氷の帝国
“意味刻み”――。
まだ距離があるというのに、圧倒的な“意味”を帯びたその存在の威圧を、僕は感じていた。
初手は、こちらが選んだ。
ユーナは手を前方へかざし、魔力を高めていた。
空気が白く染まり、森が静まり返る。
――次の瞬間。
その手から、無数の氷の矢が放たれた。
白い軌跡を描きながら、森の主の顔へと収束していく。
だが、大蛇は――自分に向けられたその狂気を意に介さず、
巨体をねじり、木々をなぎ倒しながら進み続けた。
首元で冷気が炸裂する。
その鱗は鋼鉄のように硬く、氷の矢は淡い音を残して弾かれていった。
数本の矢がかすめ、遠くまで白い軌跡を描いて消えていく。
残留した冷気が、まだ肌を刺していた。
その中で――矢の軌跡が森の中に、美しい“氷の王国”を創り出していることに気づく。
次の瞬間、轟音とともに、
大蛇の頭が侵略者のごとく“氷の王国”を蹂躙しながら、僕らへ迫った。
「散れ!」
ダルカンの声が響く。
頭の中は冷静だった。
だが、その進軍はあまりにも速い。避けきれない――そう思った瞬間、
クリオが僕を抱きかかえ、駆け出していた。
視界の端で、ユーナとダルカンが逆方向へ飛び退くのが見える。
クリオの脚と、踏みしめる地面が目に映る。
「……クリオさん、ありがとうございます」
「いやぁ、デカいな。四十メートルはあるかもな」
クリオは笑っていた。
言葉は軽いのに、どこか――その横顔には、高貴さのようなものが宿っていた。
⸻
「アーシェは、身体のほうも鍛えねーとな。
まぁ、まだ七歳だったか。これからだな!」
その声には、不思議な余裕があった。
「はい。また、剣を教えてください」
「任せろ!」
クリオは笑顔で答えた。
次の瞬間――。
「おっ! きたぜ!」
クリオが何を言っているのか、最初はわからなかった。
だが、空気が変わる。
冷気がさらに強まり、
さっきまでの“氷の王国”が――侵略するように、静かに領土を広げていくのを感じた。
……すごい。
「ユーナは、ああ見えて周到だ。
多分あの矢の構造に、冷気を拡散させる仕組みを組み込んでいたんだろう」
クリオは続けた。
「“王”を気取るタイプの“意味刻み”はな、
大抵『ここは自分の領域だ』って意味を強く刻んでる。――大体、そうだ」
「その意味の中では、奴らは圧倒的な存在だ」
僕は頷く。
「だからこそ、錯覚させるんだ。
“ここはお前の支配する世界じゃない”ってな。
……そしたら、舌くらいはやれる」
「すごいですね」
「いや、ばぁちゃんの受け売りだ。
あの人は数多の意味刻みを狩ってきた天才だからな」
クリオは僕を抱えたまま、全力で走っていた。
背後では、大蛇の頭が確かに僕らを追ってくる。
振り返ったクリオの表情は、珍しく真剣だった。
その視線が、鋭く大蛇を射抜く。
「ユーナだけじゃ厳しそうだ。
アーシェ、お前もやれ。
あいつに――“ここはお前の国じゃない”と、わからせろ。」
僕は頷いた。
ユーナの氷の軌跡は、横方向へと強く拡散している。
ならば――同じ魔法を十字に交差させれば、この一帯を“氷の領土”にできる。
この角度からなら、実行可能だ。
そう。
同じ魔法を放てさえすれば――“大森林の王”が刻む意味を、剥がし取れる。
ユーナがどんな図を描き、どう魔力を組んでいたのかを想像する。
それを、僕の構造で再現する。
⸻
熱を奪う――。
僕が今から放つ軌跡、そのすべてが連鎖的に熱を奪う図を描く。
これ以上の理論は、僕の前世の知識にもない。
因果からも遠く、きっと大きな消耗を伴う。
それでも――いけるはずだ。
この構造で、いける。
手のひらに、魔力がともる。
「クリオさん、いけます」
「いいね。――じゃあ、おろすぞ!」
そう言うと、彼は振り返りざまに僕をおろした。
脚が地面をとらえた瞬間、
内に溜めていた魔力が一気に解き放たれる。
手の周囲が、白く輝いた。
放つ―!
僕の掌から一本の氷の矢が放たれた。
白い軌跡を描きながら、
大蛇の横をかすめて進み、
ユーナの氷の軌跡を越え、やがて光の粒となって消えた。
次の瞬間――。
僕の矢の軌跡から冷気が溢れ出し、
ユーナの氷の世界と共鳴するように、
あたり一帯へと広がっていく。
そして、二つの力はひとつになり、
森の一帯に“氷の帝国”を築いた。
その瞬間、森の主の瞳に、初めて動揺が宿った。
森の王は――“氷の帝国”の中で、孤立した。
⸻
だが――王には王の誇りがあるのだろう。
僕たちを狙い、さらに頭を低くして牙をむいた。
まずい……やはり、さっきの魔法での消耗が大きい。
視界が揺らぎ、足元がふらつく。
その瞬間――クリオが剣を抜いた。
何が起きたのか、目では追えなかった。
ただ、一瞬だけ、“黄金の閃き”が走った気がした。
――空気が裂ける音。
次の瞬間、氷の地面に叩きつけられたのは――巨大な舌。
「……大丈夫か?」
クリオの声が、遠くで響く。
彼は僕のもとへ駆け寄り、迷いなく僕を抱え上げた。
「……これ、倒せるのでは?」
僕は自然と口にしていた。
「お前、“意味刻み”を舐めんなよ。
とりあえず、マナ探知は封じたはずだ。逃げるぞ!」
クリオの声が、氷の空気を震わせた。
◇
クリオは氷の帝国の中を、僕を抱えたまま走っていた。
あの後、大蛇は僕らを追おうとしたが――
やはり、どこまでいっても爬虫類なのか。
氷の世界では動きが鈍く、最後にはその場で止まっていた。
そして、僕らは――ユーナとダルカンを探した。




