約束と影
記録者:アルヴェイン家ヴァルデン領兵 ノルド
討伐隊は祭堂にて群れの王を討伐。
しかし、その戦闘においてミリア殿が負傷。
隊全体に大きな消耗が見られる。
現在、合流の約定地である森の高台に到着。
アーシェ様、シアナ様、ヴァン殿の一行は未だ到着せず。
また、ロイス副長は単騎で行動されていることを確認している。
――以上、現況を記す。
胸の奥に沈んだ問いが、何度も反響する。
『あの神の提案に従ったからか?』
いや……違う。ティルザの言葉に偽りはなかった。
約束は果たされ、僕は確かに魔法を手にした。
初めて放った魔法は、成功した。
だが、 ただ一度、偶然が噛み合っただけにすぎなかったのに――。
それを僕は、何の根拠もなく「次もいける」と思い込んだ。
その思い上がりが、レオの未来を奪った。
その思い上がりが、彼の進むはずだった道を断ち切った。
僕の選択が。
僕の驕りが。
取り返しのつかない傷を刻んでしまったのだ。
シアナの手に引かれ、僕は村をあとにした。
焼け焦げた匂いと血の気配が、なお背中にまとわりついて離れない。
後ろでは、レオがロイスに肩を借り、片足を引きずりながら歩いていた。
振り返ることはできなかった。
見てしまえば、胸の奥に沈む後悔が形を取り、押し潰されてしまいそうで。
沈黙が続く。
震えの止まらない僕の手を、シアナが強く握り返してきた。
その小さな力だけが、僕をいまに繋ぎ止めていた。
やがて、村の外れにある森の高台が見えてきた。
そこが仲間との合流場所だった。
ヴァンたち四人はすでに着いていた。
僕たちの姿を認めた瞬間、彼らは目を見開く。
レオの姿を見たからだ。
だが驚きはすぐに消え、表情は無へと戻った。
戦場では、それが当たり前なのか。
――けれど、僕にはそんなふうに割り切れるはずがない。
ノルドが膝をつき、すぐにレオの脚へ応急処置を施す。
血を止め、粗末な包帯を巻きつける手は、迷いなく動いていた。
ミリアは剣を杖にして立っていた。
膝は小刻みに震え、噛みしめた唇から血がにじんでいる。
そしてロイスは、黙したまま視線を落としていた。
その沈黙が、胸に重くのしかかる。
――彼が……二人を見捨てる決断を下すのではないか。
そんな考えがよぎり、胸の奥をざわつかせた。
やがて、ロイスが低く告げる。
「……現状で森を出るのは困難だ。
ヴァン、アーシェ様とシアナ様を連れて、先に森を抜けろ。
我々は後続として動く」
胸の奥が冷たく揺らぐ。
――やはり、僕とシアナを逃がして、レオとミリアを切り捨てるつもりなのか。
血の気が引き、足元がぐらりと揺れる。
視界が滲み、意識が遠のきかけた、その刹那。
ロイスの視線が、真っ直ぐに僕を射抜いた。
「誤解なさらないでください。
レオは責務を果たした。……だが見捨てるのではありません。
マナの乱れは、すでに少しずつ収まり始めています。
朝になれば、ミリアも動けるはずです。
アーシェ様はシアナ様と共に、日が沈みきる前に森を抜けてください。
ヴァンも必ず、その責務を果たします。
そして――我々も必ず全員で森を出る。
生きて帰ることを、ここで約束します」
その声音には一片の迷いもなく、その瞳には揺るぎない確信が宿っていた。
『――この人の言葉なら、信じられる』
「……わかりました。ありがとうございます」
気づけば、震える唇から感謝の言葉が零れていた。
その瞬間、鋭い声が場を断ち切る。
「坊ちゃん、嬢ちゃん――急ぐぞ!」
ヴァンの荒々しい響きに、焦りと気遣いが同居していた。
ヴァンが促す。荒っぽい響きの奥に、焦りと気遣いが同居していた。
僕はレオを見た。
けれど、言葉が出てこなかった。
喉が詰まって、声にならない。
そんな僕に、レオが気丈に笑みを作って言う。
「アーシェ様、また、いつか……ユレッタの町をご案内します。約束します」
胸の奥が強く締めつけられた。
涙があふれそうになるのを必死にこらえて、ようやく声を絞り出した。
「……レオ、ごめんなさい。楽しみにしてます」
そう告げて、僕はシアナとヴァンと共に高台を後にした。
振り返らなかった。
振り返れば、もう歩き出せなくなる気がしたから。
背中に残るのは、レオの笑みと、決して揺るがぬ仲間の言葉だけだった。
僕たちは足を踏み出すした。
気づけば夕刻となり、森の中は薄闇に沈みつつあった。
けれど、マナの乱れが和らいだことで、少しずつ視界がひらけていく。
僕たち三人は、言葉少なに森を進んだ。
やがて、シアナが口を開いた。
「アーシェ、魔法……ずっと練習してたんだね」
「……うん」
かすれた声で答えた。
「やっぱり、才能があったんだね」
その声音に、僕を元気づけようとする気持ちが滲んでいた。
そこへヴァンが笑い混じりに割って入る。
「いやぁー、俺は魔法なんざわかんねえけどよ。あの、ばっと広がるやつだろ?
あんなの九歳でできるなんて、ヤベェぜ」
――ヴァンは、よくも悪くもいつも通りだった。
「……そうなんですか」
ヴァンは肩をすくめて続ける。
「このマナの乱れでだぞ? 上級の魔道士でもキツいんだ。
ミリアですら、あれだからな」
僕はうつむき、かすかに呟いた。
「……僕、もう一度できると思って。そしたら……」
ヴァンが肩を揺らして笑う。
「そりゃ“リメア”が枯れちまったんだろ。
まだまだ、これからってことだな、次期領主様」
僕はうまく理解できず、上の空のように見えたのかもしれない。
ヴァンは頭をかきながら言葉を継ぐ。
「まぁ、あれだ。走ったら疲れるだろ? それと一緒だ!」
――めちゃくちゃな例えだと思った。
けれど、なんとなく意味はわかった。
するとヴァンが、珍しく真剣な顔をして言った。
「坊ちゃん、今回の結果は上出来だ。
……誰も死んでねぇんだからな。
なんでもかんでも上手くいくわけじゃねぇ。
……人生なんて、そんなもんだぜ」
いつもは軽口ばかりのヴァン。
けれど今は違った。
その言葉は、真正面から僕に向けられていた。
シアナが小さく笑う。
「なんか、ヴァンらしくない」
茶化すような声色に、場の空気が少し和らぐ。
僕の胸も、ほんの少し軽くなった。
ふと顔を上げると、見覚えのある木が目に入る。
――行きに見た場所だ。森の出口は近い。
そう思った矢先だった。
一人のローブ姿の男が、こちらへ向かって歩いてくるのが見えた。
深くフードをかぶっていて顔ははっきりとは見えない。
だが、背の高い、しっかりとした身体つきの男だった。
村人の生き残りなど、もういないはず。
――なら、こんな場所に人がなぜいる?
シアナとヴァンの気配が一変する。
二人ともすでに、警戒を露わにしていた。
沈みゆく夕暮れの森に、重い沈黙が落ちる。
その沈黙の中で――男の気配だけが、じわりと近づいてきていた。




