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主者選択   作者: シロイペンギン
哀雨に濡れし者 ― 少年編 /交易都市カナルス
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名が持つ力

ユーナの背を追って足を踏み入れた瞬間、熱気が肌を包んだ。

ざわめきと人いきれが渦を巻き、木の床は絶えず軋んでいる。


正面には長い受付カウンターが並び、横の壁には羊皮紙がびっしり貼られた掲示板。

その奥からは酒場の笑い声と、ジョッキのぶつかる乾いた音が響いてきた。


思わず息を呑む。

「……ここが、ギルド……」


隣のフェンが、にやりと牙をのぞかせる。

「見りゃわかるだろ。冒険者の巣窟さ」


――やっと、聞ける機会が訪れた。


「ギルドって……どういう場所なんですか?」


「はぁ? そんなことも知らねえのか!」

フェンはわざとらしく目をむき、肩を揺らして豪快に笑った。


「依頼を受けて、報酬もらって、命張る連中が集まる場所だ。

まあ……代官所みてえに紙ばっか扱ってるくせに、奥じゃ酒盛りだ」


確かに、整然とした受付と奥から響く喧噪。

列とも人だかりともつかない集まりがカウンター前にできていて、職員は慣れた手つきで羊皮紙に印を押しては、乱雑に積み上げていく。

秩序と混沌が同居する――そんな場所だった。


――前世でいうなら、役所と居酒屋が一つ屋根の下にあるようなものだ。

奇妙で、不思議な感覚だった。


ユーナが小さく息を吐いた。

「……まず、アーシェの登録をしないとね」


けれど、その横顔にはわずかな影が差していた。

「子供の登録なんて、普通は断られるんだけど……おばあちゃん、大丈夫だって言ってたし……」


イレナのむすっとした顔と、「名前を出しゃ通るさ」という言葉が頭の中によみがえる。

――本当に、大丈夫なんだろうか。


ふと、胸に別の不安が浮かぶ。

「……あの、ユーナさん。アルヴェインの名前を出すのは、まずいんじゃないですか?」


ユーナははっと目を見開き、すぐに小さく唇を噛む。

「……確かに。そうだね、それは……まずい」

声がかすかに震えていた。


「どうしよう……」

彼女は困惑したように僕を見つめ、言葉を失う。


そのとき、フェンが豪快に口を開いた。

「アーシェ、“アルセリア”で通せ。大丈夫だ!」


白い牙をのぞかせ、にやりと笑う。

「バァさんの弟子なら、誰も文句は言わねぇよ!」


名前を出せとは――本当にそういう意味だったのか?


胸の奥に疑問は残ったまま。けれど、隣でユーナがどこか納得した顔をしているのを見て、僕はそれ以上、口を開けなかった。


そのまま、僕たちは受付に続く列へと並ぶ。

僕らの前には数組の冒険者らしき集団がいた。粗野な笑い声と鉄の匂いが漂い、場違いな子供の自分が一層浮き立ってしまう。


ふと、前のグループの男たちがこちらを振り返り、僕を見てニヤついた。

その瞬間、フェンの金色の目が鋭く光る。

視線を浴びた男たちは、慌てて顔を逸らす。


そんなやりとりの後、ついに順番が回ってきた。


受付カウンターに座る女性が顔を上げ、にこやかに口を開く。

「本日はどういったご用件でしょうか?」


ユーナが一歩進み出て答える。

「この子の登録と、予約していた依頼の受注をお願いします」


受付の視線が僕に移り、首をかしげた。

「……失礼ですが、おいくつですか?」


言葉に詰まる僕の前で、フェンがずかずかと進み出る。

「七歳だ! シグルドも七歳で登録してただろ!」


女性は一瞬まばたきをし、淡々と答える。

「……はい、確かにそうですが。一般的には十四歳以上でなければ――」


先ほど僕を見て笑っていた冒険者の一団が、列を外れた少し離れた場所から、またこちらを眺めてはくすくす笑っていた。


場違いな自分が浮いて見えるのは当然だ。小馬鹿にされるのも当たり前のことで、特に感情が揺れることもなかった。


だが、その気配にフェンが気づく。

金色の瞳がぎろりと光り、冷たい刃のように彼らを射抜いた。


一団は慌てて視線を逸らし、そそくさと奥の酒場へ姿を消していった。


言われた通りにしてみよう。

僕は深く頭を下げ、はっきりと名を告げた。


「……あの、名前はアーシェ・アルセリアと申します。登録をお願いできないでしょうか?」


受付の女性は一瞬だけ目を瞬かせ、驚いたように僕を見つめる。

次の瞬間には笑みを浮かべたが、その声音にはどこか慎重さが滲んでいた。


「……少し、お時間をいただけますか?」


そう言い残し、彼女はスカートを翻すように軽やかに振り返り、二階へと姿を消していった。


――その背中を見送りながら、胸の奥に妙なざわめきが広がっていく。


ユーナが小さく息を吐き、安堵したように笑った。

「さすが……おばあちゃん。アーシェ、これならいけそうだね?」


「……たしかに。すごいですね、イレナさん」

僕も思わず頷いた。


たぶん、さっきの“アルセリア”という名が耳に入ったのだろう。

周囲の冒険者たちがひそひそと声を交わし、ちらちらとこちらを盗み見ている。


横でフェンは、当然だと言わんばかりに腕を組み、にやりと牙をのぞかせていた。


ほどなくして、先ほどの受付の女性が戻ってきた。

その後ろには、がっしりとした体格の壮年の男性が並んでいる。


彼が姿を現した瞬間、周囲のざわめきがすっと落ち着いた。

――空気が変わる。


「先ほどは失礼しました」

男は人懐っこい笑みを浮かべて一歩前に出た。

「私、このカナルスのギルドマスターを務めております、ガルドと申します」


大きな手を差し出しながら、にやにやと親しげな仕草で続ける。

「登録の件ですが――ぜひとも、我がギルドでしていただきたい。なんたって、あのイレナさんのお弟子さんとは!」


そう言って、横に立つユーナへ視線を向ける。

「ユーナ・アルセリアさん以来、ですかね」


ユーナは複雑な顔をしてかるく頭を下げていた。


ここからの手続きは、驚くほどすんなり進んだ。

常にガルドはにこにこと笑みを絶やさず、周囲の職員たちも何の異論もなく受け入れていく。


――名が力を持つ。


前世でも「白井」という名前ひとつで、周囲の対応が変わり、すべてがうまく回ったことがあった。

あの頃は、それを当然のように受け入れていた。


だが今は――少し複雑だ。

名の重みで道が開けることに、ありがたさと同時に、居心地の悪さも覚える。


それでも、不思議と胸の奥に小さな芽吹きを感じていた。

この世界で、自分は少しずつ、別の何かへと変わりつつある――そんな予感。


最後に、羊皮紙へ血印を押す。

赤い染みの横には、はっきりと「F」の文字が刻まれていた。


――アーシェ・アルセリア。

その名を記し、血印を重ねた瞬間、胸の奥で静かに何かが動き出した。

始まりを告げる合図のように。

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