生きる伝説
翌朝。
ユーナと共に、イレナの家へと向かった。
ダルカンとクリオはすでに宿を出ていたらしい。何をしているのか僕には分からなかったが、夜明け前には出て行ったようだった。
路地を抜け、イレナの家の近くに差しかかる。
そこで、昨日も声をかけてきた狼の獣人がこちらに気づき、白い牙をのぞかせて笑った。
「おっ! おはようさん! しばらくこっちにいるのか?」
ユーナは軽く会釈して答える。
「フェンさん、おはようございます。ええ、二週間ほど滞在します!」
僕もつられて軽く会釈した。
獣人は金色の瞳を細め、じっと僕を射抜くように見た。
「おい、少年!」
声には鋭さと、どこか楽しげな響きが混じっていた。
「元気が足りねえな! 『おはようございます!!』って言ってみろ!」
思わず背筋を伸ばし、声を少し張って言った。
「……おはようございます!」
獣人は満足げにうなずき、牙を見せて笑った。
そんなやりとりの後、僕たちはイレナの家に着いた。
外観は相変わらず特徴もなく、町の一角に溶け込んでいる。
ユーナは慣れた様子で扉を開け、そのまま中へ入っていく。
僕も後ろについて入った。
「おばあちゃん、おはよう!」
「……おはようございます」僕も声を添える。
しんとした沈黙が落ちた。
ユーナは首をかしげ、もう一度声を張る。
「おばあちゃーん!! いるー?」
その瞬間、奥から鋭い声が返ってきた。
「朝っぱらから、ほんとうるさいんだよ!」
イレナが少し不機嫌そうに、杖をつきながら奥から現れた。
僕の偏見かもしれないが、年配の人は朝に強い――そんな印象を持っていた。
……どうやら、この人は例外らしい。
「おばあちゃん、今日からアーシェの魔法を見てあげてくれるんだよね?」
ユーナが明るく声をかける。
「うるさいねぇ……昨日言ったことくらい覚えてるさ。そんなにボケちゃいないよ」
イレナはむすっとした顔で答えた。
イレナがじろりとこちらを見て、口を開いた。
「アーシェ、あんた、ヴァルデンの領主のとこの子だろ? 基礎魔法くらいは習ってんだよね?」
喉の奥がつまるようで、答えに少し間が空いた。
「……いいえ。魔法の教育は、なにも受けていません」
イレナは目を細め、じっと僕を見つめる。
「へぇ……そうなのかい?」
その声音は意外さを帯びていたが、同時にどこか面白がるような色も混じっていた。
イレナが軽く肩をすくめた。
「街中じゃ魔法の訓練はできないからね。昨晩のうちにフェンに頼んで、ギルドからちょうど良さそうな依頼を見繕ってきてもらったよ」
「……ギルド?」
思わず首をかしげる。前世の記憶では、世界史に出てきたのは商人や職人の組合だったはずだが――。
イレナは僕の反応など気にも留めず、当然のように言葉を続けた。
「ユーナ、あんた手続きわかるだろ? アーシェの登録についてってやりな」
ユーナは目を丸くし、思わず声を上げる。
「えっ? まだ子供ですよ? 絶対、登録なんて断られますって」
イレナは鼻で笑い、杖で床をこん、と突いた。
「大丈夫だよ。あたしの名前を出しゃ、通るさ」
イレナはさらに言葉を重ねた。
「それからフェンも行きたがってたから、連れてきな。あんたら子供だけじゃ心許ないだろう?」
「……子供って」ユーナが小さく不満を漏らしたが、イレナは聞き流すように笑う。
僕は話の流れがつかめなくなっていた。
依頼というものに、イレナさんも一緒について来てくれるのだろうか?
思わず口にする。
「魔法の修行は……イレナさんもついて来てくれるんですか?」
「はっ?」イレナが鼻で笑った。
「あたしみたいなばぁさんが、のこのこ歩けるわけないだろう。ユーナに見てもらいな。帰ってきたら座学をしてやるよ」
「えええっ!? 私が!?」
ユーナが目を丸くし、情けない声をあげた。
僕はユーナに目を向けた。
確かにこの人は、僕らを襲撃してきたとき、剣を光らせて――何か、凄まじい魔法を使っていた。
「アーシェ、安心しな」
イレナが口を挟む。
「こいつはね、やるときゃやる子だから。しっかりついてって、学んでくるんだよ」
ユーナは肩を落とし、最後まで不満そうに顔をしかめていた。
イレナの家を出ると、見計らったようにあの狼の獣人が声をかけてきた。
背には場違いなほど巨大な剣が背負われている。
この狼は、さっき会った時から全てを知っていたのだ――しらこい狼だ。
「よー、おふたりさん。じゃあ行こうぜ!」
彼は白い牙をのぞかせて笑い、僕に視線を向ける。
「あっ、そういや名乗ってなかったな。おれはフェン。よろしくな、アーシェ!」
「……お願いします」
思わず小さな声になってしまった。
フェンの金色の目がぎろりと僕を射抜く。
胸の奥が熱くなり、思わず声を張り上げた。
「お願いします!!」
フェンは満足げに牙を見せ、にやりと笑った。
その笑みは、試すようであり、同時にどこか頼もしさを感じさせるものだった。
フェンが肩を揺らして笑った。
「ユーナ、やったじゃねーか。かわいい弟弟子ができてよ!」
「……そうですね」
ユーナはそう答えたものの、表情には不安の色がにじんでいた。
フェンはそれを気にも留めず、豪快に牙をのぞかせる。
「だが安心しな! 俺の直感じゃ、アーシェはきっと大物になるぜ! ガハハハ!」
そんなやりとりをしつつ、大通りに出て少し進むと、石造りの重厚な建物が見えてきた。
看板には見慣れない紋章――いかにもギルドといった風情だ。
歩きながら、フェンが不意にこちらを振り返る。
「そういやアーシェ、お前いくつだ?」
「……九歳です」
「九歳か……」
フェンが顎をさすりながらにやりと笑った。
「確か、シグルドも九歳で冒険者になったはずだぜ」
「……シグルド?」
思わず口にした僕に、フェンは目を丸くする。
「おっ! 知らねえのか? 最年少で――確か十三のときだったな、S級に上がった化け物だ」
声に熱がこもる。
「なんでも黒龍を斬ったらしい。《竜殺し》のシグルドって呼ばれてる」
その名は、ただの人間ではなく伝説そのもののように響いた。
フェンは腕を組み、思い出すように言った。
「シグルドは北の帝国でよく活動してたらしいが……最近はめっぽう名前を聞かなくなっちまったな」
彼はちらりとユーナを見やり、牙をのぞかせて笑う。
「生きてりゃ、今はユーナと同じくらいの歳じゃねーか? ガハハハ!」
「……やめてくださいよ」
ユーナはむっと頬をふくらませたが、その表情はどこか照れくさそうでもあった。
そして――もう目的地は目の前だというのに、フェンは自分語りを始めた。
「俺はな、A級冒険者なんだぜ!」
胸を張ってそう言いながら、ちらりとユーナを見る。
「ユーナは実力はあるのに、まだB級どまりなんだよな。惜しいもんだ!」
ユーナは眉をひそめ、何も言わずに歩を進める。
それでもフェンは、構わず声を張り上げた。
「それにだ――もしイレナばあさんが冒険者をやってたら、間違いなくSSS級だな!
なんたって、ばあさんは――あの東の大陸を踏破した魔導士だぜ!」
僕は思わず瞬きをする。
この人がしゃべれば、場の空気はすべて持っていかれてしまう。
結局、肝心の「ギルドとは何なのか」を聞くこともできないまま――僕たちは目的地へとたどり着いた。
目の前に立っていたのは、石造りの堂々とした建物だった。
太い柱に支えられた正面玄関、掲げられたのは剣と翼をかたどった紋章。
威圧というより、力と雑多な熱気を象徴するような佇まい。
フェンが白い牙をのぞかせて笑い、当然のように分厚い扉へ歩み寄る。
ユーナもそれに続き、僕は小走りでその背を追った。
扉が押し開かれる瞬間、ざわめきと笑い声、酒と煮込みの匂いが一気に流れ出してきた。
――これが、ギルド。
胸の奥が高鳴るのを抑えきれないまま、僕はその中へ足を踏み入れた。




