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主者選択   作者: シロイペンギン
揺籠の中の観察者 ― 幼児編/赤子の世界
3/87

観察者として生まれ落ちて

 僕は――異世界に転生した。


 けれど、“それ”を自覚することはまだできなかった。

 強烈な光に包まれた次の瞬間、もうそこにいた。

 泣き声、暖かな腕、意味を結ばない音たち。

 すべてが滑り込むように、選びもせずに、当たり前のものとして受け入れられていった。


 違和感は、確かにあった。

 だがそれは、“あまりに自然すぎる異常”だった。


 なぜだか分からない。


 気づいているのに、意識の手前で掴み損ねてしまう。

 ただ、胸のどこかに引っかかりを残したまま、流されていく。

 声も出せず、体も動かず、目も焦点が合わない。

 世界に抗う術は、何ひとつ持てなかった。


 ……自分は、死にそこねたのだろうか?


 その思考は、どこかの延長線からふと浮かび上がる。

 けれど、“意味”に辿り着く前に、思考の粒となって静かに散っていった。

 それでも――意識だけは、妙にクリアだった。


 大きな腕に抱かれ、規則正しい鼓動と温もりが伝わってくる。

 周囲から響く声は、何処かで聞いた“終わりの音”とではなかった。

 そこにあったのは、祝福のような"始まりの響き"だった。

 自分の体はあまりに小さく、動かそうとしても、ただ震えることしかできなかった。


 ……ありえない。

 僕は赤子になっているのか


 息を呑むほどの衝撃だった。

 けれど、なぜそれを衝撃と感じているのか、自分でもはっきりしない。

 そもそも――赤子として世界に生まれ落ちることに、驚く理由などあるはずがなかった。


 浮かんでは消える“意味”の断片は、どれも遠い場所から流れ着いたように感じた。

 それを追いかけようとしても、思考はぼやけ、掴みかけた形は、すぐにほどけていく。


 断片が、一つの“形”として結ばれることはなかった。


 ただ、“おかしい”という違和感だけが、確かに――残った。


 ――これは、異常なんだ。


 そう思っても、それを“異常”と断じるための滑らかさが、まだ脳に備わっていなかった。

 まるで、思考する手前で足を取られるような感覚。

 この違和感が何に対するものなのか──

 それを言葉にできるには、まだ時間が必要だった。



 どこからか流れ込んでくる“意味”の断片と、世界への違和感だけを抱いたまま、時間だけが過ぎていった。


 “母”という意味の断片が指し示す存在に、長く抱かれていた。

 

 柔らかな声が、耳の奥に静かに染み込んでいく。

 不思議と――その音は、心地よかった。


 日が差す時間、揺れ動く光と音。

 少しずつ見える世界の“質”が変わっていく。

 指が動くようになり、目が合うようになり、身体の輪郭を自分の意志で扱えるようになっていく。



 半年が過ぎた。


何処からかやってくる違和感は、何処かに沈んでいた。 ぼんやりとしていた思考が、少しだけ形を持ちはじめていた。

 掴んだはずの記憶がすぐに霧散してしまうこともあれば、断片が繋がって残ることもある。

 まだ確かなものではないけれど――それでも以前より、頭の中が澄んでいく感覚があった。


 僕は“音”に規則を見出していた。

 名前のような音。

 怒り、笑い、悲しみ――それぞれの音がもつ“気配”。

 それらを“言葉”としてではなく、“音”として蓄えていった。

 理解というより、分類と比較。


 赤子の脳は未熟でも、僕の意識はその土台にひたすら積み上げていった。

 だが、その過程のどこかで、言葉にならないちぐはぐさが、胸の奥に滲んでいた。

 喜びや恐れ、泣きたいという衝動は、この小さな身体から生まれてくる。

 けれど、もうひとつの何かが、もっと別の場所から流れ込んでくるように、僕を動かしていた。


 “構造”や“規則”のようなものを探そうとする癖。

 それが何なのか、自分ではわからない。

 けれどその癖は、生まれながらに染みついていた。


 その二つはうまく噛み合わず、感情の奥で、名もないずれとなって積もっていた。


 ただ、ぼんやりと思っていた。


 ――僕だけ、別の場所から持ち込んだ“何か”があるような、そんな気がしていた。



 一歳を過ぎた頃。


 ぼんやりしていた世界が、少しずつ輪郭を持ちはじめていた。


 感覚が積み重なり、断片がつながり、気配が“存在”として形を帯びていく。


 僕は家族という存在を“構成”として把握していた。


 ──いつもそばにいて、優しい声で語りかけてくれる女性。母。


 ──背が高く、声が硬質で、遠巻きに観察してくる男性。父。


 ──僕を覗き込みながら、特別な声で名前を呼ぶ二人の少女。姉たち。


 それがこの“家”だった。


 家は広く、天井は高く、石造りの床は冷たかった。

けれど、常に誰かの気配があり、静かで穏やかな空気が流れていた。


 廊下を行き来する人影があった。

 規則的な足音と、布の擦れる音。

 その人たちは、僕に近づきすぎることもなく、けれど遠ざかることもなく――一定の距離を保っていた。

 ただ、それがどういう意味を持つのかは、わからなかった。


 言葉も通じず、説明もできない。

 けれど、胸の奥に小さな違和感が残っていた。

 自分の中にある“何か”と、目の前の世界が噛み合っていない。


 知っているはずの場所とは違う。

 けれど、どこがどう違うのかを言葉にすることはできなかった。

 ただその感覚だけが、確かに僕の中に刻まれていた。



 目に映るものを追いかけるようになってから、もう一年半が過ぎていた。


 ただ眺めていた世界は、季節の移ろいを映す舞台へと少しずつ姿を変えていく。


 春の光が、まだ冷たい風に揺れていた。


 僕は柔らかな腕に抱かれ、外を見ていた。


 前をゆくのは、背の高い影。

 肩幅が広く、腰には長いものを下げ、胸には光を反射する装いをまとっている。

 歩みは重く、迷いがなく、ただ前へと進んでいく。

 その背は強さを宿していて、幼い僕には遠い物語の一場面のように映った。

 けれど理由はわからず、胸の奥に小さな棘のような違和感だけが残った。



 別の日。


 中庭。


 銀色の髪の姉が、走り回っていた。

 ——その動きが、唐突に止まる。

 銀の髪の姉は金の髪の姉の前で泣いていた。

 銀の髪の姉の脚からは、赤い液体が流れていた。

 なぜか――痛み、いや、それと呼んでいいのかも分からない。

 僕の中で、ただ、何かが確かに、湧き上がっていた。

 次の瞬間、金の髪の姉の手から、やわらかな光がこぼれた。

 銀の髪の姉の表情から、痛みも悲しみも、すっと消えていく。

 それは、美しい光景だった。

 けれど――胸の奥に、ざわめきが広がる。

 僕の中にある“何か”が、この現象を否定していた。

 そのとき、“魔法”という言葉の断片が、どこからか流れ込んできた。


 理由はわからない。

 だが、それは僕に高揚感を与えた。

 いつか、どこかで感じた懐かしさを伴って。

 だが、その熱が、さらに違和感を加速させる。

 自分の中の何かと、世界が軋んでいるように感じた。

 世界が自分の知っている“何か”と噛み合っていない感覚だけが、確かに残った。


 風に揺れる草の匂いも、差し込む光も、人々の姿も――すべては本物で、触れられるはずなのに。

 どこか、自分の知っていた世界とは違っていた。

 その違いに名前をつけることはできない。

 言葉を持たない幼い身体では、何も説明できなかった。

 けれど、いつか分かる日がやってくる。

 ここは、かつての世界ではない。


 僕は――

 アーシェ・アルヴェインという名を得て、

 別の世界に、生まれ落ちていたのだ。

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