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主者選択   作者: シロイペンギン
未知に試される者 ― 少年編 /ユレッタ遠征
27/87

火蜥蜴

 ――殺せ。


 男の声が頭の中で反響するたび、言葉が冷たく胸を締めつけた。

 目の前で、シアナの首元に刃が突きつけられている。 僕は動けない。

 足は地に縫い付けられ、声は喉の奥で砕けた。


「……動け……」


 かすれた声が漏れたが、空気は微動だにしない。

 無力な自分が、ただ立ち尽くすだけだった。


 そのとき、どこからともなく水のせせらぎが聞こえた。

 脳裏に泉の像が浮かぶ。

 どこかで見た泉だ。


 この世界で何度も聞かされてきた聞いてきた。

 だから、これがリメア――意味が生まれる場所なのだと、すぐに確信した。


 だが、その泉は赤く染まっていた。

 強い感情が、意味が、沸騰している。

 人の殺意が放つ圧力に打ち勝てるほど強い何かが、僕の内部から湧き上がる。


 あいつらを――消す魔法を。


 思考は一点に収束した。

 姉を、シアナを助けなければならない。

 どんな手段でも構わない。

 この場ごと、すべてを消し去れればいい。


 口から詠唱の断片が零れる。

 だが像が定まらない。

 炎の像、焼き尽くす景色――どれも輪郭を欠き、掴もうとすれば霧のように散っていく。

 言葉は空間に届かず、指先のマナは震えるだけで広がらない。


『……違う、これじゃない……』

 心の中で否定を繰り返した。

 シアナの瞳の色、剣の冷たさ、刃に映る月の輪郭。

 目の前の細部は鮮明なのに、魔法を実現するための「外のマナ」が応じてこない。

 環境そのものが僕を拒んでいるように感じた。


 手のひらには、確かに自分の魔力が滲んでいた。

 熱に似た圧、指先のうずき。

 しかしそれは孤立した滴にすぎず、力にはならなかった。

 意味――イメージが定まらならい。


 目の前で、フードの女がシアナの喉に剣を押し当てている。

 黒い裾が揺れ、その影が姉の顔を覆っていた。

 刃に映るその姿が視界を塗り潰す。

 呼吸が乱れそうになったとき、僕はふと息を深く吸い込んだ。


『一度、落ち着け。

 目的を強く意識しすぎるな。

 願いの重さは像を潰す。

 助けたいという衝動が強すぎるからこそ、形は曖昧になる』


 胸の奥で、前世の光景が閃いた。

 オペ室の眩いライト、規則正しく鳴る心電計。

 冷たい器具の金属音。

 緊張で汗ばむ指先を、必死に抑え込む。


 ――誰かの声が、遠くで響く。


「……順番を間違えるな。まず、止血だ」


 誰の声だったのかは、もう定かではない。

 ただ、背後からかすかに残る気配だけが蘇る。


 助けたい――その焦燥に押し潰されれば、手は震え、視界は濁る。

 だからこそ、呼吸を整え、一つずつ段取りを確認する。


 視線を掌に戻す。

 皺の細部、指先の感覚、そこに溜まる自分の魔力。

 問いを立てる――炎とは何か。その構造を、順に並べていけ。


「炎――赤い光、可燃物、酸素、熱反応、火種、燃焼の連鎖」

 言葉に合わせ、火花の弾ける音、焦げる匂い、紙が破裂するような音を思い出す。

 黒い粒が飛び散り、熱が空気を膨張させる感触を掴む。


 感情を削ぎ落とし、理屈だけを積み上げた。

 赤という色を一点でつまみ、可燃物の質感を一つひとつ確かめ、酸素の流れを風として感じる。

 熱は温度差となり掌へ還る。

 火種が起点となり、連鎖が広がる。


 そのときだった。

 指先に微かな抵抗が返ってきた。

 周囲のマナが針のように差し込み、空虚だった空間にわずかな粘りが生まれる。

 具体を与えたからだ。

 言葉で分解し、構造を整えたことで、外のマナが触れてきた。


『火だ。赤だ。可燃物だ。酸素だ。熱だ。燃えろ』

 呼吸に合わせて、一語一語を正確に積み上げる。


 ――完成した設計図を、心の奥で強く掴み取った。


『……組み上げ、意味をのせろ!』


 胸が震え、指先の魔力が共鳴する。

 理屈で築いた構造に、「目的」という意味を流し込む。

 組み上げられた枠組みに、激情が火種として差し込まれる。


 カチリ、と見えない歯車が噛み合ったように感じた。


 そして、次の瞬間、掌に熱が走り、周囲のマナが一斉に燃え上がるように応じてきた。

 掌の奥で脈打つ熱に、空気がかすかに震える。


「……坊ちゃん……?」


 ヴァンが歯を食いしばりながら目を細める。


「いけるのか……?」


 その声が胸を揺さぶる。返事より早く、ヴァンが一歩跳ねて間合いを取った。

 火花が散り、夜気が張りつめる。


「……まさか」


 フードの男の瞳が鋭く見開かれる。


「因果に……干渉しているだと……? あの少年……!」


冷徹な声に混じった驚愕は、敵の均衡を崩すに足る響きだった。


「ユーナ、クリオ……まずいぞ!」

「い、いてて……な、なんだよあれ……?」


 地に転がっていた、もう人の男が慌てて身を起こす。

 目の前の光景に口を開けたまま固まった。


 シアナの首元に剣を突きつけていた女も、蒼白な顔で一歩引く。


「ちょ、ちょっと……絶対ヤバいって、あんなの……」


 掌の熱はさらに膨れ上がり、皮膚の奥で脈動する。

 空気がざわめき、敵の動揺さえも炎の設計図に呼応して震えていた。


 ――対象を正確に狙う。

 そのイメージを、形にして放つ。


 僕は地面へ掌を押し当て、低く呟いた。


「……火蜥蜴」


 瞬間、大地が震えた。

 熱が奔流となって地中を走り、土を焼き割って迸る。

 這い出したのは――五匹の炎の蜥蜴。


 地を裂いて生まれた炎の蜥蜴たちは、赤い尾を引きながら一斉に駆け出す。


 リーダーらしきフードの男が剣を構え直し、低く叫んだ。


「ユーナ、狙われてるぞ!」

「私か……くそっ!」


 女は吐き捨て、身構える。

 三体の火蜥蜴が同時に襲いかかる。

 一体目が地を這い、火花を散らして跳びかかった。


 「っ……!」


 女は咄嗟に身をひねり、かろうじてかわす。

 だがその瞬間、シアナとの間に大きな距離が開く。


 着地の刹那を、二体目が狙う。

 炎の顎が迫るより早く、女の剣が閃き、火蜥蜴を両断。

 爆ぜる火の粉が夜気を赤く染めた。


 だが――その直後。

 三体目が残像のように滑り込み、避ける間もなく女の胴へ喰らいついた。


「――ああっ!」


 焼けつく悲鳴が森を震わせ、焦げた匂いが風に混じる。


 その瞬間を――ヴァンは逃さなかった。


 火花を散らして男の剣を弾き、迷いなく地を蹴る。

 一気に間合いを離れ、倒れ伏したシアナの前へと駆け込んだ。

 膝をついて滑り込み、そのまま剣を構え直す。

 大きな背が壁のように広がり、彼女を覆う。


 血と炎と鉄の匂いが入り混じる夜気の中、ヴァンの背は揺るがぬ盾として立ちはだかっていた。


 煙の向こうに、女の姿が揺らめく。

 確かに傷は負わせたが、まだ立っている。

 

『……火力が足りない。』

 掌に宿る熱を握り直し、設計図を調整する。

『酸素を増せ。

 自分の知る、より燃えやすい可燃物を組み込め。

 温度を上げろ』

 脳裏に鮮やかな像が浮かぶ。

 赤ではなく――より熱い、青い炎。


 次の瞬間、残った二体の火蜥蜴が唸りをあげ、全身を青白い炎に包まれた。

 赤い軌跡は、高熱の蒼光へと変わり、地面を焼きながらのたうつ。


「……今度は逃がさない」

 二匹の青い蜥蜴が、敵を狙い定めるように首をもたげた。


 掌の熱が歌うように高まり、蒼光が指先から地中へと注ぎ込む。

 狙いはあの長身の男――最も危険なのは、間違いなく奴だ。


『行け』──心の内で命じる。

 二匹の青い火蜥蜴が、僕の意志を体現するように身を翻し、男へ滑り込んだ。


 土が裂け、蒼い軌跡が男の周囲を巻く。

 男の目が一瞬、驚愕で光る。

 だが次の瞬間、男の姿が消えた。

 炎の残像とともに、輪郭がふっと途切れる。


「――ッ!」


 鋭い金属音が暗闇を裂く。

 どこからか、刃が走った。

 鮮烈な疼きが空間を走り、血の匂いが混じる。


 僕の耳に届いたのは、ヴァンの声だった。


「ぼっちゃん!」


 だがその声は遠い。

 意識は薄れ、世界は音と光と痛みの境目をぼやかしていく。


 断片だけが剥がれ落ちるように繋がる。

 ――切られたのか。血が見える。死が近い。


 胸の中で、ただ一つの祈りが震える。

『シアナ、どうか、生き延びてくれ』


 視界の端で、かすかな影が揺れた。

 金属がきしむ音。誰かの怒号。

 それが何を意味するのか、もう考えられない。


 理解が追いつく前に、意識は闇へ沈む。

 残ったのは、祈りと、途切れかけの景色だけ――。



 これは夢か? まだ生きているのか?

 それとも、もう終わったのか?


 白い光に満ちた、病院のような空間。

 その中に、前世の自分――いや、その影が立っていた。


「……たった数日で、お前は多くの選択をした」


 声は以前より穏やかで、胸の奥に染み入る。

 前世の影だと分かっているのに、輪郭は霞み、ただ温かさだけが確かだった。


「お前は勇敢に戦った。だが――その選択に意味を刻むのは、これからだ」


 影が静かに告げる。


「だから……起きろ」


 言葉が胸に沈み、世界が淡く揺れる。

 誰の声だったのかは分からない。

 ただ、そのやさしい温度だけが残った。


 闇と光の狭間で、わずかな気配が差し込む。

 耳の奥で何かが震え、遠くの声がかすかに響いた気がした。


 ――夢か現か、確かめる前に。

 意識は静かに、浮上を始める。



 眩しい。

 目を開けると、青空が広がっていた。


「……ダルカンさん、起きましたよ」


 聞き覚えのある女の声が耳に届いた。


 ――ここは……?

 視界を巡らせると、波に揺れる木の甲板。

 頭上では帆がはためき、マストの影が揺れを刻んでいた。

 自分がそこに寝かされていると気づき、身を起こそうとする――だが、体に力が入らない。

 脇腹に鈍い痛みが走り、服の下に何か巻かれているような感触があった。

 呼吸のたびにわずかに擦れ、誰かが手を加えたのだと、ぼんやり悟る。


「やめておけ。まだ動かない方がいい」


 低く落ち着いた声が、すぐそばから響く。


 そこにいたのは、“ダルカン”と呼ばれていた長身の四十代に見える男。

 その傍らに、フードの若い女、もう一人の若い男。

 ――森で僕を襲った三人が、揃ってこちらを見下ろしていた。


 胸の奥が冷え、ようやく理解する。

 僕は今、彼らに――捕らえられている。


 金色の髪の若い男が舌を鳴らし、気の抜けた調子で言う。


「あのあと散々だったんだぜ。

 お前らの増援が来てさ、めっちゃ追いかけられた。

 特に、あの玄狼の剣士がしつこくてよ」


 言い方は軽いが、口元には疲労がにじむ。


「まさか川側に脱出口を用意してるとは思わなかったろ? 

 おかげで助かったぜ」


 その言葉で、断片がつながる。

 追撃を振り切り、流れに乗せられて――僕は川へ運ばれ、さらわれたのだ。


「シアナは……銀髪のあの子は、無事ですか?」


 声は枯れていたが、それしか言えなかった。


 女がゆっくりとフードを外す。

 綺麗な青いの髪が光を反射し、澄んだ瞳がこちらを射抜く。


「大丈夫だよ」


落ち着いた声音が、不安を打ち消す。


「ちょっと痺れただけ。

……あの子、お姉さん? ほんと強かった。

 正直、切り殺されるかと思ったよ」


 少し皮肉めいた口ぶりに、認める色が混じる。

 胸の糸がほんの少し緩む。

 だが安堵には遠い。

 彼女の目も、他の二人の気配も、まだ鋭く張り詰めていた。


「……あの、これから僕をどうするつもりですか?」


 気づけば声が零れていた。

 よく見ると、女のローブは焼け焦げ、肩口には火傷の痕が残っている。

 昨日、僕たちを殺そうとした手――その事実が、改めて全身を重く縛る。


 女は気まずそうに視線を逸らし、答える。


「うーん……成り行き、かな。

 人質でも取らなきゃ、正直あの場から逃げきれなかったし」


 そして小声で付け足す。


「……本当は帰してあげたいんだけどね。

 でも、ダルカンさんが、言うんだよ。君は“ティルザの使徒”だって」


 胸の奥が鈍く揺れた。

 ――ティルザの使徒。

 耳慣れないはずの言葉が、脈を打つように繰り返される。


 そのとき、男がフードを払った。

 黒髪を整えた、背の高い細身だがしっかりとした身体つきの男だった。

 鋭い瞳がこちらを射抜く。


「俺はダルカン」


 低い声が空気を震わせる。


「そっちの女がユーナ。あっちがクリオだ」


 わずかに間を置き、言葉を突きつける。


「――で、少年。お前の名は?」

「……僕は、アーシェ・アルヴェインです」


 喉は焼けるように乾いていたが、しっかりと告げた。


「アルヴェイン……か」


 ダルカンの目が細まり、声の底に重みが落ちる。


「……マジかよ!」


クリオが素っ頓狂な声を上げる。


「アルヴェインの坊ちゃんか!? 

 やばいって! 早くヴァルデン領抜けないと、追っ手が一生来るぜ!」


 胸の奥に冷たいものが沈む。

ようやく、自分の立場が形を結んだ。


震えを抑えきれず、問いが零れる。


「……あの、あなた達は?」


一瞬の沈黙。ダルカンは視線を逸らさず、低く告げた。


「幻狼の剣士は、我々を“新律派”と勘違いしていたようだが」


短く息を吐き、言葉を切った。


「……我々は、残響者だ」


 低く抑えられた声音なのに、川面を渡る風のように胸の奥を震わせる。

 その響きは静謐でありながら、刃の切っ先のような鋭さを帯びていた。


 青空の下、揺れる小舟。

 波音すら遠のいたかのように、


 残響者、、、


 その一言だけが深く残り、余韻となって空気を支配した。

この世界のトカゲは、群れをなし、王を守る。

牙を剥き、仲間を支え、執拗に獲物を追う存在だ。


前世で知っていたトカゲは、小さく無害で――それでも生き延びるしぶとさを持っていた。

二つの像が重なったとき、僕の中に「意味」が生まれた。


対象を正確に、しつこく、逃さず焼き尽くす炎。

それが火蜥蜴。


―――


アーシェの日記より

「蜥蜴は、僕にとって執拗さの象徴だった。だから、その姿に炎を重ね、意味にした」

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