意味刻み
「おそらく――森の主は、“意味刻み”だ。
見つかると、厄介だ。」
ダルカンの声が、低く響いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
僕は、イレナの座学を思い出す。
「確かに、構造や因果は強力だがね。
この世界は“意味”が支配する世界。
因果すら、ねじ曲げる“意味”を持つ存在もいるんだよ」
彼女は少し間を置いて、静かに続けた。
「――そういった存在を、“意味刻み”というんだ」
「そんな相手と出会ったら……どうすればいいんですか?」
「まぁ、そうだね。とりあえず――出会わないのが一番だね。
もし、睨まれちまったら……逃げな。」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「大蛇はマナを感知する。
感情を揺らせば、マナが揺らぐ。」
ダルカンの声が、再び低く響いた。
その響きには、慎重さと緊張が滲んでいる。
空気が、ぴんと張り詰めた。
息を潜めた瞬間――
どこか遠くで、
大地が、ゆっくりと鳴る。
◇
僕たちは、慎重に歩を進めていた。
やがて、大蛇の気配が少し遠のいたように感じる。
だからだろうか――
クリオが、どこか緊張感のない声で口を開いた。
「おい、アーシェ。お前、結構修行したんだろ?
その魔法……蛇に試してみたいとか思わねーか?」
僕が首を横に振るより早く、
ユーナが小さく息を荒げて言った。
「クリオ、ちょっと黙ってて」
ダルカンが静かに僕ら三人を睨む。
その視線が何を伝えているのか――わかっている。
僕は平常心を保とうと努めた。
隣の二人も、もう何も言わなかった。
◇
その後、何度か小型のコウモリのような魔物や、
オオカミに似た獣に襲われた。
極力、ダルカンとクリオが剣だけで対処する。
少し手こずって、ユーナが魔法を使おうとしたが――ダルカンが首を振った。
戦闘のたびに、わずかにマナが揺れたのだろう。
その直後、森の奥から、地鳴りのような轟音が響き渡る。
マナを揺らすたびに、森の奥から轟音が返ってくる。
――まるで、あの存在が呼吸をしているかのように。
もしかすると、初日から僕たちは感じ取られていたのかもしれない。
この森そのものが、あの存在の王国で――
王自ら、小さな火種を踏み消すように、堂々と進軍してきているのを感じた。
◇
空が、ゆっくりと暗くなっていく。
――マナが、濃くなっている気がした。
「……まずいな」
ダルカンが足を止め、低く呟く。
なんとなくだが、僕にもわかる。
空気そのものが、重く圧し掛かってくる。
「……迷子だな」
クリオが短く呟いた。
序盤は、ユーナの魔法で方角を確かめながら進んでいた。
だが、大蛇の存在を感じてからは、魔法の使用が禁じられている。
その後は、太陽の位置を頼りにしていた。
つまり、太陽が見えなければ――
僕たちは、方角を失う。
『命に関わる迷子だ』
マナが、さらに濃くなっていくのを感じた。
僕らは、ダルカンの判断を待っていた。
けれど、その彼もまた、迷っているように見えた。
沈黙の中、時間だけが、ゆっくりと過ぎていく。
まるで、あの小型の魔物たちは王の斥候で――
僕たちは、静かに、じわじわと包囲されていたのかもしれない。
そんな風に感じた、その瞬間――
『囲まれている』
気づけば、僕たちの周りを、木々の幹よりも太いロープのようなものが取り囲んでいた。
それが何なのか、理解するのに一瞬かかった。
「……蛇の身体に囲まれてるぞ!」
クリオが息を呑み、声を上げる。
「もう、戦うしかねぇな!」
だが、ダルカンは首を横に振った。
「ユーナ、ベクトルを」
ユーナは短く頷く。
掌の上に、小さな光がぽっと灯った。
それはふらりと空中に浮かび上がると――
ゆっくりと、北の方角へと飛び出した。
一定の距離を進んだあと、光は静かに消える。
北を指し示して消える――それがこの魔法の性質だった。
僕らは進むべき方角である西へ、同時に駆け出そうとした。
だが――
マナで霞んだ視界の奥。
そのわずかな隙間に、“それ”が見えた。
想像を絶する大きさの――
蛇の顔だった。
間違いなく、三十メートルを超えている。
「クリオさん、僕――ちゃんと話、聞いてましたけど。
三十メートルって言ってましたよね?」
なぜだろう。
僕は、少し皮肉を口走っていた。
「おっ! おまえ、本当に少し変わったな! 余裕出てきたか?
そら、個体差あるだろ!」
クリオは笑っていた。
「なんで、二人ともふざけてるの……」
ユーナは、明らかに怒っていた。
ダルカン――なぜか、ほんの少し、嬉しそうだった。
「意味刻みに刻まれた“意味”がわからない限り、勝つことは不可能だ」
低く言い放ちながらも、その目は、獲物を正確に射抜いている。
「だが、あの種は――舌でマナを感知する。
それは、ほぼ確実だ。
……なら、舌を潰す」
その瞬間、空気が凍りついた。
ダルカンの声は冷たく、それでいて、どこか愉しげだった。
三人の顔を見渡し、僕はゆっくりと息を吐いた。
恐怖はあった。それでも、胸の奥に静かな熱が宿る。
あの時と同じだ――
初めて、自分の意志で歩き出した日の感覚。
今、また選んでいる。
自分の足で、進む道を。
進むために。
僕は、因果を超越した“意味”に挑む。




