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主者選択   作者: シロイペンギン
哀雨に濡れし者 ― 少年編 /交易都市カナルス
32/87

生きる伝説

翌朝。

ユーナと共に、イレナの家へと向かった。

ダルカンとクリオはすでに宿を出ていたらしい。何をしているのか僕には分からなかったが、夜明け前には出て行ったようだった。


路地を抜け、イレナの家の近くに差しかかる。

そこで、昨日も声をかけてきた狼の獣人がこちらに気づき、白い牙をのぞかせて笑った。


「おっ! おはようさん! しばらくこっちにいるのか?」


ユーナは軽く会釈して答える。

「フェンさん、おはようございます。ええ、二週間ほど滞在します!」


僕もつられて軽く会釈した。


獣人は金色の瞳を細め、じっと僕を射抜くように見た。

「おい、少年!」

声には鋭さと、どこか楽しげな響きが混じっていた。


「元気が足りねえな! 『おはようございます!!』って言ってみろ!」



思わず背筋を伸ばし、声を少し張って言った。

「……おはようございます!」


獣人は満足げにうなずき、牙を見せて笑った。


そんなやりとりの後、僕たちはイレナの家に着いた。

外観は相変わらず特徴もなく、町の一角に溶け込んでいる。


ユーナは慣れた様子で扉を開け、そのまま中へ入っていく。

僕も後ろについて入った。


「おばあちゃん、おはよう!」

「……おはようございます」僕も声を添える。


しんとした沈黙が落ちた。


ユーナは首をかしげ、もう一度声を張る。

「おばあちゃーん!! いるー?」


その瞬間、奥から鋭い声が返ってきた。

「朝っぱらから、ほんとうるさいんだよ!」


イレナが少し不機嫌そうに、杖をつきながら奥から現れた。

僕の偏見かもしれないが、年配の人は朝に強い――そんな印象を持っていた。

……どうやら、この人は例外らしい。


「おばあちゃん、今日からアーシェの魔法を見てあげてくれるんだよね?」

ユーナが明るく声をかける。


「うるさいねぇ……昨日言ったことくらい覚えてるさ。そんなにボケちゃいないよ」

イレナはむすっとした顔で答えた。


イレナがじろりとこちらを見て、口を開いた。

「アーシェ、あんた、ヴァルデンの領主のとこの子だろ? 基礎魔法くらいは習ってんだよね?」


喉の奥がつまるようで、答えに少し間が空いた。

「……いいえ。魔法の教育は、なにも受けていません」


イレナは目を細め、じっと僕を見つめる。

「へぇ……そうなのかい?」

その声音は意外さを帯びていたが、同時にどこか面白がるような色も混じっていた。



イレナが軽く肩をすくめた。

「街中じゃ魔法の訓練はできないからね。昨晩のうちにフェンに頼んで、ギルドからちょうど良さそうな依頼を見繕ってきてもらったよ」


「……ギルド?」

思わず首をかしげる。前世の記憶では、世界史に出てきたのは商人や職人の組合だったはずだが――。


イレナは僕の反応など気にも留めず、当然のように言葉を続けた。

「ユーナ、あんた手続きわかるだろ? アーシェの登録についてってやりな」


ユーナは目を丸くし、思わず声を上げる。

「えっ? まだ子供ですよ? 絶対、登録なんて断られますって」


イレナは鼻で笑い、杖で床をこん、と突いた。

「大丈夫だよ。あたしの名前を出しゃ、通るさ」


イレナはさらに言葉を重ねた。

「それからフェンも行きたがってたから、連れてきな。あんたら子供だけじゃ心許ないだろう?」


「……子供って」ユーナが小さく不満を漏らしたが、イレナは聞き流すように笑う。


僕は話の流れがつかめなくなっていた。

依頼というものに、イレナさんも一緒について来てくれるのだろうか?

思わず口にする。

「魔法の修行は……イレナさんもついて来てくれるんですか?」


「はっ?」イレナが鼻で笑った。

「あたしみたいなばぁさんが、のこのこ歩けるわけないだろう。ユーナに見てもらいな。帰ってきたら座学をしてやるよ」


「えええっ!? 私が!?」

ユーナが目を丸くし、情けない声をあげた。


僕はユーナに目を向けた。

確かにこの人は、僕らを襲撃してきたとき、剣を光らせて――何か、凄まじい魔法を使っていた。


「アーシェ、安心しな」

イレナが口を挟む。

「こいつはね、やるときゃやる子だから。しっかりついてって、学んでくるんだよ」


ユーナは肩を落とし、最後まで不満そうに顔をしかめていた。


イレナの家を出ると、見計らったようにあの狼の獣人が声をかけてきた。

背には場違いなほど巨大な剣が背負われている。

この狼は、さっき会った時から全てを知っていたのだ――しらこい狼だ。


「よー、おふたりさん。じゃあ行こうぜ!」


彼は白い牙をのぞかせて笑い、僕に視線を向ける。

「あっ、そういや名乗ってなかったな。おれはフェン。よろしくな、アーシェ!」


「……お願いします」

思わず小さな声になってしまった。


フェンの金色の目がぎろりと僕を射抜く。


胸の奥が熱くなり、思わず声を張り上げた。

「お願いします!!」


フェンは満足げに牙を見せ、にやりと笑った。

その笑みは、試すようであり、同時にどこか頼もしさを感じさせるものだった。


フェンが肩を揺らして笑った。

「ユーナ、やったじゃねーか。かわいい弟弟子ができてよ!」


「……そうですね」

ユーナはそう答えたものの、表情には不安の色がにじんでいた。


フェンはそれを気にも留めず、豪快に牙をのぞかせる。

「だが安心しな! 俺の直感じゃ、アーシェはきっと大物になるぜ! ガハハハ!」


そんなやりとりをしつつ、大通りに出て少し進むと、石造りの重厚な建物が見えてきた。

看板には見慣れない紋章――いかにもギルドといった風情だ。


歩きながら、フェンが不意にこちらを振り返る。

「そういやアーシェ、お前いくつだ?」


「……九歳です」


「九歳か……」

フェンが顎をさすりながらにやりと笑った。

「確か、シグルドも九歳で冒険者になったはずだぜ」


「……シグルド?」

思わず口にした僕に、フェンは目を丸くする。


「おっ! 知らねえのか? 最年少で――確か十三のときだったな、S級に上がった化け物だ」

声に熱がこもる。

「なんでも黒龍を斬ったらしい。《竜殺し》のシグルドって呼ばれてる」


その名は、ただの人間ではなく伝説そのもののように響いた。


フェンは腕を組み、思い出すように言った。

「シグルドは北の帝国でよく活動してたらしいが……最近はめっぽう名前を聞かなくなっちまったな」


彼はちらりとユーナを見やり、牙をのぞかせて笑う。

「生きてりゃ、今はユーナと同じくらいの歳じゃねーか? ガハハハ!」


「……やめてくださいよ」

ユーナはむっと頬をふくらませたが、その表情はどこか照れくさそうでもあった。


そして――もう目的地は目の前だというのに、フェンは自分語りを始めた。


「俺はな、A級冒険者なんだぜ!」

胸を張ってそう言いながら、ちらりとユーナを見る。

「ユーナは実力はあるのに、まだB級どまりなんだよな。惜しいもんだ!」


ユーナは眉をひそめ、何も言わずに歩を進める。


それでもフェンは、構わず声を張り上げた。

「それにだ――もしイレナばあさんが冒険者をやってたら、間違いなくSSS級だな!

 なんたって、ばあさんは――あの東の大陸を踏破した魔導士だぜ!」


僕は思わず瞬きをする。


この人がしゃべれば、場の空気はすべて持っていかれてしまう。

結局、肝心の「ギルドとは何なのか」を聞くこともできないまま――僕たちは目的地へとたどり着いた。


目の前に立っていたのは、石造りの堂々とした建物だった。

太い柱に支えられた正面玄関、掲げられたのは剣と翼をかたどった紋章。

威圧というより、力と雑多な熱気を象徴するような佇まい。


フェンが白い牙をのぞかせて笑い、当然のように分厚い扉へ歩み寄る。

ユーナもそれに続き、僕は小走りでその背を追った。


扉が押し開かれる瞬間、ざわめきと笑い声、酒と煮込みの匂いが一気に流れ出してきた。


――これが、ギルド。


胸の奥が高鳴るのを抑えきれないまま、僕はその中へ足を踏み入れた。

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