えた理由。
その答えを、ようやく理解した。
彼らは、この世界の“理”に従っていたのだ。
哀しみを捧げることが信仰であり、
殺すことが祈りであり、
涙こそが、神への供物。
この世界の中心には――
“意味”と“感情”に寄生する神々が、確かに存在している。
そして、人の行いはすべて、
その神々の“食卓”の上で起こっているのだ。
「……だがな、アーシェ。もう一度だけ言っておく。
神は神だ。奴らが、直接何かをしてくるわけじゃねぇ。
結局、世界を動かすのは――人間だ。
……ユーナは、絶対に助けようぜ」
クリオが、そう言った。
その顔はいつになく真剣で、
普段の軽さが嘘のように消えていた。
――不思議な人だと思った。
軽口ばかり叩くくせに、誰よりも“重い言葉”を持っている。
その瞬間、彼が“責任”の神の使徒だった理由が、
ほんの少しだけ、わかった気がした。
僕は、静かに――深く頷いた。
そして――僕は、無意識のうちにその本を最後のページまでめくっていた。
そこに、見覚えのある“文字”があった。
懐かしくも、決してこの世界には存在しない――
“あの世界”の言葉で。
震える指で、文字をなぞる。
そこには、こう記されていた。
⸻
『いつか、これを読む“俺”へ。
これを読んでいるということは――おそらく、あの“雨”のあとだろう。
俺の物語は、ここで終わる。
それが、俺の“選択”の結果だ。
俺は、この世界の――必ず俺が通る場所に、“意味”を刻んだ。
俺にしかわからない、この言葉で。
――ティルザからもらった、最後の“対価”だ。
一つひとつの“決断”を、もっと大切にしろ。
家族を、仲間を、救え。
魔術を磨け。
そして――医師として果たせなかったことを、果たせ。
白井悠真』
⸻
読み終えた瞬間、視界が滲んだ。
その涙が――誰のものなのか、わからなかった。
ページの上で、文字がかすかに光を帯びていた。
まるで、“意味”そのものが――静かに、呼吸をしているように見えた。




